静岡にオタマが降った頃に、天龍川流域の謎が解け、瀬織津姫が顕わになってきましたが、さらなる驚くべき事がわかってきています。
瀬織津姫からのメタファーで天白信仰(てんぱくしんこう)『ウィキペディア(Wikipedia)』なるものに行き着きましたが、実はこの信仰に、自分が今までもらってきたメッセージの骨格が引き継がれていました。
しかし、この天白信仰、学術的には柳田史観とも捉えられる国家神道に影響を受けた領域から現在でも出ておらず、間違った認識が流布しているようです。
天龍川流域が天白信仰が強いのは最もなことです。なぜなら、諏訪湖を北極星に見立て、一直線に天龍川が南の太平洋に注いでいるからです。
また蓼科山を北極星とし、八ヶ岳を北斗七星とすることもでき、南八ヶ岳の権現岳と鳳凰山の地蔵岳(オベリスク)も今でも強力な天の川信仰を有しているからです。(左写真は今年4月の鳳凰山、よく見るとオベリスクが見えます。高速道路から見えるくらいなので、いかに巨大であるかがわかります、詳しくは鳳凰山の象徴オベリスク「マップル観光ガイド」まで)
柳田はこれに関係する文化をミシャクジを用いて富士眉月弧文化圏としましたが、少し的が外れているように思います。
ミシャクジは男性神(ニギハヤヒ・イザナギ)であり、獅子であり、そのパートナーとして北極星・織姫・瀬織津姫・イザナミがいるわけです。
従って、ミシャクジとは天の川祭祀の男神の部分を抜き出したに過ぎず、天白信仰と対をなしてこそ祭祀の本質が見えてくるのであって、ミシャクジ・天白それぞれ単体ではなにものも導き出されないと思います。現在の天白信仰に対する見方は視野狭窄の域を出ず、北極星を模す造形がない伊勢を天白信仰の震源地とみなすのは皇国史観に洗脳された類の見方であると思われます。
霜月祭と星の信仰(信州遠山郷)
上記ページには驚くべきことが書かれています。私が独自に追ってきた北極星信仰が今年5月の天河巡礼で瀬織津姫と習合したのですが、天白信仰とはまさにこのことであり、ベガが北極星から落ちた1万3千年前に遡る恐ろしく古い信仰なのです。
これらの信仰を含めて天の川祭祀と私は呼んでいますが、今これが見つかっているのが、西からいきますと九州の奥八女周辺部、高知市中心部、大阪淀川周辺部、諏訪、そして天龍川流域です。で、これから見つかりそうなのが実は関東(もうだいぶ見えてますが、現在調査中です)、調査を要するのが兵庫県の雪彦山周辺部と福島県の猪苗代湖周辺部です。(会津という地名の本質に関わるものです、「記・紀」の四道将軍説は創作である可能性が高いので)
そしてこれらの歴史を見ていきますと、天智朝までは全国一律で連動して動いていますが、その後、天武朝で一気に封印・破壊されています。天智朝で祓戸が積極的に用いられてきた事は書きました。
しかし、白村江の戦い以降、皇室が唐の勢力に一部乗っとられるも日本各地で武士が誕生し、縄文の力(北極星のピューリタニズム)が回復されてきた日本史には愛しさを感じずにはいられません。
天龍川流域の調査とメッセージ取りは8月に現地で行いますが、琵琶湖の天の川祭祀と似ており、琵琶湖が近江(おうみ)そして天龍川下流域が遠江(とうとうみ)と呼ばれたのには、深い深い意味があるのです。単なる琵琶湖と浜名湖という湖レベルの話ではなく、祓戸の祭祀レベルの話なのです。
それと天白信仰(てんぱくしんこう)『ウィキペディア(Wikipedia)』には、天白が『風の神』である可能性も指摘されておりますが、土佐神社の女神は『しなね』で『しなとの風神』であります。その土佐神社から北山に駆け上がる古道を抜ければ古代の禊場と目される七つの滝(淵)「北斗七星」、そしてその奥には北極星と目される超巨岩の山が存在するのです。
その巨岩には大きい穴が開いており、まさに大穴持。そうです、オオナムチなのです。オオナムチすなわち大国主が、この日本という国を作りましたが、オオナムチとは北極星のことなのです。その『しなね』が一言主とされ、アジスキタカヒコネに置き換えられたのは誠に悲しいことです。
