前回の<三韓征伐が三神征伐ではなかったか>ということについて。
この手法はヤマトタケル神話にも見られます。
元々は※フレイ※の絵を見てもらってもわかるように剣と猪はタケルとともにあったように思います。
つまり<フレイ=サルタヒコ=大国主=ヤマトタケル>
それと同じように神功皇后神話もメタファーによる同士討ちの神話であると思います。
つまり、神功皇后とノルン(宗像三女神/住吉三神)は同体ではなかったかということです。
イチキシマヒメ=神功皇后もありえるということになります。
また桃太郎神話の鬼退治も同じように考えることができます。各地の伝承では鬼を退治しない地域もあります。
つまり、桃太郎=鬼であり、森の住人※トロール※(だいたらぼっち)は、後期大和朝廷以前の日本社会では皆に親しまれていたのではないかということです。
そして浦島太郎では、『煙』と『時間』が同士討ちさせられましたけど、実は『煙』と『時間』は味方同士ではないのか?狼煙のシは風であり、鈍い(のろい)はゆっくりという意味であり、時間と密接な関係がある。
ノロシは烽火とも書き、保久倉(火座)神社には、火と風が同時に祀られている。
確かに火を起こすときは風を送る。
水は物質にトキを刻まないが、火は物質にトキを刻む。煙は、その物質が消えうせるトキの代償として現象界に発生する。つまり煙自体がトキを刻んでいるということになる。
浦島太郎は、現在/過去/未来にズレを生じさせる物語であるから、この物語を作ったものの中には、トキに対する深い執着があったはずである。
亀を助けた浦島太郎がなぜ年老いるという罰を受けなければならないのか?よく考えると不思議な話です。
むしろ玉手箱の中には”金の小槌”が入っているべきではないでしょうか?
それを表すかのように浦島伝説の讃岐には金刀比羅宮があり、神紋はマル金です。しかも境内からは美しい秀麗な讃岐富士が見えます。江戸末期までは伊勢神宮と1,2位を争うほど参拝者が多かったです。以前にも書きましたが森の石松も伊勢神宮ではなく金刀比羅宮に行ったお礼参りの帰り道に襲撃されています。
つまり、亀(丸亀)を助けた浦島太郎は『金の小槌(コトヒラ)』と『永遠の命(不死身/富士見)』を手に入れたということです。
土佐の金毘羅宮の伝承に『海中より出でた金色の光る玉が松の木に舞い降り、それを金毘羅神として祀った』とあります。
浦島太郎はマル金の命を手に入れた可能性のほうが高いと思います。
こう考えるとこの国の古代には、非常に大きな抑制がかかっていることがわかる。
それを抜けると巨大な哲学的世界が広がる。
各地域の土着神を<古代、畿内から流れた神>と称して畿内が全ての神々のルーツとした思考回路とも非常に良く似ている。おそらくこれらの創作神話はある時期にひとりの人間の思考回路から生まれた可能性が高い。
愛しきトロール さかいゆう さんの 『 SHIBUYA NIGHT 』 です。
NIGHTは夜ですけど、KNIGHTは騎士。
ネガティブな神話を捉え直し、先を照らすサルタタケルミコトを取り戻しましょう!
梅で咲いて 北極(星)
竹で割いて かぐや姫(月)
松で幸いて マル金(日)
※印で囲んだリンクは全て『ウィキペディア(Wikipedia)』からの引用
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