昨年5月の遠隔ワーク時にオン・キーリクという言葉が出てきて、昨年11月に無量光寿という言葉と共に仏の夢を見ましたが、なんのことかまるでわかりませんでした。それが今日になりまして、阿弥陀如来『ウィキペディア(Wikipedia)』のことであることがわかりました。
確かに5月にキーリクは阿弥陀のことというコメントを頂いておりましたが、無量光寿という仏が他に存在するかと思っていましたが、阿弥陀は漢訳で『無量光仏』とも書かれるらしいです。
しかも垂迹神が八幡神で、ちょうど応神天皇の都(アクエリアス安曇)を突き止めた瞬間に全ての謎が解けました。
しかも秦氏が渡来した時と文献上記載されているのは、応神天皇の時代です。何か関係があるでしょう。
鶴の御杖を建てなければならないのは、日ノ本国の復活を意味しているようで、伊勢湾を日ノ本中央とし、日の国常陸、不死身の太陽神・不二を東に仰ぎ、西に巨大な九十九洋を擁する四国弓月国を月国とし、白兎渡しが行われていたようです。
太陽を全身に浴びて育った金の稲穂を太陽の使い”兎”が、富士-穂高-渥美-伊雑宮-名草宮-淡路-月国へ持ち込み、兎が餅つきを始めるのです。そこに鏡餅が完成し、私たちは年(大歳神)をとります。月に兎がいるというイメージはおとぎ話の世界ではなく、そのような祭祀を日本全体で行っていた名残なのです。
南海地震『ウィキペディア(Wikipedia)』では、常に星国・鶴(白山・立山)の右手の先である月国・土佐が沈み、東海地震と連動し、左手の先である日国・富士山が持ち上げられているのがわかります。まるで扇子をもって鶴が踊っているようにです。日を追うごとに、富士山は不死身になり日出ずる国は不滅になるという考え方です。そして月は没しても再生してくる。日・月・星は三位一体なのです。これが日ノ本国の根本認識です。
月と兎のイメージは、中国伝来のものとして処理されがちですが、非常に軽率な解釈だと思います。その古層には縄文文化があり、縄文文化は中国大陸にまで広がっていましたから、その縄文の古層が先祖還りしてきたというほうが正確です。これは七夕においてもそうですし、密教に関してもその古層と日本の古層は同じになります。
阿弥陀如来は明らかに瀬織津姫です。
大日如来は、月と星が習合し神格化された如来です。金剛界は太陽神・ニギハヤヒの根本原理をインド的に示したものであり、胎蔵界は大地母神・瀬織津姫の構造をインド的に表したものなのです。
であるから、垂迹というアクロバティックな思想革命ができたわけであり、準備ができていないところに複雑な思想など根付くはずがないのです。これは”そったく同時”という禅語そのものです。
日本のほとんどの方が、『記・紀』が記す日本観をなんの疑いもなく信用していますが、エネルギーをクリアにし古代に入っていきますと、天神の世界というのは、『記・紀』が示す世界とはまるで違います。
日本各地に断片的に残されていますが、大地震で陸が没し、陸が現れたりしますと、それは天神の力と認識しましたから、当然、その天変地異に沿って、都は日本国中を縦横無尽に移動します。ほとんどの場合日本における都とは、いかに天変地異を治めるかが主眼であり、治められない場合は”祟り”という概念で天神の怒りを表現しようとしたのです。
ですから、神代の時代から畿内に都があり続けたと信じるのは、単なる文献主義に過ぎず、この国における神がなんたるかを理解するためには、文献(偏見)を廃して地形から神話を読み取ることが必要でしょう。さらに、これは単に日本だけの認識ではなく、世界各地においても天神や地母神は信じられていましたから、エネルギーを外側から洞察する単なる神秘主義には陥らないようにしなければなりません。
重要なことは現代に生きる私たちが、古代のエネルギー認識と同化し、それを取り戻すことにあります。
さて、その日ノ本国の祭祀ですが、弓なり(三日月形)の湾が今でも信仰される日本において、日ノ本中央の渥美-伊雑宮から西の九十九洋(現土佐湾)が月の神格化になったわけですけれども、秦氏の出身国も弓月国です。弓月国はキリスト教国であったとされています。月は太陽神・キリストの妻ですから、弓月国のキリスト教がローマから異端視されていたのは言うまでもありません。自分たちの国を捨て、渡った東方の国・日本でも後の世で異端視されてしまうことになるわけですから、酒を飲むしか逃げ道がなかったのでしょう。(秦氏は酒豪の種族)
秦氏が四国南西部に王国を築いたのもこのような理由があります。日ノ本国と秦氏が九十九洋を巡って争ったのも言うまでもありません。
また、日ノ本国には九十九信仰があり、未完の美学というものもありました。つまり百(桃)になる前が、最大・最長であるという美学です。完全な円になってしまえば、それは即、衰退を意味しますから、百になる前の99(白)が最も崇高とされたのです。
そのような土地に、白鳥(ゼウス)信仰と白馬(ペガサス)信仰を持った白人(秦氏)がやってくるとどうなるかというと、九十九=秦氏という構図が出来上がってしまうのです。これが俗にいう白人(シラヒト)信仰というものです。剣山系には顔を白く塗るお祭りが数ヶ所、残されています。
なんと言いますか、両者の信仰と風貌が絶妙に絡みあい、激しい戦争を経ずとも和解(誓約)が成立したわけです。月や女神が封印されたのはもっと後の世のことになります。
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