大阪府南河内郡に金山古墳『ウィキペディア(Wikipedia)』という珍しい双円墳があります。築造年代が6世紀末~7世紀初頭なので、ちょうど古墳時代が終わる頃ですね。
前回、秦氏の20進法 でちょうどその時期はネストリウス派『ウィキペディア(Wikipedia)』が日本にも入ってきていたと書きました。
この6世紀末の古墳終焉期から645年の大化の元号が発布されるまでの期間は非常に重要です。
金山古墳のすぐそばには、楠木正成を輩出した楠木氏の氏神・建水分神社(たけみくまりじんじゃ)『ウィキペディア(Wikipedia)』があります。
建水分神社は、瀬織津姫を祀る神社では有名な神社です。金剛はニギハヤヒですから、瀬織津姫がセットで祀られたのは合理的であると思います。
同じ大阪府内には、天照大神荒魂として瀬織津姫を祀る御霊神社、そして兵庫には同じく天照大神荒魂として 戦前まで瀬織津姫を祀っていた廣田神社があります。
これらを総合して分析しますと、上代のある時期までは、ニギハヤヒと瀬織津姫はセットで祀られていたけれども、何かをきっかけにして、ニギハヤヒと瀬織津姫はひとつに融合させられ、天照大御神として祀られるようになったということになるかと思います。これが権力によって為されたものであるので、民衆は天照大御神荒魂は瀬織津姫という表記で抵抗したのだと思われます。
これは西洋におけるマグダラのマリアに経緯や構造が酷似しています。マリアが人間的に生殖しない※1と決定づけられたのは、431年のエフェソス公会議のことです。前回も書きましたが、この431年のエフェソス公会議で異端の烙印を押された人たちが、日本に入ってきたのが6世紀末から7世紀にかけてのことなんですね。
その頃、ちょうど日本では古墳時代が終焉して、ネストリウス派の古代仏教の時代に入っています。
皇極天皇の時に元号が定められ、皇極天皇は重祚して斉明天皇になっています。斉明朝ではローマのディオクレティアヌス朝に起こった宮殿放火と同じようなことが起こっており(その頃のキリスト教は多神教でした。つまりは、マリアが人間的にキリストを産むとされていた時期です)、斉明天皇が没した高知の朝倉の南にはウクルス山という斉明天皇の陵があります。ウクルスのクルスは、現在でもポルトガル語で「十字架」を意味します。日本人の中に眠る原始キリスト教に詳しく書いています。
キリスト教が日本を作ったということを言いたいのではありません。日本に入ってきた原始キリスト教は多神教ですから、現在のキリスト教は、全く別のものです。
何を最も伝えたいかというと、原始キリスト教は縄文・弥生と融合しましたが、そのわずか50年~100年後には、白村江の戦いで敗北し、縄文・弥生・古墳・原始キリスト教の文化が徹底的に封じられたということです。それが何によって為されたかといえば、国家という枠組みを狂信的に信じる念です。
邪馬台国が連合国家であるように、この国に最も適した政体は連合国家です。首都だけが繁栄する律令国家モデルや現在の霞ヶ関・永田町モデルは、幻想的モデルです。
①律令国家が建設された時
②大日本帝国が建設された時
③GHQによって戦後日本が建設された時
少なくとも、上記3つの時期に、日本の本来の祭祀である天白・太一、ニギハヤヒ・瀬織津姫祭祀は封じられています。権力にとっては民間信仰は常に敵なのです。(これは西洋においても日本においてもそうです)
アセンションとは、この封印を解く事です。
なぜならば、斉明朝では縄文・弥生・古墳・原始キリスト教やその他オリエントの宗教が融合し、ユーラシアの様々な民族・宗教が日本に息づいていたからです。現在の東京も世界中の文化や食を吸収し、世界に類をみないほどの情報のるつぼと化しています。これと同じことが斉明朝でも起こっていたんですね。唐自体がそういう構造を持っていました。(唐文化は中国が作ったと言って、中国自体はそれをあまり認めたがりませんが)
しかし、一極集中ではいけません。東京とおなじような文化のるつぼを日本全体に広げていかなくてはありません。地方では未だ、閉鎖的な雰囲気が強いところも多いです。6世紀末から斉明朝までの古代寺院全盛期は、現代の日本が進むべき方向を指し示しています。
戦争は、国家という幻想的枠組みを必要以上に意識することによって生じます。信じるものが同じであれば国家など無意味です。国境とは信じるものの違いの壁です。
北朝鮮と韓国の国境は明確ですが、日本と韓国の国境論争は徐々に深刻さは沈静化してきています。それは同じ文明・同じ文化を共有するようになったからです。封じられし多神教的性格を持つ日本のサブカルチャーは、世界では忘れられし文化として受容されています。
※1:マリアが人間的に生殖しないとは、受胎告知や上賀茂神社の縁起などのように、大地母神が神によって選ばれ、生殖なしで神の子を身ごもるということです。日本神話にもこのような話が盛り込まれておりますが、これらは全て431年のエフェソス公会議以降のことです。それ以前の日本の文化は、金生遺跡から飛鳥坐神社、修験道に通じる男性器・女性器を奉じる和合祭祀なのです。マリアは人間的に生殖してこそ神の子を産むのです。それが桃太郎なのです。それがネストリウス派の聖母マリアに対するスタンスなのです。
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