結局、Webの世界だけになりますと比較の心理が働きますので、やっぱりリアルな人間関係というのは重要です。
しっかりとした地域社会があれば、地域の人は皆、声をかけてくれて、自分に対する認知をしてくれます。人間は、この認知を常に求めていて、『○○ちゃん大きくなったね~』とか『○○くん、最近どうなの?』みたいな他愛もない会話に様々な認知の機能が含まれているんですね。
だから、このような地域社会や親戚社会、友達社会や家族社会が崩壊してますと、人間は自分への認知を求めて、自分を認めて誉めてくれる人を探すようになります。
地域社会が安定していて、家族の愛や親戚中の愛を受け取っている場合は、そこから抜け出そうとは思わず、その愛に対して恩返しをしたいと思うようになります。これが郷土愛の原型です。
逆に、地域社会や家族の愛が壊れていた場合は、極端な話、芸能人になって有名になりたいとか、お金持ちになって好きなものを買いたいとか、そんな夢を持つようになります。結局、認知の問題なんですね。
『こんなこともできるんだね~』とか『やっぱり頼りになるね~』とか、地域社会の中でも役割分担がある場合なんかは俄然、認知も深くなり、愛の交換なんかも増えてきます。こういうつながりって結構、減ってますよね。
この人間同士のつながりの維持は全て昔は、お祭りが請け負っていました。
現代は、価値観が多様化してきてますが、その価値観を共有する場が圧倒的に少なく、人は認知の場を求めて彷徨い続けます。
このような現状に対して、緩やかな地域社会のような、なんでも声をかけあえるようなものを作っていきたくて活動してます。宗教みたいなものを作ろうとしていると思われていたらどうしようなんて思いますが、私がやりたいことは、認知の向上なんですね。
家族が安定していて、地域社会が安定していて、親戚中が安定していたら、何も望むものなんかないと思うんです。
それが前提(家)としてあれば、どんな風(批判)や雨(抗議)がきても平気なんですね。風(批判)や雨(抗議)を嫌う人っていうのは、家がない人なんですね。真理っていうのは、心御柱(大黒柱)の理(ことわり)ですから。これはアメノコヤネの哲学ですね。
そういうものを取り戻さないといけないと思います。One more time,One more chance でしょう。
何をしなければいけないかというと、神社のお祭り・祭祀・祭神・由緒などに対する理解と人間関係の再生ですね。
もっと普通に色んな世代の人たちがざっくばらんに話し合えて笑い合える場というものが必要でしょう。
これが、教義というロゴスで結合させられれば宗教になるのですが、私は日本的な”道”でやりたくて、茶道・華道・柔道・剣道・柔道・修験道・神道なんかですね。これは宗教ではなくて文化であり、生き方なんですね。だからスピリチュアル道というカテゴリーを設けています。
もうだいぶ、核のキーワードは固まってきていて、瀬織津姫・マリア・水神なんかですね。
それを起点に様々な経済循環が起こってくると思います。いや、起こしていかないといけない。
ということで
山崎まさよし さん の 「 One more time,One more chance 」 です。
男性の皆さんは十八番でしょう。
君の他に大切なものなど、の君は大君のこと?(笑)
大君って結局、神社神道でもあり、日本社会だから、、、
桜木町。こんなとこに来るはずもないのにっていうのも象徴的ですよね!
サクヤ姫が桜木町にいないんです。コノハナ(イワナガ姫)を裂いて清らかな水とともに出て来るのがサクヤ姫(瀬織津姫)であるはずなのにね!
明け方の街、桜木町!?
朝=麻。大麻比古が白む?サルタヒコ、白鬚?、、、サクヤ、、、花咲かじいさん?やっぱり。今年も花咲かじいさん(えびす、ほてい?)がキター、、、金華山
そういえば、忘れてました。
弁財天の前の祭神は、いざなぎで火(日)の神だって、、、
竹生島=竹(タケル)、竹島=竹(タケル)、健依別=タケル
来月、桜木町の隣の関内駅で
7/19 「MUSE(女神)のベリーダンス」WSを開催します。
どうぞよろしくお願いします!
