昨日のサの神ラインの続きですが
日本には虫送り『ウィキペディア(Wikipedia)』なる行事があります。
ウィキペディアに事例が少ないので、高知の虫送りの一例を張っておきます。
この虫送りは斎藤 実盛に起源を求めるのが一般的ですが、そうではない場合もあると思います。
なぜなら、上述の高知の虫送りページにも載っているように、虫送りは農業神サバイ(イゲも含む)やノボリ(こいのぼり)、または七夕とも密接に関わっており、その思想は平安時代以前に遡ることができるからです。
もちろん、実盛以降に始まった虫送りもあります。
しかし、虫送りの本質とは、稲が実る元となる稲魂(いなたま)を運んできてくれた虫や鳥に感謝し、送り出し、来年の再来を願うことです。
これが大和の蜻蛉信仰の根底にあります。余談になりますが裏山に蜻蛉が入っていく『入りトンボ造り』になっている土佐神社の社殿の北の山上に前述の虫送りの土地があります。
これが銅鐸に刻まれた日ノ本国の鳥信仰にもつながっています。
高知県のヨサコイは元々、農民の唄であり、それが昭和の時代に祭りに変わっていきました。明治維新の直前にヨサコイ節が全国で流行したという情報もあります(『ええじゃないか』も明治維新直前ですね)
ヨサコイとは『サの神さま、また還って来いよ~』という掛け声です。そこに日本的な自由・平等・多民族協和・団結の思想が眠っているのです。これこそが前期大和朝廷の大文字大和(ダイモンジヤマト)の精神なんです。
しかし、その後、征韓論と日韓併合、国家神道浸透のために高知県西部の旧波多(ハタ)国の国造が『天韓襲命』であったため、薩長の藩閥勢力が土佐(古代史も)を封じ込めて国家主義を強めていったのです。(それが結果的に戦争へとつながっていくのですが)
それに抵抗するために、近代国家の枠組み(主に法と議会)を民主的な構造で広く国民に浸透させるべく自由民権運動が展開されました。その時に、現自由民主党の原点である自由党が土佐で産声を上げましたが、現在の自由民主党は自由とも土佐ともなんら関係のない独裁政党です。
もともと朝鮮半島南部が倭国の一部であったことが後の日韓史を複雑にしました。
『サの神』祭祀の自由で開放的なエネルギーは何度でも甦るでしょう。
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ドラゴンアナスタと交錯して飛び飛びで申し訳ないですがサとホとヒの続きのような記事です。
図書館で地名辞典などで調査していましたら、サカムは”牟佐上(ムサカム)”でムサシは”牟佐下(ムサシモ)”で上下(カミシモ)が違うだけという驚愕の記述を発見しました。
『牟』がなんであるのかは、現代歴史学者同様、自分にもわかりませんが(現時点では接頭語としか言いようがない)佐はほぼサの神でしょう。
サカムは川の下流域でありながらサの神の上(カミ)になるということは普通に考えればサの神は南から来るということになると思います。やはり日ノ本国は”太陽”と”南”を信仰したクニの連合体だということが濃厚ですね。
南北線は通常、龍線としても認識されますが、この龍線の下層(古代層)にはサの神線が眠っているのです。相模川は美しい南北西を貫く川ですが(静岡の天竜川もきれいですね)、通常は龍が北に駆け上がるものとして認識されますが、日ノ本国の祭祀では川の両岸に獅子を配置し、そこを通過するものを見張ったわけです。この祭祀こそ神社の原型であるのです。相模が一之宮を争ったのも川の両岸同志、そして常陸には鹿島神社・香取神社という両岸狛犬がいます。土佐にもあります。
この祭祀こそヒノモトの祭祀であり、サの神の祭祀なのです。日ノ本国が南の海を必要とするのはこういう理由があります。
サの神の戸を開ける事ができるのは、南に湾を持っている土地だけなのです。
戸佐(トサ)から讃岐(サヌキ)に抜けて神戸(コウベ)を通って、若狭(ワカサ)に抜け、白山に至り、佐渡(サト)へ抜けるラインが、現在わかっている最も長いサの神ラインです。さらに延長すると十和田や北海道に抜けるかも。以前に白山までのラインは鶴亀ラインの記事でも紹介しました。
そしてもう一本、長いラインと推測される、サカム(相模)から埼玉/鴻巣を抜けて栃木/佐野、そして日光、月山へと抜けるライン。このラインが津軽まで抜ければ日本で最長のサの神ラインになります。
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日ノ本国を調査していますが、どうも蛇や龍につながらない。
太陽を中心として、獅子・鳳凰・狼は確実にエネルギーリンクする。
エジプト・フェニキア・縄文の結合体がおそらく日ノ本国の母体だと思いますが、そこには龍が見えない。
しかし、かなり早い時期にシュメールが南西諸島に入っていたのは確実であり、そこに龍の文化はあったはず。
ひょっとすると、日ノ本国と倭国の並存というのはかなり長い期間あったのではないかと思う。
最終的には倭国が日ノ本国を半征服という形になったが、昼は日ノ本国が治め、海原は倭国が治めるという協定があったのではないだろうか?
