昨日書きました日本再編成の続きで。
重要なことはしっかりとジャッジすること。
私たちは親の世代のスピリチュアルロスト
(失われた日本のスピリチュアリティ)の
尻拭いをしてきたわけです。
これと同じ事を自分たちの子供にさせてはいけないでしょう。
何が間違っていて、何をどう修正すれば
正しい方向に向かわせる事ができるのか?
この思考回路を持てなければ社会は一向に良くならないでしょう。
それとも私たちは社会の当事者ではないとでも言うのでしょうか?
生まれた瞬間に社会契約をせずとも
リストカットする中高生を見て
ノン・ジャッジメントが大事と言えるのでしょうか?
大人が悪をジャッジしないから
子供たちが自らを悪とジャッジしてしまうのです。
エロ教師やエロ警官を罰することも放棄させてしまう
ノン・ジャッジメントなる思想。
これほどこわい思想はないでしょう。
むしろ日本を退廃に向かわせたのは
個人主義を隠れ蓑にしたジェンダーフリーや
このノン・ジャッジメント思想です。
境界を失くしてしまった結果、女が男を夢想し、男が女を夢想し、
田舎が都会を夢想する。
全て非現実的な夢遊病の類です。
自分のシンとつながらないこれらのノン・センタリングは
浮遊霊の格好の餌食です。
シンとつながらないことを宣言してしまうことは楽です。
気持ちがいいでしょう。
しかし、これはヒーリングを受ける側の精神状態であるはず。
クライアントがノン・センタリングの時に浮遊霊からクライアントを
守るのがヒーラーの役目。
ヒーラーがノン・センタリングを宣言してる場合ではないのです。
しっかりとシンを立て、過去を反省し
より良い社会を築いていくのが誠のスピリチュアリティなのです。
何も別に必要以上の使命感にとらわれることはありません。
しっかりとシンにつながれば
誠のスピリチュアリティが普通に自然に無理なく
染み出してくるのです。
これが社会全体に横溢した時に
世代交代が起こり、株価を下支えする信用度が生まれるのです。
とは言いましても、思い込みや偏見、その他の感情で
他者をジャッジする事は良くないことです。
個人レベルでは自由意志のもとでノン・ジャッジメントでOKでしょう。
しかし、その認識と社会を創っていく側の認識には決定的な差があります。
ヒーラーはその差(境界線)を明確に認識し
(自分の立場を客観視する)
社会を構築していく責任を負った重要な存在になった
ということを深く認識しておく必要があるのです。
自分たちの一挙手一投足が子供たちの命を左右しているということを
深く深く認識しておく必要があるのです。
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