※印で囲んだリンクは全て『ウィキペディア(Wikipedia)』からの引用

† 月弓大神 †
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随処作主 立処皆真にも少し書きましたが、基本的に誰かに理解されようとするならば、まず自らが進んで誰かを積極的に理解しようとしなければなりません。
人間の心は、皆同じですから自分だけが受け入れられ、自分だけが認められるような環境はあり得ません。
親の愛でさえ、子供の感謝がなければ長続きしません。親から子への愛は永遠ですが、親は子に潜在的に代償を求めています。成人した立派な姿、良い人と結婚して幸せに暮らして欲しいという願望、孫を抱きたいという願望。これらは愛ではなく代償です。
無償の愛というのは幻想であり、基本的に愛というのは循環になります。やってもらったことには感謝する。そしてまた有難く受け取る。このサイクルを古代は、拝み(男神)・恵み(女神)と呼んだのです。
子供が親にしっかりと感謝し、親の代償を求める愛から逃れた時、子は初めて自立します。子が自分の意志で神風特攻隊に入りたいと言ったらどうでしょうか?代償を求めている親は反対するでしょう。なぜならずっと生存してほしいという代償を求めているからです。それは無償の愛ではなく代償的な愛です。
代償的な愛を求め求められたくなければ感謝を返すことが必要なのです。
現代人は、恵み(女神)だけを受け取り、拝む(男神)ことをすっかり忘れています。先祖を拝むこと、地域社会を拝むこと、家族を拝むこと。
目の前に存在するものを当たり前と思ってしまったら、お終いです。
子供時代に家庭にトラブルが生じていた方は、理想の家庭を築こうとし、子供時代に社会からたくさんの愛を受け取っていた人は社会のために生きようとします。両者は明らかに生き方そのものが違います。
しかし、違いは当たり前であり、どちらが正しいということもありません。大事なことはお互いがお互いを理解しようとする意志を持つことなのです。それが愛というものになります。
その愛は、自分とは違う人たちを受け入れようとします。それが寛容さであり、マリアなのです。
ですので、自分の愛の考えを押し付ける行為は、逆に愛を奪う行為です。光を語りながら闇に包まれているエネルギーはこの原理原則を持っていて、素晴らしい真理が記載された聖書を携え信者に教義を強要する宗教は、むしろ愛がないと言えるのです。
人間が誰かを愛するということは、その誰かに自由を与えるということであり、自分の愛の哲学や理想の家族像を押し付けることではありません。
自分が一人でいる時よりも、力を得、自由を獲得できている場合は、それは愛してくれる誰かが側にいるわけであり、その構造にまず気付かなければ、感謝などとても無理ではないかと思います。
愛されることが当たり前だと思っているうちは感謝など到底できないということなのです。
親が子供を愛することも、誰かが自分を愛してくれることも当たり前だとは思ってはいけません。それは特別なことであり、神聖なことなのです。だからこそ私たちは、親に感謝し、地域社会に感謝し、先祖に感謝するのです。
それが政(マツリゴト)であり、統べる(すべる)ということなのです。
こういうことを子供時代に認識していないと大人になってから取り戻すのには時間がかかります。それは悪いわけでも劣っているわけでもありませんが、その事実を真摯に受け止め改善していく必要があります。
統べる(すべる)ということは、支配することではなく、愛することです。
そして、愛することは与えること。お互いが愛し与えていれば家族も地域社会も国も世界もうまくまわります。
しかし、それができていない場合があります。なぜなら、自分の理想や妄想に振り回され、目の前の愛されているという現実を見ることができていないからです。
目の前の現実をつぶさに見たならば、私たち人間は生まれた瞬間に既に愛され、その後も様々なものや人に愛され続けます。ゆえに後はもう感謝することしかやるべきことは残っていないのです。
自分のことを他者に認めさせようとしたり、認められようと頑張る必要はないのです。そのネガティブパターンを変えるためには、目の前の愛に気付くことこそが重要なのです。
自分のことを他者に認めさせようとする行為は、他者が存在しなければ成立しないものなので、それは受け身(依存)のパターンになります。
だからこそ、それを変えるために主体性という真理が必要であり、経典などは不要なのです。これが禅のひとつの宗教的スタンスです。経典を与えるのではなく愛の真理を与えるのが真の宗教。
人間は誰しも愛されたいと思っています。
しかし、それは愛されていることに気付かないことに原因があります。それに気付かなければ人を変えても環境を変えても満たされません。
自分の魂が求める生き方に制限が与えられている場合は、『支配』であり
自分の魂が求める生き方に自由が与えられている場合は、『愛』なのです。
誰かの生き方を積極的に認めようとする行為は、自分の生き方が積極的に認められるというギフトを呼び込みます。
