日本三大妙見には諸説ありますが、一般的には能勢妙見(大阪府)、相馬妙見(福島県)、八代妙見(熊本県) が三大妙見に設定されているようです。
ちなみに「大阪三大妙見」は妙見山(能勢) 、星田妙見宮、感応寺と言われています。最後の感応寺の創建は大化元年(645年)なので、なかなか怪しいものがあります。
ただこれらは、多分に地域おこし的な側面もあるので、おおまかには、九州・西近畿・(北)関東に三大拠点があったといってよいと思います。(だからといってこれ以外の地域に北極星信仰がないというわけではありません、諏訪はその中でも隠された妙見の土地であると思います、人口密度や日蓮宗などが上代以後の妙見信仰に多大な影響を与えています)
これらの三大妙見の裏に隠されているのが、実は3つの彦山であります。英彦山(九州)・雪彦山(兵庫)・弥彦山(新潟)の3つです。
英彦山はおそらくは宇佐神宮の北辰信仰と密接に関わっており、雪彦山は姫路の廣峯神社(牛頭天王発祥の地)と、弥彦山は秩父と密接に関わっています。
姫路の廣峯神社については(来月訪問予定でしたがスケジュールの都合上行けなくなりました残念)北に日光院という妙見社があることも忘れてはならないと思います。
実は雪彦山行きについてはかなり綿密な計画を立てておりましたが、どうやら6月中にそれをしておかなくてはならなかったようで、今月私たちが南伊豆で行う6/30七越の大祓いエナジーワーク ~七色の輝きに向けてがそれと同じ意味を持つ事が次第に明らかになってきています。
実は私たちが今回祓いを行う南伊豆の場は、弥彦神社の南にあたります。そのライン上に三峯神社や三嶋大社などがあり、とても重要なラインとなっています。
関東では、日光を北極星とするラインが有名ですが、この南伊豆・秩父のラインも非常に重要です。
そしてもう一本が、千葉から猪苗代を貫くラインです。この3つのラインが巨大な住吉のオリオンを形成しています。三峯・武甲山、日光・二荒山、磐梯・安達太良山。これが巨大な三体妙見になっているのです。
三体妙見というのは、北極星を3つに見立てる信仰で、おそらくはベガ・アルタイル・デネブの3つが極北に存在した頃の古い信仰に基づいていると思います。ベガが北極星落ちした1万3千年前に沈んだとされる与那国の海底遺跡にも三体妙見の巨石が屹立しています。
その信仰が後に、オリオン座と習合して現在まで引き継がれてきているのではないかと思います。
磐船神社(大阪)、西宮神社(兵庫)の東宮・斎宮と同じような形が高知にもありまして、高知の場合は西宮に巨大な獅子岩、東宮に三体妙見の山があります。このすぐ南に女体神社を含む石土神社(父)・女体神社(母)・新宮神社(子「若宮」)のセットがあります。ここは十市皇女の伝承地でもあります。
以前に北方の守護とオリオンでも詳しく書きました。
さらに面白いのは、前述の延喜式内社でもある石土神社は、石鎚神社の元宮を主張しており、現に西四国においては石鎚神社よりむしろ瓶ヶ森という隣の山の方が古代には行場が栄えていたようなのです。それが妙見となんの関わりがあるかというと、実は、この瓶ヶ森は男山・女山・子持ち権現山という聖なる三位一体がご神体になっているのです。山頂には瓶壺という聖なる小さな瓶のような泉があるのです。天神が生殖して水も子供も産み落としてくれるのです。(この子供が実は桃太郎)
その何が問題なのかと言いますと、後期大和朝廷が父・母・子の聖なる三位一体を権力で封じ、隣の石鎚山の天孫降臨の磐船を、万世一系の道具として使おうとしていたのではないかということです。結局、天孫降臨の地は高千穂に設定されますが、当初は四国内で配置換えを行って撹乱させようという戦略が朝廷内にはあったように思います。ですから日本書紀では、ニギハヤヒは少しの言及で終わっているのです。そもそもなぜ神武天皇は自分がニギハヤヒであると宣言しなかったのでしょうか?前任者がおり、王位を譲ってもらったとするよりも自らが初代大王であるというほうが簡単なはずです。
これには深い深い意味があるのです。神武天皇のエネルギーよりもニギハヤヒのエネルギーが大きい場合にだけ日本書紀の方程式は成り立つのです。神武天皇にも祟りの観念があったことが伺えます。だからこそ完全な破壊はせずに封じる形で祀る、というような封印祭祀が至る所で見受けられるのです。
完全に壊したいけれども、その度に祟りに襲われる。日本において巨石や巨木に纏わる祟り話は枚挙に暇がありません。それほどニギハヤヒ時代の人たちは大地と連動した巨石祭祀を行っていたわけです。九州のこしき石なんかは、その代表的なものでしょう。
ちなみに女体神社は関東に意外とあり、氷川神社もその信仰と関わっています。おそらくは筑波山も日光もこれらと深い関わりがあったのだと思います。
これが三体妙見のかなり古い形ではないでしょうか。
その三体妙見を開くためにまずは、住吉の上筒男にもなっていると思われる南伊豆・秩父ライン。これが重要です。秩父には今年の春分に訪問しています。三体妙見は宇佐神宮の根源(大元)の祭祀です。この宇佐大元の祭祀と土佐三体妙見、氷川神社三体妙見がつながるのは、神智学者にとっては垂涎の対象ではないかと思います。
