紀元前1400年のペルーで水銀汚染(ナショナルジオグラフィック)
上記記事は衝撃的な発見。
南米と日本はヒスイ文化や縄文土器の産出で幾度と無く交流の可能性が指摘されてきましたが、この丹生の大規模利用の痕跡は明らかに日本の古代と直結しているだろうと思います。
丹生鉱山にも書かれている通り、丹生は既に縄文時代から使用されており、中央構造線上に鉱脈が集中しているのもよく知られた話です。
少なくともこの中央構造線上に縄文晩期から弥生後期にかけて、権力の中枢があったことは確実でしょう。
以前、古代オリエントと古代東北文明圏でも書きましたが、紀元前1200~1400年のちょうど同じ時期に高知県の居徳遺跡で国内最古の金属器による傷跡を持つ人骨が出土していますが、おそらく中央構造線に沿った四国の山中からはもっと古い時代の戦争跡が発見されるのではないかと思います。ただ四国の考古学的発掘は考古学的見地に基づいて行われているのではなく、道路造成の際におまけで発見されるという傾向は変化しないでしょうから、民間で何か特別な動きをしないと日本の古代は永遠に闇の中ということでしょう。(その替わりに道路を開発しつくした都市圏に古代の遺品が多いのはこのためです、現代歴史学がどれだけ歪んだものであるかはこの1点からも説明することができる)
ちょうどこの時期、四国は東北の縄文文化の影響下にあり、朝鮮半島からやってくる新文化との交錯地点でもありました。これらと南米をつなげるのは黒潮であり、丹生と中央構造線、そして黒潮が縄文から弥生にかけての古代を解く重要なキーワードになるでしょう。
現代歴史学では権力の発生が稲作より始まるというのが通説ですが、紀元前1400年のペルーで水銀汚染(ナショナルジオグラフィック)にも書かれているように、権力の発生は丹生から始まっていることも充分考えられます。天武天皇が丹生川上神社を押さえたのもこういう動機があるのでしょう。
現代考古学はこのような認識に基づいて山を発掘するということがなく(全ての可能性に基づくのではなく、ひとつの偏見によって発掘が日夜行われている)魏志倭人伝が丹生に言及しているにも関わらず、平地ばかりを掘り起こし『邪馬台国発見か?!』と鼻息を荒げる学者やマスコミにはただただ驚くばかりです。
先月、丹生川上神社(上社と下社)を訪問しましたが、天武天皇は吉野・天河の改変を行っており、皇位継承を固辞して吉野に隠居したという正史の記載とはかけ離れた歴史を感じます。
奈良の吉野川と四国の吉野川が中央構造線上に対称に並んでいることと、天智天皇系の佐久奈度神社に瀬織津姫が祀られていることは深いつながりがあるでしょう。
丹生の裏には常に熊(熊野・四国久万・九州球磨)が隠れており、熊野に今でも存在する『火と水の統合の思想』は邪馬台国の思想を意味しています。
丹生で権力を示しながらも、水を汚さない女王こそが卑弥呼であり、卑弥呼をモデルに創作されたとされる神功皇后が住吉3神とセットにして語られるのも、権力を手に入れる代償として誰よりも祓戸の力を必要としたからではないでしょうか。
そう考えると縄文晩期の丹生全盛期は現代の公共事業で川を窒息させ原発で海をいたぶる社会状況と非常に酷似しており、その時期のインテリジェンスが日本人の記憶の奥底から甦ってくるのは必然とも言えるのではないかと思います。
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