スピリチュアルの罠として『間隙に入るエネルギー』がある。
大きいエネルギーを扱う時
エナジーワーカーはそれなりにエネルギーの器として
成長してなければならない。
ワーカー側が成長してなければ
扱うエネルギーが偉大で善なるものでも
ワーカー側のコンプレックスから
そのエネルギーが負のエネルギーに変化してしまうのである。
時に強い使命感と、自分が選ばれたのではないかと
勘違いする勘違い選民思想を持つ傾向の人たちは
ほぼこの間隙のエネルギーに食い尽くされて没落していく。
間隙のエネルギーというのは
心の隙間に入ってくるエネルギーです。
自分が何かを成すべき為に生まれてきた、であるとか
自分はすごい人間である、とか
満たされなかった過去から生じるエネルギーの不調和は
エネルギーワークを幾度行い、
自己のエナジーをいくら大きくしようとも
大きな間隙を生む。
ですから、何度もここで言ってますが
倫理を持たないヒーラーが大きなエネルギーを扱えるわけがない
ということになるのです。
エネルギーが小さい時は
少しのヒビでも全体は崩壊することはありません。
しかし、キャパシティを大きくすればするほど
少しのヒビが全体を左右するほどの間隙に成長していくのです。
どこぞの国の間隙だらけのエナジーワーク
これらを採用している人たちは気をつけたほうが
良いでしょう。
神社や聖地に行ってエネルギーの許容量を
上げれば上げるほど、自己の内部の矛盾というものが
増大していきます。
それが小さいうちに崩壊し、スムーズに本質へ移行すれば良いでしょうが
現代日本人のほとんどは自分たちの民族ルーツを拒絶した思考回路で
生きています。
この世に”感謝”という言葉がなんのために存在するかを問うた時
出てくる究極の答えはルーツのエネルギーを想う事
すなわち祖霊を拝むことなのです。
光や愛だと宣伝する人が祖霊を拝まない。
これがどれだけの偽善と嘘に塗れているか知る事は簡単です。
本物のエネルギーを知りたければ
この地に生まれたことに感謝し、祖霊に祈りを捧げることです。
自分の血肉は昭和の軍人の屍の上に成り立っているということを
認識できない人間がエネルギーを扱えるわけがないのです。
もうそろそろお遊びは止めて
本気で世界をヒーリングしなければならないでしょう。
常にニュートラルにいることとは
押し過ぎず引き過ぎず、執着を常に手放し続けることです。
ニュートラルにいることとは
芯が立つことでもあり
チャクラのバランスがとれることでもあります。
この状態はエネルギーバランスがとれることでもあり
自分の身の丈にあった活動・行動がとれます。
虚勢を張って自分を大きく見せようとしたり
ブロックを築いて自分の城を建てなくてもよくなります。
個人主義が広がれば広がるほど
認められたい願望の人たちは増え続けます。
個人と個人の間に壁を作り、そこを超えることを愛と呼び
それを宣伝する。
もともと壁などないのです。
共同で祖霊を拝む、これが愛の原型なのです。
壁は間隙を生み、間隙は人間を崩壊させる。
誠に都市国家ポリスとは人間地雷のような社会。
戻そうぜ!戦前の愛ある日本社会に!
***Energycopyright(c)*** Loving-earth *****
今年一年を通じて、感じたことは、人間性の成長を目指さないで自己目的的にエネルギーワークをするのが好きなら、ヒーラーにはならない方がいい、ましてアチューメントなんてしない方がよい、ということでした。
なぜならそれは、ヒーラーではなくて、クライアントを使って自己満足的にエネルギーを流しているだけだからです。それは言ってみれば、クライアントとエネルギーを使って自分を慰めているだけ、マスターベーション(失礼!)と変わらないとさえいえるのではないか・・・と。
実は、ある知人からとあるエネルギーワークを厚意で安く受けていたのですが、途中でそれを止めました。
その理由を細かく書くと個人的な領域の話になってしまうので避けますが、理由のひとつは、その人がそのワークをなぜアチューメントしたいのかという動機があまりに不純というか・・・「光を広めるといっておきながら、本当は自分がエネルギーを降ろしていい気分になりたいだけなんじゃないの?」という疑問が沸いてくるような態度がいくつか見られたためです。
「人にエネルギーを流すと、どんな風にエネルギーが流れているか分かるようになるので参考になる」 とか、「このワークをメニュー化することで停滞しているエネルギーを変えたかった」
等々の発言があり、なんだかそれって、結局自分がエネルギーを流していたいだけじゃん、と思ってしまったのです。
確かに色々なワークを受けて波動には敏感になったかもしれないけれど、人間性は? クライアントへのまなざしは? エネルギーの源への感謝は? 結局自分のエネルギーを変えることが目的では? という疑問符が渦巻いてしまい、気分が悪くなってしまったのです。
エネルギーワークは免罪符ではないのだと改めて感じています。
もちろん、究極的にはあらゆる仕事は自分のためにしていることですが、何事も謙虚さを失ったときに失敗が待っているということは、常々感じます。
私はフリーランスの仕事もしていますが、これは一回きりの契約なので、仕事で手を抜くとストレートにクレームがつくし、クレームしてくれるならまだましですが、客先から切られてしまったりします。私自身ちょっと手を抜いて痛い目にあったことが数回あります。
聖なる領域の事柄を扱う場合、謙虚さが絶対に必要だと思うのは、クライアントが来なくなるというレベルの問題だけではなく、クライアントを傷つけ不快にさせる可能性もあるからです。しかもそれは、単なる商品が不良品だったというレベルの話ではなく、魂や心の領域での問題なので事態は深刻です。
それをクライアントに「自己責任だから」と言い逃れするのはもってのほかだと感じます。
偽りの光も沢山降りてきているし、同じ名称の同じエネルギーでも扱う側次第でまったく違うものになるのだろうなと、改めて感じ入っています。
書き込みありがとうございます。
>自己目的的にエネルギーワークをするのが好きなら、ヒーラーにはならない方がいい
そうですね、他者をヒーリングするためには
自分のビーカーにエネルギーが満タンに入ってなければなりません。
自分のビーカーを満タンにするまでは
全てのエネルギーワークが自己目的化してしまいます。
その段階は他者をヒーリングする段階ではなく
まず自分を癒す段階なのだと思います。
その段階にいるのにヒーリングと称して
クライアントからお金とエネルギーを奪っている
人たちが現実に存在します。
>結局自分がエネルギーを流していたいだけじゃん、と思ってしまったのです。
本物のヒーラーはビーカーが満タンなので
新しいアチューメントを次々と編み出す必要はありません。
皆さん地道に活動しています。
>結局自分のエネルギーを変えることが目的では?
