どうでもいい話なんですけれども、今日、川沿いに山の方までジョギングしましたら、ふいに生駒山地まで見えて爽快でした。川は護岸されているんですけれども、水の性質を多様に表現させる川壇と堰の作り方で、とても関心しました。
そんな人工護岸の川の中にも瀬織津姫を感じたので、近代文明と自然との共生は決して不可能ではないと感じました。ただ私のウィンドブレーカが、めちゃ派手なので、それだけは自然と共生できないな、なんてことも思いました。どうでもいい話なんですけど。
さて、”頭がいかれる”という言葉がありますが、”いかれる”は、おそらくカカセオとセオリツ再びカカヤク(過去記事)の中で書いたイカリ神であり、頭に血が昇る、イコル、イカルということなんですね。つまり男性性のクンダリーニが頭に到達するということ。血は、知でもあるし、地でもあると思います。
これに対して、”たるみ”。これはまさに女性性をあらわしていて、マグダラ・マタラ・クダラ・シタラなんかも意味してるんですね。まさにG線上のマリア(過去記事)ですね。
みたらし団子なんかもそうで、神社の御手洗(みたらい)なんかもそうです。他の地方はよくわかりませんが、土佐弁に”したらこい”(設楽来い・設楽濃い)という語があります。みたらし団子に餡が掛かりすぎていたり、地面がぬかるんでびしょびしょになっている場合なんかに使います。たるみすぎ、マグダラが多すぎ、っていう意味です。
これらは全部、水に関わっているんですね。
そんなこんなで色々と考えて頂きたいのですが、アマテラスというのも、元はアマタラスですね。マタラ神の一部なんですが、太陽ではないんですね、本来は。
タラ(Tara)(バルバロイ!)にも書かれていますように、タラは世界的に見ても女神ですね。
この言語の中に含まれる哲学的構造というのは完全にギリシャ哲学を超越してますので、是非、日本人自身に思い出して欲しいと思います。
タルタルソースなんかもマタラ神で、フライものにかける時は、シタラコクならないようにする必要がありますね。
ハンバーガーでもめちゃ、シタラコイものがあって、あまりにもシタラコイので、シタラコイ部分を抜いて食べようと思ったら今度は手がシタラコクなって、手を洗っても取れなくて、今度は、車のハンドルがシタラコクなって、ハンドルさばき自体がシタラコクなる場合がありますね。そうなると後の車から”ちゃんと運転しろよ”のイカリが来るので、結局、女性性(たるみ)と男性性(いかり)の”巡り”がやってくるわけですね。
たるんでいると”たるんどるぞ”と怒られる。タルミとイカリはセットなんですね。なんで、タルンデいいんですよ、きっと。それが”女神の寛容さ”だから。
どうでもいいような、どうでもよくないような微妙な話になりましたね(笑)
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はちきんは、男勝りの女性というか男を超越した女性という表現のほうがいいかもしれません。酒は男よりも強いですし、時に暴力的ですし、白黒をはっきりつけたがり、めちゃ論理的(男性的な論理思考ではなく、愛を起点とした論理思考が非常に強い)です。愛を欠いた行動をする人を批判する文法が非常に発達していて、口やかましいけど正論で哲学的だから反論できないという特徴を持っています。数の上でも”はちきん”=20、”いごっそう”=16ですから、男性が負けています。
そして20はハタチですから、ヤハタは8×20=160ということになります。つまりヤハタは”いごっそう”の10倍ですね。つまり、10倍界王拳(ニコニコ大百科)の使い手がヤハタ(八幡)神社のど真ん中に祀られているヒメ大神『ウィキペディア(Wikipedia)』ということになるかと思います。
界王拳の使い手は、西遊記的に言えば、孫悟空ではなく三蔵法師という女性だったということです。日本のテレビドラマの西遊記では夏目雅子さんが演じられていましたね。おもしろかったですよね。
