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古代神や古代聖地をご紹介し、神仏基に対する信仰を再生して頂くお手伝いをしています。
  2024/11/24 [20:34] (Sun)
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  2009/03/19 [23:38] (Thu)

フレイ・フレイヤのつづら織りにも書きましたが、太陽神と大地母神の結婚譚ですが、もう少し、高知の朝峯神社で読み解いていきたいと思います。

高知県にあります朝峯神社は浅間神社の勧請であるとされていますが、つじつまが合いません。

富士山周辺における浅間信仰とは富士山そのものの神格化であり、高知の朝峯神社のように、県内の酒造メーカーが挙って女陰石から湧き出す水を酒に入れているというような信仰は、浅間信仰ではなく、どちらかと言えば、修験道的であり、縄文的な感覚です。

そもそも、この朝峯神社は富士山と呼ばれており、湾の反対側の『孕のジャン!』と組み合わせれば、太陽神をおびき寄せるために、酒を造り始めたというストーリーが浮かびあがってきます。

祭神はコノハナサクヤ姫ですが(コノハナは岬を意味し、サクは裂くという意味)、海に突き出したコノハナの先端に女陰石があり、そこから湧き出す水を、酒に醸造させて太陽神に差し出す。そしてそれを太陽神が受け入れれば、大地は連綿と命をつなぎ、大地と太陽神の誓約によって、大地は不死身となるのです。この不死身の信仰を生み出すコノハナの山が不死山(フジサン)として呼ばれるようになるのは必然でしょう。

徐福が求めていたのはこの縄文の太陽信仰のことではないかと思います。


こういうストーリーがこの朝峯神社の祭神・配置・古信仰から浮かび上がってくるのです。


古代の日本人は、単に男根を意味もなく祀り上げていた未開人ではなく、非常に論理的で現実的な信仰を持った哲学性に富む人種であったことが伺えます。

生命誕生の感動と、命への感謝が、このような素晴らしい信仰に向かわせたのでしょう。

この太陽信仰にはファラオ(王)は存在せず、人間も他の生命と同じレベルで見られています。ただし、白髭のツクモガミはいます。そのツクモガミであるオサ(長)がクニを統制していたのでしょう。


従ってこの太陽信仰はオリエントの太陽信仰が入ってくる前の純粋な縄文太陽信仰と言えるでしょう。

日本にファラオは必要ないのです。全ての生命は同等なのですから。





太陽神でさえ縄文人は特別視してません。神格化させていますが酒で釣って、大地と性交させて自分達の住む土地を安定したものにしようとしていたわけですから、ものすごく論理的です。

神は神という機能を持つだけで、存在という意味においては、人間と変わらないと考えていたわけです。このスタンスは驚きでしょう。かなりのインテリジェンスがないとこういう風にはなりません。

野蛮人・未開人というのは神の神威を感じるとひれ伏したり、恐れおののいたりはしますが、インテリジェンスがあれば、それがどういう存在で私達人間とどう関わっているかを認識できるわけです。

ここに書いてある太陽信仰を行ったとされる人たちは、神を祀ってはいますが、ある意味、科学的であるといったほうが良い部分もあります。

 
 

 

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  2009/03/17 [23:06] (Tue)

これは前にも一度書きましたが、ヒフミですが。


ヒは一で古語はアですね、これは一人称を表し私という意味でもあります。

フは二で古語はソレ(?)、あ、ソ~レであんたと私?、まあとにかくあなたという意味ですね。

ミは三で第三者、客観的に実が詰まっているということを確認できるもののことを指します。

ヨは四で空間、世の中のことを指します。
ミヨ(御世)は実の詰まった世の中のことで素晴らしい指導者が世の中を動かしていく時に使用されます。

イツは五で時の流れを意味します。

ムは六でミの反対の意味で無を意味します。

ナナは七で北斗(星)を表します。

ヤは八で北斗と北極星の合計で満天の星々、数え切れないほどの数を意味します。

ククノツは九でツクモを意味します。ムスヒやククリも意味します。も九で表されます。

トは十で太陽を表します。


十と九と八で日・月・星が表されます。


 

