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古代神や古代聖地をご紹介し、神仏基に対する信仰を再生して頂くお手伝いをしています。
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  2011/02/25 [21:06] (Fri)
ネストリウス派のことですが、再度書いておきたいと思います。

ちょうど昨年の3月1日に 聖母マリアと瀬織津姫 という記事を書いています。

なぜ、この時期にこのインスピレーションが高まってくるかといいますと、ひなまつりが女神と関係が深いからです。

同じ頃の記事 秦氏の20進法 でも書いたように、例えば高知県中央部の秦氏の巨大古代寺院・秦泉寺は古墳時代の幕開けと共に古墳のすぐそばに建てられました。

ここで重要になる事柄は

古墳を作っていた各地の豪族がネストリウス派の教義を即座に理解する教養を持っていたということです。

この教養こそが、『記・紀』において聖徳太子を創作するための根拠にもなっています。

ネストリウス派の教義は、現在のキリスト教が確定する元にもなった三位一体/マリアの位格/ロゴスの規定などの重要な神智学的構成要素の基礎を主導するのかしないのかの瀬戸際でせめぎあった非常に高尚なロゴスでした。

テオドトスの※養子的キリスト論(ようしてき- ろん、Adoptionism)※と酷似していたようです。

つまり、処女懐胎やキリストの神性を否定する教義に近く、現在のキリスト教からは考えられないくらい人間的なものでした。


これを現代日本に適用して考えますと

アマテラスの神性は

①太陽から神格を受け取って確立した(受洗)

②太陽の子として生まれた

の、どちらなのか?ということです。(ちょっと例えが難しい^^;)


日本人にとっては?な話題ですが、西洋では八百万信仰が当時、既に消失していましたので、このことについて真剣な議論がなされました。


そのネストリウスの教義が、なぜ古代大和で理解されたかと言いますと、既に弥生時代から父・母・子の三位一体が神であるという信仰が根付いていたからです。

西日本最高峰の石鎚山(の近くの瓶ヶ森)の山頂付近には水瓶があり、父(父山)と母(母山/子持ち権現山)から生まれた子(子持ち権現山)を最初に水につける行為・産湯(日本文化WIKI)のメタファーになっています。

石鎚修験は弥生時代から存在していた痕跡がありますが、平安時代以降急速に衰退しています。ちょうど日本に処女懐胎の思想が入ってきています。つまり、ネストリウス派を弾圧/排斥した思想が日本に入ってきて、ネストリウス派と親和性が高かった石鎚修験/秦氏/賀茂氏が急速に力を失っていったのです。


人間が最初に浴びる水が産湯です。最後に浴びる水を末期の水と呼ぶようです。

古代日本人は、最初に吐く息も息吹として神聖化していました。

そこには、生命の誕生を祝う古代大和の人々の優しき姿が映し出されています。


伊豆最古の白浜神社の古代祭祀場にも産湯が設けられており、私たちの先祖が何を祀り何を祝っていたのかを窺い知ることができます。


ちなみに和歌山県に産湯海水浴場があります。去年行きました!

神功皇后が皇子を産湯につけたという伝承があるようです。非常に重要な伝承です。なぜなら、それは神功皇后=三位一体の母という構図が成り立つからです。

さらに応神天皇は胎中天皇と呼ばれていて、神功皇后が身篭って三韓征伐に行った後に産まれた皇子とされています。


これは、古代大和に明らかに父・母・子:三位一体の信仰があったことを示しており、古代オリエントと何ら変わりのない世界機軸で古代大和が動いていたことがわかります。

つまり、それは前回書きましたように、邪馬台国が共和制ローマと何ら変わらない共和制大和であったことを物語るものでもあります。


このような様々な傍証から、土佐高賀茂大社の一言主は、初期キリスト神学論争で紛糾した※言(ロゴス)※である可能性が非常に高いわけです。


こういうことを言いますと、”キリスト教が古代大和を作った”と言い出す人がいますが、漫画はアメリカで産まれましたが、漫画文化は日本で花開いています。トランジスタもセブンイレブンもアメリカで産まれましたが、それを世界に大量に輸出したのは日本です。


