スピリチュアル・コミュニティは、徐々に進んでいます。
新たにわかってきたことは、スピリチュアル・コミュニティは大都市近郊でしか成立しえないということです。
それは、なぜかと言うと、都市型スピリチュアルを体験し、エネルギーの基礎をつかみスピリチュアルに対して自分なりのスタンスを醸成できてない地域では、価値観の共有がなされないからです。
都市型スピリチュアルを持てていない地方では、スピリチュアルと聞くと霊能力型スピリチュアルを連想するようですが、東京ではそのようなスピリチュアルは全く流行ってませんし、それがプロパガンダによって生み出されている「マネーを出版会社や広告会社に集める免罪符」に過ぎないことをほとんどの方が、知っています。
このようなメディア・バイアス(メディアによってもたらされる偏見)を見抜くことこそがスピリチュアルであり、スピリチュアル・インテリジェンスであると言えると思います。しかし都市型スピリチュアルを持たない地方では、メディアに情報を頼るしかなく、非常に偏ったスピリチュアルが形成されている場合があります。
都市型スピリチュアルでは実際に、サロンでヒーリングやエネルギーワークが行われますので、それらはメディア型スピリチュアルではなく、口コミ型の実践型スピリチュアルなのです。
このような状況から、スピリチュアル・コミュニティというと、地方では霊感を中心とした新興宗教共同体をイメージされたり、さもなくば行政主導のハコモノ自給型共同体をイメージされたりで、遅々として進みませんでした。
しかし、今になってかなり有望な地域が台頭してきております。
ひとつは、①愛知県東部の豊川周辺部であり
もうひとつは、前にも紹介しましたが②琵琶湖東部です。
そして、もうひとつ可能性があるのが③大阪南部から高野山にかけての地域です。
これら3つの地域に共通するのが、大都市圏まで電車で1時間くらいのところにあり、第二地方都市みたいな位置づけであるということです。そして、古代に重厚な自然祭祀が行われていたことも共通項になるでしょう。
スピリチュアル・コミュニティが実現するためには、都市型スピリチュアルを理解する人たちがいて、自然を守る伝統的なスタンスが今も守られていて、その2つが融合していて、さらにその雰囲気を多くの若者が支えているという条件が必要です。だから、非常に難しい。
①の地域に関しましては、豊川で活動されている Earth to Life (アース ツー ライフ) というグループの方と連絡をとらせて頂きまして、徐々に準備を始めているような状況です。
②の地域も重厚な文化があり、独自に融合が進んでいますので今後の展開が非常に期待される地域であると思います。
③の地域は、最近フォーカスされてきている地域です。
これらの地域に共通することは、水の信仰と八幡信仰です。
①は、応神天皇の都(アクエリアス安曇)でも書いたように、大鞆和気命(おおともわけのみこと)の鞆の発祥の地が巴山にあるということ。
②は、日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう)『ウィキペディア(Wikipedia)』があるということ。
③は、応神天皇陵の南に位置しているということ。
応神天皇陵から水鳥形埴輪が出土し、白鳥とも深く関わっているように八幡の復活と水神(瀬織津姫)の復活は同じ意味を持つのではないかと考えるようになりました。
八幡は秦氏と密接な関係があり、秦氏は加茂氏・葛城氏とも近しい関係があり、③の地域が兵庫(朝来市の池田古墳「5世紀前半」水鳥形埴輪最多の出土)・四国(日ノ本国と倭国の境界線)・九州(宇佐八幡)と東海をつなぐ地点に位置していることは非常に重要な要素であると思います。
①の豊川には、今水寺という吉祥天を祀る巨大寺院が吉祥山にありましたが、戦国時代の戦乱などによって衰退してしまい今では、その痕跡さえも見つけることが難しいほどになっています。
福井県の白山平泉寺も、長野県の戸隠神社もかなりの信徒を抱える巨大寺院だったらしいですが、今ではかなり規模が縮小しています。
水を守り水を活かす文明を持っていた日本人が、戦後一変し、水を汚すことに血道をあげて、私有財産を守るためにダムを作り、自然のサイクルを破壊してきました。
このような行為を糺す必要があるから、色々な人にメッセージが来ているのではないかと思います。水の信仰と八幡、スピリチュアル・コミュニティがミックスされてきているのは、必然中の必然ではないかと感じます。
行政がいくら水辺の保護を連呼してみても、水信仰の回復は難しいでしょう。私たちひとりひとりが古来の水神への信仰を取り戻さなければ日本の水場の復活は夢のまた夢の話になります。
瀬織津姫をもって工業化によって破壊された都市空間を水と近代との共生空間にしていかなくてはならないでしょう。
そして明治国家によって差別・圧迫されたサンカ・修験者などの移動生活者グループの復権も行っていかないといけないですし(水神は地方性を超える言語の役目を果たします)、教育格差の問題もスピリチュアル・コミュニティによって解決していかなければならないと思います。
水と山を守る(神母信仰)農民に農薬とトラクターを売りつけ借金漬けにし、薬漬けのきれいな形の野菜でないと買いとらないというようなマネーありきの農協が形作られたのは戦後GHQの介入があった直後のこと。
そして、その農民たちをゼネコン(総合建設業者)の下請け労働者に付け替えて、水と山を守らせないようにして、水からコンクリート(道路)へと転換させたのが戦後の60年の自民党政治の根幹。これによって日本の水辺は取り返しのつかないほどまでに破壊されました。
私たちの2世代前の先祖は、孫の世代(つまり私たち)を守るために戦って死にましたが、私たちの親の世代は自分の私有財産を守るために日本列島を破壊し続けました。文化を残さずお金を残そうとしてきた結果、文化もお金も失おうとしています。
日本史をつぶさに研究していきますと、戦後60年がいかに狂気的な時代であったかがわかります。その狂気さは他の時代とは比べ物にならないほど突出しています。ヨーロッパの人たちは経済力が高くても先祖から引き継いだ伝統を保護するのに大変な努力をしています。
日本の場合は、異様な反対が起こった場合を除いて経済合理性に基づいて環境破壊が時に政府の手によって粛々と実行されます。
最近の上関原発問題は、その最たる例といえるでしょう。
日本国の主権は国民にあります。政治家や官僚が主権を有しているわけではありません。政治家は国民の代表ではなく、国民の代理に過ぎません。国民が忙しいため政治を頼んでいるのが政治家という商売です。官僚はその下に付随している傭兵に過ぎません。そういう正しい認識をもつことが、よりよき社会を創るための第一歩になります。
ひとりひとりが明確な日本像を持つことが重要です。政治は国民のレベルを超えたものにはなりません。国会が証人喚問の連続になっているのは、明確な国家ビジョンを持って生きている政治家が誰一人としていないから、誰かを槍玉にあげて悪者に仕立て上げようとしているだけなのです。
朝青龍の件もそうです。光が見えなければ闇に覆われます。
アマテラス(光)を天岩戸から出すために八百万の神々は何をしたでしょうか?
今年の聖地巡礼は、音とダンスのマリア(副題)と称してそろそろ活動に入っていきたいと考えておりますが、少しスケジュールが過密で、もう少しお時間を頂くような形になるかと思います。
社会の常識や習慣などを激変させる活動に育てていければと思っています。
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