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古代神や古代聖地をご紹介し、神仏基に対する信仰を再生して頂くお手伝いをしています。
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  2011/02/01 [20:51] (Tue)

あ、ナガスネヒコの足や!


先ほどからまたもや芦屋直下型地震。地震とは言いましても横揺れのないドカーン!ドカーン!という爆音のみの地震。



芦屋=芦ノ湖

そういえばレムリアンカグヤのコードネームが【assy(アッシー)】でした。

芦は戸(十/Ⅹ)に草冠。


コノハナサクヤ姫の本名は、日本書紀内ではカヤツヒメ。

カヤとは※カヤ(茅、萱)※のこと。

大祓※の時に使用される茅の輪も、このカヤで作られます。

子供の頃、草を総称して”カヤ”と呼んでましたので個人的には馴染みは深いです。


以前にも書きましたが野の精霊は※カヤノヒメ

もし仮にサクヤヒメがカヤノヒメであれば話はわかりやすい。

火によって草(産屋)を燃やしてしまえばカヤノヒメそのものの存在を消してしまうこともできます。

また、草薙の剣は、草をなぎ払った神話からそう呼ばれ始めています。

この草とはおそらくカヤであるでしょう。

しかもクサとは、民衆のことをも表しており、【クサグサをナギらせる】という意味の草薙の剣は
民衆の心を鎮め賜う剣であるはずであるのに、日本神話ではクサをなぎ払ってしまっています。

この”なぎ払う”の用法は、”なぎる”という語の本質を転換させようとした痕跡があると思われます。

つまり、剣の元になぎるという意味を剣の下になびかせるという意味に付け替え、共和制から帝政へと統治形態が移行したことをも暗示しています。

その部分にカヤが深く関わっており、日本一の霊峰富士にカヤツヒメが祀られているわけですから、話は複雑でしょう。

カヤツヒメは本来、野に祀られていなければならない姫皇子です。それが噴火を抑える水神としての機能を持たせられているのは、何かやはり複雑な理由があると思われます。

草神/水神として両方の属性を象徴するものにというものが存在すると思います。


≪人間は考える葦である≫と言ったのはパスカルですが、日本神話でヒルコ(えびすさん)が流されてきたのはアシ舟でした。実はモーセもアシ舟でナイル川に流されています。私はモーセと物部氏との深いつながりを指摘しておりまして十戒と十種神宝のことも含めて考えるとやはり深いつながりがあると思われます。物部氏は太陽信仰でしたし。。。



ちなみに日本国の旧国名は、豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)と言います。

※項目を参照。


このように芦(葦)は、日本にとって重要な要素ですが、あまり注目される機会はないのかもしれません。

それとあまり知られていないかもしれませんが、葦には水辺の浄化作用があり、現在、その効果から水辺に葦を植えている地域もあります。

つまり芦は、神道に最も重要な”澄んだ入り江”、つまりスミノエを作るのには重要な要素であったということになるのです。

ここのあたりまで書きますとサクヤヒメ=セオリツという図式もおわかり頂けると思います。


おそらくこの水際の水神は※カヤナルミ※と呼ばれ※アジスキ※とともに天皇家の守護神だったと思われます。

過去のアジスキ考察は→こちら

アジスキの別名は迦毛大御神(かものおおみかみ)であり、土佐高賀茂社と呼ばれた土佐神社にはアジスキとカヤナルミともとられる西御前が祀られています。

カヤナルミとは、海水と淡水が入り混じる内湾の最奥に祀られる水神であったと思われます。そういう場所にナルミなどの地名が冠せられています。

広田神社もそのような造りであり、尾張(愛知県)にもそれがありますし埼玉県にもあります。

もちろん古代複雑な入り江が形成されていた鹿島もそうですし、アジスキの東遷は福島のツツコワケにまで達していたと思います。



このようなことから何が見えてくるかというと、世界各国に存在する草の文明というものが日本にもありまして、それがかなり巨大な王権として存在していたのではないかということです。