そういうことが単に、古代大和でも起こっていたということです。


ロゴスに関して言えば、縄文時代より言霊なるものがあったと思われますが、それがロゴスという観念によって急速に日本人の中で説明され、積極的に信仰される象徴となったということです。


それと、ロゴスの観念を確立しました※ストア学派※は共和制ローマ下で非常に力を持っており、ストイックの語源となっているように日本人の精神とかなり近いものがあります。

人は最終的に神からの分け御霊であるというストア学派の主張は、現代日本人にとってある意味、衝撃的な内容でもあると思います。

つまり、私たちが日本独自の神道原理だと考えている<分け御霊と言霊>のことをギリシャ哲学で同じように論じられていたんですね。西洋哲学(西洋人のアイデンティティ)はここが出発点です。

6年ほど前からやっておりますクリスタルフィロソフィアもこの認識に基づいていますし、日欧同祖論を唱える根拠もここにあります。西洋人が日本をつくったなどということを言いたいわけではありません。

西洋人が捨て去った西洋哲学の根本原理が日本で今でも動いているということを言いたいのです。

なぜなら、日本には偉大な縄文のヴィーナス原理が働いているからロゴスの力がヴィーナスを上回ることはなかったということです。

だから、このヴィーナス原理(omoとMariaのダブルM=水瓶座「アクエリアス」)によって、西洋を建て直すのも日本人の役目だし、その結果、世界を建て直すのも日本人の役目だということを言いたいんです。

なぜなら、日本では未だに※神は死んでいない※からです。

たぶん、また『意味がわからない』と言われると思いますが、、、^^;

そして僕は途方に暮れる(youtube)



今も昔も日本人は、さほど変わっていません。ユーラシアからの様々な宗教/哲学を飲み込んで巨大な宗教国家として栄えていました。


様々な民族が日本に渡来してきて我が国に居つこうと思ったのは、日昇る国として世界に類をみない高い教養があったからです。


そこにアイデンティティを重ねられれば、楽しい未来を作っていけるのではないかと思います。




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  2010/09/04 [22:02] (Sat)

伊勢神宮の天照大神の別名がオオヒルメ。天照の荒魂を祀る兵庫西宮・廣田神社に皇大神宮の荒祭宮の社殿が移設されている。

六甲山の守護神は白山権現。そしてオオヒルメ。

天照大神の別名はオオヒルメ。倭姫命世記に天照大神の荒魂は瀬織津姫と書かれている。

瀬織津姫を唱える※大祓詞(おおはらえのことば)※は、中臣祓詞(なかとみのはらえことば)。

中臣氏(なかとみうじ)※は、古代の日本において、忌部氏とともに神事・祭祀をつかさどった豪族。

忌部氏で有名なのは阿波忌部氏。

中臣氏は藤原氏。ユリの率川神社に阿波神社を勧請したのは藤原是公。藤原仲麻呂(恵美押勝)と仲が良かったのは淡路廃帝(淳仁天皇)。


六甲山の古代名はユスルハダケ。

伊勢は斎宮(サイグウ)、六甲山麓も西宮(サイグウ)

百合の語源は、サイ・サユリ・ユスリ

西宮のピラミッド山は甲山(カブトヤマ)。古代名はコウヤマ。

伊勢神宮内宮は皇大神宮コウタイジンクウ)

西宮の廣田神社に荒祭。音読みすればコウタ神社。六甲山はカタカムナ。

神の鳥はコウノトリ。コウノトリ空港は兵庫。

水鳥形埴輪出土数全国一は兵庫。銅鐸の出土数一位も兵庫。

極めつけはコウベ(笑)


同じユスルを冠する淡路島のユズルハ山は、熊野同体で熊野の奥の院。

修験道の道、復興へ 諭鶴羽神社(神戸新聞)


コウボウ大師はコウヤサンを開いた。

四国88ヵ所を巡った後はコウヤサンに行く習わしになっている。

六甲山には88ヵ所の社があったらしい。ユズルハのご神体・沼島にも88ヶ所があるらしい。

88を一文字にすると”米”

