クレナヒ(紅)、ムスヒ、ヨワヒ(齢)、ナオラヒ(直会)、ワラヒ(笑い)、ウレヒ(憂い)、ウケヒ(誓約)、アクヒ(欠伸)、アサヒ(朝日)、ユウヒ(夕日)、ハラヒ(祓い)
神名では
ニギハヤヒ、タカムスヒ、カミムスヒ、アメノホヒ
国名・神社名では
キビ(吉備)、ヒタチ(常陸)、ケヒ(気比)
おそらくは日ノ本国と関係が深かったと思います。
霊も「ヒ」と呼びますから、人間の根本的な何かを表していたのだと思います。
そしてそれを祭祀して国を建てていたのだと思います。つまり、祭政一致ですね。
その祭祀の根本としては、太陽と月の運行と人間の成長を重ねた、大歳神の信仰がベースにあったのではないかと感じます。
興味深い部分は、紅(クレナヒ)が紅一点という紅(コウ)に移行している点です。
コウは、神/皇を意味しますけれども、上の日ノ本国の祭祀の中ではむしろ”下がる(夕日)”を意味していたということでしょう。
ここはものすごく重要なところで、日ノ本国にコウをもたらした氏族は、日ノ本国の紅(クレナヒ)とうまく結合させながら、自分たちの※エリュシオン※の信仰を古代大和で確立していったということです。
以前にも書きましたが、プラトンは※ヘラクレスの柱※の西方にアトランティスがあった、と語っていました。
この哲学が日本にも入っていたということです。もしくは日本から地中海にもたらされた。
日本における地中海は瀬戸内にあたりますので、ヘラクレスの柱はちょうど祝島付近になります。
その先に島があったのですが、その島はほんとうに地震で沈んでいるのです。
この沈没伝承は比較的最近のことですが、私はもっとたくさんの島があったのではないかと思っています。
それほど、四国/九州/本州で三角に囲まれたあの地域は非常に怪しいのです。
だからこそエヒメやイヨという響きは、女神を表しているのでは?と思うのです。
それと紅白は元々、日ノ本国では、シラム(朝)+クレナヒ(夕)だったと思うのですが、いつしかシラが白に変わりました。ハクは白になり吐く(風)をも意味するようになったのですが、『記・紀』に少し、書かれていますが、この国を最初に治めた大王をハツクニシラスと呼び、大王の隠語は”高知らす”とされていました。
元々、日本にいたシラの氏族とオリエントからやってきましたハクの氏族というのはものすごく上手い具合に融合していたと思います。だからこそ、誓約(ウケヒ)という語が日ノ本国のほうから導きだされたんだと思います。
つまり、日ノ本国と倭国を統合しよう!という意味です。
日の丸の国旗の裏には、ものすごく複雑な歴史と2つの巨大な宗教グループの愛の物語があるわけです。
倭国の紅(皇)一点の女神信仰、そして日ノ本国のシラの※九十九神※信仰。
(日ノ本国のシラの出来方も実は単純ではないです、北欧神話とヒンドゥーが入ってきていますが、それは別項を参照ください。いずれにしてもベースは縄文のヴィーナス信仰です)
この2つの宗教グループを上手く取り持ったのが、黒潮の海人族:賀茂氏ではないかと思います。
彼らが持っていたフェニックス(不死鳥)信仰というのは両者をつなぎます。
そして私たちは”日はまた昇る”の古代大和の心性を手に入れたのでありました。
国が常しえに立つクニトコタチの精神もそこから出たものでしょう。
やればできる!全然違う信仰を持ったもの同士でも誓約をやれば仲良く暮らしていけるのです。
古代大和はそういうことを成し遂げているんです。現代に生きる私たちができないわけがありません。
ヤマトタケルが伊吹山の白猪にあたって亡くなられて白鳥になったというのは、明らかに日ノ本国(九十九神)の同士討ちの話だと思うんですね。でもこれを作ったのは倭国ではありませんよ^^;
楽しくいきましょー♪
※印で囲んだリンクは全て『ウィキペディア(Wikipedia)』からの引用
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サトゥルヌス『ウィキペディア(Wikipedia)』に関しては何度か言及していますが、もう一度。
古代ローマで大地神を祝う祭りが毎年12月に行われていました。しかし、ある時からこの土神は封印されてしまいサタンという名のもとに差別を受けるようになりました。堕天使ルシファーが生まれたのも、この土神の堕天と関係しています。