縄文時代にはそのような国の並存はないでしょうが、太陽を祀るグループと水龍を祀るグループは分かれていて、お互いに補完しあっていたのではないだろうか?
縄文時代が開かれる直前の石器時代の日本では伊豆の神津島、信州、隠岐、九州姫島の黒曜石が広範囲に交易されていたらしいが、太陽を祀るグループはこの交易を実際に行っていたグループとは違うでしょう。
明治時代まで存在していたサンカは常に山間を移動して、たぶん必要な時にしか船に乗らなかったし(サンカの祖先がおそらく日ノ本国の民)その必要な時に、縄文の海人族(倭国系)の助けを借りていたのではないか?
縄文文化は朝鮮半島や、中国沿岸部にまで広がってましたが、シラを祀る人々がそこまでの機動力があったとは考え難い。
おそらく、海人系の縄文人が内陸型の日ノ本縄文人の文化を吸収し、それが交易によって自然と広がっていったのではないかと考えられます。
いずれにしても、ものすごく平和な時代ですね。信じる神が違っても相互補完ができるのは豊かで平和な証拠です。
南北朝時代の戦争も山人と平地人の戦いと言われますが、ひょっとするとバックボーンにはこの縄文の2つの系統のグループがあるかもしれません。
もちろんこれは邪馬台国と狗奴国の戦争にも適用できると思います。
結局、昼(山人)と海原(平地人)が戦争を止めるには、夜(月)が必要なのかも知れません。日・月・星の三位一体を取り戻そうとしていますが、月についてももっと深く考えていく必要がありそうですね。
月を象徴するツクヨミは黄泉に付くという意味ですから、死者の世界の使いなのです。これが封印されたのはユダヤ教の死を忌む文化の影響があると思います。
縄文時代は死者を集落の中に埋葬したりして、死を忌んでなどいませんでしたから(輪廻転生は仏教的な言い回しですが、縄文人も魂は再び還ってくると信じていたようです、太陽のように)月こそ日ノ本国への最終関門かも知れません。
人間にとって最も重要なものは太陽でもありますし水でもあります。その中間に位置するのが月で、人間のエネルギーは満月の時に極限に達し、新月で極小になります。つまらない憑依霊も放っておけば満月時に取り付く島がなくなって退散していきます。(海面が上昇して陸地が水没するようにです、ただし翼を持った強力な霊体に憑依されている場合や体内の潮汐機能が弱まっている場合はこの限りではありません)
結局、この潮汐を操るツクヨミの力というのは、潮満珠と潮干珠(しおみつたまとしおひるたま)の力と同じなのではないでしょうか?潮満珠は龍宮城にあるらしいですね。
この力を使えば海を山にすることもできるし、山を海にすることもできる。すごい力なのではないかと思います。モーセが海を割った力と似ていますね。
結局、日ノ本国を論じると御伽噺の世界に入っていかざるを得なくなります。御伽噺の世界には何か本質的な示唆が隠されているのです。
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『相模三社巡り』の記事の補足として書きます。
桃太郎は日ノ本国(倭国でも大和でもない)の物語であり、猿と犬と鳥とともに鬼を退治というのはものすごくシンボリックな話でもあります。
明治の文学者が挙って題材に取り上げていたことを考えると、桃太郎を始めとして御伽噺は日本人のかなり古い時代の記憶を継承しているものではないかと思います。
それはおそらく西日本において倭国が拡大する前の日本、山を中心とする文明『ヒノモト』の記憶ではないかと思います。
日ノ本国は山を祀った内陸型の文明であり、船の航海技術はありましたが、倭国のように帆船戦争を行うほどの航海技術はなかったと思います。