逆に自分の子供時代に果たせなかった夢に誰かを従わせようとすれば、自分も誰かの夢に従わなければならなくなります。
結局は、自分の蒔いた種であり、自分が収穫するのは、その種の実でしかありません。自然と触れていなければ、このような単純な真理さえ認識できなくなってしまいます。
愛とは、積極的に他者の生き方を認めていく行為であり、理解とは、理解されるというよりも積極的に理解しようとする行為であります。
無償の愛という語を出す方は、ほとんどの方が与えられることだけを前提にしています。そして愛されなくなった時、他者を責めます。それは受け身なのです。逆に愛を与えている方は無償の愛などという語は語りません。なぜなら愛は循環するものであり、give and take であり、与え与えられるものであるという真理を知っているからです。
受け身では人生がうまくいきません。自らが進んで他者の生き方を理解しようとし、他者の生き方を補助し、他者の生き方に寄り添う。この行為の結果、愛があるのです。愛が与えられるものとすれば、それはなんらかの結果によって与えられるものでしょう。
愛することもせず、自由を与えることもせず、理解しようともしていないのに、自分だけは認められようとする。このようなネガティブパターンには陥らないようにしたいものです。
愛されることは当たり前のことではありません。自分の家族、社会、先祖により一層、感謝してみましょう。そうすれば本当の意味でのマツリゴトが降りてきます。
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火が強すぎる状態⇒「怒りにとらわれている」
火が弱すぎる状態⇒「自信を失くしている」
水が強すぎる状態⇒「自分の生き方や方向性が見えず芯が建ちにくい」
水が弱すぎる状態⇒「怒りにとらわれやすい」
(火が強すぎる状態=水が弱すぎる状態ではありません。)
ですので、人間の精神の問題というのは、ほとんどが『火』と『水』のエレメントのバランスの問題なんですね。チャクラのエネルギーの問題点を突き詰めていくとほとんどの場合が、『火』と『水』の問題なんですね。
『火』は男性であり、『水』は女性でありますので、女性は男性に『火』のエレメントをもらって自信をつけ、男性は女性に『水』のエレメントをもらって愛を知るんですね。そしてそれぞれのエネルギーに感謝してさらに循環させる。一様ではないですが、これが性の基本的構造です。
つまり、結局は内なる『火』と『水』の問題が始まりでもあり、終わりでもあるのです。これを各クオリアの学習の中に組み込んでいます。スピリチュアル・グロース(スピリチュアル的成長)というのは、『火』と『水』のバランスがとれていてこそ進みます。
卑弥呼が、エレメントバランサー・火水子であったことはいうまでもありません。剣山から全身入れ墨の7人の北斗の巫女とともにミイラで最近、発見され米軍に押収されました。日本の古代史を一番知らないのは日本人でしょう。今、剣山にはインスピレーションの高い外国の方々が続々と訪れています。そこには地中海とつながる文化がたくさん残されているからです。
あまり詳しくは書けませんが、『火』と『水』のバランスがとれると、良い『土』壌ができてきます。良い土壌ができてきますと、そこに芯(剣)が建ちはじめます。『風』が吹いても倒れません。『風』が吹いても倒れない剣が建った時に初めて『空』(悟り)が見えてきます。物事には順序があります。そして、非常に時間がかかります。しかし、一度、剣が建てばそれは人生において最高の財産になります。そういうことをクオリアでやっています。
人間は誰しも、自分のやっていることは間違ってないだろうか、と懐疑する生き物です。しかしその懐疑よりも先に、『愛されるよりも愛し、与えられるよりも与える』ということを実践していれば、懐疑する暇もなく『愛され、与えられます』。
随処作主 立処皆真という『臨済録(りんざいろく)』に収められた禅語※1があります。『随所に主となれば 立つ処 皆 真なり』という意味です。もっと簡単に訳しますと、『あらゆる事に主体性を持てば、自分の立った場所が全て真実になる』という意味です。
キルケゴール『ウィキペディア(Wikipedia)』もまた、「主体性は真理である」と言っていました。彼もまた禅のスタンスのように教会的キリスト教を批判していました。禅は反経典主義です。
何かをやってもらおうとしている間は、常に自己否定という怪物に付きまとわれ、それから逃れることはできません。愛することは誰にでも実践できます。自分を産んでくれた母親に感謝してみてください。自分を育んでくれた社会や先祖に感謝してみてください。与えることも簡単でしょう。困っている人を助けてあげればいい。保育園・幼稚園で教えてもらうことです。
ただ、様々な事情から自分の母親や先祖、土地を愛せない方々もいます。そういう場合に、仏陀やイエス・キリスト、アッラーやヤハウェ、マリアがいるのでしょう。どうしても自己否定が強い方は一緒にマリア(おかあさん)を拝み(オガミ=男神)ましょう!