日本では『土』という文字が、サトゥルヌスを表しています。全ての生命は土から生まれ土に還ります。これを漢数字で十から一に還ってまた始まるという意味を与えて土(11)。そして、それが土を表す文字に当てられて『土』が破壊と再生を意味するものとして認知されるようになりました。
土佐が、なぜ破壊と再生をあらわすシヴァの国で、九十九洋を擁する弓月国であるのかは、この土に対する説明でも理解ができます。
前回、トリムールティと葦原中国で書いたように、九十九(四国)から百(富士)に進む過程は、11月下旬から12月中旬にかけて収穫祭から冬至(太陽神復活)までの期間と合致します。サトゥルナリア祭も12月17日から7日間行われ、日本では新嘗祭が11月23日に行われます。そして西洋では冬至がクリスマスになり、日本では柚子風呂にそれぞれ変化していきました。起源は同じです。
サトゥルヌスをイタリアに迎えたのが実はヤヌス『ウィキペディア(Wikipedia)』という両面の神。入り口と出口を同時に表す神で、すなわち生と死、インド的にはシヴァを表す神様なんです。
漢数字で表すと十一(十が終わって一が始まる)、漢字では土(土に還って土から始まる)になります。
この『土』が土佐と関わることは今まで言及してきたのですが、もうひとつ重要なところが美濃(岐阜県)の土岐氏です。岐阜県には未だ、両面宿儺『ウィキペディア(Wikipedia)』の信仰が残っており、ギリシャ神話において土神・クロノスが時間の神・クロノスと同じ響きを持っているように、土岐氏の土岐(とき)も、時間の意味と土神の意味を両方持っています。さらにヤヌスを表すような両面宿儺伝説があるのは決して偶然ではないでしょう。
土岐氏は五摂家の一条氏と非常に密接な関係があり、応仁の乱時に一条兼良が美濃に、そしてその長子一条教房が土佐に下向したのは、その背後に”土”信仰がベースにあったことが伺えます。長宗我部元親の正室は美濃斉藤氏の支流・斉藤利三の妹ですし、利三の兄弟も信長没後に土佐に入っています。この”土”つながりが本能寺の変のバックにあったのですが、光秀がキリシタンであったように、”土”だけでなく秦氏を中心とする原始キリスト教グループが(一条教房が下ったのは幡多ですから)ギリシャ・ローマ神話を知っていたことはほぼ確実であろうと思われます。
しかもそれが五摂家の話ですから(五摂家というのは摂政・関白の地位につける5つの家柄のことです)、ことはかなり重大なのです。関白は天皇の代理という意味であり、現在でも天皇は、即位の前に大嘗祭を行います。この大嘗祭こそ、サトゥルヌスの中のサトゥルヌスを祝う宮中儀礼であり、冬至の太陽神復活を祝う前段階のものなのです。
七曜の『金⇒土⇒日』の流れが、新嘗祭(稲穂の金)⇒土神への感謝⇒太陽(日)神の復活に見事に一致しているのです。
古墳時代に土で作った埴輪を並べたのは明らかに、この”土”信仰から来ており、埴輪を並べることによって太陽神復活を願ったわけですから天皇の復活を願ったということなんですね。また古墳自体が土への信仰を表しているので、古墳時代の終焉が土信仰の衰退を意味しているだろうと思われます。少なくとも8世紀には西洋において土天使・ウリエルが4大天使から外され異端視されるようになりました。
日本の古墳の起源は卑弥呼の復活を願い続けた軌跡かもしれません。そうこうするうちに土に対する信仰が薄れ、仏教が人々の心を捉えるようになった、ということではないかと思います。地方の古代寺院は後期古墳群のすぐ近くに建てられていたことを考えると、この説もかなりの説得力を持つだろうと思います。
土神がやってきて、日神がやってきて、次に月神がやってきます。
年を落とす年神は日本で大歳神と言われます。英語で一月はヤヌスの月、すなわちJanuaryなのです。
日本で月曜日の月(げつ)は月(moon)を表し、月型の湾を持つ土佐に”土”の字があてられているのは決して偶然ではないのです。そしてそこに弓月国から渡ってきた秦氏の秦王国である波多国が存在し、そこから聖徳太子の懐刀の七星剣が出土し、応仁の乱時に一条氏が下向したのも偶然ではないでしょう。
日ノ本国の祭祀は、インドの音の祭祀とオリエントの古い七曜の祭祀です。
縄文の日月星・鶴亀信仰をベースとしながら
(日=富士山、月=四国、星=白山 鶴=北、亀=南)
その上に前回書いたインドのトリムールティが重なり
