日ノ本国を調査していますが、どうも蛇や龍につながらない。
太陽を中心として、獅子・鳳凰・狼は確実にエネルギーリンクする。
エジプト・フェニキア・縄文の結合体がおそらく日ノ本国の母体だと思いますが、そこには龍が見えない。
しかし、かなり早い時期にシュメールが南西諸島に入っていたのは確実であり、そこに龍の文化はあったはず。
ひょっとすると、日ノ本国と倭国の並存というのはかなり長い期間あったのではないかと思う。
最終的には倭国が日ノ本国を半征服という形になったが、昼は日ノ本国が治め、海原は倭国が治めるという協定があったのではないだろうか?
縄文時代にはそのような国の並存はないでしょうが、太陽を祀るグループと水龍を祀るグループは分かれていて、お互いに補完しあっていたのではないだろうか?
縄文時代が開かれる直前の石器時代の日本では伊豆の神津島、信州、隠岐、九州姫島の黒曜石が広範囲に交易されていたらしいが、太陽を祀るグループはこの交易を実際に行っていたグループとは違うでしょう。
明治時代まで存在していたサンカは常に山間を移動して、たぶん必要な時にしか船に乗らなかったし(サンカの祖先がおそらく日ノ本国の民)その必要な時に、縄文の海人族(倭国系)の助けを借りていたのではないか?
縄文文化は朝鮮半島や、中国沿岸部にまで広がってましたが、シラを祀る人々がそこまでの機動力があったとは考え難い。
おそらく、海人系の縄文人が内陸型の日ノ本縄文人の文化を吸収し、それが交易によって自然と広がっていったのではないかと考えられます。
いずれにしても、ものすごく平和な時代ですね。信じる神が違っても相互補完ができるのは豊かで平和な証拠です。
南北朝時代の戦争も山人と平地人の戦いと言われますが、ひょっとするとバックボーンにはこの縄文の2つの系統のグループがあるかもしれません。
もちろんこれは邪馬台国と狗奴国の戦争にも適用できると思います。
結局、昼(山人)と海原(平地人)が戦争を止めるには、夜(月)が必要なのかも知れません。日・月・星の三位一体を取り戻そうとしていますが、月についてももっと深く考えていく必要がありそうですね。
月を象徴するツクヨミは黄泉に付くという意味ですから、死者の世界の使いなのです。これが封印されたのはユダヤ教の死を忌む文化の影響があると思います。
縄文時代は死者を集落の中に埋葬したりして、死を忌んでなどいませんでしたから(輪廻転生は仏教的な言い回しですが、縄文人も魂は再び還ってくると信じていたようです、太陽のように)月こそ日ノ本国への最終関門かも知れません。
人間にとって最も重要なものは太陽でもありますし水でもあります。その中間に位置するのが月で、人間のエネルギーは満月の時に極限に達し、新月で極小になります。つまらない憑依霊も放っておけば満月時に取り付く島がなくなって退散していきます。(海面が上昇して陸地が水没するようにです、ただし翼を持った強力な霊体に憑依されている場合や体内の潮汐機能が弱まっている場合はこの限りではありません)
結局、この潮汐を操るツクヨミの力というのは、潮満珠と潮干珠(しおみつたまとしおひるたま)の力と同じなのではないでしょうか?潮満珠は龍宮城にあるらしいですね。
この力を使えば海を山にすることもできるし、山を海にすることもできる。すごい力なのではないかと思います。モーセが海を割った力と似ていますね。
結局、日ノ本国を論じると御伽噺の世界に入っていかざるを得なくなります。御伽噺の世界には何か本質的な示唆が隠されているのです。
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