そしてその土佐神社南の内湾には西側に巨大な獅子岩、そして東側には絶海(たるみ)に囲まれた三体妙見を祀る山「土佐神社離宮」そしてこの獅子岩と三体妙見の南には北極星と太陽神が孕み(はらみ)を行う孕のジャンがあります。さらに南には桂浜の竜王宮があります。桂浜にはなぜだか、江の島と似ているという石碑が建っています。
そしてこの土佐神社の北極星信仰と密接な関係にあると思われるのが、大分県の早吸日女神社。ここは神武天皇を案内したウズヒコの伝承地であり、このことから日本神話の根源的な領域においてさえ、北極星信仰を征服するというメタファーが張り巡らされているのです。早吸日女神社は中央構造線上に存在し(天武天皇がこの中央構造線に非常に執着していたというのは以前書きました)そこを東に行くという事は四国へ渡るということであり、渡った四国の愛媛の佐田岬が佐太すなわちサルタヒコの長い鼻のようになっているのは最大限のメタファーが隠されています。
「中央構造線が北、南に平野・内湾というのが土佐のあり方で、これが飛鳥に至っては逆になります。それが再度、北に中央構造線、南に平野・内湾になるのが実は武蔵なのです。三体妙見大宮氷川神社付近を中央構造線が突き抜けています。奈良の吉野から下ってきた最も重要なサクナドの地に土佐・下土佐・土佐街道という地名が残っていますので、おそらくは土佐の秦氏(古代土佐は都左国と波多『ハタ』国の2国がありました)が飛鳥の土木事業に狩り出されたとは思いますが、その後の扱いはひどいものでした」
そして神武東征伝説が高知に多いこと、風と水の女神のつながりが大分と高知にあること、そして大分の姫島の黒曜石文化圏が高知県南西部にかかっていること、そして高知県南西部にはタツクシ・コツクシというツクシ名が残っていること。そして下記の巨石群周辺に天白信仰と呼べるものが残っており、隠された修験場であったこと(現在では四国88箇所の一寺)、など。あらゆることをトータルで分析すると古代、何が起こったかは自ずと見えてくるのです。
以上のこととフランスのカルナック巨石群にも匹敵するとされる高知県の唐人駄馬巨石群(失われた先史時代の遺構)が密接に関わっているというのは言うまでもないことであり、巨石北極星信仰・風神水神信仰・神武東征・中央構造線は密接に関わっているのです。そこにはツクシのヒムカのアハキハラを完全に説明できる地形が眠っているのです。
ということは神武東征記自体が天武東征記である可能性も指摘できます。なぜなら天智朝までは祓戸の『天の川祭祀』が機能していたからです。
その後、北極星信仰は修験道で妙見菩薩として復活するも明治政府に封印、しかし、源頼朝や徳川家康が信仰した日光はさすがに明治政府は封じることはできなかったようです。
この北極星信仰の何がこわいのかと言うと、北極星を天帝とみなし祭祀者と合一する神事があるからです。これが広まるとたくさんの天帝が出てくるということであり、権力者にとっては非常に都合が悪く、だからこそ、源頼朝も徳川家康も日光を自分の尊星としたのです。
しかし、江戸幕府も北斗七星の滝で小さい頃から行水をしていた坂本龍馬という一青年に譲位を迫られることとなります。
龍馬の『日本を今一度洗濯致したく候』という言葉は、祓戸の神の復活を意味しており(坂本は土佐の古代豪族「坂本神社」、坂はイヤサカのサカ、ヨモツヒラサカのサカ)、日本が穢れてきた時に、日本各地の北極星信仰の強い土地から瀬織津姫が顕れてくるのです。
静岡にオタマジャクシ、広島にオタマジャクシ、そして岩手にオタマジャクシ、全て瀬織津姫信仰の強い地域です。これを瀬織津姫のメタファーとすることなしでは読み解くことはできないでしょう。鳥が嘔吐したものとしても鳥の疫病を回避するものとして牛頭天王(北極星)、つむじ風だったとしても(しなとの北極星)、風と水の北極星につながるのです。次は福岡に大量のオタマジャクシが降るでしょう。いよいよミナカタ三女神が破水されるのでしょうか。
来月の日食に向けて天と大地が目まぐるしく動いているのです。
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