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古代神や古代聖地をご紹介し、神仏基に対する信仰を再生して頂くお手伝いをしています。
  2024/04/18 [17:00] (Thu)
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  2010/01/26 [13:37] (Tue)
上関原発に関して知人が切実なメッセージを転載されてますのでここからもリンクを貼ります。

上関原発建設計画への署名のお願い(インラケッチ便り)


日付は昨年になってますが、現在でも進行中の市民運動であり、時間のある方は少しでもご覧頂くと良いかと思います。Green Hearts Blog

昨年から、日本の原発では発電能力を高めるため国民の知らないところでひっそりとプルトニウム化が次々と進められており、発電能力が約2倍になったため、事故が起こった場合の被爆地域もそれに合わせて拡大し続けています。


排水の問題やリスク管理の問題など、原子力機構のデータ醸成の手法や論理には非常に問題があり、上関原発の強行を見ても裏で利益誘導があることだけは、はっきりとしており、一時の私利私欲の利益のために日本国の未来を犠牲にするのは、この上ない大罪と言えるでしょう。


私たち良識ある未来を憂う日本人が、さざれ石となるしかないかもしれません。ちなみに伊吹山はさざれ石の産地であるようです。気吹戸主(いぶきどぬし)の『風』も吹いていますね。

『君が代』の君が決して原子力にならないよう日本人は日本人力を取り戻していかなくてはならないと思います。

『君が代』の君は、大君(おおきみ)の君(きみ)であり、民衆の映し鏡のことです。

自分の子供たちを不安と恐怖に陥れる原子力発電所を一体、誰が望むのでしょうか?原発・ダム・国家負債は、持続不可能な負の遺産です。子供たちに押し付けないようにしましょう。


断層の上に建てられた原発もありますし、核弾頭なしのテポドン一発を原発に落とされるだけで原爆と同じ結果が生まれます。前回のテポドン発射では、迎撃システムを首都圏にしか配備できませんでした。原発のない首都圏に迎撃システムを配備してどうなるというのでしょうか?東日本・西日本の原発いずれかにひとつづつテポドンが命中すれば、3大都市圏全てが放射能に包まれます。昨年からプルトニウム化が進められてますので、2発から1.5発へと壊滅へ達する到達速度は早まっています。これだけを考えてもメリットよりデメリットのほうが大きいです。

外国の勢力が原子力関係者の中で暗躍している可能性は高いと言えるでしょう。


自己都合のデータ抽出と潤沢な資金力によって、落ち目のマスコミを買収して原子力発電所=温暖化対策というようなプロパガンダを展開しています。原発解体時のCO2排出を完全に無視したデータを元にしています。


さらに原発が無用の長物になるのは、稼動を停止した後であり、稼動停止原発の尻拭いをさせられるのは地域住民であることは目に見えています。

原発介護保険という法律が立法化されるかもしれません。

民主党は、『コンクリートから人へ』のスローガンを掲げていますが、原発は推進しています。


つい先日、設楽ダムの問題についても知りました。

設楽ダムの建設中止を求める会

ここでも『政治家とゼネコンの密約・賄賂→県議会に圧力→住民に道路建設というアメ』の構図が成立しており、単なるお金だけの密約が、住民のためのダム建設という大義に摩り替わっているのがよくわかります。国土交通省の資料は国民を欺くためのものですが、民主党は政権をとる前にこの欺きかげんのデータにも言及してましたので、どこまで改革できるかはこれからということでしょう。

しかし、政権交代だけでは、利益誘導的政治を終焉させることはできません。自民党から民主党へとストローの接続先が変わっただけだからです。

戦後55年体制自体を終わらせないといけません。『龍馬伝』を見るのもいいですが、現代は幕末よりもっと劇的な時代です。

近代政党政治の妥当性が失われ、グローバリズムが終焉し、ドル基軸が崩壊します。黒船が来航した時よりも、もっと衝撃的なことが次々と起こっています。

その激動の時代の中で翻弄されずに生きていくためには、しっかりと軸を建て、それぞれが集まり『さざれの意志』を持つことが重要でしょう。

『君が代』は、天皇を讃える歌ではなく、国民の結束を認識させる歌です。その象徴が天皇というだけで、専制君主的『君が代』を国民に植え付けたのは、原発を推進しているような国家主義者の人(人間よりも国家を優先する人)たちです。