米寿は88歳を祝う祭り。ちなみに年齢も歳「才」と読む。つまりユリ。
揺すって年を取る。大歳神さまに年をもらって私たちはサイ(歳)を重ねる。

米をアメリカという風に読ませたのは誰か?思い出して欲しい私たちのルーツを。



大宜都比売(オウケツヒメ)は阿波。米は粟(アワ)を表していた。

保食神※とはウケモチの神。豊受大神はウケモチ神。

宇迦之御魂神(ウケノミタマ)は、ミケツカミ(御饌津神)。

ミケツを受け持ったのは※ミケツクニ(御食国)

ケツはキツネであり、お稲荷さん。つまりウカノミタマ。

ケツは、おそらくウということ。

だから稲荷寿しは、揚げでお米を受け持っている。

自転車やバイクに2人乗りすることをニケツすると言いますが、俗語だけど本質をうまく言い表している。自転車(バイク)が2人を受け持つということ。お尻のことをケツと言いますが、これも俗語だけど言い得て妙。身体を受け持つのがお尻ということです。

豊受神とは、そういう神さま。

ちなみにお尻のように見える山を百(桃)に例えることがあります。古い風水ではそういう捉え方をしていました。六甲山山頂に祀られています99理姫に剣の一を足すと百になります。99理姫は白山姫であり、白と百は一違いです。つまり99理姫が祀られているということはその周辺に剣(一)が必ず存在するということになります。

そして桃太郎が生まれ、山から川に流れてくる。ちなみに山から剣(一)を引くと川という漢字になります。これがおそらく草薙剣。戦うための剣ではない。山と交信するための剣。戦いに剣を使えば湖面がナギらない。草薙剣は湖面をナギらせるがための剣。サナギは銅鐸。



******引用はじめ******
天照大神が保食神の所に天熊人(アメノクマヒト)を遣すと、保食神は死んでいた。保食神の屍体の頭から牛馬、額から粟、眉から蚕、目から稗、腹から稲、陰部から麦・大豆・小豆が生まれた。天熊人がこれらを全て持ち帰ると、天照大神は喜び、民が生きてゆくために必要な食物だとしてこれらを田畑の種とした。
******引用おわり******※保食神※より


天照大神を六甲山(オオヒルメ)、保食神を阿波、天熊人を淡路島に設定すると、淡路島のユズルハ山が、なぜ熊野の奥の院であるかを理解することができる。そして熊野権現が古代、紀伊半島西岸に祀られていた理由も、、、

そうすると高天原は、裏六甲?(笑)

それもまんざらでもなくて外宮の豊受神は丹波から来ているから
外宮が裏六甲の丹波で内宮が天照別名・オオヒルメの皇大神宮だったら辻褄が合います。



前回の※お陰参り※は阿波から始まったらしい。しかも、ヒシャクが大流行。

外宮の北門にヒシャクを置いていくことが流行?
ヒシャクは水と北斗七星を表すから豊受大神に水が足りなくなった?

現在は、ほんとに食の危機だから豊受大神宮に何かを持っていかないといけない?

お米?(笑)⇒88?




※印で囲んだリンクは全て『ウィキペディア(Wikipedia)』からの引用




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  2010/09/04 [11:28] (Sat)
神話の森ホームページ「倭姫命世記」より引用させてもらいます。

