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古代神や古代聖地をご紹介し、神仏基に対する信仰を再生して頂くお手伝いをしています。
  2024/04/27 [00:07] (Sat)
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  2009/04/25 [16:29] (Sat)

下鴨神社の由緒に記載されています『丹塗矢』と『桃太郎の桃』と『箸墓でホトを突いて亡くなった姫』は密接に関係しています。

山上から矢が流れてくるというのは、桃がどんぶらこと流れてくることと同じですし、丹塗りの矢は桃の紅ともつながりますし、猿田彦の目もホオズキのように真っ赤であると形容されます。

赤が山から降りてくるのは、神降りの常道であり、それが矢であるということは、京都が的(マト)になったということになります。

琵琶湖湖西高島地区にも鴨川、八田川、安曇川があり、ここも的になりかけていました。しかし、安曇氏が穂高に入ったのは、的(マト)の争奪戦(神に選ばれるという神事)で敗北したという見方もできると思います。安曇野の八面大王が八女の女神ともつながっていることを考えると、安曇氏はおそらくは女神信仰を持っていて、モモソヒメを葬った(女神を妻籠した)勢力によって、打ち負かされ東に落ち延びたのではないかとも思います。

何かタケミナカタと重なるようなストーリーです。


矢(ヤ)と的(マト)でヤマトであり、矢は男根のメタファーであり、的は女陰(ホト)のメタファーであります。秩父夜祭でも見られる北辰祭りの女神・男神の結婚譚・逢引譚がヤマトの語源になっていた可能性すらあります。

八ヶ岳の権現岳には矢が刺さったような巨石があり、北極星(ソフィア)によって選ばれる神都というのは矢に対するなんらかの信仰が残っているといっても良いと思います。


丹生の構造線ラインの一翼を担う四国の山中には赤は赤龍で表現され、赤土が川に流れ出ると赤龍の怒りと捉えていたような感じもあり、そしてその赤土を土器にすることによって食事をするごとに赤龍の力を体内に取り込んでいたというイメージにも覆われています。(これは山上からの『赤』が神がかりの要素とされていたこととつながります)

赤は白と同時に最も純粋とされていた色で、赤ちゃんの語源にもなっています。赤ちゃんはほっぺが赤いから赤ちゃんではなく、形而上の純粋性を投影したものであり、桃太郎やかぐや姫が山の何かから生まれるというのは、日本にものすごく古い時代から存在する赤ちゃん信仰なのです。

そしてその赤の土(はにやす)の力を瓶にし、そこに水を入れ天に捧げる、そしてそこに神酒を入れ太陽神に捧げるということなのです。

土を水でこね、火で熱し、天に捧げるというのは陰陽五行と習合しながらも、根底にあるのは日本独自の石とエレメントの思想であり、ものすごく古い時代のものです。

 

丹塗矢はこれらの時代と比べれば比較的新しい時代のことですが、それでも現代では未だ解き明かされていない領域の問題でもあり、大和創世の根本的な問題とも言っても良い問題です。

本来であれば、若狭・比叡山からの女神の矢は赤の天河を越え熊野へ射抜かれていたはずが、箸墓で女神性の封印が行われ、箸墓の地から東の伊勢に白羽(シラハ)が方向を替えられ射抜かれているように感じます。

伊勢信仰とは本来、熊野信仰のように南に対する信仰でなければならず、伊勢神宮の本体とイサハ宮が過去争ったことを考えても、箸墓とは伊勢神宮のメタファーであり、箸をホト(女陰)に差し込んだのは大神神社から室生を通って伊勢の地ということにもなります。だからこそ室生は龍穴であり、天照大御神が唯一神にされなければならなかったのです。

ニギハヤヒの名は消され、ニギハヤヒの位置に女神が女性性を封印され配置され、女神そのものの位置は消されました。これが私たち日本人がアマテラスに抱く複雑な感情のもとになっているのです。



