ずっと探りを入れてましたが、どうやら秦王国は、やはり四国の西部のようです。
マリアと妙見のエネルギーがどうしても重なってくるので、調べていましたら、どうやら古代もマリアと妙見は習合していたようです。
一条兼定仮寓後編(間口は広いが奥行き無し)
上記の方が克明にレポートされてますが、四国西部は非常に隠された地域で、巨石遺構とスクナヒコナ伝説、ヤハタハマなど、日本の古代を解く上でものすごく重要な鍵を握っています。
四国西部の大洲などは西日本最高峰の石鎚山の門前町のような場所で、古代朝鮮半島から直接この地に大量の渡来人が流れてきています。高知南西部の旧国名は波多国(国造は天韓襲命)で秦氏と密接に関連があります。
秦氏が古代キリスト教(景教)と深く関わっていたのではないかとは良く言われます。しかし、その根拠はなかなか見つかりませんでした。高野山の碑が有名ですけど。
しかし、この妙見の紅十字は衝撃的でしょう。
796年に北辰祭は禁止されています。平安京遷都の2年後ですね。
ローマにおけるキリスト教も当初は日本と同じ多神教でミトラ教と国教を争ったんですが、太陽神(キリスト)を唯一神にすることによって、帝国主義の確立に成功しています。
これと同じ事が日本でも起こったのではないかと思います。
高知県西部の四万十地方からは実は、七星剣が出ており、公家の領地で一条家が下野してきています。このことと京都の北に太秦が存在していることは密接に関わっています。大文字焼きも残っています。
ここ四万十で公家と秦氏と十字がつながるのです。
しかし明治政府はミスを犯しました。大和が倭国と日ノ本国の誓約であることを知らなかったのです。それを知らなかった故に、倭国の起源を封印しようとしました。
平安時代までは日・月・星を媒介するものがマツリゴトを担っていましたが、平安時代以降は月・星を消して、天皇を唯一神(太陽神)にすることによって国を治めていこうと考えたのです。
西洋の場合は、太陽を男神というのはそのまま残して、マリア(北極星)を封印しました。結局、西洋でもそれを封じ込めることはできていない。マリアが抱く赤ん坊は月であり、キリストは太陽神だったんでしょう。
為政者のやることは古今東西どこでも同じです。そして封じ込められた民間信仰もどこも同じように反発して変な形で世の中に顕れています。
多神教の古代キリスト教と古代日本が接触があったのは間違いがないでしょう。しかし、それは現在のキリスト教が異端視したものなので、今のキリスト教とは全く違います。
秦氏のキリスト教は、アイルランドの太陽信仰と習合したキリスト教に近かったでしょう。そのアイルランドのキリスト教がアメリカでカトリックとして差別されてきたのは非常に悲しいことです。
そもそもプロテスタントがカトリックとして定義するのは「免罪符を発行した司祭」としなければならず、それをアイルランドキリスト教に適用するのはお門違いだと私は感じます。(そもそも太陽信仰と習合している時点で異端者狩りのエネルギーを持っていない)
いずれにしても倭国は古代キリスト教や龍神信仰をミックスした面白い国であったことは間違いがない。これまでに書いた日ノ本国との宗教結合もあり得る話。
大和・国常立とはほぼ、この日ノ本国と倭国の誓約結合のことを指していると思う。
しかし、その多神教の大和の大文字が、キリスト教が唯一神化するように、天皇唯一神へと変貌させられていったのです。
真のヤマトとは世界中のあらゆる宗教を吸収するほどの寛容さを持った国のこと。太陽神をベースにしながら取り戻していかないといけないでしょう。
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こちらの記事、興味深く拝読しました。
というのも、私の住んでいる所が正に文中のやはたはま、八幡浜であるからです(厳密には旧日土村ですが)。
さらに、文中リンク先の方も書いて下さってますが、
市内の大法寺というお寺には、
「キリシタンが崇めたマリア観音像」とされている像があり、
これが奇妙にも亀に乗った姿の像で、「実は妙見菩薩ではないか」との説も
ある像で、その像の由来は詳しく存じませんが、
そのこともありまして、妙見菩薩とマリアとがつながるという論旨がさらに面白く感じました。
ありがとうございました。
八幡浜に住んでらっしゃるのですね!私は二回ほど伺ったことがあるいのですが、最後に訪問した時にちょうど花火大会をやっていましたので、今でも覚えています。
亀に乗ったマリア観音像というのは本当に奇妙ですね^^
亀に乗った龍というのは四神の中では北方の守護神・玄武を表します。つまり天帝であり日本では天皇に相当します。
龍にのった白山姫というモチーフはよく描かれますが、これも北方の守護神の暗喩だと思います。
古代大和では女性天皇が一般的でしたから、妙見=北極星=天皇=マリアという構図があったのだと思います。その信仰を強烈に持っていたのが秦氏/賀茂氏。
ヤハタハマから四万十にかけての地域は秦王国でしたから七星剣も出てきています。
八幡浜は古代史にとってとても重要な地域であると思います。今後ともどうぞよろしくお願いします!
