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古代神や古代聖地をご紹介し、神仏基に対する信仰を再生して頂くお手伝いをしています。
  2017/10/20 [06:43] (Fri)
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  2011/02/08 [17:46] (Tue)

このように情報発信量が多くなり白き存在を強くイメージする時は、やはりホワイト霊団の可能性も検討しなければなりません。2年前と同じ状況が起こっています。
 

誰でもできる見破り方は

①怒りっぽくなっていないかどうか ②支配的になっていないか ③我こそは神状態になっていないか です。


白きアースとこのホワイト霊団は一緒にやってきます。表裏一体です。以前にも書きましたがもっと詳しく言いますと、純粋無垢の白きアースのエネルギーを吸収するためにホワイト霊団が後から吸着してきます。

先日、建仁寺に行った時にダキニ天がありましたから、少しヤバイかなと思いましたが、なんらかの吸着はあるようです。

ダキニ天は悪い存在ではないですが、人間にとって車のような存在で、車に乗って人格が変わる人がいるように自分ではない何かをまとって強くなった気にさせるのが得意な神さまです。自信をつけるのにはいいですが、私はむしろそれが抜けていった後でそれよりも自信をなくす場合があることのほうに問題があると考えるタイプなのであまり奨励はしていません。

生きる力をなくしたり、人生の目的を見失ってしまった人たちには、非常に効果を発揮する神です。つまり第二チャクラですね^^

 

このダキニとホワイト霊団というのは深いところでつながっていて、人間の欲望というものは決して悪いものではないのですが、それが強欲(Greed)の段階になりますと色んな意味で弊害が出てきます。

ホワイト霊団は、強欲の頂点まで人間を上り詰めさせますが、ダキニはそのホワイト霊団にバトンを渡すような役割を持っています。


生きる目的を失った人間が”金を儲けることこそが私の生きる道”と認識したとします。その人は生きる目的を与えてもらったことの引き換えに強欲をホワイト霊団に与えます。その結果、強欲=善であることを全く疑わなくなります。ダキニもこれと似た構造を持っています。


しかし、それは、誰にも迷惑を掛けないうちはではないのです。

生きる活力があること自体は、むしろ生命にとってはを意味しています。


それが悪に転じる瞬間というのは、そのエネルギーが社会性を失った瞬間でしょう。つまり自分さえよければいい、というような考え方。

それを明確に峻別する眼が、モノノフのモノでもありますし、『法の精神』のルーツでもあると思いますし、あらゆる知性の源であるといっても良いと思います。これが西洋でいうところのソフィアであるでしょう。


私たちは非常に難しい課題を出されており、主観的な認識を大事にしながら、しかも他者をも尊重しなければいけないというジレンマの中に生きているといっていいでしょう。

つまり、最高の生き方は※損益分岐点※で生きるということであり、主観的(火)になり過ぎず、かといって客観的(水)にもなり過ぎず、適度にテキトーに生きる。これが宗教的にも最高の境地なんですね。密教では金胎不二などと呼ばれます。


エネルギーはコダワリに斎きますので、”ま、いっか”の捨て去るテキトーが必要です。



※印で囲んだリンクは全て『ウィキペディア(Wikipedia)』からの引用



  
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  2011/02/03 [14:00] (Thu)

小学校に上がる前に車に撥ねられました。

全然その時の記憶がないのですが、私を撥ねた運転手の方が『コンクリートブロックの角に後頭部をぶつける前に手が後ろ向きに出た』と言ってました。

人間の筋肉というのは、すべて脳がコントロールしているわけではありません。それぞれの筋肉が意志を持っています。武道の真髄とは、それぞれの筋肉の自由を認め、それを解放することです。(ここでいう武道とはタケルの道、5と10の道、男性性の極限を目指す道を意味します)


人間はほとんどの場合、自分の身体を支配できる、コントロールしていると思っています。また、自分の人生をも支配・コントロールしていると考えます。でも現実はそうではありません。

だからこそ、皆、自分のうまくいかない人生を嘆き悲しみます。

そもそもの間違いは、コントロールできると錯覚している自分にあります。

日本の道においては、自分のそれぞれの筋肉を信頼することが頂点に立つための条件になると私は感じています。信頼されることによってそれぞれの筋肉は自由を与えられ、自由度の高い活動を広げることができます。