伊勢神宮に祀られている神さまの詳細です。

大事なところは赤で反転。


********************************引用はじめ**********

◇天照大神一座〔大日靈貴、オホヒルメノムチといふ〕【皇大神宮】
 御形八咫鏡坐〔謂八咫は八頭也〕

◇相殿神二座〔左、天児屋命、形弓座。右、太玉命、剱座〕
    一書曰、天手力男神、万幡豊秋津姫命。

◇荒祭宮一座〔皇太神宮荒魂、伊弉那伎大神の生める神、名は八十枉津日神なり〕
    一名、瀬織津比咩神、是也、御形は鏡に座す。【別宮・荒祭宮】

◇伊奘諾尊〔左方、霊御形鏡坐〕【別宮・伊佐奈岐宮】

◇伊奘冉尊〔右方、霊御形鏡坐〕【別宮・伊佐奈弥宮】

◇月夜見命二座〔形馬乗男形也、一書曰はく、御形馬乗男形、著紫御衣、金僻帯大刀凧也〕【別宮・月読宮】

◇荒魂命〔右方〕、形鏡坐〔飛鳥宮御宇丙寅年十一月十一日、遷魚見神社也〕

◇滝原宮一座、霊御形鏡坐、水戸神、名速秋津日子神是也。【別宮・滝原宮】

◇並宮一座〔霊御形鏡、速秋津日子神妹、秋津比売神是也〕
此二神因河海持別而生神八柱。【別宮・瀧原並宮】

◇伊雑宮一座〔天牟羅雲命裔、天日別命子玉柱屋姫命是也、形鏡坐〕【別宮・伊雑宮】

◇大歳神一座〔国津神子、形石坐〕

◇興玉神〔無宝殿、衛神、猿田彦大神是也、一書曰、衛神孫大田命、
是土公氏遠祖神、五十鈴原地主神也。

◇滝祭神〔無宝殿、在下津底、水神也、一名沢女神、亦名美都波神

◇朝熊神社〔櫛玉命、霊石坐、保於止志神、石坐、桜大刀神、花木坐、
苔虫神、石坐、大山祇、石坐、朝熊水神、石坐。
宝鏡二面、日月所化白銅鏡是也〕

◇風神〔一名志那都比古神、広瀬、龍田同神也〕

◇酒殿〔天逆大刀、逆鉾、金鈴、蔵納之〕
◇御倉神、専女也、保食神是也
◇御戸開闢神、天手力男神、栲幡千々姫命
◇御門神、豊石窓 櫛石窓神
◇四至神四十四前、宮中祭之

◇豊受太神一座〔元丹波国与謝郡比冶山頂麻奈井原坐、御饌都神、
亦名倉稲魂是也、大自在天子、御霊形真経津鏡座、円鏡也、神代三面内也、
天御中主霊、御間城入彦五十瓊殖天皇即位三十九年七月七日天降坐〕【豊受大神宮】

◇相殿神三座〔大一座、天津彦々火瓊々杵尊、形鏡坐、前二座、天児屋命。
   太玉命、形笏座、宝玉座、大左方座、前二座右方座〕

◇多賀宮一座〔豊受荒魂也、伊弉那伎神所生神、名伊吹戸主
亦名日神直日大直毘神是也、霊形鏡座〕【別宮・多賀宮】

◇土御祖神二座〔宇迦之御魂神、土乃御祖神、形鏡坐、宝瓶坐〕【別宮・土宮】

◇月読神 【別宮・月夜見宮】

◇調御倉神〔宇賀能美多麻神、三狐神、形尊形也、保食神是也〕
◇酒殿神〔豊宇賀能売命、缶坐、丹波竹野郡奈具社坐神是也、
天女善為醸酒、飲一杯苦万病除之、形石座也〕

◇風神〔八風神〕【別宮・風宮】

◇北御門社〔一名若雷神、加茂社同神也、形甕座〕

◇御井社〔天忍石長井水是也、七星羅烈

◇御門鳥居四至神等、二宮同前也

◇大国玉比売神二座〔大己貴命一座、佐々良比売命一座〕
 右大己貴神〔亦名大国主神、大物主、国作大己貴、葦原醜男、
八千戈神、大国玉、顕国玉神〕

********************************引用おわり**********




  2010/09/01 [02:27] (Wed)
南淡路周遊にも書きましたが、淡路廃帝(淳仁天皇)と藤原仲麻呂(恵美押勝)のセット、そして率川神社に阿波神社を勧請した藤原是公は、※倭京※が四国にあったことを物語るメタファーであると思います。