伊勢神宮そのものは政治色がかなり強く、イサハの原初信仰を政治的なものに組み替えた様は宇佐神宮とオモト・ヤメの関係と酷似しています。箸を振り出した張本人は間違いなく中央集権国家という権力であり、振り出された側は土着のそれぞれの神を祀るクズ勢力でしょう。

そもそも『ミスマル』という王の称号の思想は、それぞれ違うものたちが互いに尊重し合い、ひとつのクニを創造していくという国連のような神宝思想です。『記・紀』の中に記載される騙まし討ちや、各地に見られる女神封印は、そのミスマル思想とは別次元のものです。


南朝の守護神が九頭龍で蝦夷の最高神がアラハバキともセオリツヒメとも言われることを考えると、我々日本国の歴史とはまさに権力と女神(自由と愛)のせめぎあいであり、ほぼこの箸墓に全ての根源を遡及することができると思います。

『記・紀』を無闇に信仰するのは、権力に迎合するということであり、真に大切な日本史を知ろうとしないということです。私たち日本人は少なくとも石器時代以降は同じ言葉を使って交流をしていたわけで、その時に共有していたのは文字ではなくエネルギーなのです。カミと誰かが言うとき、皆、文字ではなくエネルギー(感性)で同じ存在を共有していたのです。

『記・紀』は完成して、まだ1300年ほどですがエネルギーの世界は少なくとも1万年の歴史はあります。文献至上主義者は「文献を見ること以外、過去を知る手立てがない」と言いますが、人類の歴史から見れば、文字の歴史は米粒ほどの長さであり、文字から全てを知ろうとする行為は非論理的なのです。

むしろ文字は、らっきょうや紅しょうがなどの付け合せであり、そこからソフィア(智)の全てを知ることなどできるはずがありません。しかし、文字はソフィアから生まれており、現代の『文字とソフィアの乖離』は嘆かわしいことのひとつでしょう。

エネルギーは嘘を付きません。『汚い』と書かれた札の下からきれいな水が湧いてきていたらどうでしょうか?

人間は文字の嘘を見破り、水の本質を認知することができるのです。エネルギーもそうです。いくら神社の祭神を替え、場所を移動させ封印しようとも、封印した時の痕跡が残るのです。

ことさらに神威を大きく見せようとする神社には、そうしなければいけない特別な理由があるのです。

皆が本気でエネルギーの世界を知ろうとすれば、天手力はすぐに降りてきて、岩戸を開けるでしょう。隠されているエネルギーはひとつなのです。どこから到達しても同じ結果になるでしょう。




5月2日 ワーク&個人セッション in 京都
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5月3・4日 天河遠隔エネルギーワーク~銀河水龍の導き~
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  2009/04/23 [12:36] (Thu)

熊野はどうやら、火と水の調和の思想を根底に持っているらしく、現在私たちが受け取っているものの解がそこにあります。

今はちょっと時間がなく詳しく調べられてはいないのですが、最近は熊野の情報が自然と飛び込んできます。

昨日、『熊野詣』の本が目に入り、開いてみると、火が灯った松明を山から降ろし、島のまわりを船がまわるという神事が紹介されていました。

中心に亀で、鶴がまわりにいるという図もあり、コトビキ岩という岩も載っていました。この鶴亀図はセオリツの力がサスラヒを抑え、白山姫が固め照らし、ホーライが完成しコトビキ(寿)「琴が鳴らされた」になりましたよという意味です。(今はサスラヒの和魂(カグヤ姫)が月に行っているので、呼び戻さないと暴走機関車のようになるらしいです。いくらセオリツの力を出しても、サスラヒの和魂が還って来なければ話が通じないとのこと「なぜならば月には海面を上下させる潮汐機能<潮満珠・潮干珠>があるから)


これはまさに、今受け取っているホーライのイメージで、そのホーライ信仰が今でも熊野に息づいていることを物語っています。

でも結構、これが複雑で、おそらく関西におけるホーライ島は2つあり、海面が上昇した縄文海進では室生・天河あたり、琴座の氷期時代には紀伊半島沖にあったと思われるのです。