草は火によって燃えますので、イザナミ(カヤ)はカグヅチを生んだ火傷が元で黄泉に行ってしまったということになろうかと思います。

あ~、おいたましや。

おそらく、水辺を浄化することとイザナミを取り戻すことは同義。


やっとのことで諫早湾のギロチン工事を政府見解として非を認めるような流れになってきておりますが、上関原発の事に関しても私たちひとりひとりがさらに明確なメッセージを発していかなければならないと思います。

干潟というのは、非常に大きな浄化作用と生態系の豊かさを持っています。世界的にはこの理由から干潟を再生する風潮になってきている時期にエコロジーを推進する日本で、水際に原発やギロチン公共工事を実施していれば国内外に示しがつきません。

私たちひとりひとりの小さな行動が大きな流れになりますので、水際の女神を私たちひとりひとりがとらえ直す必要があるのではないかと思います。




※印で囲んだリンクは全て『ウィキペディア(Wikipedia)』からの引用



  
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  2011/01/29 [12:41] (Sat)

昨晩は、ちょうど鹿島(茨城)と岩屋(兵庫)の要石の思索をしていましたら、ドーンというビルが倒れるような巨大な音が鳴り、びっくりしました。

直下型の地震って横に全然揺れないんですね。震源地10kmの西宮/芦屋近辺のピンポイント直下型地震でした。東京では震度3くらいはよくあることなので慣れてはいましたが、昨晩はゴゴゴゴゴゴと地鳴りが続いていたので、少し怖かったです。

しかし阪神大震災はこの倍以上の直下型地震なので、その凄まじさが想像できます。


前回の記事で書いた<シラ=強い=99>をずっと考えていて、白山姫観音が山頂に存在する六甲山直下での地震だったので、強い隠喩を感じずにはいられませんでした。

99は陰陽道においても最大数であり、9月9日は陽が重なる重陽の節句、その時に菊を飾ります。

また99は九十九(ツクモ)でもあり、陰陽道が入ってくる前の日本でも最大数を表していました。

九十九里や九十九洋などは弓なりの湾を月に見立てて、九十九神が降り立つ場所とされていました。それが白髪の老人のイメージであったことは白鬚神や浦島太郎からも察することができます。

前回の記事で書いたように『シラ』の前に『コト』、そしてその前に『オト』が出ます。その『オト』が昨晩の地鳴りおよび直下型地震でした。

これも前回書きましたように要石が外され良いものも悪いものも一遍に出てきていますので、不安や恐れにさいなまれずに良いものとどれだけつながれるかが重要になります。


グラナダ※のメッセージをもらっていて、調べてみますとスペイン南部のケルトイベリアの都市でした(フェニキアとのコネクションもあったようです)

シェラネバダ山脈のすぐ近くということで、昨年の『SHELLA(シェッラ)』の意味もわかりました。

しかもシェラネバダ山脈が抱える平野は『ベガ』と呼ばれていたらしいです。


西国スピリチュアルワークグループをグラナダに、そして東国スピリチュアルワークグループをある方との深い連携の中で運営していこうと考えています。それを統合する形で AmenoMaria という北極星を配置。

もう何年も前から書いております鶴亀ラインを右の翼、そして鹿島ラインを左の翼としてアメノコヤネラインを形成していきたいと思います。

ただAmenoMariaもグラナダもサークル活動でありますので、その活動の中で重要な役割を担いますのは、スターライトクオリア(1年目)-クオリアクリステラ(2年目)-ライズアクエリア(3年目)のスクール生でございます。

内容が難しいため途中で断念される方もいらっしゃいますが、正法眼蔵(道元)、三教指帰(空海)、聖書や六法全書を一読して内容すべてを理解される方などこの世には存在しないと思います。

道元禅師が何を想い、弘法大師が何を目指し、キリストが何を語り、法の精神が人間社会に何をもたらしたのかを瞬時に見抜く能力が必要です。真のスピリチュアル能力とは言葉の羅列(ロゴス)の中から愛(ミュトス)を射抜くことです。

チャネリングやメッセージ受信自体に目的があるわけではありません。その行為を通じて人間社会にどれだけ愛を充満させるかが最終目的となります。ですから、エネルギーを感じない、やっていることの意味がわからないというのは能力の欠落ではありません。

