自分は常々、融合するためには対立が必要だと言っているわけですが
この部分はスピリチュアルの世界ではほとんど理解されないようです。
少し書いておきます。
私たち生命は、何億個という精子の中で
他の精子と対立し競合することによって
この世に誕生します。
この世に生を受けた後も
自らのアイデンティティーを確立し
死する瞬間まで他の生命との競合は終わる事はありません。
しかし、その一方で
男性と女性の融合によって新たな生命は誕生します。
競合は融合によって生まれ
融合は競合によって生まれます。
この2つのエネルギーが同時もしくは
交互に発生することによって
生命は鼓動を続けるのです。
私たちの体内に存在する細胞ひとつをとってみましても
ひとつの細胞が核分裂を起こし、違う細胞として競合しなければ
瞬く間に生命は死を迎えます。
積極的な融合は”生”を生みますが
消極的な融合は”死”を生み出すのです。
この融合とはもちろん愛のことを意味します。
積極的な愛とは社会的弱者を救おうとする積極的な行動です。
消極的な愛とは誰も救わずに愛だけを宣伝することです。
”対立”と”融合”は上下関係にはありません。
これらは並列の関係にあります。
この2つのエネルギーを殺さずに調和させ
生を加速させていく概念があります。
それがククルです。
(現代語のククルと古代のククルとは少し意味が異なります)
ククルは対立でも融合でもありません。
しかし2つのエネルギーを持っています。
ククルヒメが破壊と再生の神であり
いざなぎ・いざなみを取り持つというのは
こういうバックボーンがあるのです。
対立を煽りすぎるのは無益な破壊を引き起こすでしょう。
融合を煽りすぎるのは無益な思考停止を引き起こすでしょう。
どちらかに偏るとククルの本質を捉えることができません。
白山につながるとは、自分の内部において
対立と融合、つまりはいざなぎ・いざなみを
完全調和させることなのです。
その結果、”声”が聞こえるのです。
肉体という器は人間である以上
個々で大差はないですが
その地点を意識するかしないかで
スピリチュアルグロースのスピードは全く違ってきます。
また、虚栄心や支配欲、アイデンティティ喪失があれば
意識していても逆の結果を生み出すでしょう。
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