これは人間の組織においてもそうであり、筋肉反射を信頼してあげることが強固な組織形成のための絶対条件になります。

人間の体内の中で脳は絶対的な存在ではありません。筋肉と並列な存在です。ただ機能が違うだけです。




何が言いたいかといえば、人間が選択する選択肢は現象の中では1%にも満たない狭いものであり、残された99%は筋肉反射です。

昨日と同じコトを繰り返し同じ思考の中にいるということは、その1%の中に存在し続けていることを意味し、毎日99%の可能性を捨てているということになります。(何かをやり続けるということはとても大事なことですのでそれを否定しているわけではありません)

つまり、それは自分の身体は自分の脳がコントロールしていると思い込んでいる状況と同じなのです。


メタファーを受け取る能力は、この99%(ククリ)の可能性を絶対的に信頼しているかどうかに左右されます。

私は誰かより勝っているわけでも優れているわけでもありません。ただ、皆が日々捨てている99%の可能性を信じているだけのことです。それは冒頭の事故の影響が強いです。自分の筋肉や脳、可能性に絶対的な信頼を置いています。自分以外の存在として。



先日行われた日本-オーストラリアのサッカーアジアカップ決勝戦でも、筋肉反射を信じた日本が勝ちました。FIFAランクでも実力でも両チームは互角です。

そのような状態の時に金/琴/言(コト)が見えやすいです。

理想や信頼、愛というのは通常、目には見えません。しかし極限の状態の時に火花を散らして見えてきます。現象として人間の目に見える形で現れてきます。

太陽が昇る瞬間、沈む瞬間、金色になります。昼と夜を分ける極限の状態だからです。

その極限の状態を常に維持する巫女から発せられる言葉をコトダマと呼びました。

先ほども言ったようにコトの裏側にはそれぞれの要素に対する絶対信頼があるので、民衆は自由度の高い活動をすることができます。

これが、われわれ日本人が古代に持っていた自由/平等/博愛の政治システムです。


思い込みや偏見、既成概念にとらわれなければ、人間には金が降ってきます。

夢を持つにはなかなか厳しい世の中ですが、頑張って参りましょー
 








※印で囲んだリンクは全て『ウィキペディア(Wikipedia)』からの引用



  
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  2010/10/26 [17:59] (Tue)

当たり前のことですけれども、人間の精神構造は多種多様です。

ひとつの考えが正しいなんてことはあり得ない話しです。



例えば

感受性を伸ばす教育=善 / 感受性を伸ばさない教育=悪

みたいな考え方がアメリカ経由で最近、流入してきていますが

その区分け自体に疑問を感じます。




私などは感受性が開きす過ぎていたせいで死に掛けた子供でしたので

ひとつの考えが全てを良い結果に導くなんていうことはほんとにあり得ないことです。

 

むしろ、いかにも正しく聞こえるようなことの裏側に悪が潜んでいることのほうが多いです。

(ちょっと、また刀を取り出して来ていますが^^;・・・)

私が小学校低学年の時に、擁護クラスができて、それから擁護という区分けも学校の中で始まり、そのせいで様々な差別が横行しました。子供ながらにその教育政策に激しい怒りを感じました。



上の 感受性を伸ばす教育=善 / 感受性を伸ばさない教育=悪 という図式が、もし全国の学校に適用されたらどうなるかと言えば、感受性を持ててない人間が悪という構造が出来上がってしまいます。

擁護クラスのことと同じですよね。それがいかに危険な思想であるかがわかります。


しかも、今、いじめで自らの命を絶っている子供たちは、感受性が強いがために深く傷付き、絶望し、この世を去っています。

だとするならば、このような社会状況下にある時は、むしろ感受性を伸ばさない教育を施すほうが子供たちを救うのです。鈍感であることによっていじめをいじめと感じなければ、救われる子供もいます。

なんのための教育か?それをほんとに皆に真剣に考えて頂きたいです。


一番良いのはもちろん皆が感受性を伸ばして純粋に感じられるものを感じて、素直に表現し、お互いに譲歩し、尊重し合い、愛し合う社会です。

それが普通にできなくなっている、それをしてしまうと攻撃されてしまう社会風潮にまず目を向けましょう!


