地政学的に見て、都にふさわしい土地は外洋に開けているというのが絶対条件でしょう。
古代の帆船戦争を考える場合、まず重要なのは膨大な帆船を停泊させておく港です。
そしてその港が攻め込まれて壊滅しないように、見張り台と逃走経路の確保が必要でしょう。その逃走経路に日本で最も適しているのは黒潮であるということは戦略的思考を持っている人間ならばすぐにわかることです。
この視点で日本を見た場合、織田信長が天下を取った尾張・美濃と、徳川家康が幕府を置いた江戸と、もうひとつ外洋に開けた都市があります。
下記はポルトガル人が書いた16・17世紀を通じてヨーロッパで最も影響力を持った地図ですが
日本地図(九州大学附属図書館)
日本はちょうど戦国時代で土佐の長宗我部元親が四国を統一して近畿一帯を勢力下においた織田信長と激突する直前でした。
土佐がTONSAと大きく記述されていますが、世界を股にかけて外洋を航行するポルトガル人はどこが都になりえるか直感で指し示してます。
私達日本人は大きな勘違いをしていると思います。
都が畿内になるということは戦争の終わりを意味しており、それは征服されたことを意味しているのです。
ちょうど外洋に面した高知でも白村江の戦いから白鳳の大地震を経て以後の文明の痕跡が見つかりません。
白村江の戦いで日本が征服されたということを言う方は少数ですが存在します。
実は高知の古代史を紐解くということはこのカゴメを破るということであり、皇国史観を解消するということなのです。皇国史観が出来上がるにつれ土佐が封じ込められ下野させられ、その反動で自由民権運動が興ったことは歴史の事実です。その結果、日本には法と議会制民主主義ができました。
皇国史観(国家神道)にとって高知の古代史は非常に都合が悪いのです。日韓併合と日中戦争の大義が失われるからです。
聖徳太子など存在せず、畿内の古墳の大部分を明治政府が築造している、という推測を現段階で誰が信じるのでしょうか?
『記・紀』の偽造は日を追うごとに明らかになってきており、国家の中枢に存在するはずの歴史も最近では疑わしくなってきています。
しかし、日米戦敗戦から64年、日本は立派に復興しました。白村江の戦いで唐・新羅に敗れて占領されたことなど、どうでも良いことです。
確かに韓国の人は『日本は韓国が作った』などと言い、中国の人は『小日本』だと揶揄します。この白村江の戦いの真実を公表しようものならば、勝ち誇ったようにする人たちも大勢いると思います。
しかし、今、大事なことは自然と共に生きた先住民族系国家(邪馬台国)の文明の知恵を取り戻すことであり、私達日本人のアイデンティティを大日本帝国から邪馬台国に帰還させることではないかと思います。
このまま歴史学が進み、『記・紀』の捏造が論理的に明らかにされると天皇陵である古墳調査の声も高まってくると思います。政局も不安定化しており、宮内庁が今後も力を持ち続けるとは言い難い状況です。
マンションや食品だけでなく、天皇陵までもが偽造であったとなると日本人のショックは大きいでしょう。その上にテポドンが降ってくれば、日本は建国以来の危機に陥ります。
畿内大和単一民族国家から自然主義多民族国家の邪馬台国に自らのアイデンティティを乗せ替えて置くべきでしょう。
若い人はそういう流れを肌で感じ取っているので、邪馬台国好きは結構いるようです。
神社へ行けばわかりますが、明治政府による祭神の変更はかなりの数に上ります。(信仰が厚いところは権力に屈せず元の祭神に戻したりしています)神社の祭神を変更するということは正史も偽造していることは明らかです。このことと宮内庁が古墳調査を拒み続けているということはリンクしています。
畿内では帆船戦争の時代を戦えないのです。川があったとか湖があったとか、ベニバナが出たとかの苦し紛れの通行手形がありますが、封鎖されれば一瞬の終わりなのです。古代史に地政学を用いれば邪馬台国の位置は一瞬でわかります。
私たち自身で新しい日本観を創造していかなくてはいけないでしょう。過去にしがみついても傷口が広がるだけです。自民党を見ていればよくわかります。
私たちの日本を創造しよう!
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