私たちは、何を守り、何を子供たちに残していけるのかを真剣に考え、行動として示していかないといけないでしょう。

1滴の水は、なにものにもなりませんが、1滴の水でも長い時間をかければ岩に穴を開ける力を持っています。また、1滴では取るに足らない水でも大河となれば、あがなう事のできないほどの力になります。

良心という1滴の水を搾り出せば、それはあっという間に大河となるでしょう。瀬織津姫の力をさらに取り戻してまいりましょう。



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響の個人セッションでは、それぞれの方向性と目的にあわせた8回ワンセットの連続セッションを実施しています。魂の方向性を明確に認識し、軸建てを早めることはもちろんのこと、エネルギー認識が深くなれば深くなるほど起こってくるネガティブエネルギーの回避・防御を守護星・守護神・守護石などで行う講座なども含まれています。昔はこのシステムを産土神(うぶすながみ)と呼んでいましたが、現在ではこのような伝統も廃れてきたことから無防備でネガティブエネルギーにさらされる方も少なくありません。

守護神は必ずしも住む土地の産土神(うぶすながみ)である必要はなく、ご自分の先祖や魂のルーツにも求めることができます。守護神を知りご自分の元素的属性を知ると自分の役割が割りと簡単に見えてくるようになります。



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  2009/12/17 [15:14] (Thu)

経済状態がいよいよ悪くなってきましたので、現在のやり方を根本的に変えないといけないと考えている方も多くいるかと思います。

来年は、『競争の経済』から『協調の経済』への転換が起こり、また、そうしなければお互いに生きられない時代になってきます。

スピリチュアルの世界でも、海外から色んなものを仕入れて広めていくという段階もひと段落し、そういう中で培ってきた癒しのメソッドが日本の中で大同団結していくという構図になってきます。

だいぶ前から活動を行っておりますスピリチュアル・コミュニティ活動も止まっては進み、止まってはまた進みの連続で、皆が『協調の経済』を認識する時代になって一気に進ませるために、水面下での準備は怠り無く行っております。

「食」と「住」の心配なく、スピリチュアル的活動を皆で行っていくというスピリチュアル・コミュニティの創生には、環境整備はもちろんのこと、皆が『協調経済』に目覚めるということが必要です。

だいぶ前にこれを指摘して、現にリーマンショックによる世界恐慌が起こり、現在に至っています。私たち若い世代の日本人は、惰性で新自由主義の資本主義思想に乗っかるのではなく、新たに協調経済という新たな経済をスピリチュアルを媒介にして、世界に先駆けて実行する必要があるのです。

来年からは、神戸を拠点にして、京阪・瀬戸内を中心にスピリチュアル+市民活動+協調経済をキーワードにさらに具体的な活動に入る予定です。

関東でも引き続き活動し、東西をつなぐ役割も果たしていきたいと思います。


未来は私たちひとりひとりのビジョンにかかっています。

都市型スピリチュアルから脱却し、郊外型スピリチュアル、あるいは山村型スピリチュアルに変化させていく必要があるでしょう。山には人がいなくて困っている人がたくさんいます。充分に足りているところはそれぐらいにして困っている人を助けましょう。

国際貿易体制が不安定化すると、自給率の低い大都市は非常に社会が不安定化します。実際に世界はそういう方向に動いています。大都市に住む人々は今から、自給率の高い山村となんらかのつながりを持っておいたほうが良いでしょう。そのようなリスクヘッジの役目をも私たちは果たす必要があるでしょう。政治家にこの国の行く末を委ねるのではなく、私たち自身が動く必要があります。


もともと10年前にはスピリチュアルの文化が無く、若い人たちはどこにも自分の悩みを相談できず、本当にひどい社会状況でした。街中でクリスタルを販売すると『新興宗教?』と、白い眼で見られる時代でした。しかし、今や、PCを開けばWebでスピリチュアルにつながり、相談にのってくれる方はどこにでもいる状況になりました。意志さえあれば社会はどんどん変化していきます。