実際にレムリアやムーと呼ばれる大陸は、紀伊半島沖の大陸棚にあった可能性が高いです。

熊野信仰は河内信仰にも似ており、巨大な河内信仰と琴座の船渡し神事がある高知においても、隕石衝突と大陸沈没伝説があり、沖縄のニライカナイ信仰と組み合わせると明らかに、アトランティスのような人類の文明の根源たる石とエレメントの古代文明というものが浮かび上がってきます。


その紀伊半島沖のレムリア大陸が沈んだ時も、おそらく火山の噴火が氷河期の終わりを告げたと思いますが、サスラヒ姫(マグマ)が白山姫(氷)を溶かし、大量のセオリツ姫(水)を呼び覚ましたと考えていたようで、水と火の調和に異常なほど関心を払うようになったのだと思います。これが熊野信仰の根底にあり、コトビキ(寿)の鶴亀信仰の源流でもあり、時代が下っては、卑弥呼(火と水の巫女)の源流にもなってくるのです。


今、なぜセオリツヒメが上がってくるかと言いますと、ものすごい勢いでサスラヒ(マグマ)が立ち上がってきており、セオリツを出さないとサスラヒの力を抑えられないということなのです。(蓼科山の女神が言っていたのはフブキのヒビキであり、水の力を音の伝導で広めよ、そしてそれを氷で固めよ、ということなのです)

蓼科山の女神がサスラヒとタッグを組んでいるのは、全ての罪を流すということであり、噴火は悪災ではなく、その後の世界を見据えてのことなのです。

現代社会の資本主義内での軌道修正ではなく、もっと根底からの世界の舵きりを神々の世界は求めており、戦争や国家の壁を易々と越える地球規模の変動が起こるらしいのです。


今回の関西行きでは、火と水の調和ということもありますが、それとともに、火と水というエレメントに対する深い認識を皆が持つ必要があるということも言われています。

そうすることによって噴火や洪水の危険から回避することができるということなのです。資本主義的な考え方に執着していると土地や家に固執してしまうので、それが身を滅ぼしてしまうということなのです。

実際に我が国日本は、地震列島であり、世界有数の火山国でもあり、水に囲まれた島国です。そのことをしっかりと胸に刻み、火と水を治める龍国として重大な役割をこれから果たす必要があるとのことです。

5月はウエサクの月でもあり、既に天(ウエ)が裂かれて(サク)、ホーリーが降り注いでいます。今年のウエサクは天のシラトリから地底のサスラヒまで大きく通路が開かれており、聖地に行ったり、エネルギーを受け取ると感覚が急激に開かれる人が多くなると思います。

そうでなくても地底の変動は間近にまで迫っており、動物的な感覚で何かが起こりそうと感じ取っている方々もいるかと思います。


今回はウエサクから銀河水龍を導き、天変地異の不安から安心を導き出す船魂の入り口までの道程になるような気がしています。


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  2009/04/19 [11:36] (Sun)
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上記ワークショップに伴う関西行きの件ですが、さらにインスピレーションが広がっています。

白髭大明神が若狭に還って、若返るということを言っていますが、琵琶湖はもともと白山姫の土地だった、もしくは白山姫の土地になるということも言っているように思います。

これは琵琶湖湖底に縄文遺跡があることと琵琶湖が古代に移動したことと深く関係していると思います。

白髭大明神曰く、古代、現琵琶湖付近には白山姫の高い山があり、南の(おそらく)大台ケ原ともうひとつの山のトリニティで、火と水(白・赤・黒)が調和した真ん中のヒワコという湖に水を注いでいたということです。

南の大台ケ原ともうひとつの山(不明)は黒龍と赤龍の双龍であり、2龍一対のサスラヒ姫で、北の琵琶湖の幻の山は白山姫であったとのこと。この2姫、3龍がヤタガラスと呼ばれ、聖なる鳥とされていたようです。

