何度も挫折し、棚の奥の方にしまいこんでいた巫女たちの草莽崛起。今日、ふとそれが現実になってきているのではないか、と感じました。
2009年初めに飛んだ『金の鳳凰』が、小さい鳥の集合体であることがわかりました。その一羽一羽が隊列を変形させて横いっぱいに広がり始めています。
何が起きるでしょうか?それらの鳥は空いっぱいに同じ意志を持って同じ方向に飛んでいます。
今日は12月12日。
私たちの無意識下では、今まで違いを乗り越えることのできなかったそれぞれの事象が安々と融合できるエネルギーが沸き起こってきています。
これは何を意味するのでしょうか?
今まで、恐れや偏見、こだわりや習慣によって分断させられてきたそれぞれの生命体が、それぞれの枠を超えて大同団結せよ、というメッセージがきています。
私たち人類は自らの内に存在する欲望(金銭欲・名誉欲など)によって破滅しようとしています。欲望の連鎖はモンスターとなって自然や生命を破壊し、人間自身をも破壊しようとしています。
親やその上の世代から享受してきたものは、子や孫たちに継承していかなくてはなりません。目の前で死んでいく子供たちや生き物たち、あるいは植物たちを見て、はかなきものを救おうとする精神は、日本人の最高の精神美学です。
強きと弱きをジャッジし、弱きの側につこうとする人間が多数存在したからこそ日本国は、現在まで存続しています。その精神は、判官びいきなどにも現れています。
人の上に立つものでさえ、善とも悪とも似つかわしくないような人たちが、善人づらをしながら悪行を繰り返す。これでは、世間の親たちはどうやって子供たちに正しいことを伝えられるのでしょうか。しまいにはスピリチュアルでは善と悪をジャッジしない、などという危険極まりない思想が出回っています。犯罪の温床にもなりかねない思想です。
古代の日本人は、法がなくとも、正しい行い・間違った行いを自分で判断しながら生活をしていました。それは自分たちが自然の一部であると認識していたからこそ実践できたのです。
スピリチュアルとはワンネスを知る道でもあり、全体性(ガイア)を失わせる行為には、鮮明に対決姿勢をとるものでもあります。
私たちにとって守るべきものとはなんなのか?
しっかりとジャッジし、見極め、同じ方向を向いたときに、それは大きな力となり、時代を展開させていく原動力となるのです。
私たち人間は、日々ジャッジし、選択し、進む生き物です。ジャッジするからこそ反省もし、改善もし、喜びも悲しみも生まれます。
真に自分の魂を輝かせるためには、日々考え、日々追求し、日々ジャッジする。これが欠かせません。
糺す(ただす)という言葉は、ものすごく古い歴史があります。元を糺す、襟を糺す、悪事を糺す、とかに使用します。今は、元から糺すことが必要なのです。
『糺す』は、『正す』という意味ではありません。
『正す』は、自らの正義を以って他を裁くという意味ですが
『糺す』は、本来あるべき場所に戻すという意味です。
違いや立場を超えてガイアを守るために立ち上がりましょう。
出でよ、巫女たちよ
『糺す』の輝きを秘めながら
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キタジマ こうすけが気持ちいい~と叫びました。
そこには無我の境地でのエネルギーがひとつの素晴らしさを味わったからです。
国を糺す。
村を糺す。
友達を糺す。
家族を糺す。
糺そうと思うとは、糺されてないと思いこんだから、糺そうとしますね。
気持ちがいいと思うとき、自らを糺そうと思いません。
感覚で気持ちが悪いと思うとき、糺そうと思います。
気持ちが悪いを分かるのは自分。
気持ちが悪いことをするのも自分。
自分だけが、自分を感じて分かること。
ちっちゃな鳳凰は感じるままに、気持ちがいいように大空を羽ばたきました。
感じるまんまの、ちっちゃな鳳凰は、ひとつの大きな鳳凰となりました。
禅問答のようなコメントにも感謝します。
そうですね。
『自分を変えることだけにこだわる』のか、『自分を変えて社会をも変える』かの問いは、古来より様々な人たちによって議論・実践されてきました。
前者は主に宗教者に多く、後者は武士に多いです。理想主義者か現実主義者かの違いによるものだと思います。西洋でおおまかにいうとカトリックとプロテスタントですね。(厳密には違いますが)
自分を変えて極限まで突き詰めるとどうしても譲れない部分が1つか2つくらい残るんですね。それが武士の家紋や哲学に現れ、禅僧も譲れない部分をひとつだけ言い続けました。
放下著・莫妄想・随処作主などの禅語は、今でも私の心のよりどころです。
理想主義の儒教が流行し、日本中が思考停止した時に、陽明学という現実行動派の儒教が勃興してきました。私は土佐の生まれであり、この陽明学の一大拠点であった土佐南学の流れを汲む人間です。
幕末土佐もこの南学の陽明学イデオロギーの流れを継承し、現実的行動に傾倒しました。
現実的行動をしなければ免罪符による罪の減刑はいつまでも続いていくことでしょう。
どちらの生き方をするのかはそれぞれの自由だと思います。私は両方好きですよ。西行的な生き方も良いと思いますし、沢庵和尚の生き方も最高だと思います。
バカになれないバカ。そんなところですが、753と割りきれないから在る世界。
お話を聞けて、話せるだけで楽しいです。
ありがとうございます。
>バカになれないバカ。そんなところですが、753と割りきれないから在る世界。
私などは、子供だましの子供みたいなもんです(笑)でも、自分を無理に変えようとは思ってません。無我の境地で自分を楽しめばいいと思っています。
人間として譲れない部分、誰にでもあると思います。それさえも楽しんでしまえば、世の中は面白いことだらけです。
自分でもなんでこんなことやっているんだろうと思うことがあります。仕方ないですね、体が勝手に動くので(笑)自分でなんでこんなこと書いているんだろうと思うことがあります。仕方がないですね、指が勝手に動くんですから(笑)
自分でなんでこんなことに怒っているんだろうと思います。仕方がないですね~心が怒っているですから。心のままに任せています。
私は特に何もやってません。心と体と能が勝手に動くんです。私は楽しくそれを見守っています。なんの抑圧も働かないように^^
割りきれない世界、楽しんで参りましょう!
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