『個人への癒し』(本質へ回帰するお手伝い)は、ある一定の成果を得たといって良いと思います。これからは抑圧された感情をいかに言葉や体で表現し、いかに共有するか、ということが課題になってきます。それと同時に息も絶え絶えの日本古来の伝統的信仰を一緒に取り戻す必要があります。

まだまだ癒しは終わらないけれども、先に進んでいる方は、さらに新たな領域、社会ヒーリングに向けて動かないといけないでしょう。

農業をやっている方々や山に住んでいる方々を、情報発信などで手助けし、古い伝統的な信仰を共有し再生していくという方向にスピリチュアルは突入していかなくてはならないのです。

これら全てが弥生時代への回帰を意味しているのです。山台国(ヤマタイコク)すなわち山上で神と人が調和しながら暮らしていた日本初の共和制都市国家へ立ち返り、私たち日本人は、この国のあり方を根本的に私たち自身に問い直さないといけないのです。

全国的に、このような動きがあるところを調査していますが、東京周辺では資本主義思想が強く、都市型スピリチュアルが全盛を極めていますので、山村型へ移行するのはもう少し時間がかかりそうです。伊豆・箱根、秩父あたりが、かすかにその動きがありますが、もう少し熟成期間が必要なようです。


中部(長野)地域は、ものすごく動きがありそうなんですが、若い世代の動きがあまりなく、従来のグリーンツーリズムの範疇を出るような動きは、今のところ出ていないように思います。東海の都市型スピリチュアルと中部が結合すれば最強になると思うのですが、まだそのような思想的結合はないようです。

北陸方面は、昨年、すぴこん主催者の方と上記のような考え方に基づく祭典を開いてくという合意をもらいましたが、連絡がないのでどうなっているかわかりません。個々では色々と動きがあるようです。

自分が知っている中で一番、有望なのが琵琶湖スピリチュアルで、グリーンツーリズムやオーガニックとスピリチュアルがバランスよく融合し若い世代が元気があります。先日、多賀大社や彦根に行って、ちらっとお誘いももらいましたが、行けなくてすみません。

私が直接関わっている四国は、グリーンツーリズムとオーガニックが非常に濃いですが、長野と同じでスピリチュアルに対する理解度が低く、最新のスピリチュアルを注入すると副作用でアレルギーが起こっているような状況なので、まだまだ時間がかかります。しかし高知の場合は民主的性格が非常に強く、スピリチュアル・コミュニティ創生における最も高い壁『民主的政治プロセス』をどのようにコミュニティ内で実現していくかという課題において重要な示唆を与えてくれると思います。

書き忘れましたが千葉は、地域通貨のピーナッツ方式というものがあるらしく、スピリチュアル・コミュニティも実際に稼動してますので、それらが融合すれば大きな流れになるかと思いますが、どうしても東京の資本主義に依存する経済からは完全に脱却はできないと思いますので、完全自立の経済圏の可能性はかなり薄いとは思います。でも、かなりの思想的成熟は望めると思います。

瀬戸内・中国地方、九州にはこれから調査に行きたいと思います。来年度、関西に行った時にでも、北九州方面まで足を運んでみたいとは思っています。

先月、『お金のいらない国』著者の長島さんと偶然話す機会があり、楽しく歓談しました。長島さんも色々と全国を回られているようで、そのご活動を下支えする人たちにもスピリチュアル・コミュニティのような思想があるようです。おそらくはこのような支流の流れが一気に融合する時が来れば、大河となって日本の構造が変わっていくような気がしております。

こればっかりは下支えする人たちが多くいないと決して実現せず、究極的には小さい島なんかでもいいわけですね。100人くらいの住民で食とエネルギーを100%自給して、そこにWeb環境があり、協調経済のスピリチュアル的な活動をしていければ、地域全体としては非常に強い経済ファンダメンタルズを持った市民集団ができるわけです。先進的であればあるほど観光地としても機能しますから、全体的な収支は完全に黒字化します。固定費が限りなく0に近く、浪費も限りなく0に近いわけですから、観光やスピリチュアル・インテリジェンスで得た外貨は、さらなるスピリチュアリティの開発とWeb環境の充実やさらに効率の高いエネルギー発電、周辺環境を守る市民運動に投資されますから、非常に高度な専門集団にもなっていきます。

