現在のガラスのような心を持った方々が
ぞくぞくと生み出される背景には個人主義の流入があります。
個人主義というものが流入し
1990年代から日本経済思想崩壊後
積極的・肯定的に捉えられるようになりました。
近所づきあい、親戚づきあいをあまりしない家庭で育った人たちは
違ったタイプの人たちに受け入れられるという感覚を醸成できないまま
大人になりました。
社会というものを認識できてない状態です。
そういう方たちは受け入れられよう受け入れられようとし
裁きを受けるのを極端に嫌います。
なぜなら裁きを受けられるほど愛された記憶がないからです。
そういう方たちは大人になって(なりきれてない)
裁きを失くそうとします。
しかし、本当に行うべきは
裁きを失くすことではなく
受け入れる場所を増やすことなのです。
カウンセラーが裁きを否定するのは嘘につながります。
カウンセラーは裁きも愛も持っている
社会そのものでなければならない。
この受け入れる場所を増やすことに
ストップをかけるのが個人主義です。
社会を見ず、個人を見、裁かないことを愛と見る。
これは明らかに西洋社会の悪い1側面です。
それを輸入し、自らの存在証明を裁きをなくすことによって
手に入れているのです。
しかし、裁きを失くしてしまえば
どうやって善悪を判断するのでしょうか?
どうやって犯罪を罰するのでしょうか?
裁きに問題があるのではありません。
受け入れられる場所が少なかったことに問題があるのです。
それを”裁きを失くすこと”によって癒してはいけません。
なぜなら裁きはこの世からなくならないからです。
そうです、必然なのです。
それはあたかも光が闇を消そうとすることと同じ。
本質を洞察できない人たちが陥るブラックホールでしょう。
自分に都合の悪いことから目を背けるのではなく
足りないものを補っていけば良いのです。
悪いものを消そうとする
個人主義の思考法はどこまでも私たちを侵食する。
このような思考法から脱却するために
ネルスピ・カウンセリングはあるのです。
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