クオリア・Sコミュニティ・移動生活者のエンゲージでも書いてますように
新しい日本は今までとは全然違ったものになります。
現在は不況というマクロ経済学の幻想をマスコミが流しているため、皆、経済活動を萎縮させておりますが、これは本質的に経済を理解してない人たちが選択する道です。
故松下幸之助は不況下でこそ積極的な投資を行うべきだとの認識を示しておりましたが、まさにその通りで、不況とは絶対的な資産の喪失を意味するものではありません。
不況とは金融の世界における含み損から起こるマインドの後退であり、実体経済の後退ではないのです。
日本の経済成長が12.7%のマイナス成長を記録しましたが、これはネガティブマインドが実体経済を萎縮させた好例です。
実質的にはドル基軸が崩壊しましたから、円高を刺激し、円基軸を宣言し、世界の金の流れを日本に一気に呼び込めば、先月にでも世界不況は終わったはずです。
だらだらとアメリカの債権国になるのかならないのかで躊躇している内に、傷口は拡がり続けているのです。
円高が世界の希望であれば、円を極限まで強め、他国を買収し日本発の世界秩序を打ち立てれば良いのです。
みすみすチャンスを逃し続ける甲斐性のない政治家達です。
さて、そういう間の抜けた方たちのことはほっておいて、私達一般人のことですが、はやめに新たな国家像について確認しておく必要があるでしょう。
道州制については各地の神社を中心に形成していくつもりですので(選定はなかなか難しい)日本が大同団結していた縄文の力の強い地域がこれからの中心地になっていくことになると思います。
カルト資本主義で個人主義というものが横行し、ともに何かを創造する・協力するという雰囲気が日本から失われて久しいですが、新自由主義が崩壊した今は、いい機会です。
社会主義的な力を取り戻す必要があるでしょう。
それぞれが余剰の経営資源を持ち寄り、助け合って新しい日本を創っていきましょう!
まずは自分達の手で自分達の社会を創造できるという感覚を持つことが大事でしょう。
それと経済に対する理解も必要でしょう。昔の人は大学にいかずとも経済の本質についてはある程度見抜いていましたが、現在の若い人たちは大学を出たにも関わらず、経済の本質についてかなり疎いところがあります。
日本の経済は経世済民であり、西洋のエコノミーとは出所が全く異なるということも同時に知っておく必要があるでしょう。エコノミーは自分が利するためにどのように行動するかがテーゼになっていますが、日本における経済とはいかに社会が幸福になるかが大前提なのです。
そこまで見えれば、自分の内にどういう社会を築いていきたいのかが見えてくると思いますので、その時初めて自分にできることが見えてくるでしょう。
今、日本では哲学・思想が壊滅しており、新しい国家像や体制を語る人間は皆無です。まずはそこから変えていくしかありませんが、ものすごく進んだ方でも、現社会体制が崩壊することなどあまり考えられていないのです。
しかし、少しの知性があり、少しの歴史を知っていれば今がどういう時代なのかを知り、対策をとることは簡単です。
何もしないのであれば、今ここに生きている意味などないでしょう。
生まれてきた意味を知りたければ行動するしか方法はないのです。
まずは身を寄せ合って、経済規模を縮小させながらでもファンダメンタルズを立て直していくことが肝要です。
人をつなげていくことに専念しましょう。
日本にとっての財産は人でありますが、最近では外貨準備高と見られています。
なんとも虚しい世の中でしょうか。一体、金ありきの世界で何が為されていくというのでしょうか?