ですから、時によっては子供を救うために感受性を閉じる情操教育を施すことも必要です。生きていれば必ず自然と感受性は取り戻されます。幼少時代に無理に開かせて深い傷を負わせることもないと思います。

まず私たち大人が感受性を開かせても大丈夫な社会を創造していくことが必要です。


もし、今の社会が子供たちが全開に感受性を開いて大丈夫な健全な社会だ、という意見をお持ちの方がいらっしゃったならば、私のほうにまでご連絡くださると助かります。


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いかに今の日本社会が、子供たちにとって不条理で受け入れがたいものなのかを信じて頂く現実をいくらでも見せてあげられます。


子供時代に感情を抑圧されて大人になりますと  感受性を伸ばす教育=善 / 感受性を伸ばさない教育=悪 という構図をどうしても信じ込んでしまいます。


でも、必ずしもそうではありません。

私の場合は、もう少し感受性が閉じて世界の悲しみに覆われることなく、自分さえよければイイと考えられることができていれば、どれだけ幸福であったかわかりません。


ですから、感受性の問題については必ずしも 感受性を伸ばす教育=善 はあてはまらないということです。

それぞれの子供の状態を見ながら、鈍感な子にはもっと感受性を、敏感す過ぎる子には鈍感さを、というような、そういう教育が必要です。

自分の満たされなかった子供時代の未消化な感情を教育方針に組み込んでもあまり良い結果に結びつきません。満たされない想いの形は違えど自分と同じような想いを持った子が育ってしまいます。


教育とは、個々の事象に合わせた対応であり、これが正しい!というようなものはありません。それぞれのケースに各個、対応していくだけのことです。


そこに、自由があり、愛があり、尊重があるのだと思います。


子供を純粋に育てて、不純な社会に放り投げることほど残酷なことはありません。



不純な社会は厳然として我々の目の前に存在していますから、それにどのように対処し、これからどのように変えていくのか、それとともに子供の情理も導いていく、それがほんとの教育ではないかと感じます。


子供は孤立しているわけではありません。社会に存在する悲しみや矛盾、怒りや苦しみを、最も純粋に受けているのです。しかし、それに対抗する知恵と知識、処世術を持っていません



感受性を開かせるということが、どういうことを意味するのか。ほんとに真剣に考えて頂きたいです。責めているわけではありません。



※印で囲んだリンクは全て『ウィキペディア(Wikipedia)』からの引用





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  ラピス ハート



●響の社会主義的活動として
  皆をおつなげしたり一緒に巡礼をしていきます。SC活動も全開!
  グリーンストリームジャパンはサイトイメージが出来上がりつつあります。
  スピ/農/歴史/地域再生 全部まとめてムーブメントに持っていきます!
  ベースは
オタジカラと笑いです。岩戸開きです。

※SCとはSpiritual Community(愛と思いやりに重きを置くスピリチュアル的コミュニティ)/ Socal Community(開かれた民主主義的性格を持ったソーシャル・コミュニティ)/ Supply Chain 超越  (原料生産から消費までの過程をできるだけ多くの人が関わり生きていけるモデル)の3つを大まかなコンセプトとしています。


●響の資本主義的活動として
  クリスタルの出張販売もヤッテます!特にブレスを作るのがイイと思います。
  交通費をご負担して頂ければ関西・中国圏は出張します!
  セッション時間は2~3時間です。その時間の中でブレスを作って色んな話をしたり
  ご相談を受けたいと思っています。
  チャクラとかエネルギーのこととか巡礼のこととか、SCのこととか、イクドの世界観だとか
  なんでも話できます。

  場所は”清浄な気”があると思われる神社とかになると思います。基本は野外です。
  そこでブレスを作らせて頂いて、気のつながり”Kizuna”貼れます。

  結構ユルい感じで大丈夫です^^
  『近くに巡礼に来た時に頼むネ』みたいな感じでもOKです。
  それでしたら、交通費をご負担して頂かなくても済みますし
  一緒に行った方たちとお話もできますし。

