2010/07/10 [18:36] (Sat)
東の海に向かうエデン思想の地とが日本に4つあると以前、書きました。宇佐と伊勢は残され、阿波は完全封印され、もうひとつの常陸は一部封印されています。
常陸東国三社は、鹿島・香取・息栖ですが、最もカナメとなっているのが息栖。
息栖神社(古代で遊ぼ)の祭神は、クナトの神(岐神)でサルタヒコです。大同2年(807年)に社地が※藤原内麻呂(ふじわら の うちまろ)※によって移動させられています。
807年と言えば、嵯峨天皇が皇位に就く2年前。
また、奈良の率川神社に藤原是公によって阿波神社が勧請されたのが771年だから、たった36年しか違わない。しかも率川神社のすぐ東には春日大社。春日大社は常陸と関係が深く、両方に藤原氏が関わっているから、阿波と常陸の息栖神社が関わっていないことを証明することのほうが難しい。
すなわち、これがどういう結論に達するかというと、阿波は9世紀初頭の段階では、朝廷内で非常に大きな存在感を持っており、常陸の息栖神社も、その朝廷内の権力闘争の内側にあったということなのです。安房=阿波ですから、もう少し踏み込んだ研究が必要ですね。
息栖を風の”シ”に変換して、鹿島・香取・息栖の頭文字を抜き出すとカカシです。星神・カカセオは常陸で討伐されました。カカは”輝く”を意味し、星。
土佐のホツミサキ寺は、星の明星院で、阿波はホツマ。
つまり、朝廷にとって『太陽よりも先に大地を照らす者(ルシファー「ミカエル」、サルタヒコ、丑寅の金神)』は、嵯峨天皇以降の何代かには信仰されましたが、他の系列の天皇には信仰されなかったということであり、同時代の道鏡事件も含めると宇佐・阿波・東国は存在感を持っています。
もし仮に9世紀初頭に伊勢神宮が比類なき皇統の血統神宮であったならば、日本霊異記に描かれた寂仙の発言は、恐ろしく不敬であり、その発言が許された裏側を探れば、はたまた空海=高野山、嵯峨天皇=神野、空海=明星院=嵯峨天皇を探れば、皇統の血統が伊勢ということではなく東向きの土地という部分に集約されているということがわかります。
もし仮に8世紀に伊勢神宮のみが力を持っていたならば、率川神社に勧請されるべきは神明社であったはず。しかし、実際には阿波神社、そして東大寺に勧請されたのは宇佐八幡。さらに春日大社が鹿島・香取から勧請された神によって造営されたのは768年、藤原永手によって。なぜ伊勢が出てこないのでしょうか?
奈良の歴史学者が東に向いた巻向の遺跡遺構をアマテラス=卑弥呼にこじつけようとしてますが、そうであれば東大寺建立には伊勢神宮が勧請されなければならないはず、なぜ西から八幡が勧請されるのか?東から大きく照らす国分寺総本社になぜ西の八幡を勧請するのか?
しかもすぐ南には常陸から勧請された春日大社。しかも春日大社のヒメ大神は瀬織津姫と言われている。ヒメ大神は、宇佐八幡のど真ん中に祀られている。いわば東大寺には瀬織津姫という倍音が鳴っているのです。
春日大社最奥には紀伊神社があって、そこに善女竜王が納めたとされる珠石があります。
以上のことから考えると、東大寺と春日大社の組み合わせは、愛知県豊川市にも散在する明らかに西光寺・東光寺の組み合わせであり、東大寺に祀られたのは西のマリアであり、春日大社に祀られたのは東のキリストなのです。そこに陰陽道が載ってきている。
少なくとも東大寺建立時にアマテラス=太陽神というディスクールは全く出てきていない。
太陽=天皇=アマテラスというヒエラルキーを徹底する必要があったのは、むしろ明治時代であり、現代の伊勢に対するイメージは明治期以降のものではないかと思います。
様々な信仰が共存していた多民族国家大和という豊かな社会に戻さないといけないと思います。
伊勢一之宮・椿大神社、近江最古の社・白鬚神社、阿波一之宮・大麻比古神社、伊豆最古の社・白濱神社は、ほぼサルタヒコが祀られており、東には海か湖があり、島が祀られていたのではないかという痕跡があります。つまりスケリッグマイケル、モンサンミシェルです。
ひとつ注意しなければいけないのは、春日大社の地に元々祀られていたのは江戸時代からサルタヒコと考えられるようになりましたが中世は、巨勢姫明神と呼ばれており、姫なんですね。大麻比古神社の祭神も元々はサルタヒコではないとされています。そして私の好きな白濱神社のイコナ姫も全く他では見られない土着の女神です。
エネルギーは同じでも、土地土地によって呼び方が違っていたのではないかと思います。
三体妙見の中央のピラミッド型の山をフジと呼び、そこにコノハナサクヤ姫(瀬織津姫)を祀る。それがコウ(神)。そして、加茂氏がそれを祀り、忌部氏も葛城氏も物部氏もそれに関わっていたのに突如として瓦解。これは一体なんなのでしょうか?
