品川の語源の最も有力な説は、目黒川の下流域がそう呼ばれていたことからきているという。
品川の語源(知泉Wiki)
目黒川(『ウィキペディア(Wikipedia)』)
おそらく、品川のシナは風のことであり、しなとの風神のことである。
風は水を波立たせたり(イザナミ)、凪らせたり(イザナギ)する根源的な神。
風がなければ命も生まれないともいっていい。火も水も風によって力を増す。
風神『ウィキペディア(Wikipedia)』
奈良県に風神で有名な龍田大社がある。
創建は天武天皇4年(675年)
675年といえば一言主誘拐事件でも書いたように、土左大神(土左高賀茂大社)が天武天皇に神刀を献上した年。
そして、龍田大社と土佐神社の風神祀りの日(7月4日)は同じ。(土佐神社のしなね祭は旧暦の7月4日)
龍田大社では国御柱命は級長戸辺命(女神)のこととしているようですが、土佐神社では『しなね様』として風の女神1柱を祀っているのみ。
今回の旅の意味と高知入りレポートに書いた西御前は風の女神であるだろうと思う。朝廷によって消された女神。訪問時も台風直撃の危機にさらされたように、台風は南西方向からやってきます。
その台風の大和への入り口に風の女神が祀られているのは合理的な話です。
ですから龍田大社に風の女神が祀られているのは、政治的なものであることはほぼ間違いがないでしょう。神は地形に宿りますから、風と関係のないところに風の神が祀られているのはおかしいのです。
ちなみに台風と地方風をリンク。
この『風』は少名彦名とオオナムチ(太陽神)に関わっていそうな気がします。土佐神社では大国主(オオナムチ)と事代主を差し置いて真ん中に祀られています。風神は元寇で神風を起こした後、信仰されてきたかのように考えられていますが、もっと古い歴史があり、根源的な神であろうと思います。なぜならイザナギ(凪)とイザナミ(波)を仲裁するのは『風』だからです。
少名彦名の元々の伝承地とされる四国の大洲には肱川あらしという世界的にも珍しい現象があります。少名彦名はこの肱川(ひじかわ)で溺れて亡くなったとされる。日本最古の温泉の道後温泉と何か深い関わりもあるでしょう。(風は熱せられることによって向きが変わりますから)
話を戻しますと、東京の品川ですが
目黒川の下流域が品川と呼ばれ、その界隈に大鳥神社があるというのは、ものすごく深いメタファーがあるのです。
なぜなら、土佐神社の『しなね祭』が風の女神だけでなく、それに続く旧暦7月7日の七夕に直結しているのは(シナノの諏訪大社のミサヤマ神事にもつながる)風が吹けばシラトリ(白鳥座)が飛んで彦星(太陽神)と織姫(北極星)の逢瀬が果たされるということなのです。
つまりは、ヤマトタケルとは彦星であり太陽神であり、シラトリ伝承と密接な関わりがあるのはこういう理由があるように思うのです。
ヤマトタケル伝承が関東に多く、酉の市『ウィキペディア(Wikipedia)』が関東だけに見られるのは、関東は朝廷から少し離れていたため、過去の日本文化を温存できたのではないかと思います。これが天児屋根ライン(天児屋根と鶴の白山)と直結しているのは間違いがないでしょう。これが蝦夷文化であり先住民族系の文化。
ひょっとすると夏は台風(南西から北東への風)、冬は颪(おろし)(北西から南東への風)というセットで捉えられていたかもしれません。そうすると夏にシラトリに乗って織姫(北極星)に会いに行っていた彦星(ヤマトタケル)が赤城颪にのって還って来るという壮大なストーリーにもなります。
赤城颪の先には、さきたま古墳群、大宮氷川神社(中央構造線上)、そして品川で海に出る。
関東に多い第六天神社、恵比須の恵比須神社(天津神社)、目黒の大鳥神社に呼ばれるのはこういう理由があったのです。
おそらくは目黒川と品川が交わるところがイザナギとイザナミを取り持つタルミ(第六天)と呼ばれていたのではないだろうか。その付近に恵比須がいるのは兵庫の西宮と同じなのです。
西宮(サイグウ)と斎宮(サイグウ)
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