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  2009/07/26 [18:04] (Sun)

個人主義といえばアメリカ社会の代名詞として認識する人が多くいますが、アメリカの場合は個人主義には必ずホームパーティ文化や日曜礼拝文化が付属しているので、個人主義であっても地域コミュニティというのはある程度保たれます。

しかし、日本の場合は、戦後のマスコミが偏った報道を続けて、個人主義と言えば自己主張をすること、はっきりとモノをいうこと、他人と関わりあいを持たない事がクールである、などという間違った観念をばら撒き続けました。しかし、アメリカの個人主義にとって最も重要なことは自己主張が地域コミュニティ(社会問題)と直結しているということであり、個人主義とは常に政治的・社会変革的であるのです。

戦後日本人は物事の本質を分析せず、うわべだけを輸入する事が得手でしたから(それがある意味クールだとマスコミや大手出版社が宣伝する)社会が限りなくうわべだけの社会に近づきました。

そういう状況が何十年も続きましたから、日本人の中のアイデンティティというものがめちゃくちゃに壊れまして、皆、一体何に帰属していいのかがわからない状態になっているのです。

民族・天皇という言葉を出せば『戦争』や『宗教』を連想させ、経済発展と民主主義が『平和』を連想させる時代は終わったのです。

日本のスピリチュアルが興ってきたのは、こういう背景があり、ちょうど9.11の直後からポストモダンの日本社会が見えている人は皆、一斉に声を上げ始めました。それが今、いろんな業界を巻き込み、あるひとつの大きな流れへと変貌を遂げようとしています。

これが新しい日本人としてのアイデンティティになることは間違いがないようです。

人間は多様的な生き物ですから、ほっておけば価値観は留まることなく多様化していきます。しかし、多様化しすぎると今度は価値の共有ができなくなってしまいますので、争いや犯罪が頻発するようになります。また、同じ価値を共有するという安心感がないため、わけのわからない恐怖感やとめどない将来への不安が沸いてくる人たちが増えてきます。

あるひとつの国家や民族とは、こういう恐怖や不安を取り除く装置でもあるのです。こういうのを”Nation(ネイション)”と呼びます。日本ではほとんど言及されない価値観です。

アメリカやヨーロッパは今でも普通にこういう価値を理解しているのですが(日本のように島国ではないため国境線がわかりにくいのでNationを生み出す必要があった)、同じ先進国でも日本の場合は、西洋の悪い面ばかりを輸入して、それがあたかも西洋の本質であるかのように宣伝する人たちがたくさんいらっしゃるので、日本国内における社会のあり方というのは凄まじいほど壊れています。昨今の犯罪はこの状況を投影しているだけに過ぎないのです。


例えば”Nation”があった時、何をその根本に持ってくるかは、それぞれの国にありますが、日本にはありません。ありませんというより、あるにも関わらず目を背け続けているのです。その目を背ける行為が正当化されるために個人主義が増殖していきました。

渡米して個人主義とは自己主張をすることと勘違いをして帰国してくる方がいますが、これは全くのお門違いで個人が権利を主張する時、地域を支えていくという(コミュニティに参加しているという)義務も負わなければならないのです。

これはどういうことかと言いますと、個人主義という時、日本では社会をより良き方向に変革していくという義務のほうに全く焦点が合ってないということなんです。権利を主張する時、まず日本人として社会やコミュニティをバックに背負っているということが前提であり、それがなければ単なるおかしな新興宗教に過ぎないということなんです。

マスコミや大手出版社は平然とこのような新興宗教まがいの洗脳工作を日夜繰り広げています。


前置きが少し長くなりましたが(笑)

こういう社会を改善するためにスピリチュアル業界というのは膨張を続けてきたわけでありますが、もうそろそろ社会のシステムとして機能させていく段階に来ているのではないかと感じています。

それで、今、何が必要かというと、多様化とは逆の『融合』という実際的な手段が必要なんですね。

それを高知の『おきゃく』という文化で展開するのはどうかと色々と思案中です。『おきゃく』とは様々な年代の人間が一同に介して酒を飲んだり謳ったり踊ったりする高知の文化で、『よさこい』を「動」とするならば『おきゃく』は「静」の文化になります。しかし、この2つの文化の本質は同じで高知の自由・平等主義の源となる文化でもあります。縄文のマレヒト・他民族国家ヤマトの根本原理(クニトコタチ)になっていたものです。


ここにスピリチュアルを差し込むことによって「太田総理、、、」の番組のような議論が高知の各地で毎晩毎夜繰り広げられるということになるんです。これは明治維新時や自由民権運動の時にも起こったことで、高知のディベートの文化に「目的」が付加されると日本の社会がものすごいスピードで変わってくるんです。

ただ、これも最初から最後まで高知の人間だけでやったわけではなくて、色んな人が複雑に絡み合うことで日本史は進んでいきましたから、社会を変革する器として非常に有効な文化を今でも保持しているということだけなんです。


