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古代神や古代聖地をご紹介し、神仏基に対する信仰を再生して頂くお手伝いをしています。
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  2009/03/15 [00:31] (Sun)

皇極天皇3年(644年)7月に常世虫教事件なるものが発生しています。

ちょうど大化の改新が始まる1年前です。
下記ページにも少し記載されています。

死生観『ウィキペディア(Wikipedia)』

橘にくっついた虫を富士川あたりの住民が常世の虫であると騒ぎ始めたのです。

家財を打ち捨てたり、踊ったり騒いだりしたようですが、これは明治維新直前の1867年に起ったええじゃないか踊りに酷似しています。

それほど世の中が混乱していたことが伺えます。

ええじゃないかは大政奉還の年に起きており、長い間続いた江戸幕府の支配から解放された人々の開放感が乱舞へと向かわせたのではないかと思います。

しかし、常世虫教事件は日本書紀の皇極記を見ると、そんな状況ではなく隠遁とした時代で踊っている場合なのか?という状況なのです。

言ってみれば644年は日本書紀によれば2・26事件の直前のような時期であり、そんな時期に関東でお祭り騒ぎが起るのはどうも不自然なのです。

これに対する私の解は、この皇極期に奪取されていた大和の王権が、大和の血統に復活した(大政奉還された)のではないかと思うのです。しかし、また奪取される(斉明天皇暗殺)

ちょうど橘は伊豆が北限であり、永遠に枯れない皇孫の血統を意味するものです。

その橘につく虫を仰ぎ、乱舞するのは、単なる新興宗教の仕業では片付けられないものがあります。しかも伊豆周辺は弟橘姫伝説も豊富。

皇極天皇が大化の次につけた元号は白雉であり、徳島県三好市池田町にも白地(ハクチ)という地名があります。この徳島のハクチは戦国期に四国最大の要所になっており、近くの山に登れば四国と瀬戸内のかなり領域を見渡すことができます。しかも何かの折には吉野川を下って一気に落ち延びることができる最高の要塞です。秀吉軍と長宗我部軍の最終決戦場でもあります。

しかもすぐ北西の海際には661年に立ち寄ったとされる磐瀬行宮があります。

高知の朝倉もリアルな斉明天皇伝説があり、膨大な帆船を停泊させてくことができる港沿いです。高知の場合も風待ちをしてすぐに東に落ち延びる事ができます。

畿内に都を置いてしまえば瀬戸内から一気に攻め込まれた場合、逃げ切って再起を計れません。

明らかに斉明天皇は戦争のできる女帝でした。神功皇后を彷彿させます。その斉明天皇が狂心(たぶれごころ)の天皇とされ、突然死するのはあまりにも怪しいのです。

そして、その後の天皇の都の置き方は日本書紀の記述が正しいとするならば、あまりにも愚鈍過ぎるのです。

天智天皇の近江大津宮が本当に琵琶湖湖畔であれば狂気の沙汰でしょう。それほど古代の日本人は愚かではありません。潮を読み風を読み、港となるべき地を知っていたはずです。


 

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  2009/03/13 [23:38] (Fri)

地政学的に見て、都にふさわしい土地は外洋に開けているというのが絶対条件でしょう。

古代の帆船戦争を考える場合、まず重要なのは膨大な帆船を停泊させておく港です。

そしてその港が攻め込まれて壊滅しないように、見張り台と逃走経路の確保が必要でしょう。その逃走経路に日本で最も適しているのは黒潮であるということは戦略的思考を持っている人間ならばすぐにわかることです。

この視点で日本を見た場合、織田信長が天下を取った尾張・美濃と、徳川家康が幕府を置いた江戸と、もうひとつ外洋に開けた都市があります。

下記はポルトガル人が書いた16・17世紀を通じてヨーロッパで最も影響力を持った地図ですが

日本地図(九州大学附属図書館)

日本はちょうど戦国時代で土佐の長宗我部元親が四国を統一して近畿一帯を勢力下においた織田信長と激突する直前でした。

土佐がTONSAと大きく記述されていますが、世界を股にかけて外洋を航行するポルトガル人はどこが都になりえるか直感で指し示してます。

私達日本人は大きな勘違いをしていると思います。

都が畿内になるということは戦争の終わりを意味しており、それは征服されたことを意味しているのです。

ちょうど外洋に面した高知でも白村江の戦いから白鳳の大地震を経て以後の文明の痕跡が見つかりません。


白村江の戦いで日本が征服されたということを言う方は少数ですが存在します。

実は高知の古代史を紐解くということはこのカゴメを破るということであり、皇国史観を解消するということなのです。皇国史観が出来上がるにつれ土佐が封じ込められ下野させられ、その反動で自由民権運動が興ったことは歴史の事実です。その結果、日本には法と議会制民主主義ができました。

皇国史観(国家神道)にとって高知の古代史は非常に都合が悪いのです。日韓併合と日中戦争の大義が失われるからです。

聖徳太子など存在せず、畿内の古墳の大部分を明治政府が築造している、という推測を現段階で誰が信じるのでしょうか?

