先日の江ノ島巡礼の時に、前回わからなかったことが深い部分までわかり、さらなる江ノ島の顔が見えてきました。
七瀬祓いと瀬織津姫ラインで書いた江ノ島隆起に関する事はほぼ解明されました。地質学的にはやはり1万年規模のサイクルで考えないと、最奥の岩屋の侵食は説明がつかず、2千年ほど前の江ノ島隆起というのは少し無理があるようです。
その岩屋では、瀬織津姫と磐長姫の結合譚ができており、明らかに三島信仰なのです。
先日書きました白濱神社の三体妙見(Dragon Anasta)とも非常に密接に関わっており、江ノ島は3年前に書いたように(Crystal Philosophia)やはり他の土地にも類を見ないほど何層にも文化が折り重なっているのです。
東伊豆の大室山の磐長姫(Crystal Philosophia)、西伊豆(雲見)の磐長姫(Dragon Anasta)、そして江ノ島の磐長姫、思い起こせば長い道のりでした。
磐長姫信仰の正しい形、そして封じられる前の真のコノハナ・不二信仰を明確に認識することができました。
関東における弁財天の神紋は『対い波と三つ鱗』なのですが
北条氏の家紋は三つ鱗。
北条氏は桓武平氏の流れも汲み、宮島とも深いつながりがある。伊予三島と伊豆三島は過去に三島信仰の発祥地を巡って争ったことがあるようですが、それほどまでに瀬戸内と伊豆とは深いつながりがある。
北条氏の三つ鱗は三島信仰の三体妙見である可能性もあり、古代海人族の末裔である可能性もあります。
源平合戦時には、既に後期大和朝廷の支配構造も終焉し、三体妙見の争奪戦が繰り広げられていたようです。
戦国時代には後北条氏が伊豆を含めた関東全域を統制しており、第六天神社なんかも北条氏の信仰なので、関東はどちらかと言えば祭祀的には徳川よりも北条氏の文化のほうが色濃く残っています。
江ノ島も鎌倉幕府の祓い所になっていたわけですから、北条氏にとっても重要な土地であったと思います。
しかし、小田原攻めで北条氏が滅亡した後、江戸時代も大山・江ノ島信仰は復活したので、徳川は北条氏の影を消して、その信仰を引き継いだ可能性が高く、江ノ島を知るにはまず徳川の層を外してからでないと正確に見る事は難しいと思う。
その徳川氏も静岡のオタマと天白信仰で書いたように、天龍川の瀬織津姫祭祀をバックボーンに持っているので、北条氏と全く違う信仰というわけでもないと思います。
しかし、同じ北極星信仰でも『湖の神格化』と『島の神格化』は少し違っており、最終的に三振りの剣が降りてくる三体明剣の三島信仰は歴史の表舞台から消えていったのだと思います。
おそらく鎌倉幕府の時代は、源頼朝が日光を神格化していたように中禅寺湖の北極星と北条氏の三島信仰はうまい具合にミックスされていたと思います。
徳川家康は吾妻鏡を愛読していたらしいですが、頼朝の日光の部分は引継ぎ、三島信仰の部分は補陀洛信仰で埋め合わせていったのだと思います。
このような塩梅で宗像3女神の信仰と真の不二信仰は北条氏の没落で計らずも歴史の表舞台から脱落していったのでした。
伊予の一之宮は大山祇神社、そして江ノ島のすぐ近くには大山(おおやま)が。
三体妙見、磐長姫・コノハナサクヤ姫、大山はセットのようなもの。
瀬戸内の島々を住処にする「島信仰を持つ人々」が東へ落ち延びるとき、最大の拠点となるのが伊豆諸島なのです。
しかも、相模湾は暖流と寒流が交わる場所であり、ちょうど江ノ島沖は渦潮でもあります。海の層を表・中・底(住吉3神)の3つにわけるとしたら、相模湾の渦潮は底のほうで発生しており、目には見えないものでしょう。(底筒男のアマノウズメ)
しかし、古代人は木を切らずとも良質の材木を選別する目を持っていたわけですから、海に対しても底で渦潮が起こっているのは知っていたと思います。
そのような伝統もあって、瀬戸内と伊豆との信仰はかなり以前より深いつながりを持って維持されていたのだと思います。
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当方、山と平野あるいは海を繋ぐ宗教・習俗の関連を在野でちっとばかし、本当にささやかながら研究しております。
で、その過程で最近思ったことなんですが、海の水を山、それもなるたけ上部に持っていくというのはどうだろう、と先日より実験しています。(と言ってもまだ1度だけですが)