(ブラフマン=富士山、シヴァ=四国、ヴィシュヌ=白山)
それと前後してシュメールの七曜も入ってきており下記のような祭祀が、ほぼ中央構造線沿いに出来上がっていたものと思われます。
月=土佐湾
火=剣山
水=鳴門
木=紀の国
金=三河(金の稲穂を持って神島を渡る因幡の素兎)
金烏と玉兎(金の鳳凰「鳳来寺」と稲田姫「豊川稲荷」)
土=美濃・飛騨・穂高(両面宿儺・八面大王・生島足島神社)
日=富士・常陸
『日は、また昇る』とイメージする時、富士をイメージする場合が多いのは、この時代の名残だろうと思います。
またこの七曜祭祀は、天の川祭祀と同じように、各地方で入れ子のように至る所で行われていたと思います。
卑弥呼は、火と水の巫女であり、つまり剣山と鳴門に土着していたという意味になるでしょう。鳴門は主に淡路島と神戸に土着するナガスネヒコグループで統治されており、神武(天武)東征においては、どうしても神戸を攻略できずに伊勢側から畿内に入っています。
時系列的に少しおかしくなりますが(これからの課題)、日ノ本国を侵食して原始キリスト教と近代的天皇制を持ち込んだ秦氏・加茂氏グループですが、鉄・文字・銅矛祭祀を中心とし、クニの概念を持ち込んだのではないかと思います。
フェニキアとローマは、カリュブディス『ウィキペディア(Wikipedia)』という渦潮を擬人化したイタリア本土とシチリア島の間のメッシーナ海峡近くで激しい戦争を繰り広げました。(ポエニ戦争『ウィキペディア(Wikipedia)』)
カリュブディスはギリシャ側からは怪物として神話に現れますが、フェニキア人からは蛇神として信仰されていたのではないかと思います。とぐろを巻いた蛇のモチーフは日本の神社にはよく見られます。地中海のシチリア島を巡るローマとフェニキアの制海権の争いは、淡路島を統率したものが瀬戸内の制海権を握ることができるという瀬戸内を巡る攻防の中にも見出すことができます。(源平合戦や藤原純友の乱)
シチリア島『ウィキペディア(Wikipedia)』=淡路島
鳴門の渦潮=メッシーナ海峡のカリュブディス(渦潮)
シチリア州の国旗三脚巴=秦王国の国旗蹉跎(アクエリアス安曇)
秦王国佐田岬(愛媛県):足の形=フェニキア人が支配下におきたかったイタリア本土:足の形
シチリア島のトリナクリア(3つの岬)
パレルモ=北淡、メッシーナ=鳴門、シラクサ=由良・名草
神武天皇に抵抗した長髄彦(ながすねひこ)は長い脛の神格化。おそらくフェニキアと何か関係があるでしょう。フェニキアが日本の先住民族と融合した後に西から新たな勢力がやってきたと考えるのが合理的。縄文とフェニキアが融合した時にある程度の神話体系が整っていて、その後、神武東征紀が付け加えられた可能性が高い。
フェニキア人が熱狂的に信仰していたとされる2本の柱は、イザナギとイザナミがそれぞれまわる柱に相当します。ヘラクレスの柱『ウィキペディア(Wikipedia)』が最も有名です。縄文の典型的な信仰は、飛鳥坐神社の種付け神事に見られるようなまぐわいものです。それに柱が加わっているのは地中海沿岸の文化が流入してきていたと考えられます。縄文の心御柱信仰とうまく融合したようです。戦争による民族離散時期や航海能力から考えるとフェニキア人が最も妥当でしょう。
またヘラクレスの武器は不滅の鉄鉾、フェニキアが関わっていたとされる秦王国の文化圏は銅矛文化圏。現在でも波多国では銅矛を使った神事が行われている。
フェニキア人が勢力圏にしていた地中海の西岸レバノンから地中海東岸のジブラルタル海峡までの距離のたったの3倍(1往復半)の距離で日本まで来ることができます。スエズ運河『ウィキペディア(Wikipedia)』は紀元前2000年頃には既にあったようですからに日本まではパキスタンのカラチ、シンガポールで一息すれば陸つたいで意外と簡単に来られたでしょう。
****黒字部分は引用*****ちょっと一息****
カルタゴの提督ヒルミコ(卑弥呼)は、「波と波の間の谷にたくさんの海藻が育ち、それは茂みのように船の航行を遅らせる(中略)海獣たちがあちこちでのろのろ動いていて、のろのろ進む船団の間を、巨大な怪物がだらだらと泳いでいる」(淡路島と垂水の間の海峡にたくさんの海藻が育ち、それは茂みのように船の航行を遅らせる(中略)第六天面足やカシコミたちが垂水付近で人型に成り始めていて、のろのろ進む船団の間を、西宮のえべっさんが笑いながら泳いでいる)
