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  2009/01/28 [13:13] (Wed)
「都市化社会における農的生活のススメ」(JANJAN)

上記記事に素晴らしいことが書かれているのでリンクします。

***引用はじめ***
 人工物に囲まれた便利・快適な都市で生活をしていると、「ああすればこうなる(ならないのはおかしい)」と考え、私達はついつい何でもコントロールできるような錯覚に陥ってしまいます。そして、この思考の歪みが、科学、医療、教育など社会のいたるところで蔓延し多くの問題を引き起こしています。しかし、実際は「ああしてもこうならない」ことのほうが多いのです。都市化が過度に進んでくると、「ああしてもこうならない自然」を排除しようとします。
***引用おわり***


ここに書かれているように現代人は思考で自分の身体や人生をコントロールしようとします。なので私も思考を小さくしようと呼びかけてきましたが、その結果、スピリチュアル業界で起こったことは『考えることをやめよう』でした(ノン・ジャジメント)。これにはまいりました。『考えさせない教育』下で育った方たちが思考を小さくするということを思考を停止するということと誤認してしまったのです。

『考えさせない教育』下で育った方たちは社会に出れば強制的に考えなければならなくなります。しかし、一般的な資本主義社会で考えることができなく適応できなかった人たちがスピリチュアル業界で『思考停止でもいいんだ』という聖書を発見し始めます。恐ろしいことです。


クオリア・Sコミュニティ・移動生活者のエンゲージでも書きましたが、『思考を小さくする』ということは考えることをやめることではありません。

自然に身をまかせ、思考で自分をコントロールすることをやめるということです。そうすると自然から様々な叡智が降ってくるので、それを論理的に考え生活に取り入れていこう!ということです。

戦後の教育が『考えさせない教育』だったため、どうしても本質を捉えるということが難しいようです。

自分の身体や人生が自分の支配下にあると勘違いし始めると、思い通りにいかない体、自分に嫌気が差してきます。その結果、ストレスが溜まり、病気になったり、最悪、犯罪に手を染めてしまうこともあります。

しかし、自分の身体や人生は自分のものではなく、神さまから借りているものなのです。そう考えると日々、当たり前のことに感謝できることと思います。

自然の中で子供時代を過ごせば、こういう認識を持つことは容易です。

前述の記事のように『自然とはああしてもこうならない』からです。

私たち人間は大きい自然の中の一部にしか過ぎないのです。それをコントロールしようと思っても無駄です。自分や他者さえコントロールすることは無理でしょう(しかし、負の感情はコントロールする必要があるでしょう、負の感情とは自分の身体を自分のものと勘違いすることから始まるので、自我を意識的に消してしまうことによっても消化することができます、消化できない部分については表現で、自我は宇宙との接続で、ということになるかと思います)

全てのこの地上界の現象は予めエネルギーの種類と大きさによって結果が決められているのです。

しかし、自分の人生をより良い方向に持っていく事は可能です。自分のエネルギーを大きくすれば良いのです。

それはコントロールではなく、『深い認知』なのです。

この『深い認知』が連続すると『シンクロニシティ』も連続し、自然と周りの現象が本来の自分への回帰を促してくれるのです。

結果的に思い通りの人生を生きられるようになり、感謝もさらに大きくなるのです。


要するに都市生活は人工的な意識拡大が多く、自我の解放だけが行われます。それに引き換え自然での生活の中では、意識拡大が思い通りにならない自然と並存して行われますので、自然の向こう側にあるスピリチュアリティの世界と結合して広がっていくのです。

それが最も健全な意識拡大です。

唯物主義(物質主義)における意識拡大は、すぐさま物質的な結果を求めがちです。しかし、人間が真に満たされたと感じるのは精神的な暖かさや愛を享受した時なのです。

ここらあたりは理論で認識するものではなく、自然の中で体感するものなのです。

ですから私たちはクリスタルを通して、その体感をお届けしていますが、表面的な情報を盗用する方が多く、今ではそういう方々のほうが多くなって、あたかもそれらが正しいかのように認識されるようになってきているのです。

しかし、それは『表現の自由』という観点では、どれが正しいということはないでしょう。


ただ、今の社会がどういう状況に陥っていて、それを解決するためには何をする必要があるのか?を考えた時に自ずと正誤の判断が出てくるというだけのことなのです。

ですから前提に、この問題意識がなければ、『なんで私のやっていることは間違いと言われるんだろう?』とか『正しい・間違いなんかない、皆が正しいんだ』というような一般的に支持されるようなオピニオンが出てくるわけです。


結局は問題意識が持ててるか持ててないかの問題であって、その問題意識を持ち、共有するためには『考える力・創造する力』が必要なんです。

それで、今、スターライトクオリアというスクールでオプションでそういうセッションを行う予定にしているのです。


100人の村があったとします。そこで食料が不足して皆で倹約して乗り切ろうということになりました。それなのに一部の人たちは『正しい・間違いなんてない、全ての村民の行動は許されるはずだ』といっていつも通りの食料を食べました。

そういうことが今、スピリチュアル業界で起っているのです。問題意識のない全体を俯瞰できない人たちが善悪はないと良く言いますが、共同体を運営するにあたって善悪は必ず発生するのです。ちゃんとした手順を踏んで日本という国家にまで意識を拡大できていないから、責任感が醸成されないのです。愛国心は強要されるべきものではありませんが、自分の生まれた土地や先祖に感謝できていれば自ずと生まれてくるものなのです。

その土台の上に『思想・信条の自由』がのっかってくれば良いのですが、日本人のほとんどの場合、土台がなくて土台を西洋から引っ張ってきて土台を偽装しているだけなんです。最近あらわになってきている偽装事件は、こういう精神の偽装が表面に現れてきただけのことなんです。

西洋の文物を取り入れること自体、別段おかしいことではないと思います。しかし、土台を丸ごと引っ張ってくるのは明らかにおかしなことなのです。(人のふんどしで相撲をとる、と言います)そういう人たちが人気を博すのは『考えない教育』が成功している証拠なのです。

都市型個人主義はこういう問題定義や問題意識を曇らせてしまいます。

かと言って、善悪を判断し過ぎる村八分のような世界も考え物ですが、要するにバランスのとれたインテリジェンスが一番必要なのです。

それは残念ですが日本の都市にも山村にもありません。その2つを組み合わせることによってこれから生まれてくるのです。




スターライトクオリアページです。



 
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政治/経済、宗教/哲学を基本としながら市民活動やスピリチュアル活動など、広範囲に動いております。行動範囲は今のところ、東は茨城県から西は中国四国地方までです。特に修験色の強い山間部の地域活性化に興味があります。該当自治体の担当者の方からのご連絡お待ちしております。どうぞよろしくお願いします。
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