なのでドラゴンボールの中で地球を救っているのは、実は悟空ではなくて、奥さんのチチという図式も成立可能かと思います。鳥山明さんもこの部分はうまく描いてますので、注意深く見るとおもしろいです。悟空は全世界の誰にも負けないんですが、チチだけには負けてしまいます。それが、”力への意志”を超越する”はちきんの愛の哲学”なんですね。
西遊記の中で孫悟空が頭にはめていて、悪いことをすると三蔵法師に念力で締め付けられるのはキンコ(履物を脱げ)と呼ぶそうです。”はちきんの子”という解釈を与えることもできます。
孫悟空を古代史の中で捉えると胎中天皇、つまり応神天皇のことではないかと思います。太陽の巫女の時代が終わって、頭にキンコをはめながら日本を統治していくという決意をあらわした素晴らしい名前です。
秦氏が大挙として渡来してきたのも応神天皇の時代と言われています。今メッセージをもらってる真福寺とも深く関わっていると思います。
古代日本人は、三蔵法師のその力をヒメ大神として祀っていました。神功皇后ですね。それが日本一多い八幡神社の発祥でしょう。日本の根幹に関わるここでもトランスジェンダー的な要素が出てきます。
ちなみに日曜日のドラゴンボール再放送では、来週、孫悟空が10倍界王拳を使っていたフリーザが消滅してしまいます(笑)
いごっそうは、そういう”はちきん”の下で育てられますので、オトメンができやすいということかもしれません。泣き虫のオトメン龍馬を育てたのは、はちきんの乙女姉やんです。
そうは言っても、”はちきん”も女性であるので政治方面にはあまり才能を発揮せず、革命期には、その意志を継ぐオトメンが歴史の表舞台に出てくるということが日本史の中で延々と繰り返されているんですね。ドラゴンボールもオトメンの物語でしょう。
秦氏もやはり、強い男性性を持った女性(女神)とオトメンの組み合わせだった可能性が高いということですね。
女性の社会進出がジェンダーフリーなどという概念を伴って語られますが、私の地元で社会を作っているのは本質的には女性なので、そういうのは、なんだかよくわかりません。
前提が間違っているのではないかと思います。社会とは政治経済システムや企業社会ではなく、地域社会のことでしょう。前者は男性社会なので、日本における女性の社会進出とは男性社会への進出なのでしょう。
女性性が弱まっているとすれば男性社会と同等のレベルまで女性社会を育まなければならず、それがスピリチュアル社会なのです。女性性を押し殺して働かなければならないということは悲しいことです。男性社会を変えようとするのではなく、女性社会を創造すれば良いのです。
女性が社会(ここで言う社会とは政治経済システムではなくて社会の雰囲気)を作って男性がそれを拝むというのが本来のあるべき姿でしょう。これは女神崇拝マゾヒストの谷崎潤一郎『ウィキペディア(Wikipedia)』も目指していた方向性です。
耽美主義については、日を改めて書きたいと思っています。
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ご無沙汰してます。年初からもかなり大きな変革の渦が来ておりまして、日本人全体の意識が、より日本的なものに向けられてきている流れを強く感じています。
これは日本人がアイデンティティを失っている問題と密接に関わっており、若い世代がこの大きな渦の中で日本の新しいアイデンティティを取り戻した時に、日本の経済と世界の経済が再び活気を取り戻すだろうと予感しています。
さて、新しい日本のアイデンティティですが、それは以前にも書きましたようにククリでなくてはなりません。さらに詳しく言えば、アイデンティティの中に明治期の皇国史観のように西洋文化を排除したような思想があっては国内でも国外でも思想的妥当性は得られていかないでしょう。
シルクロード最東端の文明国として、これからの世界の調和と安定を世界に向けて発信していける公式は
【原始キリスト教+太陽信仰=大和】しかありません。
そして、大即是ケル(大和すなわちこれケルト)