日ノ本国で最も重要な地域は飛騨(日田)であり、歴史を解くための鍵は東四国と吉備・六甲にあります。
桃太郎は、猿・鳥・犬を連れていきましたが(いろんなパターンがあります)、この3つはものすごく重要な意味を持っています。猿は山王さんで山神として有名ですが、おそらくこれは獅子が変化したものでしょう。そして鳥は鳳凰、犬は狼です。
鬼が表すものは島であり、海洋民族です。
桃太郎とは日ノ本国が倭国を打ち破るという物語であり、倭国側から見た『国譲り』神話とは対極にあります。
桃太郎の桃が指し示すものはものすごく古い時代の日本人の山への憧憬であり、山頂を禁足地にする文化はこの頃から育まれていました。
ですが、倭国の文化に乗って、高句麗の山岳信仰が入ってきて、山を縦横無尽に駆け巡り山頂を走破するという修験の下地が出来始め、日ノ本国はかなり混乱しました。
でも、ある程度、修験と日ノ本は共存していました。神奈川県の大山は禁足地がありましたが修験も栄えていました。
日本の修験道には、高句麗の山岳信仰と仏教、そして日ノ本国の山への信仰の3つがこんがらがってごった煮になっています。
別に分ける必要もありませんが、日ノ本国を捉える上では明確に認識できればいいかなという程度です。
日ノ本国の祭祀で重要なものは太陽であることは当然ですが、実はこれを象徴的に表しているのが獅子です。
これは狛犬に封印され、日本神話ではヤマトタケルが命を落とす元になった山の神『白猪』として登場しています。獅子は中東ではライオンに相当しますが、日本では猪です。映画『もののけ姫』では白猪がオッコトヌシであったし、シシガミも登場していました。狼も出ていましたね。
日ノ本国の住人が川を汚すタタラを嫌っていたのは言うまでもありません。しかしだからこそ、鉄器を造ることができなかったからこそ征服されてしまったのです。
山の斜面に埋められた銅鐸には様々な動物の絵が刻まれています。高知県の絵画銅剣には動物の絵が刻まれています。水・音・命を守ろうとした日ノ本国の最後の覚悟が伝わってきます。
しかし、日ノ本国は文化を共有しているだけの緩やかな連合国家でしたので(ケルトやマヤと同じ)倭国が持つ国家主義の力には到底、太刀打ちできませんでした。しかし、日本として倭国の国家主義の力も必要でした。その結果が国譲りとなっていきます。その結合で大和ができました。
大和、倭国、日ノ本国、全てを取り戻さないといけないでしょう。
先住民族系の文明が国家主義と結合して存続している国は世界に日本しかありません。しっかりとお役目を果たさないといけないでしょう。
水・音・命を守る世界構造を、新構造主義(新大和)として理想に掲げていかないといけないでしょう。日ノ本国と近代文明の誓約、これほど熱狂的なストーリーはありません。
山の神が落とした桃をGPSで走査することとしましょう。
むしろ、プレートのキシミが人間の精神にキシミの音を与え続けることによって、世が混乱してくるとも言えます。
なんらかの霊障があった時、その霊をミソグ最も効果的な方法は、霊を認識することです。熊と同じで逃げれば逃げるほど霊は追ってきますし、大きさを増していきます。恐れもそうです。宇宙の根本原理は全て同じです。
実はプレートのキシミもこの方法で解消することができます。『もうすぐ巨大地震が起こるよ』と言うと、『想像が現実を創るからそういうことを言ってはだめ』という方がいますが、全くの逆です。
しっかりと論理的に考え、最悪の事態を想定し、その根源を突き止めることによって、最悪の事態は回避できます。
