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古代神や古代聖地をご紹介し、神仏基に対する信仰を再生して頂くお手伝いをしています。
  2017/05/26 [01:14] (Fri)
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  2010/02/27 [16:44] (Sat)
日本の古語で、数字の最大は八(や)。九は九十九神で十は戸。

八を分解すると五男三女の八王子。基本的には、ひふみが女子で、よいつむななやが男子。(入れ替わることもある)

八百万は、ヤホヨロズで八(や)+十(ホ=ト)+万(ヨロズ)。とにかく多いということ。八以上は数えなかったのは、九が九十九神の神聖コードで、十が桃の神聖コードであったから。

これは何進法とかいう問題ではなく、数字が10個しかなかったのです。しかし、そこには深い深い哲学的思考がありました。

そんな縄文世界に入ってきたのが、秦氏。はたと言えば、はたち。秦氏は20進法を持って日本に入ってきたオリエントか極西の信仰を持っていた中央アジア由来の人たち。

なぜ白山姫が白山に祀られ、それを秦氏が率先したのか?

それは日本古来のククリ(9=九十九神)が白山に立てられていたのを知って、十一面観音を祀ることによって、秦氏の聖数20にする必要があったからです。

20進法が最も残されているのはマヤ文明。英語にも20進法の痕跡が残っています。

おそらくマヤの20進法は秦氏の20進法が中南米で独自に発展したものでしょう。加茂氏や安曇氏はフェニキアと深い関係にありましたから、黒潮に乗ってアメリカ大陸に行くことは可能でしょう。また葛城氏は、クワァツラキですから、クワァツラクワァツル(ケツァルコアトル『ウィキペディア(Wikipedia)』)を持っていったのは彼らです。

日本で葛城氏が信仰していた鶴は白山を意味しますし、白山はククリと蛇を意味します。

アステカの最高神ケツァルコアトル『ウィキペディア(Wikipedia)』とマヤの最高神ククルカンは、日本の白山を取り巻く秦氏・加茂氏・葛城氏で全て説明できます。

なぜその氏族たちが中南米に移住しなければならなかったかというと、邪馬台国が東遷し最終的に蝦夷として、カカセオとして討伐されたためです。その時に常陸から、さらに東に向けて旅立ったのです。一部はもちろん残り、東北へと拡大しました。


秦澄の白山開山で初めて20進法が用いられたわけではありません。以前書きましたように、四国南西部の九十九洋・弓月国にきた時に、九十九を百にすべく何をしたかといえば、(フェニキア由来の)ヘラクレスの不滅の鉄鉾を祭祀して、百にしようとしたわけです。これが銅矛祭祀の根底にあります。

それで、日ノ本国との誓約が完成し、国常立が生まれてきたのです。おそらくこれが邪馬台国。

このときにハツクニシラスという大王が誕生したわけです。日ノ本国は各部族が音の祭祀によってつながっていただけの人間の集まりに過ぎませんでしたから(それでも日ノ本中央という考え方は存在していたと思います)部族長を表すシラス(九十九が統治する)と秦氏の西洋的なクニ・六合(天地東西南北)の思想が結合し、大同団結の大和というものが誕生したわけです。

マヤの20進法『ウィキペディア(Wikipedia)』には、5進法も隠れており、5は下の棒線で表されます。そして6は下棒線に上丸です。日本で年のはじめを元旦といいます。この元旦の『旦』は、地平線から日が昇ってくることを表したものとされています。マヤの6の表記と非常に似ています。なぜ12ではなく6を重視しているかというと、日本には元旦が2回あります。夏越の大祓いの6月末と12月末です。

このブログでも何度も6月末の元旦・夏越の大祓いの記事は書いてきました。そしてそれが瀬織津姫を含む祓戸4神と密接な関係があることも。

また、マヤの太陰暦の始まりは、春分の日以降に昇る最初の満月の日とされています。なぜ月と20進法を信仰していた秦氏が四国南西部に秦王国を作ったかというと、土佐湾が弓月形をしていたことはもちろんのこと、四国南西部の足摺岬に春分と秋分の前後3日間だけ太陽が洞門を通過するトオルマ(土佐清水市役所)という地形があるからです。春分と秋分の日の2日間に限りククルカンが降臨するチチェンイッツァのククルカンピラミッドの原型がここにあるのです。黄金のククルカンが岩のマをトオルて降臨するのです。

トオルマのすぐ近くには唐人駄馬というイギリスのストーンヘンジよりも大きいストーンサークルがありました。

いくら先進的な文化を持っていても暦がなければ作物を作ることもできませんし、イクサもすることができません。日本に渡来した民族がどのような暦を使っていたかで、ある程度のことがわかります。