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  2009/03/17 [15:33] (Tue)

古来より日本に存在したとされるツクモガミですが、これも太陽神と密接に関係があるでしょう。

空に浮かぶものを私達は、雲と呼びますが、この雲がツクモガミの本質を表しているのではないかと思います。

古来の太陽信仰では、太陽が地上の全ての生命を生み出していますから、太陽が『十』で全てなのです。その南の太陽に最も近い存在が雲なのです。太陽に届きそうで届かない存在、それが九十九髪(ツクモガミ)なのです。

しかも、雲はもっとも太陽に近く、その光線をどの存在よりも早く多く受け取っています。また、太陽の上に雲が見えれば白髪に太陽の下に雲があれば白髭に見えます。これが白髪神社、白髭神社の創建につながっていったのでしょう。このような光景は南に海を持つ土地でなければ見ることができないでしょう。太陽神と南の海は絶対に切り離せません。


そのツクモガミである雲に接触できる場があります。高い山であれば雲に接触し、九十九髪(ツクモガミ)になれるのです。なので、山は神聖視され、一般人は入山を制限されていたことでしょう。

しかし、九十九髪(ツクモガミ)はあくまでもツクモガミで太陽神(十)になれるわけではありません。太陽神を媒介する最高位の天使と言っても良いと思います。

太陽神が十(トウ)で、戸(ト)になっていくのは自然の流れです。天岩戸神話でも太陽が岩戸内に隠れました。

太陽が雲に隠れてしまっているのです。それを晴らす必要があるでしょう。それには風が必要でしょう。今年末あたりから風が吹き始めるのではないかと思います。今年は丑年ですからゆっくりやっていきたいと思います。しかし、ホ(火・穂)の年でもあり、焼け跡から順に風が舞い上がってくるでしょう。



「八雲立つ出雲八重垣妻込みに八重垣造る其の八重垣を」


スサノオがヤマタノオロチを退治したとされる時に、詠んだ詩です。

ツクモではなくヤグモになっています。八は最大を表しますから、最大級の雲が立ち昇ったということです。ツクモ立つであれば次の十(太陽神)につながるので問題はないですが、ヤグモは明らかに最大級の封印になります。

ヤグモを立たせて土蜘蛛(ツクモ)を討伐する。明らかにヒフミを封印しています。


太陽神やツクモガミは突如として表れるのではなく、認知が広がればアマネクそのエネルギーが広がっていきます。

南に対する深い認知が必要でしょう。


 

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  2009/03/16 [14:28] (Mon)

Hearing&Therapy salon ラ・フレイシアで書いた事が明確になってきています。

フレイズとフレイシアがオランダと何か関わりがあり、それが日本と深く関わっているのではないかという認識を持っていましたが、急激なインスピレーションがありました。

自分が感じているフレイズとフレイシアというエネルギーは、ずばり、北欧神話のフレイフレイヤという男性と女性の双子の神であることがわかりました。

まさに今、この日ノ本国論でも最終関門になっている『月』の問題に解を投げかける重要な神です。


日ノ本国の根幹になぜ北欧が関わっているのでしょうか?疑問はとめどなく沸いてきます。

桃から生まれた山の神で書いたように、日ノ本国で最も古いと思われる、山から卵が降りてくるという認識は、四国の自然地形で全て説明がなされます。

高知県中心部の浦戸湾は子宮の形をしており、その湾に注ぐ川の源流が石鎚山と剣山であり、それが卵巣部分になっています。(現在は土木工事がなされているため両河川とも浦戸湾には注いでいない、また水を広々とたゆたえていた子宮湾、奥の部分も、戦国時代に埋め立てられました。)

男性である太陽神と大地の女神が性交することによって(秩父神社にもこの認識が残っています)、山から神の子がもたらされる。桃太郎神話とミックスすればこういう信仰が浮かび上がってきます。