『記・紀』の偽造は日を追うごとに明らかになってきており、国家の中枢に存在するはずの歴史も最近では疑わしくなってきています。


しかし、日米戦敗戦から64年、日本は立派に復興しました。白村江の戦いで唐・新羅に敗れて占領されたことなど、どうでも良いことです。

確かに韓国の人は『日本は韓国が作った』などと言い、中国の人は『小日本』だと揶揄します。この白村江の戦いの真実を公表しようものならば、勝ち誇ったようにする人たちも大勢いると思います。

しかし、今、大事なことは自然と共に生きた先住民族系国家(邪馬台国)の文明の知恵を取り戻すことであり、私達日本人のアイデンティティを大日本帝国から邪馬台国に帰還させることではないかと思います。

このまま歴史学が進み、『記・紀』の捏造が論理的に明らかにされると天皇陵である古墳調査の声も高まってくると思います。政局も不安定化しており、宮内庁が今後も力を持ち続けるとは言い難い状況です。

マンションや食品だけでなく、天皇陵までもが偽造であったとなると日本人のショックは大きいでしょう。その上にテポドンが降ってくれば、日本は建国以来の危機に陥ります。

畿内大和単一民族国家から自然主義多民族国家の邪馬台国に自らのアイデンティティを乗せ替えて置くべきでしょう。

若い人はそういう流れを肌で感じ取っているので、邪馬台国好きは結構いるようです。

神社へ行けばわかりますが、明治政府による祭神の変更はかなりの数に上ります。(信仰が厚いところは権力に屈せず元の祭神に戻したりしています)神社の祭神を変更するということは正史も偽造していることは明らかです。このことと宮内庁が古墳調査を拒み続けているということはリンクしています。


畿内では帆船戦争の時代を戦えないのです。川があったとか湖があったとか、ベニバナが出たとかの苦し紛れの通行手形がありますが、封鎖されれば一瞬の終わりなのです。古代史に地政学を用いれば邪馬台国の位置は一瞬でわかります。

私たち自身で新しい日本観を創造していかなくてはいけないでしょう。過去にしがみついても傷口が広がるだけです。自民党を見ていればよくわかります。


私たちの日本を創造しよう!



 

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  2009/03/11 [17:33] (Wed)

ドラゴンアナスタで音鳴りを持っていくということを行いましたが、それがなんであったのかがわかるようになってきました。

黄泉がえる『サの神』祭祀で書いたように、サの神は南からやってきます。土佐神社の夏祭り(しなね祭)でも『しなね様』が船に乗って南からやってきます。

どこからやってくるかというと鳴無(オトナシ)神社からです。高知県のヨサコイ祭りで使用されている祭具はナルコですが、古代朝鮮半島ではナルコは太陽神を意味していました。

実に、一言主(一琴主)の琴をかき鳴らすのはナルコである太陽神だったのです。

そしてこのナルコはイナル、ウナル、イカル、イカグ、イカヅチという派生語を生み出していったのではないかと思います。

太陽は何もしゃべりませんが、天は怒ることによって、イカル(イナル)ことによって私たちに琴葉を発します。

ですからオトナシ神社が封印される前は、ナルコ神社、イカル神社などという名称であった可能性があるのです。

その土地を総称して『イカルガ』と呼んでいたでしょう。

地震・雷・火事・おやじとは言いますが、昔の人は鋭く本質をえぐっているでしょう。

これら全ての怒りは太陽神から来ており、男性的なものでもあるのです。
ここまで来れば、ほぼ確実に太陽神は男性ですね。

実はオトナシ神社がある場所は、龍とも男根ともとれる長細い小半島の最奥に位置し、それが女陰を表す浦戸湾に入っていくのです。

イザナギとイザナミが私達にはそれぞれ足りないところと余分なところがあると言って、柱をグルっと回る創世譚を説明できる地名が浦戸湾にはあります。鯨は土佐を表す生き物ですが、古語はイサナと呼びました。南からやってくるイサナ(鯨・イルカ)を太陽の使いとして認識していたのかもしれません。それがイサナギ・イサナミになっていくのは容易に想像がつきます。

そのイザナギとイザナミが性交渉を行うちょうど浦戸湾の中間地点あたりに自然の山門があって孕(はらみ)という地名があるのです(古代の浦戸湾はちょうど女性器のような形になっており、剣山と石鎚山という2つの卵巣から川が流れ込み浦戸湾に注いでいました、桃太郎の山を卵とする信仰にもつながりますね)が、その孕は巨大地震の前に『ジャン!』という巨大な地鳴りの金属音が地底からすることで地質学的にも有名です。