問題は、愛の循環を認識しているか、愛を持って誰かを救おうとする意志を持っているかだけの問題になります。天は無益なものを人間に与えません。それは目的のない能力の獲得にはなんのサポートもしないということも意味しています。

このことの逆を返せば、誰かを救いたい、誰かの役に立ちたいと純粋に想っていればどんな高い壁でも超えられるということになります。



話を元に戻しますと、最近のフィールドワークの結果から、神戸須磨/淡路島北部(北淡)の地下と東国三社付近の地下に強いエネルギーリンクがあることを突き止めました。

それがおそらく茨城県と大阪の茨木をつなぐ根であると思っています。そこに藤原氏、大山祇神社(三島信仰)が関わっています。

そして来年の大河「平清盛」へとつながる深い地下水脈であるとも思います。


昨晩の99の事象は、妙にコノハナサクヤの影もちらついていまして、富士山との因縁も強く感じました。これは昨晩の神戸直下型地震が南海トラフと密接な関わりを持っている事も暗示しており、関東と連動することにより、火を噴出させながらも水で抑えていくということもしなくてはいけないと思いました。


噴火や地震が起こり社会が混乱するのは火の効能ですが、人々の不安や恐れをナダめるのは水の役目でございます。

ナダめるためには、噴火や地震の巨大な『オト』を超える『コト(金/琴)』が必要なわけです。

そのための gran NADA (グラナダ) でございます。

 
ナダめることはそんなに容易いことではありません。奇(まれ)にしかおこりません。

だからこそ、【クシ(奇/串)ナダ(名田)ヒメ】 が存在します。


クシナダヒメがナダめるのがスサノオ。大地がスサめば地震と噴火が起こります。心がスサんでも地震と噴火が起こります。


だからこそ、ナダめることは「心を鎮めること」、「海底に珠を沈めること」と同義とされました。



東国三社(鹿島神宮、香取神宮、息栖神社)、西国三社(広田神社、生田神社、長田神社)、北国三社(白山姫神社、白山平泉寺、白山長滝神社)を東宮/西宮/北宮として整備し、369打ち(ミロクウチ)として巡礼すれば面白いかなと思います。




※印で囲んだリンクは全て『ウィキペディア(Wikipedia)』からの引用



  
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  2011/01/25 [17:49] (Tue)



1月15日に廣田神社のどんと焼きに行って来ました!

初詣も行ってなかったので今年初の鳥居潜りになりました。今年はたぶんこれが最初で最後になるかもしれません。他の神社でも鳥居前までは度々、行っていますが潜っていません。

潜ってしまいますと様々なものに左右されますので、今は非常に調子が良いです。

しかしながら、あっちの世界ではすべてが順調とは言えないのかもしれません。

良いものが出てきている反面、悪いものも一緒に出てきています。悪いというのは苦難を伴う邪まなエネルギーのことです。本質的な悪を意味するものではありませんが陰の部分なので気をつけませんと飲み込まれる可能性があります。


物を燃やしますと煙が出ます。時に黒い煙を出しますがほとんどの人がイメージする煙とは”白”であると思います。

上の廣田神社のどんと焼きの写真には炎と炭が写っています。

通常、炎は赤いとイメージされますが、最も高熱の炎は青白いです。写真にも写っています。そして”炭は黒い”とイメージされますが、写真に写っている通り、炎と接する部分の炭は白くなっています。

現代人と古代人の洞察力は少し違います。

炭も炎も煙も、最も強い部分に”白”を持っています。現代人は<白=色をつけるためのキャンパス=0>と認識しますが、これは現代的な思い込みのひとつと言ってよいと思います。

炭の中から白が出てきているように、黒で白を消すことはできません。この認識が古代の『シラ』の認識です。

闇夜を切り裂いて明るい日が差し込み始めるのを『シラム』と言います。黒の中から白が出てくる状態。炭と同じです。

また、真っ黒な闇夜に最も白く輝くアークスター、これが「空のアーク灯」(the Arc-light of the Sky) と呼ばれるベガです。

黒の中から白が出てくるこの不可思議な現象を古代の人たちは存在の動的な原初としたのです。

つまり、生命などの存在が動きを開始するエネルギーの源には『シラ』のエネルギーが働いているという認識をしていたわけです。物理学ではこの問題には未だ、答えが出ていません。おそらくは物理学は近い将来、この『シラ』の原理に辿りつくと思います。