問題は、なぜ阿波だけが完全封印されたか?ということなのです。阿波一之宮・大麻比古神社の参道には四国八十八ヵ所巡礼の一番札所があります。八十八ヵ所を回った後は高野山に行く習わしになっています。コウヤは神野でマリア信仰。今、フランス人観光客が急激に増えているようです。
なぜなら、高野山は、とってもセ・ボンなマリア信仰の地だから。
イギリスのゴルドン夫人も、「仏基一元」(仏教もキリスト教も元は一つである)を唱えて、高野山に景教碑を建てた。
ちなみにイクトゥスに関係ある、魚が名前についた人物を挙げますと、まず佐伯真魚(空海)、藤原魚名、大中臣朝臣諸魚。
重要なことは、いつの時代も日本人は他国の宗教や民族を受け入れながらも、縄文を守ってきたということ。
根底には石器時代のベガ信仰、そしてそれを継承した縄文のヴィーナス信仰が存在していて、それらをベースに弥生時代から入っていていた色んなものがサテライトのように習合している。これを多民族国家と呼ばずしてなんと呼ぶのでしょうか。
話を元に戻しますと、以上のような理由から息栖神社は非常に重要な神社であると思います。
シ(風の精霊)は、いつでもどこでも隠されます。しかし、それは一度吹けば神風となる。それが天御柱・国御柱。
※印で囲んだリンクは全て『ウィキペディア(Wikipedia)』からの引用
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常陸東国三社は、鹿島・香取・息栖ですが、最もカナメとなっているのが息栖。
息栖神社(古代で遊ぼ)の祭神は、クナトの神(岐神)でサルタヒコです。大同2年(807年)に社地が※藤原内麻呂(ふじわら の うちまろ)※によって移動させられています。
807年と言えば、嵯峨天皇が皇位に就く2年前。
また、奈良の率川神社に藤原是公によって阿波神社が勧請されたのが771年だから、たった36年しか違わない。しかも率川神社のすぐ東には春日大社。春日大社は常陸と関係が深く、両方に藤原氏が関わっているから、阿波と常陸の息栖神社が関わっていないことを証明することのほうが難しい。
すなわち、これがどういう結論に達するかというと、阿波は9世紀初頭の段階では、朝廷内で非常に大きな存在感を持っており、常陸の息栖神社も、その朝廷内の権力闘争の内側にあったということなのです。安房=阿波ですから、もう少し踏み込んだ研究が必要ですね。
息栖を風の”シ”に変換して、鹿島・香取・息栖の頭文字を抜き出すとカカシです。星神・カカセオは常陸で討伐されました。カカは”輝く”を意味し、星。
土佐のホツミサキ寺は、星の明星院で、阿波はホツマ。
つまり、朝廷にとって『太陽よりも先に大地を照らす者(ルシファー「ミカエル」、サルタヒコ、丑寅の金神)』は、嵯峨天皇以降の何代かには信仰されましたが、他の系列の天皇には信仰されなかったということであり、同時代の道鏡事件も含めると宇佐・阿波・東国は存在感を持っています。
もし仮に9世紀初頭に伊勢神宮が比類なき皇統の血統神宮であったならば、日本霊異記に描かれた寂仙の発言は、恐ろしく不敬であり、その発言が許された裏側を探れば、はたまた空海=高野山、嵯峨天皇=神野、空海=明星院=嵯峨天皇を探れば、皇統の血統が伊勢ということではなく東向きの土地という部分に集約されているということがわかります。
もし仮に8世紀に伊勢神宮のみが力を持っていたならば、率川神社に勧請されるべきは神明社であったはず。しかし、実際には阿波神社、そして東大寺に勧請されたのは宇佐八幡。さらに春日大社が鹿島・香取から勧請された神によって造営されたのは768年、藤原永手によって。なぜ伊勢が出てこないのでしょうか?
