ドラゴンアナスタで音鳴りを持っていくということを行いましたが、それがなんであったのかがわかるようになってきました。
黄泉がえる『サの神』祭祀で書いたように、サの神は南からやってきます。土佐神社の夏祭り(しなね祭)でも『しなね様』が船に乗って南からやってきます。
どこからやってくるかというと鳴無(オトナシ)神社からです。高知県のヨサコイ祭りで使用されている祭具はナルコですが、古代朝鮮半島ではナルコは太陽神を意味していました。
実に、一言主(一琴主)の琴をかき鳴らすのはナルコである太陽神だったのです。
そしてこのナルコはイナル、ウナル、イカル、イカグ、イカヅチという派生語を生み出していったのではないかと思います。
太陽は何もしゃべりませんが、天は怒ることによって、イカル(イナル)ことによって私たちに琴葉を発します。
ですからオトナシ神社が封印される前は、ナルコ神社、イカル神社などという名称であった可能性があるのです。
その土地を総称して『イカルガ』と呼んでいたでしょう。
地震・雷・火事・おやじとは言いますが、昔の人は鋭く本質をえぐっているでしょう。
これら全ての怒りは太陽神から来ており、男性的なものでもあるのです。
ここまで来れば、ほぼ確実に太陽神は男性ですね。
実はオトナシ神社がある場所は、龍とも男根ともとれる長細い小半島の最奥に位置し、それが女陰を表す浦戸湾に入っていくのです。
イザナギとイザナミが私達にはそれぞれ足りないところと余分なところがあると言って、柱をグルっと回る創世譚を説明できる地名が浦戸湾にはあります。鯨は土佐を表す生き物ですが、古語はイサナと呼びました。南からやってくるイサナ(鯨・イルカ)を太陽の使いとして認識していたのかもしれません。それがイサナギ・イサナミになっていくのは容易に想像がつきます。
そのイザナギとイザナミが性交渉を行うちょうど浦戸湾の中間地点あたりに自然の山門があって孕(はらみ)という地名があるのです(古代の浦戸湾はちょうど女性器のような形になっており、剣山と石鎚山という2つの卵巣から川が流れ込み浦戸湾に注いでいました、桃太郎の山を卵とする信仰にもつながりますね)が、その孕は巨大地震の前に『ジャン!』という巨大な地鳴りの金属音が地底からすることで地質学的にも有名です。
孕のジャン(怪異考)
何が孕まれるのかというと”プレートとプレートの摩擦によって発生する音”だと思いますが、土佐ではこの”孕のジャン”の後で何度も巨大地震が発生していますので、音を鳴らすのが太陽神であるという認識が古代より醸成されていたと思います。(巨大地震は全て南の南海トラフで発生するため)
しかも白鳳の大地震でも実際に広大な陸地が沈没しておりますので、北方の山岳からやってくるイカヅチの類いよりも南方の太陽神の怒りのほうが恐れられていたと思います。
その怒りを鎮めるために音を発して安心感を得ていたのではないでしょうか。
土佐に太陽信仰の下地があるのは、こういう合理的な理由があるようです。
しかもその孕によって、向こう岸にある(何度も紹介しています)十市(とうち)の磐土ヒコ(延喜式内社石土神社)が生まれており、石巣比売神を表す女体神社付きなのです。最後に生まれたのが土佐神社のしなね様(風の神)ということになります。(女躰神社については前回の下記記事を参照)
北方の守護とオリオン
オトに関して言えば、結局、弥生時代の銅鐸もナルコではなくイリコを入れて、音を倍増させていましたが、これぞ日ノ本国の祭祀ということでしょう。
音を先行で鳴らすことによって『ジャン!』が鳴るのを少しでも防ごうとしていたわけです。
この高知の孕の南には桂浜の龍王が存在し、北には巨大な獅子岩があります。倭国の龍と日ノ本国の獅子がこの『ジャン!』を奪い合った痕跡があり、銅矛文化圏の倭国が土佐で『ジャン!』を譲り受け、国譲りを完成した後に銅鐸は日本から姿を消しているのです。(日ノ本国の銅鐸文化圏と倭国の銅矛文化圏が拮抗するのがちょうど高知の浦戸湾)
全てが白紙に戻り(土佐弁で<おジャンになる>と言います)
日ノ本国の時代が終わり倭国中心の時代になっていくのです。
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