住民同士の結合も強く、政治的にも成熟していくと思います。島であれば収入に応じて市民権も販売しますので(従来の憲法解釈では不可能ですが)、緩やかな会社組織とみることもできると思います。

これらは2007年11月のレムリアンリゾナンス活動開始時に発表したものと同じですが。


これが日本の次世代の国家モデルになりますので、日本のどこかにこういうことに目が開けた地域があるはずです。そこを起点に日本が変わっていきますので、来年も埋もれた宝を発掘していきたいと思います。


山には、後継者がなく存続が危ぶまれている村や畑などがたくさんあります。そういう場所に赴き、そこからWebで現地のスピリチュアル情報を発信し、固定費の低い住・食環境を実現し、ダンスや歌、舞や知識を通して、それぞれの地域が交流していくというモデルが最高でしょう。

このモデルを実現するために大きな壁が2つあります。1つは私も失敗したんですが、コミュニティ内においてどうやって民主主義を徹底するか(スピリチュアルの人が先行してコミュニティを作っていく場合、必ずそのコミュニティは宗教化します)ということと、エネルギー自給の技術力を誰がどこからどのように引っ張ってくるかということです。私の場合は、今のところ木質バイオマスと風力発電の可能性しか知りません。


農業をされている方は、ローカリティ(グラウンディング)が強く、グローバルなスピリチュアリティを理解するのが苦手な場合があります。そこを私たちがつなげ、活発な人的交流を行う窓口として機能する必要があります。

スピリチュアルにおける日本均一のインテリジェンスは、このようなことからこれから非常に重要な役割を果たしていくことと思います。アセンションやワンネスといって、だいたいの意味が通じるのは非常に重要なことです。

都市型経済に埋没してしまい、山へのつながりを全く持ててない方もいるかと思いますが、そこらあたりは私を含めた別の方々がリンクしていきますので、スピリチュアリティ活性化と社会問題解決を一気に前進させて参りましょう。





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  2009/07/26 [18:04] (Sun)

個人主義といえばアメリカ社会の代名詞として認識する人が多くいますが、アメリカの場合は個人主義には必ずホームパーティ文化や日曜礼拝文化が付属しているので、個人主義であっても地域コミュニティというのはある程度保たれます。

しかし、日本の場合は、戦後のマスコミが偏った報道を続けて、個人主義と言えば自己主張をすること、はっきりとモノをいうこと、他人と関わりあいを持たない事がクールである、などという間違った観念をばら撒き続けました。しかし、アメリカの個人主義にとって最も重要なことは自己主張が地域コミュニティ(社会問題)と直結しているということであり、個人主義とは常に政治的・社会変革的であるのです。

戦後日本人は物事の本質を分析せず、うわべだけを輸入する事が得手でしたから(それがある意味クールだとマスコミや大手出版社が宣伝する)社会が限りなくうわべだけの社会に近づきました。

そういう状況が何十年も続きましたから、日本人の中のアイデンティティというものがめちゃくちゃに壊れまして、皆、一体何に帰属していいのかがわからない状態になっているのです。

民族・天皇という言葉を出せば『戦争』や『宗教』を連想させ、経済発展と民主主義が『平和』を連想させる時代は終わったのです。

日本のスピリチュアルが興ってきたのは、こういう背景があり、ちょうど9.11の直後からポストモダンの日本社会が見えている人は皆、一斉に声を上げ始めました。それが今、いろんな業界を巻き込み、あるひとつの大きな流れへと変貌を遂げようとしています。

これが新しい日本人としてのアイデンティティになることは間違いがないようです。

人間は多様的な生き物ですから、ほっておけば価値観は留まることなく多様化していきます。しかし、多様化しすぎると今度は価値の共有ができなくなってしまいますので、争いや犯罪が頻発するようになります。また、同じ価値を共有するという安心感がないため、わけのわからない恐怖感やとめどない将来への不安が沸いてくる人たちが増えてきます。

あるひとつの国家や民族とは、こういう恐怖や不安を取り除く装置でもあるのです。こういうのを”Nation(ネイション)”と呼びます。日本ではほとんど言及されない価値観です。

