紅白(コウハク)の日の丸に書きましたが、日本の古代において太陽は白で認識されていたのではないかということですが、シュメールでも太陽は白いものとして認識されていたようです。
それとシュメールには月神シンという神さまがいますが、これは日本における心御柱(シンノミハシラ)になんらかの影響を与えていると言っても良いと思います。
そして、性描写についても日本とシュメールはかなり似ているところがあります。
シュメール人は突然やってきて文明を打ち立てたということですが、黒髪・黒い瞳であったようです。
メソポタミア流域にはシュメール人と似ている民族がいないのにも関わらず、遠く離れた日本人と深い部分で似ているのはやはり奇妙でしょう。
縄文時代には白い岩が神聖視されていたことを考えると、シュメール文明の起源が縄文文明にあると推測しても決して馬鹿げたことではないと思います。
そして、古代オリエントの数々の文明がシュメール文明に端を発しているからこそ、日本に渡来してきた古代オリエントの様々な文明が縄文文明と結合したという豪快なロジックも成立するわけです。
調べれば調べるほど、日本の古代とオリエントの古代は直結しており、関東の古墳からはシュメールにつながる金製品の出土が確認されています。
国内最古の戦傷人骨で有名な高知県土佐市の居徳遺跡群ですが、ここからは古代東北と密接に関わる古代漆の器も出土し、国内最古の木鍬も出土しています。この居徳遺跡では3千年前は少なくとも四国と東北は同じ文明圏にあり、渡来人の文化がその文明圏の脅威にはなっていなかったことが伺えます。この頃の文化の中心は東北であり、その最も最前線であった高知が金属器を持った集団に狙われたということになると思います。なぜなら東北と四国が一体化するほどの文明には黒潮は必須であり、朝鮮半島にも抜けられる四国が東北の管理領域の限界になるのではないかと思うからです。
東四国で弥生の国風化が最も早い段階で成し遂げられたことを考えても、東北の縄文の力が実際的な力として機能していたのは四国の中心部までではないかと思うのです。結局このライン(古代東北の勢力範囲)がその後の銅鐸文明圏の境界になり、高知県中心部で銅矛文明圏とせめぎ合っているのです。
居徳(いとく)遺跡(知恵蔵)
また突如として、縄文祭祀を行わない人たちも近くに出現しており
【試行私考 日本人解剖】第3章ルーツ 民族の形成(1)(産経ニュース)
古代オリエントの人々は、少なくとも3千年以上も前から渡来して縄文人と小競り合いをしながらも融合していきましたが、弥生時代の幕開けとされる時期に朝鮮半島から大量に渡来人が渡来してきたと仮定することもできると思います。
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