藤原京以前の宮跡は畿内に全く発見されていません。

淡路島や徳島県に存在する大和大国魂神社が倭京跡を探す手掛かりになるでしょう。

万葉集に出てくる吉野はおそらく徳島県の吉野のことであり、ミヨシという地名も残っていますし、一度行けばわかりますが歌を詠みたくなるほど景観が美しいんです。

当時は帆船の時代ですから、持統天皇が船を使って阿波に行くのなんてたやすいことです。

阿波吉野川は船が奥深くまで入ることのできる川幅の広い川ですから、白村江を戦った当時の状況からは船で移動していたのは自明の理ということでしょう。

飛鳥から徒歩で奈良の山深くの吉野まで行幸していたとは考えにくい。

吉野宮も倭京も阿波吉野川近辺にあり、吉野の盟約もそこで行われた可能性が高い。

今月のはじめに南紀白浜の熊野三所神社に詣でましたが、斉明天皇行幸跡の石碑がありました。土佐の斉明天皇伝承地も膨大な帆船を停泊させておくのに最も適切な環境です。

切目王子宮には元々熊野権現が鎮座していたという伝承がありますし、淡路島のユズルハ山は熊野の奥の院とされています。つまり紀伊水道が神話の始まりの地ということ。


三河にも斉明天皇伝承があります。つまり当時の都や行宮の条件は内湾などの大きな帆船停泊場があることであり、すぐに外海に出られることなんですね。


それを考えると白村江の戦いで負けが確定する藤原京以前に奈良に都があったとは考えにくい。吉野川は朝鮮半島とは逆の東側に開いていますし、北の山に登ればすぐ眼下が瀬戸内海。鳴門海峡は自然の要害ですから難攻不落の都になります。


白地城(はくちじょう)※が四国一の要害ですが、膨大な帆船を停泊させておくことができる吉野川の最深部です。それより上流は川幅が細くなります。

その白地城を制圧した三好氏は畿内を制圧したし、その三好氏から実権を奪った長宗我部元親は四国を統一したし、長宗我部元親から白地城の実権を奪った豊臣秀吉は日本を統一しました。

その白地城と(延喜式内社)倭大國玉神大國敷神社論社・医家神社は吉野川を挟んだ対岸に位置しています。

しかも日本で初めて元号が用いられたのは大化、その次の元号が※白雉(はくち)※であり、同じ呼び名。白雉は斉明天皇の治世に挟まれた軽皇子の治世。


またこの白地城のすぐ近くには、箸蔵寺がある。金毘羅大権現を祀っており、金毘羅大権現がある讃岐の一之宮・田村神社に唯一、倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと)が祀られている。

金刀比羅宮の祭神は大物主。瀬戸内の制海権を掌握していた金刀比羅宮。その裏側に箸蔵寺がある。

百襲媛・箸・大物主といえば三輪神社。三輪神社の神がどこから光を照らしやってきたのかが自ずと見えてくる。





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  2010/08/17 [23:32] (Tue)
こんばんは!大変ご無沙汰しています!
久しぶりのブログUPとなりますが、刻々と状況は変化しております。

写真など、詳細はドラゴンアナスタにUPするとしまして、少し流れでも、、、

淳仁天皇(じゅんにんてんのう)※絡みの巡礼となりましたが、例の道鏡事件と非常に密接に関わっており、率川神社に勧請された阿波神社(Dragon Anasta)ともどろどろに絡んでいるのではないかと思いました。


率川神社に阿波神社を勧請したのは藤原是公ですが、彼のおじさん(父の腹違いの兄弟)が※藤原仲麻呂※なんです。

阿波神社と淡路廃帝(淳仁天皇)がいかに密接に関係があり、8世紀初頭の四国の勢力がいかに朝廷にとって邪魔な存在であったかを窺い知ることができます。これは明治期の薩長藩閥政府の時代にも同じことが起こっています。連合国家思想や自由と民主主義が出てきては困るのです。

明治天皇が、崇徳天皇とともに淳仁天皇を※白峯神宮(しらみねじんぐう)※に祀っていますので、かなり不遇な亡くなり方をされているのだと思います。



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