鯨(イサナ)は『太陽神の精子』(形も似ている)と考えられており、南から内湾の子宮に入ってくることによって太陽神の子が孕まれると考えられていたようです。

太陽神ナルコとイカルガ(参考)


古来から日本で『白』が神聖視されるのは、肌の色を指すのではなく、精液の色を神聖視していたからです。北陸の白山にかかる『白』は太陽神が射精をしたものとして崇み奉られていたと思います。

朝、太陽がシラんで来るのも、太陽神の射精を意味していました。地上における全ての生命は太陽神の射精によってもたらされていると日本では考えられたのです。

そして白い岩が古来より神聖視されるのは太陽神の精子がかかっていると考えられたからであり、またその白い岩の隙間から出てくる白い蛇は、地上における太陽神の使いと考えられていたということもできるでしょう。(あらゆる白い動物にあてはまります、白猪、白馬、白鳥など)


今でも日本には、男根が町を練り歩く神事を行っている地域がたくさんあります。特に有名なのは神奈川県川崎市のかなまら祭り、そして静岡県伊豆稲取のどんつく祭り、愛知県の大縣神社・田縣神社の祭りでしょう。

祭りを行わなくても山梨には陰陽石と称して男根と玉を丁重に祀る習慣があります。山梨の多くの神社の参道に存在する男根石はおそらく太陽神の男根を表したものなのでしょう。

高知の『男根を祀る朝峯神社』は女陰石から湧き出る岩清水から酒を造り、それをオミキとして太陽神に捧げているようです。ものすごく現実的な信仰です。大地から湧き出る水と米(大地母神)を醸造させることによって酒を造り、それで太陽神(男神)をおびき寄せるというのです。それがなければ地上のあらゆる命が循環しないと考えられていたのです。ある意味当たっています。米が入ってるので、これは弥生時代以降の日本の太陽信仰ですね。


これらの信仰は縄文時代にも通じるものであり、日本の正統な歴史をもった人たちによって継承されてきている信仰であると思います。

その日ノ本国の信仰が最も早い段階で北欧神話とリンクしているのは驚きです。エジプトの獅子、フェニキアの鳳凰はその後、日ノ本の守護神になっています。


住吉の『筒』は精液の通る潮流をあらわしています。その潮流とは日本ではほぼ黒潮とみて良いと思います。その筒を使って精子である鯨が日本にやってきます。潮の流れには表層部と中層部と深層部があるのではないかと思います。鯨は中層部である中筒を使って移動しているのではないかと思います。

男根においても中心部の中筒が射精の筒であり、それが白髭大明神と同一視されるのは、ことに合理的な認識であると思います。

日本で塩が神聖視されるのは、太陽神の精子の結晶であるからであって、ユダヤ教の『忌みを払うための道具』ではありませんでした。(後に結合していきますが)

塩土老翁=白髭=サルタヒコ=ヤマトタケル=ニギハヤヒは全て同一の人間を表しており、太陽神の化身だったのではないかと思います。


ツツはツクモ・ツヅラでもわかるように数字の九を表すものであり、終わりを意味しています。しかしそれは新たな始まりも示しており、月読(ツクヨミ)、九頭・国栖(クツ)、土蜘蛛(ツチクモ)などは消された月をも守護する集団でもあったのではないかと思います。

九(ツク)は終わりの始まり、もしくは始まりの終わりを意味しており、死と再生を同時に意味しています。これはククリヒメと同じ意味を持っており、古来の日本には完全なる霊魂の消滅が存在しません。

夜明けの来ない夜はなく、太陽神が毎朝シラむことによって地上に射精され、様々な生命が九(ツク)られていくのです。

ククリヒメはこのクク(九九)のコトワリ(理)を神聖化したものでもあるのです。


始まりである『イヅル』を『イヅモ』にして封印をしたのは、明らかにこういう日本の古代信仰に精通しているものの仕業です。

大地を太陽神の射精によって孕ませないようにするためには、北側に向かう地に封印すれば良いのです。そして太陽が沈む西側に太陽神を祀り、十が一に還らないように、一を九で封印するのです。封印する時に使うのは鎌です、魂をまっすぐ天に還る(『十』)ことを阻害し、湾曲を描かせる(『九』)しかし、完全に0にすることはできませんので、おかしな歴史を延々とループさせる、このような悪質なカゴメ祭祀が延々と日本で続いているのです。
 