熊に遭遇することを想像すると熊に出くわしてしまうから、熊に遭遇することを想像してはだめ!とは言いましても熊は出てくるのです。自然とは自分の思う通りにはならないのです。下記記事でも書きました。
農的生活と都市型生活の向こう側に
ここからが重要ですが、どうやってプレートのキシミを認識するか?ですが
まず南海トラフやユーラシアプレートの詳細をご確認下さい。
日本神話や各地の神社を深く知っていきますと、それらが自然(アメツチ)を熟知し、破滅的な自然現象を食い止めるためにマツリゴトをしていた痕跡を垣間見ることができます。
プレートの位置と神社の祭神などを総合的に判断すると、意味のない舞を神に捧げていたわけではないことは確かです。
高知の天手力に関係する神社、伊豆の引手力命の神社、そして戸隠神社。これらは明らかに南海トラフによるエネルギー放出を1つの神(九頭龍)の顕現として捉えていたことが伺えます。
まず科学の妄信や思い込みを解く事が必要なのです。
日本で最も巨大な地震は南海トラフの地震であり、南海地震が発生すると東海や南西諸島も連鎖したりします。
日本一の津波の高さは90m(エキサイト)
自分の地元の高知では陸が陥没したり、1000m級の山の半分くらいまで津波が来たとの伝承もあるので、100mの山では安心できないでしょう。
プレートのキシミとは音であり、心を澄ませば聞こえて(見えて)きます。
日本の古代の人々は現象界に現れる出来事は全て神々の所作であると認識していましたから、政局が混乱し、天変地異が続けば、神々が怒っていると認識したのです。
そして、プレートの音に耳を傾け、祟りはおさまっていったのですが、現代はその音を聴く人もいませんし、なにしろ科学を妄信していれば、プレートの存在は知っていてもキシミ音を聞くことはできません。
なぜならその音は耳で聞こえる音ではないからです。
何事にも予兆(まえぶれ)があります。皆、その予兆を受け取っています。だからこそ、現実の社会がうろたえて混乱するのです。大地から発せられるその予兆が何を意味しているのかを誰も説明してくれないから、不安と恐怖に襲われるのです。
プレートのキシミ音は既に発せられており、皆、今、それに答えてくれる人を探して、さ迷っています。
腑に落ちる瞬間を求めているのです。
巨大地震は来ます。白鳳の大地震を超えるでしょう。
しかし、皆が音を通せば、被害は最小限に食い止めることができるでしょう。
重要な事は『100m以上の津波なんて来ない』などという科学の妄信にとらわれないことです。
南海トラフが一気に動けば、世界史に記録されてないほどの大地震がやってきます。
しかも南海地震はかなりの確率で東海地震を連動させています。南海地震
そして、関東地震も周期を迎えています。
東海・南海・東南海連動型地震
上記記事の中で名古屋大学の古本教授は南西諸島との連動も視野に入れていますが、これはM9規模の地震になり世界最大規模の地震となる可能性があります。そこにもし仮に関東地震が加われば、必ずといっていいほど、考えられないほどの土地の陥没と隆起があるでしょう。
これは天武朝に起こった白鳳の大地震に匹敵するでしょう。ご存知の通り天武朝は日本史の中で最も政局が混乱した時代です。しかも未だに正史に記載されていることが本当のことなのかどうなのかが明確にわかっていません。
今回の地震はそれを明らかにするでしょう。
結ばれたものは必ず開くのです。
そういう大きな時代のサイクルの中に私達は存在しています。
それを知る琴によって音が天へと抜けていくのです。
産みには苦しみが必ず伴います。しっかりと対策することが重要です。
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