アメリカやヨーロッパは今でも普通にこういう価値を理解しているのですが(日本のように島国ではないため国境線がわかりにくいのでNationを生み出す必要があった)、同じ先進国でも日本の場合は、西洋の悪い面ばかりを輸入して、それがあたかも西洋の本質であるかのように宣伝する人たちがたくさんいらっしゃるので、日本国内における社会のあり方というのは凄まじいほど壊れています。昨今の犯罪はこの状況を投影しているだけに過ぎないのです。


例えば”Nation”があった時、何をその根本に持ってくるかは、それぞれの国にありますが、日本にはありません。ありませんというより、あるにも関わらず目を背け続けているのです。その目を背ける行為が正当化されるために個人主義が増殖していきました。

渡米して個人主義とは自己主張をすることと勘違いをして帰国してくる方がいますが、これは全くのお門違いで個人が権利を主張する時、地域を支えていくという(コミュニティに参加しているという)義務も負わなければならないのです。

これはどういうことかと言いますと、個人主義という時、日本では社会をより良き方向に変革していくという義務のほうに全く焦点が合ってないということなんです。権利を主張する時、まず日本人として社会やコミュニティをバックに背負っているということが前提であり、それがなければ単なるおかしな新興宗教に過ぎないということなんです。

マスコミや大手出版社は平然とこのような新興宗教まがいの洗脳工作を日夜繰り広げています。


前置きが少し長くなりましたが(笑)

こういう社会を改善するためにスピリチュアル業界というのは膨張を続けてきたわけでありますが、もうそろそろ社会のシステムとして機能させていく段階に来ているのではないかと感じています。

それで、今、何が必要かというと、多様化とは逆の『融合』という実際的な手段が必要なんですね。

それを高知の『おきゃく』という文化で展開するのはどうかと色々と思案中です。『おきゃく』とは様々な年代の人間が一同に介して酒を飲んだり謳ったり踊ったりする高知の文化で、『よさこい』を「動」とするならば『おきゃく』は「静」の文化になります。しかし、この2つの文化の本質は同じで高知の自由・平等主義の源となる文化でもあります。縄文のマレヒト・他民族国家ヤマトの根本原理(クニトコタチ)になっていたものです。


ここにスピリチュアルを差し込むことによって「太田総理、、、」の番組のような議論が高知の各地で毎晩毎夜繰り広げられるということになるんです。これは明治維新時や自由民権運動の時にも起こったことで、高知のディベートの文化に「目的」が付加されると日本の社会がものすごいスピードで変わってくるんです。

ただ、これも最初から最後まで高知の人間だけでやったわけではなくて、色んな人が複雑に絡み合うことで日本史は進んでいきましたから、社会を変革する器として非常に有効な文化を今でも保持しているということだけなんです。


***引用はじめ**吉田茂『ウィキペディア(Wikipedia)』***
首相時代、利益誘導してもらうべく、たびたび地元高知県から有力者が陳情に訪れたが、その都度「私は日本国の代表であって、高知県の利益代表者ではない」と一蹴した。
***引用おわり**吉田茂『ウィキペディア(Wikipedia)』***

勘違いされると困りますので、同じようなスタンスの吉田茂の言葉を引用しておきます。



スピリチュアルの価値観というものが広がって、それが社会参加あるいは政治参加のひとつの形態になっていくのは、ほぼ確実だろうと思います。

戦後社会の中で物質に重きを置いた唯物主義が横行し自然が悉く破壊され、若い私たちの間では、唯物主義に対する反動がものすごく出てきている。だからといって唯心主義に陥るわけでもなく(唯心主義に陥ったのは江原氏などのスピリチュアル、それを支持する人たちは霊能力が社会を改善すると考えていたようです)ある程度の物質と調和を図りながら【どちらかと言えば唯心的】というスピリチュアルの立ち位置がこれからの主流になってくるからです。


また、このスピリチュアルというのは”One God”が存在しているわけではなく、”Any God”なわけで、明治維新後の国家神道vs自由民権運動という対立構図にも非常に似ているんですね。現在における”One God”とは、資本主義という”One God”であり、ひとつの政府という”One God”、自民党という”One God”なわけです。ですから戦後社会の”One God”(55年体制)に対抗する”Any God”がスピリチュアル業界というわけです。”Any God”は多神教の世界であり、西洋人がアニミズムと名づけた類の哲学でもあります。