と申しますのも、『身体情報の自己循環によるホメオスタシス療法』をここ1ヶ月半ほど自分の身で継続実行しておりまして、その効果の覿面さを実感しておった折り、
もしかしたらその応用を地球にも効かせることで、地球の温暖化やら異常気象やらを和らげる助けになるのでは?と考えたからです。
まず『身体情報の自己循環によるホメオスタシス療法』とは何かと簡単に説明しますと、
人間に流れておる血液は、内臓で濾され体外に排出される時に、その時の身体の情報を多分に含んで出てきます。
そしてそれは、飲むことにより喉にある『身体情報を受容するレセプサー』を反応させ、身体及び精神を調和し、安定せしめる働きを体内に誘発させます。
一般には「飲尿療法」と言われますが、これは実は飲むだけではなく、塗布や点眼、鼻うがいなどでも驚くべき治癒効果を上げます。
要は自身の情報を還流させることにより、自己治癒能力を高めたり、相応の対応をするよう身体に働きかける療法なのだと理解しています。
さて、地球はそもそも雨の水を濾し、河や様々な流れを経て海に至り、蒸発させた水を雲より雨として還流させる、という「自己循環」を行っております。
それはそれで地球単体での「情報還流」として完結しておるわけですが、これを短絡させ、
海の水、それも人間が暮らしているそばの、人間の情報を多く含んだ海水を、なるたけ山の上部などに持っていって浸透させ、地球も己が喉に持っているであろう『身体情報を受容するレセプサー』にこれを反応せしめ、
「人間も住んでいる星、地球」として、地球自体に『情報還流』してもらい、より人間に親和的な調和を、地球自身にはかってもらう。
このようなことが可能なのではないかと、とりあえず個人で実験しています。
これについてどのような感じ・考えをお持ちになりますでしょうか?ご意見いただきたく
書き込みありがとうございます。
大麻止乃豆乃天神についてはなかなかマニアックな領域ですので、shimuraさんもかなりご研究されておりますね^^
>海の水を山、それもなるたけ上部に持っていくというのはどうだろう、
これはすごい指摘です。私も、ある土地の地形と地名、そして浦島太郎の昔話から探っていくと明らかに『海の水を山に持って行く』ルートが浮かび上がってきました。
実は古代、鮫は川を上っていたようで、豊玉姫はヤヒロワニ(鮫の一種)とも呼ばれます。悪神として討伐された香々背男神(日本最大の星神)は別名○○サメとも呼ばれていたらしいです。
時期的には平安時代直前まではそのような祭祀が全国的にあったようです。東大寺のお水取り、武蔵大国魂神社のお水取りも、その名残りであると考えられます。
>このようなことが可能なのではないかと、とりあえず個人で実験しています。
素晴らしい実験です。その『身体情報の自己循環によるホメオスタシス療法』は効果があると思います。
もうひとつ古代人が海の水を山に持って行った理由として、大地から神を出産させるために、子宮の奥に相当する山に水を流すという視点があったように思います。
水が水蒸気となって山に還流しているというのは古代人も知っていたとは思いますが、海の水を山に持って行くことに深い意味があったようです。
それこそshimuraさんがおっしゃるホメオスタシス療法ではないかと思います。
つまり、自然界の循環の中では山に還っていくのは水蒸気だけであり、海潮の干満の情報がそぎ落とされます。しかし、海の水を山に持っていくことで地球全体の月経のリズム(潮満珠/潮干珠の情報「月読命」)が山に転写され、より安全な出産がもたらされるのではないかということなんです。
古代は大地全体がマザーアースとされていましたから、そのようなことが行われていたとしても不思議ではないと思います。
結局、それが牛頭天王であったり、アメノウズメであったり、大麻止乃豆乃天神などの北極星がらみの信仰にもつながっていったのだと思います。
天(アマ)と海(アマ)が日本語で同じ響きなのも、『身体情報の自己循環によるホメオスタシス療法』の最大の根拠になると思います。
それでは、また面白いお話聞かせてください。
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