この『シラ』が最初に出る現象を日本では「沙汰がある」というような言い回しをします。サタとはつまりサ(ル)タであり、サルタヒコです。ギリシャ神話ではプロメテウス、キリスト教ではアークエンジェル・ミカエルがそれに相当します。

色んな意味で、おサタがあった人たちは今激しく動いています。気をつけなければいけないのは青白く燃え上がる炎は周囲や自分をもあっという間に燃え尽きさせてしまうこと。目的/目標を見失ってしまえば元の木阿弥/後の祭り/焼け跡の炭になってしまいます。

燃え過ぎている場合は、冷や水を浴びせましょう。そして過去のことは水に流しましょう。

火のないところには煙は立たないので、もんもんとくすぶっている場合は、種火が残っているのです。水を浴びてください。寒中水泳なんかはそういう意味では非常に良いですね。冷や水ですから。。。


実は、『シラ』が出てくる前には『コト(金)』が出てきます。太陽が出る前に金星が出るように。

その前は『オト』ですね。全部神社の拝殿の前に用意されています。音を鳴らして金の鈴を見て、白の綱を引いて初詣をします。無意識だけど日本人は習慣として全部を今でも実践しています。単なる形式ではありません。

それで何をするかと言えば、心の中の『シラ』を引き出すわけです。

ことさらに言うまでもないかもしれませんが、それを現代語に直すと『愛』ということになろうかと思います。

そこにシラのメグリ、愛の女神理があるわけです。それをキリスト教的に言えばマリア、仏教的に言えばカンノン、神道的に言えばモモということになるのではないかと思います。

ダブルMの時代へ。。。ライズ アクエリア




(けっこう良いです^^調子の悪い方は試しに聞いてみるとよいかもしれません)



  2011/01/14 [17:42] (Fri)
明けましておめでとうございます!!本日、今年初投稿でございます。


昨日、突然、『桃』のメッセージが来まして、<吉備=気比>の回廊が開かれました。

そういえば両方、キビと読めるな~と感じました。

キは、気であり、木であり、亀、鬼、貴、岐、と色んな意味があります。

ヒも、日、火、碑、秘、干とたくさんの意味を持っています。

(ちなみに桃とヒキを足すとモモヒキ、、、、^^; 全然関係ないか、、、)


キの中に満つるというメタファーが隠されているとすれば、キヒ(ケヒ/ケイ)の一語で潮満珠/潮干珠の2つを表していることになります。潮満珠/潮干珠は神功皇后が豊玉姫からもらい受けたもの。潮の干満を左右するものなので水(女神性)の根源とされる宝物。

それが桃とつながるのはなぜ?

昨日は1月13日、旧暦の12月10日。旧暦では年神さまが山から降りて来る日。!?


ひょっとして降りてきたのはドンブラコの桃太郎

年神さまの正体は桃太郎?あ、あり得る、、、



以前にも書きましたが、モは喪や藻を表していてネガティブなイメージを与える時に与える名。

しかしその一方で衣、母なども表している。

つまり生と死を同時に表している音なんです。だから百をモモと読む。

終わりであり始まり。陰陽道における最大数は99。

それがふたつ重なるMOMOはたぶん特別な存在。


桃は吉備、モモソヒメは讃岐出身。その間の島々には浦島太郎伝説。

浦島太郎は白髪(九十九神)。桃太郎は百神。

そして、それをつなぐものは剣(つるぎ/鶴亀)。


琴/金刀が出てきそうです。




  2010/12/28 [14:03] (Tue)
愛知県岡崎市の真福寺に行って参りました。

昨年、夢で見た仏頭やお寺の位置や雰囲気がそっくりなので、行ってきました。過去記事をリンクして思い出すとまたロゴス(火)が立ち上がってくるのでやめておきますが、やはり水の女神の聖地でした。

真福寺に詣でる前から”真の幸福とは何か?”という問いがどんどん響いてきていました。まさに真福寺ですね^^;

