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  2009/05/29 [14:39] (Fri)

品川の語源の最も有力な説は、目黒川の下流域がそう呼ばれていたことからきているという。

品川の語源(知泉Wiki)

目黒川(『ウィキペディア(Wikipedia)』)


おそらく、品川のシナは風のことであり、しなとの風神のことである。

風は水を波立たせたり(イザナミ)、凪らせたり(イザナギ)する根源的な神。

風がなければ命も生まれないともいっていい。火も水も風によって力を増す。

風神『ウィキペディア(Wikipedia)』

奈良県に風神で有名な龍田大社がある。

創建は天武天皇4年(675年)

675年といえば一言主誘拐事件でも書いたように、土左大神(土左高賀茂大社)が天武天皇に神刀を献上した年。

そして、龍田大社と土佐神社の風神祀りの日(7月4日)は同じ。(土佐神社のしなね祭は旧暦の7月4日)

龍田大社では国御柱命は級長戸辺命(女神)のこととしているようですが、土佐神社では『しなね様』として風の女神1柱を祀っているのみ。

今回の旅の意味と高知入りレポートに書いた西御前は風の女神であるだろうと思う。朝廷によって消された女神。訪問時も台風直撃の危機にさらされたように、台風は南西方向からやってきます。

その台風の大和への入り口に風の女神が祀られているのは合理的な話です。

ですから龍田大社に風の女神が祀られているのは、政治的なものであることはほぼ間違いがないでしょう。神は地形に宿りますから、風と関係のないところに風の神が祀られているのはおかしいのです。

ちなみに台風地方風をリンク。

この『風』は少名彦名とオオナムチ(太陽神)に関わっていそうな気がします。土佐神社では大国主(オオナムチ)と事代主を差し置いて真ん中に祀られています。風神は元寇で神風を起こした後、信仰されてきたかのように考えられていますが、もっと古い歴史があり、根源的な神であろうと思います。なぜならイザナギ(凪)とイザナミ(波)を仲裁するのは『風』だからです。

少名彦名の元々の伝承地とされる四国の大洲には肱川あらしという世界的にも珍しい現象があります。少名彦名はこの肱川(ひじかわ)で溺れて亡くなったとされる。日本最古の温泉の道後温泉と何か深い関わりもあるでしょう。(風は熱せられることによって向きが変わりますから)



話を戻しますと、東京の品川ですが

目黒川の下流域が品川と呼ばれ、その界隈に大鳥神社があるというのは、ものすごく深いメタファーがあるのです。

なぜなら、土佐神社の『しなね祭』が風の女神だけでなく、それに続く旧暦7月7日の七夕に直結しているのは(シナノの諏訪大社のミサヤマ神事にもつながる)風が吹けばシラトリ(白鳥座)が飛んで彦星(太陽神)と織姫(北極星)の逢瀬が果たされるということなのです。

つまりは、ヤマトタケルとは彦星であり太陽神であり、シラトリ伝承と密接な関わりがあるのはこういう理由があるように思うのです。

ヤマトタケル伝承が関東に多く、酉の市『ウィキペディア(Wikipedia)』が関東だけに見られるのは、関東は朝廷から少し離れていたため、過去の日本文化を温存できたのではないかと思います。これが天児屋根ライン(天児屋根と鶴の白山)と直結しているのは間違いがないでしょう。これが蝦夷文化であり先住民族系の文化。


ひょっとすると夏は台風(南西から北東への風)、冬は颪(おろし)(北西から南東への風)というセットで捉えられていたかもしれません。そうすると夏にシラトリに乗って織姫(北極星)に会いに行っていた彦星(ヤマトタケル)が赤城颪にのって還って来るという壮大なストーリーにもなります。

赤城颪の先には、さきたま古墳群、大宮氷川神社(中央構造線上)、そして品川で海に出る。

関東に多い第六天神社、恵比須の恵比須神社(天津神社)、目黒の大鳥神社に呼ばれるのはこういう理由があったのです。

おそらくは目黒川と品川が交わるところがイザナギとイザナミを取り持つタルミ(第六天)と呼ばれていたのではないだろうか。その付近に恵比須がいるのは兵庫の西宮と同じなのです。

西宮(サイグウ)と斎宮(サイグウ)



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    † タルミ †
   ~ タラ☆ウミ ~

 
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  2009/05/27 [14:16] (Wed)

恵比須の恵比須神社(旧天津神社)と下高井戸の第六天神社に呼ばれてまして、早く行かなくては思っていたのですが、実は深いつながりがあると思っていて、今日地図で、目黒に大鳥神社なるものを発見してびっくりした次第です。

なんと目黒総鎮守であるらしい。全くの不覚。

全てがつながったようです。

長禄の江戸図という古地図にも載っているらしいですが、Webにあまり資料がなく、下記の方が作られているものしかいいものが見当たらない。

大塚と「長禄江戸図」 (白龍亭)

これがめちゃくちゃ怪しくて、大鳥神社は大阪の堺の神社が総本社とされていますが、私の鶴亀ロジックでいくと、白山から東南の関東のほうが、大鳥の本拠地としてはしっくりと来るのです。