と言いたいところですが、日本の古代は非常に複雑です。
さて、原始キリスト教ですけれども、白山を開山した人に、秦澄(たいちょう)という方がいます。この方は名前からもわかるように秦氏です。
越前における秦氏の勢力は非常に長大で織田信長もこの末裔にあたります。
まだ、ドラゴンアナスタのほうにはUPしていないのですが、昨年9月に白山平泉寺に参拝をしてきました。その際に前回、行くことのできなかった奥宮である三之宮に行ったのですが、祭神が栲幡千々姫 (たくはたちじひめ)でびっくり(下写真)
北極星ですね。タクハタのハタは秦氏のハタでもあります。
基本的に秦氏は機織(はたおり)とも関係しており、山梨県都留(つる)市の機(はた)神社(下写真左)では鶴と機(ハタ)が密接なコンビネーションで横たわっています。この機神社の参道には中央に神楽殿があり(下写真右)、お祭りの時は舞を舞うそうです。私たちが訪問した時は、舞の直後だったそうで残念でした。
ちなみに、この機神社の近くにはつるぎという地名もあります。
石川県の白山ヒメ神社近くにも鶴来(つるき)という地名がありますし、四国東部にも剣山という女神山があります。
これら3つを結んだ屋根のようなラインを私は「アメノコヤネライン」と呼んでいます。八紘一宇ですね。全ての民族が同じ屋根の下で平和に暮らすという屋根祭祀です。漢数字の「八」は、このコヤネを表しています。八幡が元はヤハタであった理由はここにあります。ヤハタの八と幡(旗)はつまりアメノコヤネと旗「秦・鶴」を表しています。
八幡神社総本社・宇佐八幡の原始信仰は北極星信仰と大元信仰(三体妙見)です。白山信仰と同じなんですね。
秦氏、機織、鶴、北極星はひとつの信仰集団を形成しており、能登半島を鶴の頭とした日本列島の形は、秦氏にとって神聖な形であっとことは容易に想像がつきます。上空からどうやって日本列島を見ていたかは別の方に研究はまかせるとして、そのような信仰形態が存在していたことだけは確実なようです。そして、それが私たち日本人の失われた信仰であることも。
古代の人たちは私に語りかけてきます。
「鶴の身体に中心などないように日本列島にも中心など存在しない。
それぞれが全体の中の一部を担っているだけだ」、と。
畿内を中心とした中央集権国家観ほど寒々しいものはありません。
私たちの先祖は渡来人を巻き込んで大地と鶴と命の祭祀を皆で行っていたのです。
そのような時代に人工的に中心地を決めてそこから地方を支配するというやり方が各地域の反発と抵抗を招いたのは言うまでもありません。
話を元に戻しまして、能登・白山を頂点として南西方向には秦王国と目される四国波多国、南東方向には上記の都留や秦野、箱根九頭龍を擁する南関東・秦氏巨大文化圏があります。
この3つの点をつなげるのが2年前のアナスタトリニティであったわけですが、最近ではより一層、その目的と方向性が明確になってきています。
さきたま古墳群の北に白山古墳(埼玉の古代史跡を巡る)があることからも(その他にも多くの事例あり)白山が北を表していたことはかなりの確率であると思われ、少なくともこの白山古墳の築造年代である7世紀前半には白山=北=秦=鶴が確立されていたわけであり、おそらくは天帝思想が白山信仰に結びついていただろうと推測できます。
天帝思想というのは、大和朝廷が帝国主義化していく中で非常に敵視された民間信仰です。天帝思想のひとつである天白信仰は、人間が天と同一化する神事が残されており、日本の中に天帝が何人も発生していたという痕跡なんですね。天竜川の天帝思想は諏訪湖を天帝としています。
そこに鶴が重なってくるのですから、明らかにこれは白鳥=ゼウスのギリシャ神話がなんらかの形で関わっていたことは明白です。ただ、日本にも古い北極星信仰がありましたから、そこに、誰が持ってきたかはわかりませんがギリシャ神話が力を持って日本の神話に取り込まれているんです。
