逢坂の逢瀬で少し触れたアマタラスですが、もう少し広げてみます。
この『アマタラス』という語にどれだけの哲学的含蓄があるか書きます。
祝!鶴亀ラインにも書きましたが、鶴というのは吊るすのメタファーであり、亀というのは噛むのメタファーでもあります。
そして、『吊るす』は天から吊るし上げるという視点があり、天に主体があります。替わって『噛む』は大地へ引きづり降ろすという視点があり、地に主体があります。
この2つの力(主体)が拮抗する時を『寿』(琴弾き)と呼びました。
そのような視点で、『アマタラス』を見てみましょう。
天が充足する(アマタラス)という時、視点があるのは、大地です。天に視点があって天が満つる時はアマタラスではなく、アマタリルです。
そして雨を垂らすというアマタラスの視点はというと、天に視点があります。
ここでお気づきの人がいるかもしれませんが、アマタラスという語は、一語で天と地の両方の視点を獲得できるすさまじい語なのです。
言ってみれば、吊るすと噛むが共存しているようなものです。
この言葉(アマタラス)が、古代においてどれだけ『寿』であったかを想像する事は簡単でしょう。しかもこの裏に存在するメタファーは『感謝と恵み』なのです。地上の人間が天に感謝することによって、天からはその礼が恵み(メグミとメガミは同一起源語)として降りてくる。そういう純粋で素朴で且つ哲学的な人たちが私たちの祖先には、いたのです。縄文の奇跡とも言っていいでしょう。
日本語にはこういう効能を示す語がたくさんあります。
アマは天と雨と海を表します。すべて同じ水のエレメントでつながっています。この場合の天とは北極星を中心とする天です。
ヒは日であり火であり、東のヒであり、左のヒでもあります。
ミは水であり『見』であり、『実』でもあります。
日本語には、ものすごい叡智が隠されています。
政治的な理由で創作されたアマテラスを持ち上げても真実は出てこないでしょう。
古代においては天と地は平等であり、天からだけの視点しか持ち合わせていない神は、創作であるといってよいでしょう。
ニギハヤヒは地上から日を握るという視点があります。そして天照国照(アマテルクニテル)アマテラス・クニテラスという視点を得ていくのです。
西洋哲学を超越する哲学的思考がなければ、日本の古代に入っていく事はできません。それほど日本の古代はエレメントに対する深い理解と自然に対する深い愛情を持っていたのです。
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