そして、大鳥連は中臣氏と同じく天児屋命を祀っています。
天児屋命などについては下記を

天児屋根と鶴の白山

しかも中臣氏は関東とも縁が深く、鎌倉は鎌足が鎌を奉納した土地。

鎌足は三島と茨木と縁が深く、これはともに静岡と茨城のメタファーでもある。

阿武山古墳は鎌足の墓とも目されるが、政府が慌てて埋めた、出てきてはいけない古墳。

鎌足は談山神社に連行されて祭祀されていますが、後期大和朝廷・明治政府・戦後GHQにとって鎌足および天智天皇は歴史の表舞台に出てきて欲しくはない勢力。

後期大和朝廷→天武朝こそが正統
明治政府→薩摩と長州主導の下で作られた国家神道
戦後GHQ→シュメールと直結する天智朝は世界史を覆す
時代を超えて上記3者の利益は完全に一致しているのです。


しかも関東にはヤマトタケル伝承が異様に多い。


一言主(土佐)、牛頭天王(姫路)に継いで、ヤマトタケルも誘拐されたようです。

白鳥伝承は実は神戸や香川にもたくさんあって天児屋根ラインと一致する。(白山を頂点として四国・関東を吊るし上げるラインをこれから天児屋根ラインとします)私たちが昨年巡礼したアナスタトリニティはこの天児屋根ライン上にありました。

そして妙見信仰が強いのも秩父・千葉・兵庫の天児屋根ライン。

実は、怪しい古代寺院が多いのも四国・兵庫・伊豆・千葉の4ヶ所。

そして七星剣が出てきたのは、畿内以外では高知と千葉。

そしてさきたま古墳(埼玉)の剣にはワカタケルの文字が。

誘拐事件の真相が少しづつ見えてきています。


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  2009/05/26 [17:46] (Tue)

何度も言うようで申し訳ないですが、また書かせて頂きたいと思います。

都佐坐神社(土佐国土左郡)(神道・神社データベース)


675年 土左大神(土左高賀茂大社)天武天皇に神刀を献上

678年 京都上賀茂神社創建

686年 秦忌寸石勝を遣わして(土左大神に)幣を於く

(686年 天武天皇崩御)

764年 昔、雄略天皇の時代に一言主は土佐に流された。
     だから賀茂朝臣田守は一言主を大和国に連れ戻した。

764年~850年 奈良高鴨神社創建
   

となっています。

雄略天皇の時代に一言主が土佐に流されていたのだったら、わざわざ神刀を献上させたり、秦石勝を遣わしたりせずに、天武天皇は一言主を連れ戻すだけで良かっただろう。

しかも、天武天皇は病気であったとされていますが、なぜ、わざわざ流された神の鎮座地である土佐に使者を出す必要があるでしょうか。

一言主の神通力が欲しければ、後の世で賀茂朝臣田守がやったように一言主を連れ戻せばもっと神通力を得られたはずでしょう。


上のことを分析すれば一瞬で答えが出ます。

天武朝までは賀茂の本体は土佐にあり、『続日本記』が書かれた8世紀の中旬以降に完全に土佐封じ込めの思想が完成したということでしょう。

このことと賀茂氏が時代が下るにつれて皇室への影響力を弱めていくのは同じ意味を持っているでしょう。(これは「土左大神(土左高賀茂大社)天武天皇に神刀を献上」の神刀が草薙剣であったことの傍証にもなり得ます)

そして、聖武天皇が土佐を含む遠国を流刑地に設定して、流刑地史観を醸成させていくのです。

しかし、飛鳥の都(橿原神宮の南)の最も重要な場所に土佐・下土佐・土佐街道という地名が残っているように、土佐から移住した賀茂族が飛鳥の都建設にたずさわっていたのは間違いがなく(飛鳥は高知市中央部の創りと同じ配置)それを流刑地史観で封じ込めようとしたのは、明らかな政治的な政策なのです。


一言主は大和国から土佐に流されたのではなく、朝廷が公然と土佐から一言主を誘拐するために『続日本紀』の中で作られた創作話なのです。


姫路の廣峯神社の牛頭天王も誘拐されていますし、このような『誘拐&歴史の改竄』というのは探せばいくらでも出てきます。

神というものは地形に宿りますから、湿地帯であった京都や奈良の平地に様々な古代からの神が集合するというのは明らかに権力による操作があるのです。

それぞれの地域が声を上げていかないと、産土神を失った魂の迷走は果てしなく続くと思います。

京都には京都の、奈良には奈良の、伊勢には伊勢の、出雲には出雲の、高千穂には高千穂の、権力に創作される以前のオリジナルの神がいるのです。

『日本書紀』や『古事記』に自分のアイデンティティを投影するのはやめましょう。文字はあくまでも文字。

大地を感じれば産土神は見えてきます。

誰かが優っていて、誰かが劣っているということはありません。全ては平等であるし、全ては自由なのです。それが修験道の本質でもあるし、自由民権の本質でもあるのです。



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政治/経済、宗教/哲学を基本としながら市民活動やスピリチュアル活動など、広範囲に動いております。行動範囲は今のところ、東は茨城県から西は中国四国地方までです。特に修験色の強い山間部の地域活性化に興味があります。該当自治体の担当者の方からのご連絡お待ちしております。どうぞよろしくお願いします。
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