この時代の白山姫はシラヤマではなく、シラヒメ・シラヒヒメ・シラハヒメ(ハシラヒメ)・シラヤヒメ(ヤシラヒメ)・ヤツシラヒメ(ヤツハシラヒメ)のような呼称だったと思います。

その白・赤・黒のトリニティで関西の三角地帯が形成され、ヤタガラスおよび究極の北極星・南十字星信仰があったのではないかと考えられます。

それで、今回それに戻すというようなことを言っており(現実的にはあり得ないので、何らかのメタファーだとは思いますが)琵琶湖の南の山塊の先端(コノハナ)を裂いて(サクヤ)、根裂神・岩裂神を出してセオリツ(水の勢い)も出して、聖なる三角形を取り戻すと言っているようなのです。


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  2009/04/18 [11:44] (Sat)

白髭大明神は浦島太郎であり、後期サルタヒコであり、塩土老翁でもありますが、同時にニギハヤヒの一部でもあります。

これは前回サスラヒの女神でも書きました、サスラヒの女神と南、そして太陽神ともつながっています。ニギハヤヒはニギハヤサスラヒともなり、ほぼ太陽神および南からやってくる黒と赤の地底神とつながる存在を意味しています。

実際に、古代日本には南から黒い肌の人々がやってきていたので、南の地底神および太陽に対する信仰は、かなりのものになっていたと思います。

サスラヒの女神とは、太陽神と大地母神をつなぐ血流であり、男性性と女性性を超越するものでもあります。いわば地底の両性具有神であり、裏白山姫と呼べる女神でもあると思います。

その裏白山姫であるサスラヒが蓼科の女神の目覚めと同時に白山を経由して琵琶湖に向かうのは、何かとてつもないメタファーがあるような気がします。

亀が海に戻れば噛む力が回復されプレートが地下に引き込まれます、その結果、鶴も天へと吊るす力を増大させなければならず、言ってみれば、鶴と亀の綱引き合戦が始まるのです。それは地震であり、洪水であり、火山の噴火に他なりません。鶴と亀が仲良くしている時が、まさに寿(琴弾き)でしょう。


白髭は実際に若狭へ戻ると言って、倉見の大蛇を連れ戻す(琵琶湖北西に大雨を降らす)ようなことも言っているのです。倉に帰ると言っているのです。太陽神のシラ(白)む力で大地が安定していたところに、バランスが崩れると目がクラ(黒)ミ始め、大地がクラクラとしてくるのです。しかし、そのクラクラの状態こそ、クライの高い人物が現れるメシア期であり、ニギハヤヒの称号とヤタガラスの守護の出現を意味しているのかもしれません。

白髭は表白山姫の男性エネルギーでもあり、男性性と女性性の統合、表と裏の統合、火と水の統合、鶴と亀の統合、白と黒の統合によって何を起こそうとしているのでしょうか。

白は平和の象徴であり、黒は力の象徴であり、この2つの統合はまさにクラウンチャクラとグラウンディングチャクラの統合でもあります。この統合によって起こる事は、神(信仰心)と行動力の統合であり、それはまさに神話時代への回帰ということに他ならないと思います。


ニギハヤヒを男性とも女性とも受け捉えられる私たち日本人の心性の中にもこの統合は約束されており、サスラヒのエネルギーが太陽神アマテルと地母神メノカミをつなぐ血流(マグマ)であることを証明しているかのようです。

ニギハヤヒとはこのサスラヒの両性具有のエネルギーを握ったオオキミの称号であり、実在の人物ではないのではないかと思います。

結局、神武天皇が奪取しようとしたのは、このニギハヤヒの称号であり、天と大地(地底)を統合した象徴としての玉座ではないかと思います。

ですから、このサスラヒの問題を解く事によって、ウガヤ朝ともとれる古代の社会が浮かび上がってくるのではないかと思うのです。

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  2009/04/17 [12:11] (Fri)