そのラインの瀬織津姫パイプを太くして、大地の浄化と祓い、そしてこの日本列島に住む皆さまの夏越の大祓いをさせて頂くこととなっています。
おそらくは、3つの彦山のラインには、この結果、同じことが起こってくると思います。
相模・伊豆と宮島が瀬織津姫、千葉と岡山が玉依姫、そして千葉・秩父と兵庫が妙見菩薩と関わっているのは単なる偶然ではないでしょう。九州にもこのようなラインがあると思います。
これらが連動して動いています。
来月には日食がありまして、玉に呼ばれていますので、千葉に訪問することになります。ここはおそらく岡山の何かと連動してくると思います。
龍が水を欲していたので、水を天に上げることによって、あるいは海から玉を天に上げることによって、天から桃が降ってくるかもしれません。
おじいさんは芝刈りに鎌を持っていったので、鎌(釜)がないとだめでしょうし、おばあさんは川に洗濯に行きましたから、禊と祓がないと桃太郎はどんぶらこどんぶらこと流れてこないということらしいです。
鎌は既に諏訪大社や佐久奈度神社でエネルギーリンクしましたし(鎌で裂いて出てくるのがコノハナサクヤ姫)、禊は瀬織津姫でやっていますので、来月以降、その結果がわかると思います。それを受け取るために私たちは夏越の大祓いをしてかなくてはならないということなんですね。
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6月30日 七越の大祓いエナジーワーク ~七色の輝きに向けて
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hibiki の個人セッション では、お客様が日常生活の中で受け取りましたメッセージの解読なども行っています。石から声がする、急に~へ行かなくてはいけないような衝動に駆られる、などの現象が発生している場合は是非一度お問い合わせ下さい。
室山熊野神社という神社と、その磐座と、船着き岩とよばれる磐と、その後にみえる△の山・・・。
夏休みの旅行で友達親子と行くので、巡礼の旅ではないんですけど、此処には行こうと思っています。
△の山も、船着き岩も見ていないので何とも言えませんが、あの山の中に海のお話が眠っているのがとても不思議で、とても楽しみです。虫よけは持って行こうと思います^^
川を挟んだ対岸に女神を祀る神社があれば完璧です。そこが斎宮です。麻生神社という神社がありますが、そうでしょうか。
関西の場合は、斎宮に瀬織津姫が祀られています。そのさらに裏にはイザナミが隠れています。高知の場合は斎宮に三体妙見があって岩を裂いて清水が出てきているコノハナサクヤ姫が祀られています。
それが八女の女神信仰と英彦山とつながってくるとかなり面白いことになります。これは明らかに天智朝以前の天の川祭祀なので、天武朝の八代妙見とは何か因縁があったと思います。
少しずつ私も気をつけて調べてみたいと思います。また訪問後の感想なども聞かせて頂けるとうれしいです^^
>あの山の中に海のお話が眠っているのがとても不思議で、とても楽しみです
このイカルガ峰を取り巻く話はかなり古い時代のもので、縄文海進という縄文時代の海面上昇の時代にも起源が遡れそうです。
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/special/267_data/index80.html
↑上のサイトで九州を海進7mで設定してみてください。星野村のすぐ近くまで海が迫っています。縄文海進は4mとされていますが、実際のところわかりません。日田の深いところまで海であった可能性もあります。
色々と調べてみますね^^
いつもお世話になっております。
少し気になりましたので、コメントさせていただきます。
弥彦神社と国上寺の間に、香児山という小さなお社があり、この地に最初に降り立った。と、あります。
そして、何故か信濃の国二ノ宮が塩尻と辰野境にあります(小野神社)と(矢彦神社)で、矢彦神社には、天香児山命が祀られています。
以前からどうしてこちらに矢彦神社があるんだろうと不思議に思っています。
二つの神社は、もともと、一つの社叢だったのですが、秀吉時代に地元領主の土地争いで、別けられてしまいました。
~弥彦神社には、何回か参拝しましたが、やはり、祓戸神社がありました。
古代祭祀をとどめる場所には、だいたい残されている気がしました。~
>何故か信濃の国二ノ宮が塩尻と辰野境にあります
ここはとても重要な神社ですね。
>~弥彦神社には、何回か参拝しましたが、やはり、祓戸神社がありました。
古代祭祀をとどめる場所には、だいたい残されている気がしました。~
小野神社も基本的には祓戸系です。近江の小野も武蔵の小野も瀬織津姫系統です。
やはり、瀬織津姫と矢彦は深いつながりがあるようですね。今度そちらの二之宮には行ってみなければと思います。
ありがとうございました。
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