  とにかく流れが早くてクリスタルを全然UPできないですし
  (でも少なくとも近々更新はする予定です。)
  直接お会いして説明していくスタイルに徐々に移行していきたいと思っています。

  これに関するお問い合わせは下記まで



  
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  2010/10/25 [01:50] (Mon)

愛する人を独占したい!っていう気持ちはどっから来るンだろうかなとか考えます。

基本、【愛】は、受容・寛容・癒しであるはずなのに、独占は、その愛そのものを崩壊に向かわせますよね。


よくできた女性は、パートナーに【自由】を与えて【愛】を受け取りますが、この場合、男性がよくできてない時は、ひもが切れた凧のようになって飛んでいってしまいます。

大きな愛は、独占を手放すことではあるのですが、じゃあなぜ、その独占欲が出てきてるのかですよね。


【自由】とは、自分が自由になることであり、他者が自由になることであると思います。

でも、【愛】とは、自分が自由になることであり、相手が不自由になることが発展の初期段階の中に組み込まれているんですね。


これはすなわち、【自由】という概念の中に【愛】が存在しているのではないかという証明になりますよね。

人間は、受容し受容されることによって自由度が高まっていきます。

一方で、愛し愛され束縛しあうことによって自由度は極端に減少していきます。


そこに一体、何があるのだろうか?と思いますが、何もないのではないかと思います。


やはり、【愛】とはパートナーが自己実現をするために見えないところでいかに努力しているかであり、生き方の自由度を互いに広めあっていくものではないかと思います。

認め合い、譲り合い、寛容のし合いというのが、まさに【愛】の基本類型であり、束縛・生き方の否定・自由度の抑制は、あまり良い結果を生んでいかないと思います。


ただ、まあそうはいっても<そこまで言ってしまったら身も蓋もないよー>なことになってしまいますので、多少の束縛なら致し方ないね~っていうふうなところに落ち着くんでしょうね、みんな(笑)



※印で囲んだリンクは全て『ウィキペディア(Wikipedia)』からの引用





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  そこでブレスを作らせて頂いて、気のつながり”Kizuna”貼れます。

  結構ユルい感じで大丈夫です^^
  『近くに巡礼に来た時に頼むネ』みたいな感じでもOKです。
  それでしたら、交通費をご負担して頂かなくても済みますし
  一緒に行った方たちとお話もできますし。

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  2010/10/15 [11:42] (Fri)
最近アメリカ哲学の影響で”良い悪いはない”という教義が結構、日本にも蔓延していて、これに対する私のスタンスなど書いておきますね。


私の友人にもこの”良い悪いはない”哲学を持っている人はいます。

でも私が仲良くしているのは”良い悪いはない”を実践している人たちになります。

どういうことかと言いますと

良い悪いはない”をおもむろに主張することは、”良い悪いがある”と考えている人たちを否定することにつながります。

私は”良い悪いはない”時もありますし、”良い悪いがある”時もあると思うので、両方アッテいいんじゃないの?って思ってます。

ほんとの意味で”良い悪いはない”というのはそういうことだ私は思います。だから私はことさらに”良い悪いはない”ということを主張しません。なぜなら、”良い悪いがある”と考え社会正義を貫いている友人のことも好きだから。


Aさんは、”良い悪いはない”を主張して、”良い悪いがある”と考え社会正義を貫いている人と交流がありません。

Bさんは、、”良い悪いはない”を主張して、”良い悪いがある”と考え社会正義を貫いている人と交流があり、彼を援助しています。


この両者の間にある違いはなんでしょうか?