奈良の歴史学者が東に向いた巻向の遺跡遺構をアマテラス=卑弥呼にこじつけようとしてますが、そうであれば東大寺建立には伊勢神宮が勧請されなければならないはず、なぜ西から八幡が勧請されるのか?東から大きく照らす国分寺総本社になぜ西の八幡を勧請するのか?
しかもすぐ南には常陸から勧請された春日大社。しかも春日大社のヒメ大神は瀬織津姫と言われている。ヒメ大神は、宇佐八幡のど真ん中に祀られている。いわば東大寺には瀬織津姫という倍音が鳴っているのです。
春日大社最奥には紀伊神社があって、そこに善女竜王が納めたとされる珠石があります。
以上のことから考えると、東大寺と春日大社の組み合わせは、愛知県豊川市にも散在する明らかに西光寺・東光寺の組み合わせであり、東大寺に祀られたのは西のマリアであり、春日大社に祀られたのは東のキリストなのです。そこに陰陽道が載ってきている。
少なくとも東大寺建立時にアマテラス=太陽神というディスクールは全く出てきていない。
太陽=天皇=アマテラスというヒエラルキーを徹底する必要があったのは、むしろ明治時代であり、現代の伊勢に対するイメージは明治期以降のものではないかと思います。
様々な信仰が共存していた多民族国家大和という豊かな社会に戻さないといけないと思います。
伊勢一之宮・椿大神社、近江最古の社・白鬚神社、阿波一之宮・大麻比古神社、伊豆最古の社・白濱神社は、ほぼサルタヒコが祀られており、東には海か湖があり、島が祀られていたのではないかという痕跡があります。つまりスケリッグマイケル、モンサンミシェルです。
ひとつ注意しなければいけないのは、春日大社の地に元々祀られていたのは江戸時代からサルタヒコと考えられるようになりましたが中世は、巨勢姫明神と呼ばれており、姫なんですね。大麻比古神社の祭神も元々はサルタヒコではないとされています。そして私の好きな白濱神社のイコナ姫も全く他では見られない土着の女神です。
エネルギーは同じでも、土地土地によって呼び方が違っていたのではないかと思います。
三体妙見の中央のピラミッド型の山をフジと呼び、そこにコノハナサクヤ姫(瀬織津姫)を祀る。それがコウ(神)。そして、加茂氏がそれを祀り、忌部氏も葛城氏も物部氏もそれに関わっていたのに突如として瓦解。これは一体なんなのでしょうか?
問題は、なぜ阿波だけが完全封印されたか?ということなのです。阿波一之宮・大麻比古神社の参道には四国八十八ヵ所巡礼の一番札所があります。八十八ヵ所を回った後は高野山に行く習わしになっています。コウヤは神野でマリア信仰。今、フランス人観光客が急激に増えているようです。
なぜなら、高野山は、とってもセ・ボンなマリア信仰の地だから。
イギリスのゴルドン夫人も、「仏基一元」(仏教もキリスト教も元は一つである)を唱えて、高野山に景教碑を建てた。
ちなみにイクトゥスに関係ある、魚が名前についた人物を挙げますと、まず佐伯真魚(空海)、藤原魚名、大中臣朝臣諸魚。
重要なことは、いつの時代も日本人は他国の宗教や民族を受け入れながらも、縄文を守ってきたということ。
根底には石器時代のベガ信仰、そしてそれを継承した縄文のヴィーナス信仰が存在していて、それらをベースに弥生時代から入っていていた色んなものがサテライトのように習合している。これを多民族国家と呼ばずしてなんと呼ぶのでしょうか。
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シ(風の精霊)は、いつでもどこでも隠されます。しかし、それは一度吹けば神風となる。それが天御柱・国御柱。
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政治/経済、宗教/哲学を基本としながら市民活動やスピリチュアル活動など、広範囲に動いております。行動範囲は今のところ、東は茨城県から西は中国四国地方までです。特に修験色の強い山間部の地域活性化に興味があります。該当自治体の担当者の方からのご連絡お待ちしております。どうぞよろしくお願いします。
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