ちなみに埼玉の白山古墳は秦澄の白山開山より100年も早いです。後で白山の名前が冠せられたとしても白山信仰と同様の違う名前の信仰が全国に散らばっていたことは明白だろうと思います。
日本最古の歴史書とされる『古事記』には、この神話の構造については何も触れられてないことから、いかに『記・紀』という歴史書が信頼のおけないものかがわかります。
ヤマトタケルが白鳥になって飛んでいったという神話こそ、この祭祀の崩壊を意味しており、息吹山「風」にあたって鳥として飛んでいくという構造は鶴祭祀そのものであり、メタファーによってメタファーを封じた最も好例と言えるでしょう。
今年2010年1月5日に息吹山を拝みました。初めて、その女神性を垣間見せてくれて強烈なインスピレーションを頂きました。
あたりを見回しても雪(幸)に覆われているのは息吹山だけ。風と水を集め太陽神に選ばれた(射精された)女神が、この地域の聖なる山であったことは想像にかたくありません。
ヤマトタケルは黄泉の国になど行っていません。しっかりと息吹いていました。
現在、私たちがイメージしている日本の古代像は明治期以降に作られた人工的な政治的なものであり、本当は出てきてはいけなかった天皇のブレーンであった藤原鎌足の遺物(邪馬台国大研究)や、祇園祭の山車、あるいは、平家をヘイケではなくフェイケと発音していたこと(古語やまとことばの発音は巻き舌で英語に近い)などから考察すると西洋、特にオリエントに近い西洋と日本の天皇制が密接に関わりを持っていたことが伺えます。
埼玉県稲荷山古墳『ウィキペディア(Wikipedia)』から出土した鉄剣には、大王に仕える杖刀人が刻んだとされる文字が記されています。
この杖刀人は、天照の御杖代になった倭姫『ウィキペディア(Wikipedia)』のような存在だったとも考えられ、杖が天皇を支えるメタファーとして存在するのは遺物からも神話からも明らかです。そして、その天皇が北で白山を意味するものであれば、南へのラインは御杖になります。今、この御杖代の方々からたくさん連絡を頂いており、鶴が立つのは時間の問題であると感じています。
あまり深くは書きませんが、なぜ継体天皇が越前から大和へ突如として迎えられたのか?この鶴・アメノコヤネ祭祀を知れば、全ての謎が解けます。
おそらく阿武山古墳の被葬者は鎌足であり、天智天皇の御杖代的存在であった原始キリスト教のブレーンであったと思われます。秦氏の末裔を戦国時代に公言した長宗我部元親・信親親子の色白・長身・柔和ときに激烈の性格は杖刀人に重なり、秦氏の中になんらかの西洋人が混じっていたのはもはや疑いようがありません。
また、中国では最近の発掘で、秦の時代(紀元前778年 - 紀元前206年)の工夫(こうふ)に白色人種が混じっている事実が判明し、静かなセンセーションを巻き起こしましたが、明らかに私たちが考えている以上に、古代は民族の往来と混合が激しかったのだと思います。
635年 ネストリウス派宣教団が長安に到着(実際はぞれ以前から活動していた可能性が高い)
638年 景教(中国に伝来したネストリウス派キリスト教)は唐により公認
上は唐の大秦寺『ウィキペディア(Wikipedia)』に纏わる出来事。
秦澄が白山を開山したとされるのは養老元年(716年)、つまり唐では、キリスト教ネストリウス派が積極的に活動している時期です。
秦澄がこの時期に白山を開山した理由はなんでしょうか?ちなみに同じ716年の4月23日をもって行基が弾圧され始めました。
秦氏と原始キリスト教の歴史は非常に長く濃いものがあります。その中でも秦澄の白山開山は比較的新しいものになります。秦澄開山以前にも白山信仰はもちろんありましたが、秦氏と白山信仰がつながることにおもしろさがあると思います。
白山が3馬場から成立していること、あるいはヤタ(ヤハタ)ガラスが3本足であること、ヤハタ(八幡)神社をハチマンと読ますようになったこと、秦氏に関する不思議を上げればキリがないほどです。そして、一般的には秦氏が権力に興味がなかったから全国に散らばっているとされていますが、本当にそうでしょうか?