***引用はじめ**吉田茂『ウィキペディア(Wikipedia)』***
首相時代、利益誘導してもらうべく、たびたび地元高知県から有力者が陳情に訪れたが、その都度「私は日本国の代表であって、高知県の利益代表者ではない」と一蹴した。
***引用おわり**吉田茂『ウィキペディア(Wikipedia)』***

勘違いされると困りますので、同じようなスタンスの吉田茂の言葉を引用しておきます。



スピリチュアルの価値観というものが広がって、それが社会参加あるいは政治参加のひとつの形態になっていくのは、ほぼ確実だろうと思います。

戦後社会の中で物質に重きを置いた唯物主義が横行し自然が悉く破壊され、若い私たちの間では、唯物主義に対する反動がものすごく出てきている。だからといって唯心主義に陥るわけでもなく(唯心主義に陥ったのは江原氏などのスピリチュアル、それを支持する人たちは霊能力が社会を改善すると考えていたようです)ある程度の物質と調和を図りながら【どちらかと言えば唯心的】というスピリチュアルの立ち位置がこれからの主流になってくるからです。


また、このスピリチュアルというのは”One God”が存在しているわけではなく、”Any God”なわけで、明治維新後の国家神道vs自由民権運動という対立構図にも非常に似ているんですね。現在における”One God”とは、資本主義という”One God”であり、ひとつの政府という”One God”、自民党という”One God”なわけです。ですから戦後社会の”One God”(55年体制)に対抗する”Any God”がスピリチュアル業界というわけです。”Any God”は多神教の世界であり、西洋人がアニミズムと名づけた類の哲学でもあります。

現代日本人は、ひとつの価値観が社会を覆うことについて注意を払うことが苦手で、政治思想的多様化や経済思想的多様化については、ほとんどの場合無視されています。しかし、真の民主主義とは、選挙を実施することよりも政治思想と経済思想が国内にたくさん存在し、それを選択する自由があるという意味です。その『選択の自由』が日本に存在しないのは明らかでしょう。なぜならば自民党・経団連・日銀・霞ヶ関が”One God”であるからです。



スピリチュアルに興味を持つ方でジャッジはいけないだとか、対立はいけないだとか言う方がいらっしゃいますが、スピリチュアルに興味を持って入場している時点で、今の資本主義社会と決別し、対立し、ジャッジしているわけです。ここらへんのところもロジカルに思考できるようになれば同じ目的に向かって変革を早めていくことはできそうです。ロジカルシンキングというのはディベートによって身につきますから、今でも強烈なディベート文化を保持している高知の「おきゃく」文化をのせていきたいですね。


またスピリチュアルの中でも空想的なものと現実的なものとこれからははっきりとわかれていくと思いますが、江戸時代にも空想的な『朱子学』が流行った時に、現実的な『陽明学』がそれを抑えるような形で発展していきました。この陽明学の一大拠点が土佐南学であり、明治維新の原動力となった国学のルーツでもあるのです。(明治維新は陽明学の巨大な行使と言っても良いと思います)サルトルの実存主義的哲学とも似ています。

特に京都の山崎闇斎『ウィキペディア(Wikipedia)』なんかは土佐南学派で国学の祖とも言える存在。

『知行合一』が陽明学で最も有名な言葉ですが、認識と実践を合一するという言葉です。知が先にあって行いが後になるという『知先行後』の朱子学とは逆の考え方になります。

スピリチュアルの中でも、空想ばかりが先行し、実際に社会を変革する知行合一がなされてないものがありますが、それこそまさに『知先行後』的スピリチュアルでしょう。社会を変革できない知識ほど無益なものはありません。

しかし、スピリチュアルとはそもそも個人や社会の癒しであり、それは『知行合一』でなければ意味がないのではないかと自分などは思います。

あまりこだわりがない人は、今、そうでなければこれからそうしていけばいいだけのことで、それを皆がやることによって、皆が生活できていくというシステムを創りあげないといけないんですね。そのための話し合いの場を「おきゃく」の文化を通してやればいい。


とにかく、皆で枠を超えてやっていきましょうよ、という話。

特別なことをやったり気負ったりする必要は全然なくて、ただ集まって酒飲んだり踊ってれば、必然であれば、やるべき人がやるべきことをやるはずですから、参加するだけでいいのではないかと思います。

いかなる強制などされるはずもなく、最も重視されるのは「自由意志の尊重」なのです。それが「よさこい」と「おきゃく」文化の本質でもあるからです。

こういう”Any God”を連想させる地方の文化には、これからはさらにスポットをあてていきたいですね。


出でよ、伝統や格式にとらわれない”Any God”よ!




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政治/経済、宗教/哲学を基本としながら市民活動やスピリチュアル活動など、広範囲に動いております。行動範囲は今のところ、東は茨城県から西は中国四国地方までです。特に修験色の強い山間部の地域活性化に興味があります。該当自治体の担当者の方からのご連絡お待ちしております。どうぞよろしくお願いします。
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