現代日本人は、ひとつの価値観が社会を覆うことについて注意を払うことが苦手で、政治思想的多様化や経済思想的多様化については、ほとんどの場合無視されています。しかし、真の民主主義とは、選挙を実施することよりも政治思想と経済思想が国内にたくさん存在し、それを選択する自由があるという意味です。その『選択の自由』が日本に存在しないのは明らかでしょう。なぜならば自民党・経団連・日銀・霞ヶ関が”One God”であるからです。



スピリチュアルに興味を持つ方でジャッジはいけないだとか、対立はいけないだとか言う方がいらっしゃいますが、スピリチュアルに興味を持って入場している時点で、今の資本主義社会と決別し、対立し、ジャッジしているわけです。ここらへんのところもロジカルに思考できるようになれば同じ目的に向かって変革を早めていくことはできそうです。ロジカルシンキングというのはディベートによって身につきますから、今でも強烈なディベート文化を保持している高知の「おきゃく」文化をのせていきたいですね。


またスピリチュアルの中でも空想的なものと現実的なものとこれからははっきりとわかれていくと思いますが、江戸時代にも空想的な『朱子学』が流行った時に、現実的な『陽明学』がそれを抑えるような形で発展していきました。この陽明学の一大拠点が土佐南学であり、明治維新の原動力となった国学のルーツでもあるのです。(明治維新は陽明学の巨大な行使と言っても良いと思います)サルトルの実存主義的哲学とも似ています。

特に京都の山崎闇斎『ウィキペディア(Wikipedia)』なんかは土佐南学派で国学の祖とも言える存在。

『知行合一』が陽明学で最も有名な言葉ですが、認識と実践を合一するという言葉です。知が先にあって行いが後になるという『知先行後』の朱子学とは逆の考え方になります。

スピリチュアルの中でも、空想ばかりが先行し、実際に社会を変革する知行合一がなされてないものがありますが、それこそまさに『知先行後』的スピリチュアルでしょう。社会を変革できない知識ほど無益なものはありません。

しかし、スピリチュアルとはそもそも個人や社会の癒しであり、それは『知行合一』でなければ意味がないのではないかと自分などは思います。

あまりこだわりがない人は、今、そうでなければこれからそうしていけばいいだけのことで、それを皆がやることによって、皆が生活できていくというシステムを創りあげないといけないんですね。そのための話し合いの場を「おきゃく」の文化を通してやればいい。


とにかく、皆で枠を超えてやっていきましょうよ、という話。

特別なことをやったり気負ったりする必要は全然なくて、ただ集まって酒飲んだり踊ってれば、必然であれば、やるべき人がやるべきことをやるはずですから、参加するだけでいいのではないかと思います。

いかなる強制などされるはずもなく、最も重視されるのは「自由意志の尊重」なのです。それが「よさこい」と「おきゃく」文化の本質でもあるからです。

こういう”Any God”を連想させる地方の文化には、これからはさらにスポットをあてていきたいですね。


出でよ、伝統や格式にとらわれない”Any God”よ!




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  2009/03/27 [14:53] (Fri)