そうすれば、恵み(メグミ=女神)があるでしょう!
そういうわけで、メグミのM
北極星という目のM
マリアのM
浜崎あゆみさん の 「 M 」 です。
※1 いちおう、プロフィールに禅プライオリティ(如何なる宗教よりも禅に優先権を与えている)を宣言していますので、少しは禅語を紹介します。禅は知識(経典・狭義)よりも悟り(実践)を重んじる宗教的スタンスです。そういう意味においては限りなく神道に近いです。
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山口百恵さん の最後の 「 さよならの向う側 」 です。
素晴らしいですね。
『精一杯、さりげなく生きていきたいと思います』という言葉が印象的です。
めちゃスピリチュアルですよね!
こういうことの向こう側に”神”とか”マスター”とかがあるはずなのですが、、、
目の前の現実ひとつひとつに真摯に向き合い、感謝し反省し糺すべきところは糺していく。
こういうことを言いますと、”心の平安が社会の平安につながる”という思想を持ち出してこられる方がいらっしゃいますが、これは非常に新興宗教的だと思います。
昔の人は、そんなことを言う暇があったら現実に社会を変えるための行動をしてましたから、そんな新興宗教的な思想には陥らなかったのではないでしょうか。
戦前は、食べるものもロクになかったですから、”心の平安が社会の平安につながる”なんて言ってましたら、”そんなバカなことを言ってないで、畑でも耕せ”と言われたでしょうし、戦後間もない頃は、”そんなバカなことを言ってないで、お国のために働け”と言われたと思います。
しかも、その考え方が正しいならば、60年前に戦争で死んでいった私たちの先祖はなんのために死んだんでしょうか?アジアの平安を守るために命を投げ出してまで行動したんですけど。
なので、今、スピリチュアルで流行っている思想は、社会参画の意識が非常に低いモラトリアム『ウィキペディア(Wikipedia)』の思想ではないかと思います。結局、セドナ『ウィキペディア(Wikipedia)』(自分の国がイラクで3万人も虐殺している最中に愛や光が世界が救うということを延々と言っていた)もそうですから、日本のスピリチュアルは、真3:偽7ぐらいの割合で推移しているのではないでしょうか。
山口百恵さんのような、美しい日本的女性に共通していることは、自分が何者であるかを知っているということと、受け取った愛や優しさにはしっかりと感謝し還しているということです。
これは、もう、ほんとにスピリチュアルであり、オープンキッチンスタイルのインテリジェンス(過去記事)で書きました①挨拶をする ②食べ物を粗末にしない ③先祖に感謝する の全てが完全に実践されているということなんですね。
これを絶対にやらなければいけないということになりますと、またおかしなこと(教育勅語のような)になってきますから、まずですね、その精神が美しいと感じる心がなければ何も始まらないわけですね。その日本的美意識がスタート地点なんです。
そういうことができてくれば、自然と60年前の戦争で死んでいった先祖のことにも目が向いてくると思うんですね。そこに目が向いていかないのは、単なる現実逃避のスピリチュアルであり、感謝なんていうのは程遠いと思います。自分を産み育んでくれたこの国とこの国の先祖にしっかりと感謝する。これができなければ神の声など、もちろん聞こえませんし、スピリチュアル能力など身につくはずもありません。
宇宙へエネルギーを通すということは、先祖にエネルギーを通すということと同じことです。先祖を遡れば動物であり植物であり岩石であり細胞であり、水だからです。
