鈴鹿山脈最高峰は御池岳(1247m)。
そこから流れ出るご神水は西方の犬上川を経由して琵琶湖へと注ぐ。清流犬上川沿いの大瀧神社は多賀大社の奥宮とされる。
この構造は鈴鹿の鈴が鳴る時に(ラビングアースDragon Anasta)で書いたような古い形のものであることがわかる。山をご神体にしている。後期大和朝廷によって移設されたが、多賀大社のご神体はおそらく鈴鹿山脈最高峰の御池岳。
それが何かと言えば、タケル。そう、タケルとは日本武尊(ヤマトタケル)。タケルとはタケルガミネの獅子岩。タケルがタケ(多家)となり、タカ(多賀)となり、タガとなった。
参考→尊星降臨
とうとうニギハヤヒの本質へと迫る鈴が鳴り始めたのです。
この道を開いたのは高知県奈半利の多気・坂本神社(神奈備にようこそ!)。物部氏と葛城氏が強力なタッグを組むのは東四国の基層。イワレヒコという集団が畿内へ向かったのは間違いなく南四国経由。
物部氏こそタケル文化を維持してきた神人集団。葛城氏はそれを伝播する役目を負った氏族。
おそらくタケルとは山神(獅子岩)の尊称であり、そのタケルから生まれた若宮、すなわちワカタケルこそ男王の称号だったのです。タケルガミネ(獅子岩)が全国に存在するように、ワカタケルは全国に何人もいたのではないかと思う。
そのワカタケルの伝承をまとめてできたのがヤマトタケルの群像。
そんな中で、なぜヤマトタケルが伊吹山の白猪によって亡くなったのか?それは伊吹山の対岸に鈴鹿山脈の北限があるからに違いない。
日本で最も巨大なタケル(獅子岩)が鈴鹿山脈に存在しているのではないか。
そして、伊吹山が属する伊吹山地『ウィキペディア(Wikipedia)』の北限は金糞岳。そして白山属する両白山地『ウィキペディア(Wikipedia)』の南限は金糞岳隣の三国岳。もしこの金糞岳と三国岳がつながっていたと認識されていたならば、鈴鹿山系と白山系が関が原を境に対峙するわけです。
すなわち、鈴鹿はタケルですなわち男王、そして白山はシラヤマヒメですなわち女王、この2つで巨大な大地の生殖図が完成するのです。ヤマトタケルは白山系の南端である伊吹山の神風で亡くなり、反対に白山のアマネクテラス(ラビングアース)は伊勢に持っていかれたのです。
もともと伊勢の国府は鈴鹿にあったわけですから、伊勢はもともとタケル(山神)を祀る象徴ではなかったかと思います。多賀大社と鈴鹿山脈を挟んで反対側の伊勢国一之宮の椿大神社の祭神は、そうサルタヒコ。サルタヒコ(ラビングアース)がニギハヤヒであり、日本武尊であるということは既に何度も言ってきました。
また、タケルはすなわちイザナギですから、「伊邪那岐大神は淡海の多賀に坐す」というのは理に適ったことになります。この道理でいくならば、鈴鹿山脈の対の女神である白山系はイザナミということになります。またサルタヒコの妻とされるアメノウズメ(ラビングアース)も、また白山姫ということになります。鈴鹿の地から見れば白山は北の地ですから、これも納得のいく話です。
また天下を2分した関が原こそヤチマタであり、そこが日本において東と西の論理的な中央の地になっているということは、戦国時代を考察しても理に適ったものであると思います。
もし仮に、関が原付近の低地が水で覆われていたならば、タケル(彦星)とシラヤマヒメ(織姫)の壮大な逢瀬がここでも行われていたことになり、八ヶ岳周辺部にも引けを取らない巨大な棚旗が行われていた可能性があるのです。しかもすぐ側には琵琶湖という出産に必要な日本最大の巨大な湖があり、生殖に必要なタケルの精子は多賀大社の神器にもなっているシャモジやオタマジャクシに象徴されています。
多賀大社付近には、このように大地の生殖と出産に必要な要素が凝縮されており(他地域にも存在しますが)お伊勢の御祖神とされる根拠はこういうところから発生しているのだと思います。
いずれにしても、多賀大社の根本原理の中にタケル信仰があるのは、ほぼ確実であり、かなり古い時代の信仰が形を変えて現存しているのは驚くべきことと言えます。
以前からお伝えしているように、この大地の生殖信仰は天智天皇朝までは引き継がれており、多賀大社付近に天智系の豪族が根を張ったのは非常に合理的なことであると思います。
私たち日本人は、権力による歴史の改竄を乗り越えて、自然神を祀っていた天智天皇朝以前の文明へと回帰する必要があると、鈴鹿の鈴が知らせてくれているのです。
∮ Energycopyright(c)∮ Loving-earth ∮
Crystal&Healing LovingEarth
PR