クオリア・Sコミュニティ・移動生活者のエンゲージでも書いてますように
新しい日本は今までとは全然違ったものになります。

現在は不況というマクロ経済学の幻想をマスコミが流しているため、皆、経済活動を萎縮させておりますが、これは本質的に経済を理解してない人たちが選択する道です。

故松下幸之助は不況下でこそ積極的な投資を行うべきだとの認識を示しておりましたが、まさにその通りで、不況とは絶対的な資産の喪失を意味するものではありません。

不況とは金融の世界における含み損から起こるマインドの後退であり、実体経済の後退ではないのです。

日本の経済成長が12.7%のマイナス成長を記録しましたが、これはネガティブマインドが実体経済を萎縮させた好例です。

実質的にはドル基軸が崩壊しましたから、円高を刺激し、円基軸を宣言し、世界の金の流れを日本に一気に呼び込めば、先月にでも世界不況は終わったはずです。

だらだらとアメリカの債権国になるのかならないのかで躊躇している内に、傷口は拡がり続けているのです。

円高が世界の希望であれば、円を極限まで強め、他国を買収し日本発の世界秩序を打ち立てれば良いのです。

みすみすチャンスを逃し続ける甲斐性のない政治家達です。


さて、そういう間の抜けた方たちのことはほっておいて、私達一般人のことですが、はやめに新たな国家像について確認しておく必要があるでしょう。

道州制については各地の神社を中心に形成していくつもりですので(選定はなかなか難しい)日本が大同団結していた縄文の力の強い地域がこれからの中心地になっていくことになると思います。


カルト資本主義で個人主義というものが横行し、ともに何かを創造する・協力するという雰囲気が日本から失われて久しいですが、新自由主義が崩壊した今は、いい機会です。

社会主義的な力を取り戻す必要があるでしょう。

それぞれが余剰の経営資源を持ち寄り、助け合って新しい日本を創っていきましょう!

まずは自分達の手で自分達の社会を創造できるという感覚を持つことが大事でしょう。

それと経済に対する理解も必要でしょう。昔の人は大学にいかずとも経済の本質についてはある程度見抜いていましたが、現在の若い人たちは大学を出たにも関わらず、経済の本質についてかなり疎いところがあります。

日本の経済は経世済民であり、西洋のエコノミーとは出所が全く異なるということも同時に知っておく必要があるでしょう。エコノミーは自分が利するためにどのように行動するかがテーゼになっていますが、日本における経済とはいかに社会が幸福になるかが大前提なのです。


そこまで見えれば、自分の内にどういう社会を築いていきたいのかが見えてくると思いますので、その時初めて自分にできることが見えてくるでしょう。


今、日本では哲学・思想が壊滅しており、新しい国家像や体制を語る人間は皆無です。まずはそこから変えていくしかありませんが、ものすごく進んだ方でも、現社会体制が崩壊することなどあまり考えられていないのです。


しかし、少しの知性があり、少しの歴史を知っていれば今がどういう時代なのかを知り、対策をとることは簡単です。

何もしないのであれば、今ここに生きている意味などないでしょう。

生まれてきた意味を知りたければ行動するしか方法はないのです。

 

まずは身を寄せ合って、経済規模を縮小させながらでもファンダメンタルズを立て直していくことが肝要です。

人をつなげていくことに専念しましょう。

日本にとっての財産は人でありますが、最近では外貨準備高と見られています。

なんとも虚しい世の中でしょうか。一体、金ありきの世界で何が為されていくというのでしょうか?

新自由主義が選択されてわずか20年で世界は崩壊しようとしています。

資本主義の行き過ぎで造ってしまった心の壁を取り除く必要があるでしょう。

いちいち気を使わず協力していけば良いのです。たまにケンカがあってもいいでしょう。本気ならば衝突は起こるものです。


目を覚まして、とにかく楽しい花火を打ち上げましょう。






シラヤマリアのエナジークリスタル

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  2009/03/18 [01:00] (Wed)

何度も書いておりますスピリチュアルコミュニティに関してですが、もうそろそろ『ひょっとすると今の社会体制は早晩崩壊するかもしれない』と感じ始めた方がいらっしゃるかもしれません。

今回の不況は、好景気・不景気が循環するというマクロ経済の原則には全くあてはまらない状況だということを認識する必要があるでしょう。

前にも書きましたが、今回の不況の出発点は『資本主義の限界』というテーゼです。

そこを超えなければ、不況は決して終わりません。

このまま資本主義を選択し続けて、私達は、そして地球は大丈夫なんだろうか?