孕のジャン(怪異考)

何が孕まれるのかというと”プレートとプレートの摩擦によって発生する音”だと思いますが、土佐ではこの”孕のジャン”の後で何度も巨大地震が発生していますので、音を鳴らすのが太陽神であるという認識が古代より醸成されていたと思います。(巨大地震は全て南の南海トラフで発生するため)

しかも白鳳の大地震でも実際に広大な陸地が沈没しておりますので、北方の山岳からやってくるイカヅチの類いよりも南方の太陽神の怒りのほうが恐れられていたと思います。

その怒りを鎮めるために音を発して安心感を得ていたのではないでしょうか。

土佐に太陽信仰の下地があるのは、こういう合理的な理由があるようです。

しかもその孕によって、向こう岸にある(何度も紹介しています)十市(とうち)の磐土ヒコ(延喜式内社石土神社)が生まれており、石巣比売神を表す女体神社付きなのです。最後に生まれたのが土佐神社のしなね様(風の神)ということになります。(女躰神社については前回の下記記事を参照)

北方の守護とオリオン

オトに関して言えば、結局、弥生時代の銅鐸もナルコではなくイリコを入れて、音を倍増させていましたが、これぞ日ノ本国の祭祀ということでしょう。

音を先行で鳴らすことによって『ジャン!』が鳴るのを少しでも防ごうとしていたわけです。

この高知の孕の南には桂浜の龍王が存在し、北には巨大な獅子岩があります。倭国の龍と日ノ本国の獅子がこの『ジャン!』を奪い合った痕跡があり、銅矛文化圏の倭国が土佐で『ジャン!』を譲り受け、国譲りを完成した後に銅鐸は日本から姿を消しているのです。(日ノ本国の銅鐸文化圏と倭国の銅矛文化圏が拮抗するのがちょうど高知の浦戸湾)

全てが白紙に戻り(土佐弁で<おジャンになる>と言います)
日ノ本国の時代が終わり倭国中心の時代になっていくのです。


 

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  2009/03/11 [01:14] (Wed)

埼玉の大宮氷川神社にはスサノオとクシナダヒメ、オオナムチが祀られていますが、この祭神が明治時代に変更されたという痕跡があるようです。

天皇が東京に来る時に、皇居北方の守護神として氷川神社は存在感を強めますが、北方の守護神といえば、妙見菩薩であり、国家神道を推し進める明治政府としては是非とも封じ込めたい信仰でした。

秩父と千葉が妙見信仰の一大拠点であったように、大宮氷川神社もスサノオ牛頭天皇の妙見社だったのではないでしょうか。

明治の国家神道下では多民族国家であるはずの日本国が単一民族国家というレッテルを貼られ、現人神信仰に都合の悪い信仰はことごとく排除されていきました。この手法は既に上古の時代に発明されており、明治政府が初めて用いたわけではありません。

西洋におけるマリア信仰や天使信仰のように教会に都合の悪い信仰だけれども何度でも土地の底から甦ってくるすさまじい信仰なのです。

しかもこの妙見信仰は武門の神でもあり、ものすごい霊力も持っているので、為政者にとっては全く都合の悪い信仰なのです。

京都では秦氏・賀茂氏が北方を守護し、北辰も祀られるはずでしたが突如として北辰信仰は排除されています。これはほぼ律令という新しい思想を選択したためであると思います。日ノ本国でも倭国でもない豪族が勢いを増したと言えます。その原因は何かと言えば、『白村江の戦い』でしょう。

その北辰信仰の強固な地盤を持っている関東は京都よりも古い歴史を今でも保っているというのは明らかでしょう。

また星神の香々背男が常陸で討伐されていることを考えると、後期大和朝廷にとって現人神天皇を脅かす最大の敵が妙見信仰だったことは想像に難くありません。

それを征夷大将軍万歳と称して後世の私達が褒め称えるのも少しインテリジェンスが足りないように思います。天皇は神の代理であっても神そのものではないのです。西洋におけるキリストのように日本にも唯一神の権力にあやかりたい人間がゴマンといます。

真の天皇はスメラ(スバル/プレアデス=並列に存在する星たち)ですから権力を持たないのです。ですが象徴でもないのです。その中間に位置します。この地点を日本人が認識できなくなったことがクニを危うくしているのです。天皇を絶対王政とみなし、幕府を全体主義とみなす西洋のディセンションした認識に洗脳されている場合ではないでしょう。