このことは8年間ずっと書いてきているのですが、いつになったら人間として日本人として当たり前のことが皆と共有できるのかはわかりません。しかし、それを訴え続けていくしかないとは思っています。
私は日本という国を愛していますし、日本民族を愛していて、アメノコヤネを頂点とするひとつの家族だと思っています。だからこそ言うべきことは言っているだけで、家族だったら言うでしょう、普通。だからこそ光でも闇でもいいから別けてね、ということになるんじゃないでしょうか。そして、前々回記事にループ(笑)
それを批判はいけないだとか、分離だとか非難する人がいらっしゃいます。そういう人たちの気持がわかりません。分離のゲームをしているのは、むしろ日本民族を家族と認識できていない個人主義者の人たちであるし、自国の歴史を顧みず西洋のスピリチュアルを必死に輸入する白人至上主義者の人たちでしょう。
融合・統合と言うのならば、まず日本国の戦前と戦後を統合することが現実的かつ有意義な統合です。それ以外の空想的・自己陶酔的統合は、表面的には光の仮面をまとっていますが、本質的には分離のゲーム以外のなにものでもないでしょう。
自分以外のものになろうと思っても無駄です。自分がこの世に生まれてきた意味を問い、そのことに感謝し、日本人として生きていく覚悟をしなければ、何も始まらないのです。
こういうことは成人するまでに、しつけや色んな社会経験で知っておくべきはずのことですが、それが欠如している方が多いのは、やはり地域社会が全国各地で崩壊してしまったことが大きな要因であろうと思います。
それを取り戻すのがスピリチュアル・コミュニティ活動でもありますが、、、
ほんとに純粋に国のことを考えて若くして死んでいった60年前の日本人を少しでも知っていたなら、”もうちょっと、まともなことをやったらどうなの?”と言うのは当たり前でしょう。私の祖父も祖母もほんとに実直で控えめな人で、死ぬ前にどうしても靖国神社に行きたいというので10年以上前に案内しました。祖父は3年ほど前に亡くなりましたが、祖母は元気です。
親戚には回天『ウィキペディア(Wikipedia)』乗りだった人もいて、色々と当時の話を聞かせてくれます。回天は、特攻自主志願の精鋭部隊なので受身で戦争に従軍していた人たちとは戦争観がまるで違います。
この他にも戦争に従軍した市民活動家の知り合いなどもいますから、当時の雰囲気を多角的に分析することが可能です。当たり前のことですけれども、マスコミが流している戦争観というのは、作り話的側面が大きいです。
だからといって終わったことを蒸し返すこともないでしょう。西洋人がアジアを支配しようとしなければ戦う理由などないですし、もうそんなことは起きないだろうと思います。ただ、万が一同じことが起これば徹底的にやってやるぞということでしょう。考えるまでもなく即答のレベルでしょう。人間が人間を支配する人種差別など未来永劫、間違っているのですから。
60年前でそういう始末ですから、1300年以上前に編纂されたとされる『記・紀』が、ほとんどの場合、創作であるということはすぐにわかりそうなものですけれども、様々な世代と子供の頃から交流して意見交換する習慣がないと、そんな簡単なこともイメージすることができないんですね。
地域社会の崩壊とは、ほんとに恐ろしいことなんです。マスコミと権力は常に蜜月ですから、情報操作なんていうのは簡単なんです。それを監査し批判していくのは、本来は祓戸の行為と認識されるべきものなんですけどね。
もっと普通に当たり前のことが共有できる世の中になるといいですね!