私はもっと広い視野を持っていた氏族だと思います。その中に鶴祭祀があるのです。この鶴祭祀には葛城氏や賀茂氏も関わっています。そして小野氏もです。
越前秦氏の文化圏は特に近江や尾張・美濃とも密接な関係があり、昨年末から白山から南に下った御杖の位置にある方々から連続して問い合わせを受けています。
冒頭でお伝えした日本人の新たなアイデンティティと、この鶴(白山)の御杖は非常に密接な関係があります。御杖が建ち、鶴が翼を広げれば日本列島は羽ばたきます。
しかし、これには最後に『風』が必要です。
同じ屋根の下で大きな風をともに起こしていきましょう。
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守護神は必ずしも住む土地の産土神(うぶすながみ)である必要はなく、ご自分の先祖や魂のルーツにも求めることができます。守護神を知りご自分の元素的属性を知ると自分の役割が割りと簡単に見えてくるようになります。
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基本的に私は、ナショナリストで日本大好き人間なんですが、縄文と、もうひとつどうしても隠しきれない原始キリスト教のルーツがあります。
神道を突き詰めていくと、どうしても原始キリスト教にぶつかり、それが天皇制と密接に関わっていることはもはや疑いようのない事実になっています。
秦氏はもちろんのこと、九頭龍のクズ、葛のクズ、来栖のクルスは、『十字』の意味であり、クロスの日本語読みなのです。
日本では卑弥呼が没する頃から、帝政ローマを開始したディオクレティアヌス『ウィキペディア(Wikipedia)』の時代には、未だキリスト教はローマにおいて国教化されておらず、非常に柔軟な信仰体系を持っていたと考えられます。このディオクレティアヌスの治世下でもキリスト教の弾圧が行われ、宮殿が放火されますが、日本でも同じようなことが起きています。
斉明天皇が過度の土木工事を実行したため民衆は怒り、宮殿を放火しました。また斉明天皇の本当の御陵は高知県にありましてウクルス山という山に斉明天皇が眠っています。『土佐物語』に経緯などがはっきりと書かれています。
クルスは岩石という意味もあります。戦国期のサンフェリペ号事件でもクルス岩という岩石が出てきます。
クルスはクロスであり、日本古来の大王制に古代ローマの共和制と原始キリスト教などが混合し邪馬台国は誕生しました。日本古来の桃信仰と原始キリスト教のマリア信仰(元は同じ)が習合した女性天皇制は斉明期まで継承されたということです。
この文化を封印するために帝政ローマのキリスト教(1神教)が仏教の中に忍び込んで仏教鎮護国家を形成していったというのが日本の宗教史になるかと思います。東大寺・国分寺建立の思想の中には帝政ローマの思想が多分に含まれています。共和制ローマの原始キリスト教を<岩に住み着くクズ>と呼んで差別した仏教鎮護国家の国家主義者の頭の中身は帝政ローマの1神教キリスト教の異端排斥の宗教原理が働いており、古代日本でも帝政ローマ内で起こった宗教弾圧が行われたということなのです。
西洋文明を取り入れて大日本帝国を作った近代と、帝政ローマの文明を取り入れて仏教鎮護国家を作った上古は酷似しています。
この問題は非常にデリケートな問題で、キリスト教が日本を作ったみたいに認識するのも全くの間違いで、繰り返し言いますが、日本に根付いた原始キリスト教は、共和制ローマ期の古代キリスト教であり、帝政ローマ期のキリスト教が異端として追放したものです。
その追放されたキリスト教が日本のヤオヨロズ思想と結合し近代的な天皇制を生み出していったのです。この習合のありかたこそ、アイルランドの太陽信仰+キリスト教であり、日本の古代は、ほぼケルティック・クロスで表現されるわけです。
だからこそのシラヤマリアでもあります。私たち日本人の記憶の奥に眠るキリスト教は、カトリックでもプロテスタントでもなく、西洋が失った多神教の原始キリスト教なのです。それが認識できれば、今、何をやらなければならないのかが自ずと見えてくるのではないかと思います。