こちらこそよろしくお願いいたします。花火大会ですか。さぞ混雑していたことと思います…
>八幡浜から四万十まで
四国南西部一帯ですね。そういえばこの地域には呪術に関する技を持った人が他地域と比べ多く存在していると、呪いについての研究本を書かれた元愛大の中村雅彦先生が著書の中で指摘されていたように思います。
実際私の弟も地元にいた「拝んでくれる人」に喘息だったかを治してもらったそうで(親曰く)、言われてみれば不思議な地域だと思わされます。
妙見菩薩といえばちょうど自宅近所に「妙見神社」なる神社もあります。
宮司さんなどがいない「村の鎮守様」のような神社ですが、そこの御神体?が武士のような黒い木像でした(小学生の頃、夏休みには各地域の公共施設を掃除することになってまして、掃除のために奥のほうまで入ってしまった結果、分かりました)。添えられていた、錆びた円形の金属板は恐らく鏡だったのでしょう。
勝手な素人解釈ですが、女性っぽさがないのは江戸期に入り現宇都宮市あたりから宇都宮氏が八幡浜市大平の萩森城へ封じられた際、配下の武士も一緒に移って来てもたらされた、東国武士色が強い妙見信仰が影響しているのかなと想像しています。
正式な記録がないため、なんとも言いがたいですが……
長々と、失礼いたしました。
>さぞ混雑していたことと思います…
そうなんです。人が大勢いたのでなんだろうと思ったら花火があがってました(笑)
>そういえばこの地域には呪術に関する技を持った人が他地域と比べ多く存在していると
木村鷹太郎や幸徳秋水がその地域の特徴を象徴的に表していると思います。後期大和朝廷は前期大和朝廷の前身であった四国南西部の秦王国をひどく恐れていたので、その恐れは本能寺の変とか大逆事件にまで引き継がれました。が、結局戦後、日本を復興させたのは尊王家・秦王国出身の吉田茂でしたから、日本の皇統の源流というのはそこにあるというのがわかります。
幸徳秋水が一言も天皇批判をしていないのに大逆罪にとわれたのは非常に残念なことです。未だに政府はそれを誤りとして認めようとはしていません。
>配下の武士も一緒に移って来てもたらされた、東国武士色が強い妙見信仰が影響しているのかなと想像しています。
妙見信仰自体は阿波→安房の方向で伝播したので北関東からの移封は先祖帰りだと思われます。高知には新田義貞を祀る社が多くあり、その起源を辿ってくと四国南西部に突き当たります。
そこに幼少の頃の長宗我部元親がいて、そこに明智光秀が来て、織田信長/長宗我部不可侵条約を破って信長が四国征伐を開始した時に光秀が長宗我部側について本能寺の変がおこったことも考えると、今でも秦王国の時代っていうのは続いていると実感します。
ちなみに一条兼定の妻がかなり早い段階でマグダレナ名で受洗していますが、当時のイエズス会の保護者はマリアの処女性を神格化した『道の聖母』だったので明らかに変だと思います。
それは四国南西部に子を産む聖母信仰があったからなんでしょう。ちなみに石鎚山には父母子の三位一体信仰の痕跡がありますし、愛媛北部の寺院にはたくさんの使徒を引き連れたマリア像も残っています。
これこそ妙見の紅十字だと思います。
こちらこそ長々と失礼致しました。
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