伊勢神宮の天照大神の別名がオオヒルメ。天照の荒魂を祀る兵庫西宮・廣田神社に皇大神宮の荒祭宮の社殿が移設されている。
六甲山の守護神は白山権現。そしてオオヒルメ。
天照大神の別名はオオヒルメ。倭姫命世記に天照大神の荒魂は瀬織津姫と書かれている。
瀬織津姫を唱える※大祓詞(おおはらえのことば)※は、中臣祓詞(なかとみのはらえことば)。
※中臣氏(なかとみうじ)※は、古代の日本において、忌部氏とともに神事・祭祀をつかさどった豪族。
忌部氏で有名なのは阿波忌部氏。
中臣氏は藤原氏。ユリの率川神社に阿波神社を勧請したのは藤原是公。藤原仲麻呂(恵美押勝)と仲が良かったのは淡路廃帝(淳仁天皇)。
六甲山の古代名はユスルハダケ。
伊勢は斎宮(サイグウ)、六甲山麓も西宮(サイグウ)
百合の語源は、サイ・サユリ・ユスリ
西宮のピラミッド山は甲山(カブトヤマ)。古代名はコウヤマ。
伊勢神宮内宮は皇大神宮(コウタイジンクウ)
西宮の廣田神社に荒祭。音読みすればコウタ神社。六甲山はカタカムナ。
神の鳥はコウノトリ。コウノトリ空港は兵庫。
水鳥形埴輪出土数全国一は兵庫。銅鐸の出土数一位も兵庫。
極めつけはコウベ(笑)
同じユスルを冠する淡路島のユズルハ山は、熊野同体で熊野の奥の院。
修験道の道、復興へ 諭鶴羽神社(神戸新聞)
コウボウ大師はコウヤサンを開いた。
四国88ヵ所を巡った後はコウヤサンに行く習わしになっている。
六甲山には88ヵ所の社があったらしい。ユズルハのご神体・沼島にも88ヶ所があるらしい。
88を一文字にすると”米”
米寿は88歳を祝う祭り。ちなみに年齢も歳「才」と読む。つまりユリ。
揺すって年を取る。大歳神さまに年をもらって私たちはサイ(歳)を重ねる。
米をアメリカという風に読ませたのは誰か?思い出して欲しい私たちのルーツを。
大宜都比売(オウケツヒメ)は阿波。米は粟(アワ)を表していた。
※保食神※とはウケモチの神。豊受大神はウケモチ神。
宇迦之御魂神(ウケノミタマ)は、ミケツカミ(御饌津神)。
ミケツを受け持ったのは※ミケツクニ(御食国)※
ケツはキツネであり、お稲荷さん。つまりウカノミタマ。
ケツは、おそらくウケモツということ。
だから稲荷寿しは、揚げでお米を受け持っている。
自転車やバイクに2人乗りすることをニケツすると言いますが、俗語だけど本質をうまく言い表している。自転車(バイク)が2人を受け持つということ。お尻のことをケツと言いますが、これも俗語だけど言い得て妙。身体を受け持つのがお尻ということです。
豊受神とは、そういう神さま。
ちなみにお尻のように見える山を百(桃)に例えることがあります。古い風水ではそういう捉え方をしていました。六甲山山頂に祀られています99理姫に剣の一を足すと百になります。99理姫は白山姫であり、白と百は一違いです。つまり99理姫が祀られているということはその周辺に剣(一)が必ず存在するということになります。
そして桃太郎が生まれ、山から川に流れてくる。ちなみに山から剣(一)を引くと川という漢字になります。これがおそらく草薙剣。戦うための剣ではない。山と交信するための剣。戦いに剣を使えば湖面がナギらない。草薙剣は湖面をナギらせるがための剣。サナギは銅鐸。
******引用はじめ******
天照大神が保食神の所に天熊人(アメノクマヒト)を遣すと、保食神は死んでいた。保食神の屍体の頭から牛馬、額から粟、眉から蚕、目から稗、腹から稲、陰部から麦・大豆・小豆が生まれた。天熊人がこれらを全て持ち帰ると、天照大神は喜び、民が生きてゆくために必要な食物だとしてこれらを田畑の種とした。
******引用おわり******※保食神※より
天照大神を六甲山(オオヒルメ)、保食神を阿波、天熊人を淡路島に設定すると、淡路島のユズルハ山が、なぜ熊野の奥の院であるかを理解することができる。そして熊野権現が古代、紀伊半島西岸に祀られていた理由も、、、
そうすると高天原は、裏六甲?(笑)
それもまんざらでもなくて外宮の豊受神は丹波から来ているから
外宮が裏六甲の丹波で内宮が天照別名・オオヒルメの皇大神宮だったら辻褄が合います。
前回の※お陰参り※は阿波から始まったらしい。しかも、ヒシャクが大流行。
外宮の北門にヒシャクを置いていくことが流行?
ヒシャクは水と北斗七星を表すから豊受大神に水が足りなくなった?
現在は、ほんとに食の危機だから豊受大神宮に何かを持っていかないといけない?
お米?(笑)⇒88?
※印で囲んだリンクは全て『ウィキペディア(Wikipedia)』からの引用
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