7年間、甘いスピリチュアル思想を提供してきましたが、その結果この業界が陥ってしまった症状は糖尿病です。糖尿病はおいしいものを食べすぎることによっても始まる病気です。良いものでも摂取しすぎると身体に害を及ぼします。アメリカ人はなんでもかんでもやりすぎる傾向がありますが、日本にはちょうど良い加減、ほどよい加減、の思想があります。
これがククリの本質です。
身体に良いとされているものが、度を超えることによって害に転じてしまう。これこそがダークサイド落ちの本質です。ダークサイド落ちを防ぐために何をすれば良いかというと善悪の判断(ジャッジメント)です。
食材を善と悪に分別するのではなく、今の身体にとって有益か害毒かを判断するということです。食材の本質を判断するわけではありません。
今、その食材が私たちにとって有益か害毒か、それを判断するのです。
今、フォーギブネスが私たちにとって有益か害毒か、それを判断するのです。
これは一時の判断であって、永遠の本質的判断ではありません。
かなり難解であると思います。罪を憎んで人を憎まずの本質を理解していなければこの違いを認識することができないでしょう。
度々、申し上げているように、私たちも提供してきたフォーギブネスの思想は明らかに度を超えて浸透しすぎて害毒な物に変貌してしまったのです。
真理は常に真理であり続けるわけではありません。真理とは相対的なもので、環境によって害にもなります。最も重要なことは真理がダークサイド落ちしているのか、していないのかを監視することなのです。これがククリの本質です。
日本にはダークサイド落ちしない精進料理というものがあります。この料理の前提には多品種少量というダークサイド落ちをあらかじめ予防するブロック思想があります。精進料理だけではありません、この国には度を越えてやり過ぎないという白山姫ロジックが至る所に見受けられます。
ジャッジメントは誰かを切り分けるために存在する思想ではありません。有益か害毒か、それを知らせるアラートなのです。
社会に対して責任と主体性を持っている人間は、糖尿病が発現する前に害毒であろうと判断される病原菌を広く社会に認知させる義務があるのです。その提示された病原菌が的外れなものであれば別の人間が前提示者の間違いを論理的に正し、切磋琢磨して社会を改善していく、それが普通の社会人なのです。
現代日本人(政治家も含めて)がどれだけ社会に対して無責任かを知ることは簡単でしょう。ジャッジしないことが善、切り分けを行わないことが善ならば、犯罪を罰し、過去の過ちを改善する主体の人間はどこに存在するのだろうか?
壊れているのは大人たちなのです。
日本という国家に責任を負い、日本人という民族に責任を負っているならば、また、現代社会という病的な社会を一刻も早く改善していくためには切りわけを行ったうえでの病原菌退治しか道はないはず。
糖尿病になりながら、ジャッジしないでフォーギブネスを連呼し、神の名を呼ぶことによってのみ糖尿病の改善を図ろうとするのは、明らかにオカルトでしょう。そんなスーパーパワーを神様にお願いしても無駄でしょう。天は自ら助くる者しか助けないのです。自分の思考回路が害毒になりつつあると診断されても落ち込む必要はないのです。思考は単なる思考、人間の本質とは思考には存在しないのです。ハートに本質があるのです。思考に執着するからジャッジを怖れるのです。no mind であり続ければ楽なのです。
いつまでも逃げていないで、社会そのものを自分の身体と認識するのです。頭痛がすれば病院に行きませんか?熱が出れば病院に行きませんか?善悪を判断しない、ジャッジをしないということは病院へ行かないということです。自分の病気はジャッジし、社会の病気はジャッジしないというのは、社会と自分が乖離しているからです。それこそが個人主義という病なのです。社会全体を自分の身体とみなし、糖尿病を改善していく、それが主体性を持って社会に参加するということなのです。
ワンネスとは社会を自分の身体とみなすレベルにまで意識を拡大させることなのです。
あなたはあなたではない。
社会の一部なのです。
個人の殻を突き破るのです。
自分を捨てれば、あらゆるエネルギーが降りてくるのです。
思考のブロックがあなたを愛から切り離しているのです。
シラヤマリアのエナジークリスタル
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