日本のスピリチュアルはもともと
”それぞれのスタンスで”という認識の下
出発したものでありますが
勘違いをした人たちが
”自分だけのスタンスで”という認識で
業界を席巻してきました。
これは弥生時代に
天皇制がリベラルから絶対王政的なものに
組み替えられていった歴史と一致します。
日本には絶対王政がとても好きな
支配したい人、支配されたい人が
大勢います。
もともと資本主義社会に絶対王政的な雰囲気が強かったので
スピリチュアルをリベラルにしたつもりですが
ここ、2,3年ものすごく絶対王政的色彩が強くなりました。
自己顕示欲の強い人たち
(真に癒されてない人たち)が
ひとつのスタンダードを宣伝するようになりました。
本来であればスピリチュアルというものは
自分の価値を高めるのではなく
受け手側、すなわちヒーリングされる側に
自由を与えていくものでなければならない。
自分たちがスピリチュアル業界に参入し
自由に表現できているのは
スピリチュアル業界に自由に表現ができる雰囲気があったからであり
それに感謝するならば、次の時代を担う人たちに積極的に
そのエネルギーを渡していかなければならない。
でも実際はどうでしょうか?
スピリチュアル業界の中に自分の価値を投げ捨て
若い人たちのために自由を与えている人たちが
どれだけいるでしょうか?
皆、自分の価値にしがみつき
自分の帝国を築くことに必死です。
特に業界で有名な人ほど
絶対王政的で認められたい願望のある人たちです。
身のまわりに感謝しようと言っている人ほど
自分が表現できている環境に感謝せず
自分の考えを広めることに必死です。
手段がプロパガンダでどうであれ
人の上に立ったのであれば
全体がどれだけ自由意志とアバンダンスに満ちているか
検証し責任を全うする必要があるでしょう。
今のような状況では
有名どころに行かないほうが無難です。
私が見る感じからもほとんどが宗教の構造を持っています。
宗教とは思考停止を促すものです。
本来スピリチュアルは
センタリング、つまり自分の中心に還るという
自由思想を持たせた為、ここまで広がりを見せましたが
最近出てきた自己顕示欲の強い人たちは
一言もセンタリングや自由意志について言及しません。
また、新たにどこかの国からもたらされている
ノン・ジャッジメントという宗教回路。
これも完全な思考停止を促すもので
支配者側が都合よく民衆を支配するために生み出されたものです。
ジャッジしない否定しない
聞こえはいいですが
この現状肯定の思考は社会を恐ろしく危険なレベルへと
導いていきます。
中国の社会主義もこのような現状肯定の思想で
民衆を完全支配しました。
その結果、立ち直れないくらい社会が衰退し
今でも社会の核となるものを導き出せないほどです。
日本でも江戸時代に儒教を使って
”お上”に逆らえないようにする民衆コントロールが行われました。
今でもこの名残を強く残している地方があります。
その日本の地方が、外国から来る
ノン・ジャッジメントの思想と結合していると考えられます。
これはほんとに恐ろしいことですね。
日本人はアジアの中でいち早く
近代化を成し遂げたはずですが
スピリチュアル業界の中においては
近代化以前のメンタリティを持ったグループが
水を得た魚のように跳ね回っています。
私たちの周りには
こういう業界の流れに不満を持つインテリジェンス溢れる
知性的な方々がたくさん集まってきてくれています。
光は光、影は影になるでしょう。
宗教的な構造を持っているものは淘汰されるでしょう。
日本人はそれほど馬鹿ではありません。
スピリチュアルという名の支配は終わり
自己の神性につながりネットワークが広がる
真のスピリチュアルフリーダムが到来するのです。
自由は奪うものではなく与えるもの。
帝国主義的なエネルギーは跡形もなく消え去るのです。
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