下鴨神社の由緒に記載されています『丹塗矢』と『桃太郎の桃』と『箸墓でホトを突いて亡くなった姫』は密接に関係しています。
山上から矢が流れてくるというのは、桃がどんぶらこと流れてくることと同じですし、丹塗りの矢は桃の紅ともつながりますし、猿田彦の目もホオズキのように真っ赤であると形容されます。
赤が山から降りてくるのは、神降りの常道であり、それが矢であるということは、京都が的(マト)になったということになります。
琵琶湖湖西高島地区にも鴨川、八田川、安曇川があり、ここも的になりかけていました。しかし、安曇氏が穂高に入ったのは、的(マト)の争奪戦(神に選ばれるという神事)で敗北したという見方もできると思います。安曇野の八面大王が八女の女神ともつながっていることを考えると、安曇氏はおそらくは女神信仰を持っていて、モモソヒメを葬った(女神を妻籠した)勢力によって、打ち負かされ東に落ち延びたのではないかとも思います。
何かタケミナカタと重なるようなストーリーです。
矢(ヤ)と的(マト)でヤマトであり、矢は男根のメタファーであり、的は女陰(ホト)のメタファーであります。秩父夜祭でも見られる北辰祭りの女神・男神の結婚譚・逢引譚がヤマトの語源になっていた可能性すらあります。
八ヶ岳の権現岳には矢が刺さったような巨石があり、北極星(ソフィア)によって選ばれる神都というのは矢に対するなんらかの信仰が残っているといっても良いと思います。
丹生の構造線ラインの一翼を担う四国の山中には赤は赤龍で表現され、赤土が川に流れ出ると赤龍の怒りと捉えていたような感じもあり、そしてその赤土を土器にすることによって食事をするごとに赤龍の力を体内に取り込んでいたというイメージにも覆われています。(これは山上からの『赤』が神がかりの要素とされていたこととつながります)
赤は白と同時に最も純粋とされていた色で、赤ちゃんの語源にもなっています。赤ちゃんはほっぺが赤いから赤ちゃんではなく、形而上の純粋性を投影したものであり、桃太郎やかぐや姫が山の何かから生まれるというのは、日本にものすごく古い時代から存在する赤ちゃん信仰なのです。
そしてその赤の土(はにやす)の力を瓶にし、そこに水を入れ天に捧げる、そしてそこに神酒を入れ太陽神に捧げるということなのです。
土を水でこね、火で熱し、天に捧げるというのは陰陽五行と習合しながらも、根底にあるのは日本独自の石とエレメントの思想であり、ものすごく古い時代のものです。
丹塗矢はこれらの時代と比べれば比較的新しい時代のことですが、それでも現代では未だ解き明かされていない領域の問題でもあり、大和創世の根本的な問題とも言っても良い問題です。
本来であれば、若狭・比叡山からの女神の矢は赤の天河を越え熊野へ射抜かれていたはずが、箸墓で女神性の封印が行われ、箸墓の地から東の伊勢に白羽(シラハ)が方向を替えられ射抜かれているように感じます。
伊勢信仰とは本来、熊野信仰のように南に対する信仰でなければならず、伊勢神宮の本体とイサハ宮が過去争ったことを考えても、箸墓とは伊勢神宮のメタファーであり、箸をホト(女陰)に差し込んだのは大神神社から室生を通って伊勢の地ということにもなります。だからこそ室生は龍穴であり、天照大御神が唯一神にされなければならなかったのです。
ニギハヤヒの名は消され、ニギハヤヒの位置に女神が女性性を封印され配置され、女神そのものの位置は消されました。これが私たち日本人がアマテラスに抱く複雑な感情のもとになっているのです。
伊勢神宮そのものは政治色がかなり強く、イサハの原初信仰を政治的なものに組み替えた様は宇佐神宮とオモト・ヤメの関係と酷似しています。箸を振り出した張本人は間違いなく中央集権国家という権力であり、振り出された側は土着のそれぞれの神を祀るクズ勢力でしょう。
そもそも『ミスマル』という王の称号の思想は、それぞれ違うものたちが互いに尊重し合い、ひとつのクニを創造していくという国連のような神宝思想です。『記・紀』の中に記載される騙まし討ちや、各地に見られる女神封印は、そのミスマル思想とは別次元のものです。
南朝の守護神が九頭龍で蝦夷の最高神がアラハバキともセオリツヒメとも言われることを考えると、我々日本国の歴史とはまさに権力と女神(自由と愛)のせめぎあいであり、ほぼこの箸墓に全ての根源を遡及することができると思います。
『記・紀』を無闇に信仰するのは、権力に迎合するということであり、真に大切な日本史を知ろうとしないということです。私たち日本人は少なくとも石器時代以降は同じ言葉を使って交流をしていたわけで、その時に共有していたのは文字ではなくエネルギーなのです。カミと誰かが言うとき、皆、文字ではなくエネルギー(感性)で同じ存在を共有していたのです。
『記・紀』は完成して、まだ1300年ほどですがエネルギーの世界は少なくとも1万年の歴史はあります。文献至上主義者は「文献を見ること以外、過去を知る手立てがない」と言いますが、人類の歴史から見れば、文字の歴史は米粒ほどの長さであり、文字から全てを知ろうとする行為は非論理的なのです。
むしろ文字は、らっきょうや紅しょうがなどの付け合せであり、そこからソフィア(智)の全てを知ることなどできるはずがありません。しかし、文字はソフィアから生まれており、現代の『文字とソフィアの乖離』は嘆かわしいことのひとつでしょう。
エネルギーは嘘を付きません。『汚い』と書かれた札の下からきれいな水が湧いてきていたらどうでしょうか?
人間は文字の嘘を見破り、水の本質を認知することができるのです。エネルギーもそうです。いくら神社の祭神を替え、場所を移動させ封印しようとも、封印した時の痕跡が残るのです。
ことさらに神威を大きく見せようとする神社には、そうしなければいけない特別な理由があるのです。
皆が本気でエネルギーの世界を知ろうとすれば、天手力はすぐに降りてきて、岩戸を開けるでしょう。隠されているエネルギーはひとつなのです。どこから到達しても同じ結果になるでしょう。
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