というか皆でそうしていきましょう。
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最近は、私より少し若い方からの深いテーマをもった問い合わせを頂いており、何か自分の過去のことも振り返るメタファーではないかと感じたりもしていますので、昔話など連続して書かせてもらっています。お見苦しい点がありましたらお赦しください。
特に何かになりたいわけでもなかったのですが、起業には興味がありました。それでも、学校を卒業して、いきなり起業して成功するほど世の中は甘くありません。とにかくどこかに就職しようと思いました。
2年間会社勤めをしてわかったことは、自分の住む世界ではない、ということでした。当時はアメリカ型資本主義である新自由主義が次々と日本に導入され、人間軽視の会社経営というものが『善』であるかのように、あちこちで吹聴されていました。
私の勤めていた会社は、パナソニックの下請けのような会社で、松下幸之助氏の著作は、会社の至る所にありました。そうじの時間などを使って、全て読みました。そんな素晴らしい著作をしたためている会社なのに、人間軽視の経営を実行しようとしていました。私は直属の上司に文書で抗議しました。私が何を言っているのかわからなかったのか、新入社員の分際で経営手法に口出しする必要はない、と思ったのかわかりませんが、そのことについてはあまり触れず、とにかく目の前にある仕事を片付けろ、といった感じでした。これは正論なので、私もそれ以上は追及しませんでした。
確かに、新入社員の分際で会社の経営に口出しすることなど持っての他でしょう。先輩社員にも『そういうことは一人前の仕事ができるようになってから言うことだ』などと言われました。それでも納得できない自分がいました。『じゃあ、その一人前と半人前の明確なラインは一体、誰が決めるのですか?』とか『それでは、会社で社会悪が実行されたとしても、一人前にならなければ、その悪を糾弾できないのですか?』みたいなことを言うと、その後は何も言ってきませんでした。
私にとっては、人間軽視の会社経営は”悪”だと思ってましたから、人道的立場から会社そのものを糾弾したつもりでした。しかし、よくよく考えてみると、会社はこのような思想的スタンスを争う場ではなく、経営者が打ち出す経営思想をロボットのように、ある種狂信的に支持する人たちの集まりであると思い至りました。
哲学書を読み込んでいくうちに自分が思想的人間になっていることに気付きました。まわりの人間と生きる世界が全然違うと思うようになりました。自分とは違う他の誰かのレールを生きていたので身体の調子も悪くなっていました。
仕事が一区切りついた時、成果主義導入に際して最初の面談がありましたから、直属の上司に「会社を辞めたい」と伝えました。「辞めてどうするんだ」と言われましたので、「思想家になる」と伝えました。上司は苦笑いをしていました。私も笑ってしまいました。色々と文句を叩きつけましたけど、良い人ではあったので。
専務とも面談して、自分のこれからの計画を伝えると、「お前はバカだ」と言われました。確かにそうだと自分でも笑ってしまいました。専務も笑っていました。入社する時も、目をかけてもらって、入社してからも飲みに連れていってもらったりしていましたので、お礼を言って、私の長い長いレジスタンスは終わりました。
本来、こういうことは会社に入る前に自分自身の中で突き詰めておかなければならないことではなかったかと反省したりしました。ただ、でもこういうことって中に入って体験してみないとわからないですよね、往々にして。
これらのことは10年ほど経った今でも全然、後悔していません。このブログで書いていることは、当時私が思っていたことと何も変わっていません。
妥協して自分以外の色に染まりたくはありませんでした。
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人に流されてた日々 そんな自分に「さよなら」♪
I believe myself 信じることで
全てが始まる気がするの
どんな色にも染まらない 「黒」になろうと誓った♪
....................................................................................
自分の道を歩むということは、常に内なる戦いの連続です。
”愛や光”は、その長い暗い戦いの中で闇の中に一瞬だけまたたく星の閃光のようなものではないでしょうか。
(絢香姫が言うところのあたたかい光かな)
どうか皆さんも自分の星に向かって歩んでいかれますように!
そして音を重ねていきましょう。
絢香姫の永遠の名曲「 I believe 」
日本語歌詞はうたまっぷでどうぞ♪
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響の個人セッション一部プログラムは、お申し込みが集中しており現在ご予約待ちとなっております。ご検討くださっている方は申し訳ありませんが少々お待ちくださいませ。
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