ところで、大宮氷川神社には女体神社という神社がセットになっており(諸説あるようですが)、氷川神社が男体でスサノオを祀り、女体神社が女体でイナダヒメを祀っていたということです。

女体神社は関東には多くありますが、その他は愛知と高知にしかありません。さらに男体・女体でセットになっているのは大宮氷川神社と高知の新宮神社ぐらいのものでしょうか。

高知の新宮神社(男体)と女躰神社(女体)は十市(とうち)という地にありますが(高知の女躰大明神と十市村)、すぐ西に延喜式内社の石土神社があります。日本で唯一、磐土彦を単体で祀る古社です。この磐土彦は住吉信仰の上筒男に相当し、三ツ石の巨石や、介良三山と呼ばれる3ツ山、など3信仰に事欠かない地域に祀られています。石土神社/新宮神社/女躰神社でオリオンと見なすこともできます。そのような配置です。

中筒男は白髭とも言われており、オリオンの三ツ星の中心にスサノオと白髭が存在しているということにもなると思います。北極星とオリオンの三ツ星の真ん中の星が同一視されていたということでしょう。


そして大宮氷川神社も女体・中山神社とセットであるという説や中氷川・奥氷川とセットであると考えられている。これは明らかに住吉のオリオン信仰であると思いますので、近くにすみよっさんと船岡山があるはずです。

その船岡山に古道がつながっていればそこが都跡でしょう。

四国と関東はものすごく深いところでつながりがあり、(伊予三島・伊豆三島、阿波・安房、讃岐寒川・相模寒川、土佐・相模、七星剣出土=高知・千葉、星神社が多い土地=高知・栃木)日ノ本国のサの神、獅子神、妙見・星神、他民族邪馬台国文化など、探れば探るほど見えてくるものがあります。

後期大和朝廷から見た東夷(東の野蛮人)ですが、東北・関東とも畿内と連動して統治されていた時代を経て突如として討伐が開始されています。明らかにレッテル貼りであり、どこかの国が好んで用いる戦争の口実に似ています。


 

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  2009/03/10 [13:09] (Tue)

昨日のサの神ラインの続きですが

日本には虫送り『ウィキペディア(Wikipedia)』なる行事があります。

ウィキペディアに事例が少ないので、高知の虫送りの一例を張っておきます。

この虫送りは斎藤 実盛に起源を求めるのが一般的ですが、そうではない場合もあると思います。

なぜなら、上述の高知の虫送りページにも載っているように、虫送りは農業神サバイ(イゲも含む)やノボリ(こいのぼり)、または七夕とも密接に関わっており、その思想は平安時代以前に遡ることができるからです。

もちろん、実盛以降に始まった虫送りもあります。

しかし、虫送りの本質とは、稲が実る元となる稲魂(いなたま)を運んできてくれた虫や鳥に感謝し、送り出し、来年の再来を願うことです。

これが大和の蜻蛉信仰の根底にあります。余談になりますが裏山に蜻蛉が入っていく『入りトンボ造り』になっている土佐神社の社殿の北の山上に前述の虫送りの土地があります。

これが銅鐸に刻まれた日ノ本国の鳥信仰にもつながっています。

高知県のヨサコイは元々、農民の唄であり、それが昭和の時代に祭りに変わっていきました。明治維新の直前にヨサコイ節が全国で流行したという情報もあります(『ええじゃないか』も明治維新直前ですね)

ヨサコイとは『サの神さま、また還って来いよ~』という掛け声です。そこに日本的な自由・平等・多民族協和・団結の思想が眠っているのです。これこそが前期大和朝廷の大文字大和(ダイモンジヤマト)の精神なんです。


しかし、その後、征韓論と日韓併合、国家神道浸透のために高知県西部の旧波多(ハタ)国の国造が『天韓襲命』であったため、薩長の藩閥勢力が土佐(古代史も)を封じ込めて国家主義を強めていったのです。(それが結果的に戦争へとつながっていくのですが)

それに抵抗するために、近代国家の枠組み(主に法と議会)を民主的な構造で広く国民に浸透させるべく自由民権運動が展開されました。その時に、現自由民主党の原点である自由党が土佐で産声を上げましたが、現在の自由民主党は自由とも土佐ともなんら関係のない独裁政党です。

もともと朝鮮半島南部が倭国の一部であったことが後の日韓史を複雑にしました。

 

『サの神』祭祀の自由で開放的なエネルギーは何度でも甦るでしょう。


 

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政治/経済、宗教/哲学を基本としながら市民活動やスピリチュアル活動など、広範囲に動いております。行動範囲は今のところ、東は茨城県から西は中国四国地方までです。特に修験色の強い山間部の地域活性化に興味があります。該当自治体の担当者の方からのご連絡お待ちしております。どうぞよろしくお願いします。
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