そういう世界的な懐疑マインドの増加によって、今回の世界恐慌は起るべくして起っているのです。アメリカがゴールド(金融)からグリーン(環境)へと舵をきりましたが。これはどちらかと言えば賢明な選択ではあります。


しかし、最も重要なことは、何を契機としてグリーン(環境)の思想家が大挙として出現してくるか?です。

現在まで続いた資本主義の流れは、スコットランドの天才アダム・スミスが1776年に出版した『国富論』より始まっています。

資本主義思想は社会主義思想と双璧を形成し、戦争まで引き起こして、現在にまで至ります。結局は資本主義思想に軍配が上がったのですが、アメリカ合衆国が社会主義化していっていることに懸念を抱く人たちもいます。

アメリカのゴールド(金融)からグリーン(環境)への舵取りは本質的には第三の道ではなく、社会主義思想への舵取りなのです。


このような2つの経済思想が世界を動かしている中で唯一、日本だけがそれ以外のルートで成功をおさめました。

アダム・スミスやマルクスを取り入れながらも、日本経済思想の本質は石田梅岩と言って良いでしょう。世界における第三の道とはこの石田梅岩の道であり、日本古来の大和における経済思想であるということはほぼ間違いがないでしょう。

それで、今、日ノ本国論を書いていますが、現在の社会構造の中で石田梅岩が再度、機能し始めるというのはあり得ない話です。

一回、洗濯しないとだめでしょう。


日・月・星(グリーン)を中心に社会を再編成し、そこから経済思想を展開していく。そうするのが最も合理的です。

まずスピリチュアルコミュニティを作り、それを道州制に拡大していく。

警察や裁判官、政治家までもが買収されるめちゃくちゃな時代です。法が機能してないことは明らかです。

私達は私達の手の中に『大和の自由と民主主義』を取り戻す必要があるでしょう。


何も過激なことをやる必要はありません。既に崩壊しているということを自分の内において認める(認知する)だけで良いのです。

そうすれば何をやれば良いのかが自ずと見えてきます。もう動いている人たちはいます。残念ながら次の時代も自由の御世になりますので、結果平等は遂行されないでしょう。現在、機会は均等に与えられていますので、早く参入された方が繁栄するでしょう。


古い構造にしがみつけばつくほど致命傷になります。

既に世界は変わっています。


政治を通して何かが変わると幻想を抱いたり、政治家が何かをやってくれると妄想を持つのもやめにしないといけません。

近代の自由と民主主義が行き着いた先は、政治家が政権を投げ出す自由、国民ではなく政治家としての自分の身を守る自由、自分または利益誘導者に都合の良い法律を可決させる自由、でした。

これでは、どうにもなりません。

近代国家における自由とは、本来、力のない市民が権力に対抗するために生み出された法的な概念です。

なぜ、日本では権力者がわがままで自由なのでしょうか?これは法の本質、特に法の精神を理解していない証拠です。

そのようなものたちが立法府を占拠しているのだから、大変です。三権分立など確立されているはずがありませんし、政教分離など夢のまた夢です。

国民はそれが為されていると信じ込んでいますが、政治とは何か?宗教とは何か?などの根本的なテーゼが提出され議論されていないのに、そのような高尚な法が機能するはずがないのです。

20代、30代の方はこういう烏合の衆の真似だけはしないようにしましょう!

そもそも、近代国家とは西洋哲学をベースに生まれているのですが、現代の日本の政治家には酔ったり投げ出したりすることはありますが、問うということがありません。

哲学的思考がまるごと欠落しているのです。

それが結果的に歴史学をも迷走させてきたのです。


日本の古代の空間認識や時間認識などは驚異的な哲学性を持っています。その哲学性に近づくためには、マスコミのプロパガンダに洗脳されていては何も始まりません。

自分の頭で考え、自分の解を出す、そういう哲学的思考を持っている人しかこれからの時代は生き残れません。学歴やスキルは意味がないのです。


記憶ロボットを量産する大量生産大量消費の時代は終わったのです。

世界の風を読み、潮を読む、サルタヒコが求められているのです。

それが集まり、音の沙汰があった時に、日ノ本国も再生していくのです。

景気回復と新たなる古代史の発見は密接に絡まっているでしょう。私達が日本人としてのアイデンティティを失っているのはヒラキの前の単なる兆候なのです。


全ては必然です、現実を深く認知することが一番重要です。


 

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政治/経済、宗教/哲学を基本としながら市民活動やスピリチュアル活動など、広範囲に動いております。行動範囲は今のところ、東は茨城県から西は中国四国地方までです。特に修験色の強い山間部の地域活性化に興味があります。該当自治体の担当者の方からのご連絡お待ちしております。どうぞよろしくお願いします。
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