今度の関西行きに関して関西のヤタガラスシステムにも書きました、白髭(白髭神社の白髭大明神)のエネルギーですが、『若い頃に戻りたい』というのは、どうも若狭と関係があるらしく、サの神が若返るという意味にもつながってきます。

白髭(浦島太郎)が若返るというのは、玉手箱の煙(八雲)を消し去り、亀が海に帰っていくということのメタファー(隠喩)です。おそらくは琵琶湖が亀であり、その亀が若狭を通して何らかの移動を開始するのではないかと思います。

そして、鶴が(敦賀)戻ってくるのです。浦島太郎を白髪にした亀は海に還り、鶴の恩返しで去っていった鶴がかえってくるのです。男性神・女性神が巧妙に摩り替えられているように、鶴と亀も摩り替えられているのです。


蓼科山と白山、そして白髭あたりの地下がものすごく連動しているということは書きましたが、この地下からのメッセージというのは、どうもサの神とも関係していて、ほぼ地下世界のプレートからのメッセージであると思います(もしくは何かメッセージを発するグループや巨石があるのではないかと思います)

滋賀県大津市に佐久奈度神社という神社がありますが、ご祭神ページに速佐須良姫尊という神がおり、地底の神と書いてますが、おそらくこの速佐須良姫が蓼科山と白山と琵琶湖の地底、そして吉野・熊野の地底のことを教えてくれていると思います。

佐久奈度という名は明らかに諏訪のミサヤマ信仰とつながっており、柳田がミシャクジと称したものともつながるでしょう。

地底の黒、マグマの赤は、本来、地底に存在し続けるべきものですが、火山の噴火によってそれらは地上に現れます。しかし、地上の創造はその地下世界のお産によって支えられているのです。


そして、下記ページにはこの神社が天智天皇派によって造営されたと書いています。

3、佐久奈度神社(堀貞雄の古代史・探訪館)

私もドラゴンアナスタのほうで鶴と剣と月という記事を書き、天智天皇と法隆寺について書きました。どうやら天智天皇は月王子でもあったらしく、太陽と月という陰陽道を思想的バックボーンに持ち、物部祭祀とも結合し鶴を信仰していたような痕跡があるのです。

それが聖徳太子の星信仰と相容れず、法隆寺焼き討ちへとつながり、天武天皇は対立していたこれらの日・月・星を三種の神器で統合したということなのです。しかし、この時に大地へと捧げていた祈りが急速に軽視され、現人神信仰が徹底されていったようなのです。その結果、天武朝では巨大地震・白鳳の大地震にみまわれ、天武天皇自身は祟りで崩御されたかのような記述が見えます。

地底(速佐須良姫)からのメッセージは天智朝までは重視されていたようで、渓谷が鶴の足と認識され、地底からのメッセージを最も受け取りやすい場所として重要視されていたようです。

これはシュメールの淵から龍神が生まれるという信仰と習合しやすい信仰なので、日本でもかなり広範囲に受け入れられたのではないでしょうか。

しかし、サスラ姫とはよく言ったもので、この姫のメッセージは、ほんとうにサスラウというか、地底を駆け抜けるので様々な個性というものを次々と超越していきます。日本語のサスラウというのはほんとにそうなのかもしれません。

サスラっていると自分という個性が消えて、花鳥風月の中に魂が埋没していきます。西行も種田山頭火もそのような状態を心地よしとしたわけであり、日本人のジプシー的心性の源かもしれませんね。


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政治/経済、宗教/哲学を基本としながら市民活動やスピリチュアル活動など、広範囲に動いております。行動範囲は今のところ、東は茨城県から西は中国四国地方までです。特に修験色の強い山間部の地域活性化に興味があります。該当自治体の担当者の方からのご連絡お待ちしております。どうぞよろしくお願いします。
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