過去の認められなかった自分を癒すために
ヒーラーを始めている人も多勢います。
受け取ることと与えることの境界線をジャッジできてないのです。
>エネルギーワークは免罪符ではないのだと改めて感じています。
素晴らしい認識です。
>究極的にはあらゆる仕事は自分のためにしていることですが
究極的に自分を突き詰めると、ある時
ふっと抜け切ります。
その時に初めて世のため人のためが
自己の目的(自分のため)と同化します。
その時までは辛く長い道のりです。
>魂や心の領域での問題なので事態は深刻です。
ほんとにそう思います。
>それをクライアントに「自己責任だから」と言い逃れするのはもってのほかだと感じます。
社会を少しでも改善したいと考えているのではなく
自分を癒したいだけの人ですね。
>偽りの光も沢山降りてきているし、同じ名称の同じエネルギーでも扱う側次第でまったく違うものになるのだろうなと、改めて感じ入っています。
ほんとにそう思います。
言葉と本質を同じレベルで捉えてしまう人が多くいます。
その結果、偽者に騙されるということになります。
なんとかしなければと思っていますが
最近の傾向は、皆さん楽な方に流れるので
いかんともしがたい状況ですね。
普通に社会人生活を送っていると見えてくるのですが・・・・あちらの世界での権力任せで・・・こちらでの倫理で考えればやってはいけないレベルでの関与で、「何をやってもOKの保護されまくりの人間」と「それの尻拭いで、首をつる手前までに追い詰められる人間たち」の構図がありまして・・・
なんとも言えない部分が・・・
供養をしているいないは関係なくおこってます。
それはそれで丁重に祀れば良いと思います。
生前、どんな人生を送ろうが最終的にはひとつのところに還っていきますので。
それよりもさらに大事なことは
産土(うぶすな)の神を祀ることだと思います。
その土着の神を想うだけで、グランディングエナジーが入るのです。
人間界の些細なことはこのような大きいエネルギーを
土地に通すことで集団浄化されます。
東京の産土のカラーというのは
昔、坂東と呼ばれた人たちに出ています。
古代は東国と呼ばれた国の人たちですね。
さらに遡れば蝦夷(邪馬台国の末裔)です。
東京都内においてこれを感じる事は難しいと思います。あまりにも自然を破壊しすぎてますから。産土というのは自然の地形から発生するエネルギー波です。自然に手を加えればそれは喪失されます。その代償として天変地異があります。
高尾山に圏央道を通す工事が着々と進んでおりますがそのことによって昨年は豪雨が起こっています。東京の産土を感じる人たちはかなり深いレベルでこの工事に反対しています。坂東の結界というのはかなり広くて東は茨城、北は栃木、西は伊豆周辺にまで及んでいます。隠された霊山に神奈川の大山という山があります。この結界の周辺部の聖地を巡れば東京の産土の本質というものがある程度わかります。
ただ、この周辺部の聖地も破壊が進み始めています。守らないと東京の産土は二度と立ち上がってこないでしょう。
自然からエネルギーをいただけるというのは最大の強みですが、東京ではなかなか・・・。
そういえば、「大山」も先日から急に気になっており行ってみようかと思っていたところです。鹿がいるとか・・・。
東京ではもっぱらグラウンディングのためにすごいエネルギーを割かざるを得ません。
大地由来のものを使ってバランスを取っていくしかないのですが、それでも限界ですね・・・
蝦夷(東国)の血は私の中のもう一つのルーツでして、東北地方に行くと、途端に血が騒ぐ(笑)のですが東京も本来は東国なのですよね・・・感じにくいですが。
ケルトも蝦夷も小文化を組み込んで再構築していく巨大な共生文化のバックボーンがあります。
またケルトはローマからガリアなどと呼ばれ軽蔑され、蝦夷も朝廷から蔑称で呼ばれました。
江戸時代は大山詣ではものすごく人気があったのですが明治の国家神道支配以降土着神潰しが行われたので真に日本を動かしていってる龍脈が隠されました。
悲しいことですね。
それぞれの個性で皆が共生して生きていくためには土着神の復活が不可欠です。
東北の人たちには蝦夷の復活を呼びかけてますが、なかなか理解されないようです。
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