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先日の江ノ島巡礼の時に、前回わからなかったことが深い部分までわかり、さらなる江ノ島の顔が見えてきました。
七瀬祓いと瀬織津姫ラインで書いた江ノ島隆起に関する事はほぼ解明されました。地質学的にはやはり1万年規模のサイクルで考えないと、最奥の岩屋の侵食は説明がつかず、2千年ほど前の江ノ島隆起というのは少し無理があるようです。
その岩屋では、瀬織津姫と磐長姫の結合譚ができており、明らかに三島信仰なのです。
先日書きました白濱神社の三体妙見(Dragon Anasta)とも非常に密接に関わっており、江ノ島は3年前に書いたように(Crystal Philosophia)やはり他の土地にも類を見ないほど何層にも文化が折り重なっているのです。
東伊豆の大室山の磐長姫(Crystal Philosophia)、西伊豆(雲見)の磐長姫(Dragon Anasta)、そして江ノ島の磐長姫、思い起こせば長い道のりでした。
磐長姫信仰の正しい形、そして封じられる前の真のコノハナ・不二信仰を明確に認識することができました。
関東における弁財天の神紋は『対い波と三つ鱗』なのですが
北条氏の家紋は三つ鱗。
北条氏は桓武平氏の流れも汲み、宮島とも深いつながりがある。伊予三島と伊豆三島は過去に三島信仰の発祥地を巡って争ったことがあるようですが、それほどまでに瀬戸内と伊豆とは深いつながりがある。
北条氏の三つ鱗は三島信仰の三体妙見である可能性もあり、古代海人族の末裔である可能性もあります。
源平合戦時には、既に後期大和朝廷の支配構造も終焉し、三体妙見の争奪戦が繰り広げられていたようです。
戦国時代には後北条氏が伊豆を含めた関東全域を統制しており、第六天神社なんかも北条氏の信仰なので、関東はどちらかと言えば祭祀的には徳川よりも北条氏の文化のほうが色濃く残っています。
江ノ島も鎌倉幕府の祓い所になっていたわけですから、北条氏にとっても重要な土地であったと思います。
しかし、小田原攻めで北条氏が滅亡した後、江戸時代も大山・江ノ島信仰は復活したので、徳川は北条氏の影を消して、その信仰を引き継いだ可能性が高く、江ノ島を知るにはまず徳川の層を外してからでないと正確に見る事は難しいと思う。
その徳川氏も静岡のオタマと天白信仰で書いたように、天龍川の瀬織津姫祭祀をバックボーンに持っているので、北条氏と全く違う信仰というわけでもないと思います。
しかし、同じ北極星信仰でも『湖の神格化』と『島の神格化』は少し違っており、最終的に三振りの剣が降りてくる三体明剣の三島信仰は歴史の表舞台から消えていったのだと思います。
おそらく鎌倉幕府の時代は、源頼朝が日光を神格化していたように中禅寺湖の北極星と北条氏の三島信仰はうまい具合にミックスされていたと思います。
徳川家康は吾妻鏡を愛読していたらしいですが、頼朝の日光の部分は引継ぎ、三島信仰の部分は補陀洛信仰で埋め合わせていったのだと思います。
このような塩梅で宗像3女神の信仰と真の不二信仰は北条氏の没落で計らずも歴史の表舞台から脱落していったのでした。
伊予の一之宮は大山祇神社、そして江ノ島のすぐ近くには大山(おおやま)が。
三体妙見、磐長姫・コノハナサクヤ姫、大山はセットのようなもの。
瀬戸内の島々を住処にする「島信仰を持つ人々」が東へ落ち延びるとき、最大の拠点となるのが伊豆諸島なのです。
しかも、相模湾は暖流と寒流が交わる場所であり、ちょうど江ノ島沖は渦潮でもあります。海の層を表・中・底(住吉3神)の3つにわけるとしたら、相模湾の渦潮は底のほうで発生しており、目には見えないものでしょう。(底筒男のアマノウズメ)
しかし、古代人は木を切らずとも良質の材木を選別する目を持っていたわけですから、海に対しても底で渦潮が起こっているのは知っていたと思います。
そのような伝統もあって、瀬戸内と伊豆との信仰はかなり以前より深いつながりを持って維持されていたのだと思います。
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