チチェンイッツァのピラミッドは、秦氏の20進法と葛城氏の鶴、加茂氏・安曇氏(ピラミッド「神山」・蛇信仰のフェニキア)の融合で成し遂げられた構造物です。

加茂氏のピラミッド信仰は、高知県の鴻ノ森、愛知県東部の照山(この山も無残に破壊されました)、南伊豆の三倉山で全て説明ができます。上賀茂神社の砂ピラミッドは、その信仰を模して比較的新しい時代に建立されました。


このように全国に散らばっていた信仰を、中央集権化し、地方の宗教施設を壊滅させたのが律令国家の基本政策になります。

ケツァルコアトルもククルカンも、律令国家が始まる前に私たちの先祖が持っていた信仰です。

国家の呪縛からそろそろ目覚めないといけないでしょう。日本国ができて日本人ができたのではなく、日本人がいて日本国ができたのです。

岡山県倉敷市真宮遺跡(Celesteのあちこち巡り歩き)のマヤにつながるフェニキアの蛇とぐろ遺構なども非常に重要です。


自分の住まれている周りをつぶさに観察してみてください。重要な遺跡や聖地があるはずです。

自分の足で聖地へ赴いてください。大地から発せられる声無き声は失われた本当の歴史を私たちに教えてくれます。


地方の古代寺院の中には、古墳時代からタイムラグなしでスムーズに移行しているものが多く存在しています。(例えば高知県中央部の秦氏の巨大古代寺院・秦泉寺は古墳時代の幕開けと共に古墳のすぐそばに建てられました。これは下記のようなことが起こらなければ普通はありえないことです。古墳は王墓ですから、仏教であれキリスト教であれ、土を奉祀していた日本人にとって異教であることには変わりありません)

これは仏教が畿内から広がったという歴史認識をあっという間に覆してくれます。さらに言えば古墳時代は6世紀末で終焉しますが、ちょうど6世紀末の中国(唐)にはネストリウス派『ウィキペディア(Wikipedia)』が入ってきて積極的に活動していました。中国では大秦寺『ウィキペディア(Wikipedia)』と呼ばれました。日本国内にも秦と名の付くお寺がたくさんあります。これらは、ゆえにネストリウス派のお寺と考えるのが自然だと思います。

つまり、日本の古墳時代はネストリウス派の到来で終焉したということになります。弥生時代後期に卑弥呼が亡くなり、太陽神の復活を祈り続け(土は再生を意味しますから)卑弥呼の復活を祈り続け、土の古墳を作り続けていた信仰が根底から崩れ去ったのです。その大異変がネストリウス派の宗教をきっかけとして起こったのです。

ネストリウス派の信仰の何が日本人の心を揺さぶったかと言えば、マリア信仰です。ネストリウス派が、なぜ唐で活動を活発化させていたかというと、彼らは431年に異端とされ、極東に新天地を求めて流れてきていたのです。異端視された発端はマリアの位格論争です。彼らはマリアが人間的にキリストを産むとして異端視されましたが、これが日本の桃(10・戸・百)が火(日・1)を産むという信仰にぴったりとあてはまり、それまでの陰陽五行をすっかり忘れて舞い上がってしまったのです。これは戦争が終わると途端に西洋文明を受け入れ舞い上がってしまった戦後の日本の状態にそっくりです。

この日本人の特質は1万年後、10万年後も変わらないでしょう。

つまりは、卑弥呼の復活=土が、卑弥呼の復活=ネストリウス派のマリア信仰に移行したのです。これがいわゆる倭迹迹日百襲媛命 (やまとととひももそひめのみこと)なのです。

この後、610年頃に滅亡した古代ローマの後釜のギリシャ東ローマ帝国のキリスト教が日本にも徐々に流入し、ネストリウス派の地位が一気に低下していったというのがちょうど聖徳太子の時代になります。日本に入ってきた仏教は純粋な仏教ではなく、唐でキリスト教と融合した仏教なのです。

そしてこの女神が亡くなった箸墓はネストリウス派のマリア信仰が消滅させられたというメタファーなのです。



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政治/経済、宗教/哲学を基本としながら市民活動やスピリチュアル活動など、広範囲に動いております。行動範囲は今のところ、東は茨城県から西は中国四国地方までです。特に修験色の強い山間部の地域活性化に興味があります。該当自治体の担当者の方からのご連絡お待ちしております。どうぞよろしくお願いします。
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