****黒字部分は引用*********************
神世七代にもシュメール(後継のバビロニア)の七曜の考え方が入っており、それらが縄文の信仰とうまく融合しているのが日本神話のおもしろいところでしょう。
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聖音オームについては、過去に一度書きましたが、今回はもう少し掘り下げて書いてみたいと思います。
(参考⇒聖音オーム、そして三輪)
オームはaumと書き、『a』が維持を表し、『u』が破壊を表し、『m』再生を表しています。
これを月(moon)で表しますと、月が満ちている時にアーという言葉を発し、満月になって月が欠け始めた時にウーという言葉を発し、新月にム(ン)で括られるということになります。
今年は昨日(2月14日)が、ム(ン)の元旦であり、ついたち『ウィキペディア(Wikipedia)』でした。
神社には狛犬が祀られており、これも聖音オームを表している場合があり、ア・ウンとも呼ばれます。
日本のアカサタナは、この聖音オームの括りに様々な音を入れ込んだのが起源となっているでしょう。ヒフミやイロハはこれとは根底にあるものが違います。
しかし、『ヒンドスタニーミュージック』シェイラダール著 中村 仁 訳 (J.I.N Music Association)に書かれていますが
********************引用はじめ***********************
インド哲学は本来「音の本質」というものに関心を示し、インド音楽と深い関係を持っている。特にヨガやタントラでは、この現象的な世界において絶対的な創造物である太古からの音、ナーダ・ブラーマン(Nada Brahman)があったと信じられている。ナーダとは最も緻密な要素で構成された宇宙の音、そしてブラーマンの創造する力のエネルギーはまた、ナーダ(音)あるいはシャブダ(Sabda 言葉/音声)という意味付けもされる。
ヒンドゥー教の概念によれば、音というものは二種類あると考えられる。ひとつはアナハタ・ナーダ(Anahata Nada 非物理的な音)でこれは単に五感に感じる音ではなく、精神や魂を通じて心に響き渡る音という性質のものである。ふたつめはアハタ・ナーダ(Ahata Nada 物理的な音)であり、アナハタ・ナーダの性質と非常に意味を異にするものである。
このように、インド音楽の起源は深く精神的でありまた宗教的である。また、ほとんどの神や女神は音楽やリズムの性質に基づいて、何からの形で象徴的に関わっている。創造の原動力であるブラーマは、ビーナーを手にしたサラスワティーとして崇められているし、シヴァはダマール(太鼓の一種)と共に踊り、クリシュナは彼の崇拝者を美しい竹笛で魅了する。このように全ての神性の具象化には、伝統的な歌や踊りで彩りがなされてきた。
********************引用おわり***********************
アナハタ・ナーダ(Anahata Nada 非物理的な音)とアハタ・ナーダ(Ahata Nada 物理的な音)の考え方は、日本の古い古い信仰の中に重なる信仰です。
昨年12月の連続地震前夜に感じたウズメの腰ダンスで鈴が鳴っている音は、非物理音のアナハタ・ナーダであり、それがタクハタ王女(白山・北極星)につながり、12月末から年初にかけて御杖が建ちはじめ、物理的な音・アハタ(八幡)ナーダとなって、愛知県(葦原中国)に現れてきているのです。
おそらくこのインド哲学根本の音信仰は、日ノ本国に取り入れられていて銅鐸文化の根幹を成していたと思われます。
これは、前回、阿弥陀如来と弓月国で書いた伊勢湾を日ノ本中央とし富士・常陸を『日』とし、四国九十九洋を『月』とし、白山を『星』とする、そして中央構造線沿いに日迎え・日送りを行っていた日ノ本国の祭祀とかなり高い親和性を持っているのです。
後世のヒンドゥーでは「a」は維持神ヴィシュヌ、「u」は破壊神シヴァ、「m」は創造神ブラフマーを表し、全体として三神一体(トリムールティ)の真理とされますが
日ノ本国に照らし合わせてみますと
「a」が白山でイザナギとイザナミをくくるククリヒメ。しかも維持神ヴィシュヌは鳥神ガルーダに乗っており、能登半島を鶴の頭とした鶴信仰に重なる。またヴィシュヌの妃はラクシュミである吉祥天、吉祥天は北を意味しますからこれもがっちりと合理性があります。
