クオリアとは何か、についてもう少し詳しく書きたいと思います。
私が存在論と呼ぶものは、科学的世界とか科学万能主義とか言っているものと同じようなものです。
これを具体的に説明すると、天から大量の水が一気に降ってくるとします。その水をザルを用いて効率的に運用することとします。
存在論の概念はその水に対して、より効率的に水を地へ到達させるためのザルを開発します。そのひとつのザルが完成されれば、皆が挙ってその同じざるを開発し、結果的に、天の水を地に通すザルは全て同じ形、同じ網の目になってしまいます。
この構造が科学万能主義なのです。
一方、クオリアの世界とは、まずひとつのザルが完成されれば、2つめ、3つめのザルが全く違う形、網の目で完成されていく構造の世界です。
なぜ、第2、第3のザルが違う形になるかというと、水の本質を知ると、『水の活性化はうねりによって起こる』ということがわかります。この本質に照らし合わせて見ると、上述の同じザルを使った科学的世界のやり方は大地への水到達速度が速くとも、水そのものが死んでいるのです。
合理性・論理性を重視しても、生命の本質を科学は見抜く事ができないため、本末転倒の生命の不活性化が起こります。
科学は哲学から派生したものですが、科学において哲学的思考そのものが失われているのです。
古代の日本人は、木を切り倒さずとも木製品を創るための強靭な木を選別する眼を持っていました。これが洞察力です。
これを現代科学で行うと、木のデータを収集し、そのデータに基づいて普遍的な法則を導くでしょう。しかし、自然界にはこの普遍的な法則を逸脱する現象もあります。科学的データに基づく法則発見は自然界の一部を垣間見ることしかできません。それと引き換えに、私たち人類はデータに基づく法則こそが世界のデファクトスタンダードに成り得るという勘違いを起こすようになってしまったのです。
クオリアはこういう誤った世界を元の世界に戻すためのきっかけにしたいと思っています。それは私たち日本人の心性をまず古代に戻すこと、これが肝要なのです。
スターライトクオリアページです。
自然の中には、宇宙の理(ことわり)が全て詰まっています。データ収集で普遍的真理を確立しようとせずとも、自然を深く認知することによってその法則の中に自分の身を投じ、感覚として真理を捉えることができます。
そういう『地上の生命として、普通のあり方』に人間を戻さないといけないのです。
とは言いましても、このような理論をクオリアで教えるわけではありません。これはあくまでも学校設立のバックボーンになるものなので、これを絶対に認識しなければいけないということもありません。
むしろ、私が言うこの世界もひとつのザルに過ぎないので、自然を洞察した、それを超えるザルを創ってほしいと思います。その違うザルがたくさん集まることによって、水はウネリ(渦)を発し始め、この世界に生命力が取り戻されるのです。
要は、皆が世界にひとつだけの自分自身のザルがあるという『多様性の保障』感覚を、自然界から掴み取ることが必要なのです。
これは、いわゆる愛と呼ばれているものでもあります。
∮ Energycopyright(c)∮ Loving-earth ∮
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |