日本には、『心・技・体』という言葉があります。主に武道で使われる概念ですが、すべての事に適用可能です。
心はもちろん心御柱であり、自分のオリジンを発揮するための源になります。
自分のオリジンにたやすくつながれば良いのですが、それほど簡単にオリジンは姿を現してはくれません。
オリジンは日々、格闘し、さ迷い、求め、自問自答を繰り返した結果もたらされます。
何も苦悶をしない人には、オリジンは100%あらわれません。
ですから、躓き、挫折をした人にはオリジンというギフトが降りてくるのです。
現代日本人は『体』を真似て、『心』を悟ったつもりになる傾向が非常に強いです。
誰かの書いた本(『体』)を必死に読み、少しでも『技』を会得しようとします。しかし、真にやらなければならないことは『体』と『技』の向こう側にある『心』(何を考えてそう行動しているのか)を知ろうとすることなのです。
私は高校の時に、必死にノートをとっているクラスメイトを見て不思議でなりませんでした。『技』を写すよりも何を言わんとしているのか、の『心』を掴み取ることのほうが大事だと考えていたからです。
結局、学校の成績は必死でノートを取っている優等生のほうが上であったのは間違いがありません。私は留年しそうな落ちこぼれ達と好んで遊んでいました。
なぜか『体』とか『技』を真似したがる日本人一般の人たちには異質なものを感じました。
確かに伝統や格式は大事でしょう。しかし、なんのためにそれを継承しようとしているのか?という本質を知らずに伝統を重んじるのは不気味だと思います。
むしろ、『心』を知れば自然と伝統・格式を守ろうとする姿勢は生まれてくるはずです。
大学に入っても、教えていることと言えば『技』と『体』でした。経済の本質、経営の本質を教えている教授はひとりもいませんでした。(そういう学者がいれば今の日本はここまで落ちぶれてはいない)
そういう本質を語っている日本人は既に故人で、本でしかそういう人たちには触れ合うことはできませんでした。
それは会社に入っても同じでした。なぜ会社という組織を運営し、貨幣を頂いているのか?経営を合理化するために現在、最も良い選択肢とは何か?などの本質論に関しては、誰も問うてないというか、そういう問いを停止してロボットのように働く人間こそ、この国では良しとされるのです。
これは恐ろしいことです。
その結果『定額給付金を実行するために、多大な時間と労力と税金が垂れ流される』ような本末転倒の愚策が延々とループしていくのです。
社会のあらゆるレベルで<亡国のシグナル>が発せられているのです。
(科挙で滅びる直前の中国と恐ろしいほど社会状況が似ています)
すべての原因はトップで述べた『心』を知ろうとしないことなのです。
『心』はオリジンであり、本質です。
現実という結果を変えるためには、原因という源を糺さなくてはなりません。
現在の日本社会は何が社会衰退の原因であるのか?をわかっていない状態です。
さらには何が悪かったのか?という今この国が悪い状態になっていることも半ば認識できていないひどい状態なのです。
自分の今いる状況を即座に認識できないのが現代日本人の大きな特徴になります。サッカー日本代表の試合を見れば一般的な日本人の精神構造を知ることができます。点を取られなければ自分の今いる状況を把握することができないのです。
自分達がなぜサッカーをやっているのか?サッカーを手段にしてなぜ他国と試合をやるのか?など、そのような形而上の問いを問えてないため、日本サッカーのメンタル『心』はFIFAランクよりもずっと下です。
『技』(テクニック)を突き詰めても、『心』を知ろうとしなければ何も意味がないのです。
『技』は『心』を知るための単なる手段に過ぎないのです。
『心』を知れば、『技』は自然に生まれ、『体』は自然に形成されていくのです。
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