北欧神話も子宮の神話の色彩が濃く、日本神話との親和性も非常に高いです。ドイツに存在する男根石やヨーロッパ全域に存在するメンヒルの意味も、日本の古代史によって解かれていくでしょう。

そしてフレイ・フレイヤを解き放つことによって、日ノ本国も息を吹き返すでしょう。


 

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  2009/03/15 [11:19] (Sun)

サの神ラインで書いた日本に存在する2つの大きなサの神ラインですが、プレートの境界線とほぼ重なっているということがわかってきました。

プレート『ウィキペディア(Wikipedia)』

ひとつのラインは南西諸島から四国を抜け佐渡島を抜け、千島列島へと到達しています。フィリピン海プレートの北部と日本に食い込んできている北アメリカプレートの東部をつなぐラインです。

そしてもうひとつは、もろに日本に食い込んできている北アメリカプレートの西部を樺太から相模にまでつなぐラインです。

さらにこの2つのサの神ラインが十和田湖で交錯しているのではないかと思います。なるほど大湯の環状列石の意味がわかるというものです。

湖とはプレートの裂け目のようなところに存在し、大地からの信号を受け取りやすい場であることを古代の人は知っていたのかもしれません。

富士山があるところはちょうどユーラシアプレートと北アメリカプレート、そしてフィリピン海プレートが三つ巴で交錯する場であり、日本一の山を形成したということもうなづける話です。

ただ、今の富士山が完成したのは縄文時代であり、当時の日本人の自然に対する畏敬の念というのは計り知れなかったと思います。

天武朝684年の白鳳の大地震でさえ土佐の陸地が沈没し、伊豆の大瀬崎が隆起していますので、地球の歴史から考えれば天手力男の力は今でも活発中であると認識したほうがいいくらいでしょう。

天手力男に関しては戸隠神社、伊豆の天手力男2社、高知の天石門別安國玉主天神社がプレートに関連した最も合理的な意味合いを持つ神社です。

戸隠神社の創建に関しては諸説あると思いますが、自分が思うのは地震によって戸隠山が隆起したのがこの社の始まりになっているのではないかと考えています。

九頭龍と天手力男はものすごく似ており、倭国側の呼び方と日ノ本国側の呼び方があって両者は同じ神を意味しているのではないかと思います。

日ノ本国の日本人は天手力男が天から山を引き上げたと感じたが、倭国の倭人は龍が底から押し上げたと考えた。(まさにこれは鶴亀ラインでも書いた鶴と亀の認識でもありますが)

鶴というのは『吊るす』で、まさに日ノ本国の鳥信仰に合致し、亀というのは倭人の神仙思想の大元かもしれません。

いずれにしても、日ノ本人、倭人とも自然を熟知していたという点では一致があり、その後、日本に流入してきた磐に住み着く人たちをクズとかゴミとか土蜘蛛とかと称して武力で討伐した渡来人とは全く人間の質が違うでしょう。

酒を飲ませてヤマタノオロチをやっつけたとか、山や沼の主を殺してヒーローになったとか、東の蛮族を平定したとか、明らかに大陸系の認識です。自然神をないがしろにするそういう人たちこそむしろ野蛮人であって、そういう人たちを日本の祖とするのはどうかと思います。


 

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政治/経済、宗教/哲学を基本としながら市民活動やスピリチュアル活動など、広範囲に動いております。行動範囲は今のところ、東は茨城県から西は中国四国地方までです。特に修験色の強い山間部の地域活性化に興味があります。該当自治体の担当者の方からのご連絡お待ちしております。どうぞよろしくお願いします。
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