天満宮について気になることがありますので、書きます。
天満宮『ウィキペディア(Wikipedia)』
903年 (潮江)天満宮創建「高知県」
904年 防府天満宮創建「山口県」
919年 大宰府天満宮創建「福岡県」
947年 北野天満宮創建「京都府」
そもそも天満宮は菅原道真の怒りを鎮めるために創建されたとされていますが、最も古い時期立てられた高知の天満宮は趣旨が違います。
菅原道真が亡くなった時に、長男である菅原高視が高知に居り、その高視の元に父・道真の遺品が送られてきたことが高知の天満宮の由緒とされています。
高知ではこの(潮江)天満宮は一之宮の土佐神社と信仰を2分するほど今でも信仰されている神社です。
興味深いことは、菅原道真の牛や吉祥天との関係です。天満宮の使いは牛とされていますが、これはスサノオと習合した牛頭天王と同じであると思います。そして吉祥天も北天の女神。
菅原道真はどうやら北極星とされていたようなのです。天満宮は北極星信仰の最後の封印といってもよいかと思います。それは水の女神の封印と同じ意味を持ちます。
菅原道真の祖父にあたる菅原清公が吉祥天信仰を持っていたようですが、それだけで道真を北極星とする信仰が広がるはずがありません。古来より存在した北極星信仰に菅原道真が習合したと考えるのが自然だと思います。
しかも菅原道真の祟りは雷であらわされますが、それよりも以前、土佐大神が天武天皇に神刀を献上させられた(675年)3年後に賀茂別雷神社(通称上賀茂神社)は創建されています。
若々しい神鳴りということらしいですが、どこからその神鳴りを持ってきたのでしょうか?
天満宮を持ち出せば、雷は北極星の化身なので、北極星信仰のある土地から勧請したと考えるのが理にかなっています。
話を高知の天満宮に戻しますと、天満宮裏手には実は菅原高視の名を冠した高見山という山がありまして、そこに大きな巨石があります。牛です。
その山の湾を挟んだ東の反対側には三体妙見の山があります。
その間を縫って北極星と太陽神の船渡し神事が行われるのが、土佐最大の奇祭「しなね祭」です。
しなねはシナノの諏訪大社ミサヤマ神事(北極星信仰)にもつながっています。
宇佐神宮の源信仰は北極星信仰とも言われています。
高知のしなねはシナネツヒコと関係があるとされ風神と言われます。
「どうやら古代日本人は、水と雷と風が北極星からやってくると考えていたようです。
雷が神鳴りとされますが、この場合の神とは北極星のことだろうと思います」
現に大分には椎根津彦神社があり、神武天皇を案内した珍彦と習合している。
その北にある速吸瀬戸を祀った早吸日女神社こそサスラ姫と瀬織津姫、宗像3女神などの水の女神の根源となったのです。
この速吸瀬戸周辺の祭祀と「しなね祭」は祭祀思想の根底が驚くほど一致しており、神武東征時の伝説が高知県に多いのは、この水と風の女神を抑えるという強烈なメタファーがそこにあるのです。
高知県南西部の唐人駄馬巨石群にはかなり古代の風神図が描かれており、風の女神に対する厚い信仰は先史時代より九州と四国の間を駆け抜けていただろうと思います。
しかも、秦王国と紅十字でも書いたように、西四国にはヤハタとスクナヒコナが眠っており、全国に広がる最も多い八幡神社のヤハタ(八幡信仰)は北極星信仰であった可能性も浮上しています。
タナバタは七夕ではなく、棚旗であった可能性があります。棚田の上に旗を掲げることが北極星の女神が降臨することと何か関係があったのです。
源頼朝が日光という北極星を信仰し、熱心に八幡神を拝んだのにも理由があるのです。
ヤハタとは白旗の女神だったのです。八幡神社がこの国に最も多いのはこういう理由があったのです。
八幡神社のヒメ大神とは北極星だったのです。
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