そうです。そこに愛の実践があるかどうかの違いがあるのです。

結局、”良い悪いはない”を主張しながら、”良い悪いがある”と考え社会正義を貫いている人と交流がないということは、”良い悪いがある”ことを意味していますから、そこに愛の実践はなくて、愛の理論しかないわけです。


だからそれは宗教になっちゃうんですね。

社会にはたくさんの考えを持った人たちが住んでいて、それぞれがそれぞれで違うわけですから、その違いを超えるためには、愛の理論(宗教)ではなく、愛の実践(哲学)が必要なんです。


だけど私は、Aさんを排除してBさんだけを受け入れているわけではありません。どっちでもいいんじゃないの?とか思います。ただ、Aさんが自分の主張だけを正当化している時は、それだけもナイヨ、っていうことは言います。


現代日本人はどうしてもひとつの考えに溺れる傾向が強くて、アメリカがイラク戦争の失敗で”そもそも善悪なんてないんだ”という境地に到達した時に、アメリカの聖書は正義は勝つから善悪はナイに書き換えられたんですね。

でも、それは単に聖書の中身が変わっただけで、ひとつのことを信じてしまう1神教的性格に変化が起きたわけではないんです。日本人もこれにどんどん引き込まれていっているので、ほんとうに困っています。


一部のアメリカ人(ヨーロッパにもいます)が、この状態をさらに超越して聖書そのものを捨てる宗教的段階に入っています。(真に多極的世界を目指すグループ)

それがどこへ向かってきているのかと言えば、 仏教 と オタク なんですね。

なぜなら、そこには愛の理論ではなく、実践があるからです。

もちろん愛の実践はキリスト教内部にも存在しますが、それは教義(ドグマ)を源としたもので、それぞれの内に存在する仏性(神なる光)を完全に引き出したものではありませんでした。

このブログでも何度も書いておりますように仏教の究極の姿は、経典を持たない”禅”であるので、それ自体が西洋人にとっては不思議なんですね。


でも!※アップ・ビートで行こうぜ! upbeatは、禅をルーツにしていますので、日本と世界の関わりは昔も今も結構、濃いんですね^^


結局、愛とは受容であり、自分とは違う異質なものをどれだけ受け入れるかなんですね。
(アキバに行くと異質なものだらけです、もう受け入れるしかないでしょ!)

私も小学生の時、”なぜうちの父親はこんなに怒りっぽいんだろう?”と思いました。でも父親はこういう人だからしょうがないネ!って思ったら全ては変わりました。結局、人を変えることはできないから自分が受け入れるしかないんですね。

母親についてもそう。いつもおかしなことを言うから、そんなこと言っちゃだめでしょ!って小学生ぐらいから説教してましたから。

結局、自立って父親と母親を客観視することから始まるんですね。愛してくれることが当たり前って思ってる内は何も始まらないですよ。感謝もできないですし。愛されることは特別なことだから。

父親と母親も自分の親である前に、ひとりの人間でしかないからね。子供のほうからも認めていってあげないと良好な親子関係なんていうのも無理だと私は思います。



父を受け入れ、母を受け入れ、家族を受け入れ、地域社会を受け入れ、国を受け入れ、世界を受け入れる。最初のとこでつまずいてたら最後まで行けないよ~


だからむしろ父親にはたくさん欠陥があったほうがイイというか、イイ父親であればあるほど子供が自分で考え判断し他者を受け入れようとしなくなりますから、社会に出て苦労すると思いますね。社会はイイ人ばかりじゃない。むしろおかしなことだらけです。

家庭の中でおかしな人がいれば、誰かを受容する愛の実践が出来ているわけだから外へ行ってもそれはできます。こういう考え方は今、非常に理解されないので、皆、大人になって苦労してますよね。

だから皆、大人になってから全てを受け入れてくれるパートナーを探すようになるんですね。それって幻想ですから。全てを変えるのは、自分が受け入れるかどうかだけの問題。

愛が欲しければ自らが進んで受容しなければならないんですね。



だけど、人はそれほど強くないから、傷付いた人がいれば全面的に受け入れてあげたいなというのはありますね。だけどそれだけではだめで、しっかりと自立しないと真の意味での自己実現とか幸福とかはないから、たまに厳しいことを言ったりするわけです。


まあ、でも色々言っても基本的に人を嫌うことがないから、お酒飲んで朝、目覚めると、たいがい忘れてるような感じですかね。


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政治/経済、宗教/哲学を基本としながら市民活動やスピリチュアル活動など、広範囲に動いております。行動範囲は今のところ、東は茨城県から西は中国四国地方までです。特に修験色の強い山間部の地域活性化に興味があります。該当自治体の担当者の方からのご連絡お待ちしております。どうぞよろしくお願いします。
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