20代前半にも”真の幸福とは何か?”という問いが持ち上がり、その時、手にした初めての哲学書がアランの『幸福論』でした。15年の月日が経っても自分の中のテーマが何も変わってないことに気付きました。

ただ変わったのは、幸福という語を聞いて、それがコウ(神/皇)とフク(吹く/風)から出来ているということが直観的に理解できることです。不易流行ですね。

コウとはピラミッド型の女神山の総称であり、フクは元素『風』を表す息吹でもあります。その息吹の神気によって矢が放たれ、的に命中するときヤマトはあらわれ、国と子達(国常立神)はあらわれます。

光矢(コウヤ)という巡礼nameはつけましたが、私の旅路はひとまず終わりを告げるようです。

今年は月食が三回も見られる奇跡的な年であり、日月が異様に接近する不思議な年でありました。その中で私自身のロゴス(火)とミュトス(水)も激しく入れ替わり、精神が不安定化した年でもありました。

思い起こせば、皆様に巡礼ワークとして提供を始めたのは諏訪でした。そこに物部守屋が居り、今回の真福寺は守屋の子供でもあります。

私が農業法人に勤め、耕していた畑も物部村でした。その時に既にSC(スピリチュアル・コミュニティ)のインスピレーションをもらいレジメを書いていました。

私のルーツのひとつにいざなぎ流民間伝承地があり、陰陽道日月祭を強く感じずにはいられない内的衝動が今年は月食の関係で多々起こりました。

それと同時に、踏み込んではいけない領域、暴いてはいけない秘密があることも深く感じさせられた1年でした。

なぜ物部氏が水を祀っているかといえば、それがなければ自分の中にある火の衝動を抑えることができないからであり、”モーセの水割り”にも代表されるように物部氏の『力への意志』は、両手いっぱいのカウントテン(十)をあらわしており、これはクロス(十字架)でもあり、国津/国栖(クズ/クニツ)でもあり、”開き”でもあり、水をも支配してしまう源にもなってしまいます。


真福寺近くで一緒に参拝した方々と会合を持ちました。その中で『意味はわからないけれども神社に参拝すると次につながっていったり、水を大切に思っている』といった言葉などが印象的で、私も本当にただそうありたいと思いました。

明治神宮の巡礼ワークの時も、水に対する皆さんの想いに心打たれましたが、今回もそういう流れが徐々に広がってきている手ごたえを感じ、十種神宝/十拳剣は納屋の奥のほうに隠し、3(イチキシマ姫/サクヤ姫)6(セオリツ姫)9(ククリ姫)の女神たちによってこの国が開かれていかれればいいなと思いました。

ご一緒してくださった方々、本当にありがとうございました。、また企画いたします!皆さんの内に秘めたる想いをつなげていけたらうれしいです。


何度もロゴスをやめるといって、またブログを書いてきたのでよくわかりませんが、来年から情報発信は少なくなるかもしれません。

自分の中のロゴス(火)を抑えるために本気で農作業(土)をやるか、(風)にならないといけません。PCで文字を書くこと自体がロゴス(火)ですから。。。


今年も色々と書き散らしましたが、最後までお付き合い頂きまして誠にありがとうございました。

来年もどうぞよろしくお願い致します。

年神さまは、もう準備しておられますので、どうぞ良いお年をお迎えくださいませ^^

できれば1月15日には、”どんと/さぎっちょ”で年神さまを天に還してあげてください。

6月も12月も「神迎え+祓い+火送り」という構造は同じになります。ただ6月は千歳(永遠の命)を祝うエネルギー上の神事であり12月は年をとることを祝う物質上の神事になります。

皆さん、お年魂もらってくださいね!年を重ねることは決して悪いことでも恥ずべきことでもありません。古代は白髪になることは九十九神になることと同義とされていました。楽しく美しく年をとって参りましょー


それでは、また。



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政治/経済、宗教/哲学を基本としながら市民活動やスピリチュアル活動など、広範囲に動いております。行動範囲は今のところ、東は茨城県から西は中国四国地方までです。特に修験色の強い山間部の地域活性化に興味があります。該当自治体の担当者の方からのご連絡お待ちしております。どうぞよろしくお願いします。
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