「m」はブラフマーで不死身の太陽神・富士山。創造神ブラフマーはハンサという白鳥にのった老人とサラスバティ(弁財天)。富士山になぜ日本武尊とコノハナサクヤ姫が祀られるようになったかは、ヒンドゥー教で解決できる。コノハナサクヤ姫はコノハナ(磐)を裂いて出てくる水、つまりイチキシマヒメであり弁財天。
そして「u」は、破壊神シヴァ。四国九十九洋中央部のシヴァの乗り物ナンディンを表すような牛型の巨石があり、その麓に日本初の天満宮がある。(参考⇒天満宮と北極星)また、シヴァの漢訳である大黒天に関する伝説が多い。
そして四国南西部で、月をあらわす大月町、四国88ヵ所「発心(阿波)・修行(土佐)・菩薩(伊予)・涅槃(讃岐)」の内、修行の最終章で死と再生の分岐になる第38番札所 蹉陀山 補陀落院 金剛福寺(こんごうふくじ)、そして 白皇。白皇を数字に分解すると99+111=210(詳しくは白寿・皇寿を参照されたし) 二百十日(にひゃくとおか)『ウィキペディア(Wikipedia)』は立春から起算して災いがもたらされる日。210はシヴァを表す。土佐国一之宮の最大の祭り・しなね祭は二百十日(にひゃくとおか)直前に風神を鎮めるための祭り。
土佐神社の主祭神・一言主は、悪事も一言、善事も一言、言い離つ神。「u」と言い離てば、善も悪も全てが破壊されるという意味。その後、波多国に入ってきた加茂氏が掲げた神・事代主は、はじめに言葉ありきの西洋の神。出来事と言葉を同じものとして捉えていた非常に哲学的な民族。はじめに音ありきのインドとは一線を画す。
一言主の神格の一部を事代主が引き継ぎましたが、根底は『聖書』と『ダンス』で少し違う。前者は男性的で後者は女性的。聖音オームで統合する必要があるでしょう。
このインドのトリムールティが適用された場合は、「u」が99で「m」で100となる。すなわち九十九神が四国九十九洋で百が富士となる。隠れた桃の産地である山梨は実は古い歴史があるのではないだろうか。
100でリセットされ白山・立山に戻る。立山からは日本最高峰の富士山が見え、白山以西で西日本最高峰は石鎚山。石鎚山には平安時代まで三位一体の信仰があり馬場が栄えていた。
ヤマトタケル信仰が東日本に多いこと、神功皇后伝説が西日本に多いことは、東のブラフマンと西のシヴァで解決できる。
モーセ『ウィキペディア(Wikipedia)』は、シナイ山で神(大天使ミカエルと言う説あり)から石版2枚の十戒を受けた⇒はじめに言葉ありき
アマテラスを天岩戸から出すために、①オモイカネは常世の長鳴鳥(鶏)を集めて鳴かせた ②アメノウズメが岩戸の前に桶を伏せて踏み鳴らし ③高天原が鳴り轟くように八百万の神が一斉に笑った⇒はじめに音ありき
こう考えると、天岩戸神話は倭国ではなく日ノ本国(銅鐸・音文明)の神話であることがわかります。
弥生時代後期にシヴァ国(月国)が銅矛文化圏の侵略を受けて、次第に倭国を形成していったということがわかります。
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紅白(コウハク)の日の丸に書きましたが、日本の古代において太陽は白で認識されていたのではないかということですが、シュメールでも太陽は白いものとして認識されていたようです。
それとシュメールには月神シンという神さまがいますが、これは日本における心御柱(シンノミハシラ)になんらかの影響を与えていると言っても良いと思います。
そして、性描写についても日本とシュメールはかなり似ているところがあります。
シュメール人は突然やってきて文明を打ち立てたということですが、黒髪・黒い瞳であったようです。
メソポタミア流域にはシュメール人と似ている民族がいないのにも関わらず、遠く離れた日本人と深い部分で似ているのはやはり奇妙でしょう。
縄文時代には白い岩が神聖視されていたことを考えると、シュメール文明の起源が縄文文明にあると推測しても決して馬鹿げたことではないと思います。
そして、古代オリエントの数々の文明がシュメール文明に端を発しているからこそ、日本に渡来してきた古代オリエントの様々な文明が縄文文明と結合したという豪快なロジックも成立するわけです。
調べれば調べるほど、日本の古代とオリエントの古代は直結しており、関東の古墳からはシュメールにつながる金製品の出土が確認されています。
国内最古の戦傷人骨で有名な高知県土佐市の居徳遺跡群ですが、ここからは古代東北と密接に関わる古代漆の器も出土し、国内最古の木鍬も出土しています。この居徳遺跡では3千年前は少なくとも四国と東北は同じ文明圏にあり、渡来人の文化がその文明圏の脅威にはなっていなかったことが伺えます。この頃の文化の中心は東北であり、その最も最前線であった高知が金属器を持った集団に狙われたということになると思います。なぜなら東北と四国が一体化するほどの文明には黒潮は必須であり、朝鮮半島にも抜けられる四国が東北の管理領域の限界になるのではないかと思うからです。
東四国で弥生の国風化が最も早い段階で成し遂げられたことを考えても、東北の縄文の力が実際的な力として機能していたのは四国の中心部までではないかと思うのです。結局このライン(古代東北の勢力範囲)がその後の銅鐸文明圏の境界になり、高知県中心部で銅矛文明圏とせめぎ合っているのです。
居徳(いとく)遺跡(知恵蔵)
また突如として、縄文祭祀を行わない人たちも近くに出現しており
【試行私考 日本人解剖】第3章ルーツ 民族の形成(1)(産経ニュース)
古代オリエントの人々は、少なくとも3千年以上も前から渡来して縄文人と小競り合いをしながらも融合していきましたが、弥生時代の幕開けとされる時期に朝鮮半島から大量に渡来人が渡来してきたと仮定することもできると思います。
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なぜ、紅白(コウハク)はめでたいとされるのでしょうか。良く考えて見るとよくわからない認識です。なぜ紅と白が縁起が良いのでしょうか?
私なりに書いてみたいと思います。
この紅白の起源は日ノ本国に遡るようです。
以前、白については下記記事で詳しく書きました。
フレイ・フレイヤのつづら織り
日本における白とは、太陽神のエネルギーを表しており、太陽がシラムの白です。これが紅白のハクであり、ベースになっています。日本人が米に執着するのもここから来ています。
そして紅(コウ)ですが、これも何度か触れましたが、コウを突き詰めていきますと、最終的に何に行き着くかと言うと、獅子岩なのです。
狛犬が鞠に手を掛けているのを良く見かけますが、あのように獅子は太陽を治める象徴として捉えられていたようです。この獅子信仰における太陽は紅です。
そうです、紅白は両方とも、太陽神を表す色で、それが日本で習合したのです。この紅の太陽神はおそらく古代オリエントからの渡来だと思います。今後はエジプトと仮定しておきます。
これが日の丸の平面的な領域で、立体的な領域として『日はまた昇る』と『何度でも甦る』という動的な認識も同時に与えられています。
『日はまた昇る』というのはフェニキアのフェニックスの要素であり、『何度でも甦る』というのは
太陽神と不死
で書いたように、縄文からの不死(富士山)信仰なのです。
このように、日ノ本国(日の丸)は縄文・エジプト・フェニキアの3つの文化によって成立しています。
エジプトにもフェニキアにも蛇信仰はありましたので、倭国の蛇・龍信仰(シュメールの末裔とインドのナーガ、中国の神仙思想)と誓約できるベースがあったのです。
その2つの国が合体したときに大和(邪馬台国)が誕生したのです。
国常立の国が常しえに立つというのは、日ノ本国の不死信仰であり、それを双龍が立つという図形で表現したのは倭国でしょう。
このように紅白(コウハク)には古い歴史があり、日ノ本日本人が生まれる元となった思想が眠っているのです。
縄文は母系文明ですから、エジプトの猛々しい獅子信仰と、戦争で培われた不死身のフェニックス信仰がなければ、日本における先住民族は一瞬で死に絶えていたでしょう。
しかし、縄文・弥生時代においても日本にはインテリジェンスあふれる巫女がいたのでしょう。新たな信仰を吸収し自らの血肉とすることによって、さらなる発展を試みたのです。
だから私達の文明の基層には途方もない古い時代の記憶が眠っているのです。日本人は思い出すだけで良いのです。
紅の太陽と火のフェニックスを結合させた白の縄文を。
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