新自由主義が選択されてわずか20年で世界は崩壊しようとしています。
資本主義の行き過ぎで造ってしまった心の壁を取り除く必要があるでしょう。
いちいち気を使わず協力していけば良いのです。たまにケンカがあってもいいでしょう。本気ならば衝突は起こるものです。
目を覚まして、とにかく楽しい花火を打ち上げましょう。
シラヤマリアのエナジークリスタル
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紅白(コウハク)の日の丸に書きましたが、日本の古代において太陽は白で認識されていたのではないかということですが、シュメールでも太陽は白いものとして認識されていたようです。
それとシュメールには月神シンという神さまがいますが、これは日本における心御柱(シンノミハシラ)になんらかの影響を与えていると言っても良いと思います。
そして、性描写についても日本とシュメールはかなり似ているところがあります。
シュメール人は突然やってきて文明を打ち立てたということですが、黒髪・黒い瞳であったようです。
メソポタミア流域にはシュメール人と似ている民族がいないのにも関わらず、遠く離れた日本人と深い部分で似ているのはやはり奇妙でしょう。
縄文時代には白い岩が神聖視されていたことを考えると、シュメール文明の起源が縄文文明にあると推測しても決して馬鹿げたことではないと思います。
そして、古代オリエントの数々の文明がシュメール文明に端を発しているからこそ、日本に渡来してきた古代オリエントの様々な文明が縄文文明と結合したという豪快なロジックも成立するわけです。
調べれば調べるほど、日本の古代とオリエントの古代は直結しており、関東の古墳からはシュメールにつながる金製品の出土が確認されています。
国内最古の戦傷人骨で有名な高知県土佐市の居徳遺跡群ですが、ここからは古代東北と密接に関わる古代漆の器も出土し、国内最古の木鍬も出土しています。この居徳遺跡では3千年前は少なくとも四国と東北は同じ文明圏にあり、渡来人の文化がその文明圏の脅威にはなっていなかったことが伺えます。この頃の文化の中心は東北であり、その最も最前線であった高知が金属器を持った集団に狙われたということになると思います。なぜなら東北と四国が一体化するほどの文明には黒潮は必須であり、朝鮮半島にも抜けられる四国が東北の管理領域の限界になるのではないかと思うからです。
東四国で弥生の国風化が最も早い段階で成し遂げられたことを考えても、東北の縄文の力が実際的な力として機能していたのは四国の中心部までではないかと思うのです。結局このライン(古代東北の勢力範囲)がその後の銅鐸文明圏の境界になり、高知県中心部で銅矛文明圏とせめぎ合っているのです。
居徳(いとく)遺跡(知恵蔵)
また突如として、縄文祭祀を行わない人たちも近くに出現しており
【試行私考 日本人解剖】第3章ルーツ 民族の形成(1)(産経ニュース)
古代オリエントの人々は、少なくとも3千年以上も前から渡来して縄文人と小競り合いをしながらも融合していきましたが、弥生時代の幕開けとされる時期に朝鮮半島から大量に渡来人が渡来してきたと仮定することもできると思います。
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なぜ、紅白(コウハク)はめでたいとされるのでしょうか。良く考えて見るとよくわからない認識です。なぜ紅と白が縁起が良いのでしょうか?
私なりに書いてみたいと思います。
この紅白の起源は日ノ本国に遡るようです。
以前、白については下記記事で詳しく書きました。
フレイ・フレイヤのつづら織り
日本における白とは、太陽神のエネルギーを表しており、太陽がシラムの白です。これが紅白のハクであり、ベースになっています。日本人が米に執着するのもここから来ています。
そして紅(コウ)ですが、これも何度か触れましたが、コウを突き詰めていきますと、最終的に何に行き着くかと言うと、獅子岩なのです。
狛犬が鞠に手を掛けているのを良く見かけますが、あのように獅子は太陽を治める象徴として捉えられていたようです。この獅子信仰における太陽は紅です。
そうです、紅白は両方とも、太陽神を表す色で、それが日本で習合したのです。この紅の太陽神はおそらく古代オリエントからの渡来だと思います。今後はエジプトと仮定しておきます。
これが日の丸の平面的な領域で、立体的な領域として『日はまた昇る』と『何度でも甦る』という動的な認識も同時に与えられています。
『日はまた昇る』というのはフェニキアのフェニックスの要素であり、『何度でも甦る』というのは
太陽神と不死
で書いたように、縄文からの不死(富士山)信仰なのです。
このように、日ノ本国(日の丸)は縄文・エジプト・フェニキアの3つの文化によって成立しています。
エジプトにもフェニキアにも蛇信仰はありましたので、倭国の蛇・龍信仰(シュメールの末裔とインドのナーガ、中国の神仙思想)と誓約できるベースがあったのです。
その2つの国が合体したときに大和(邪馬台国)が誕生したのです。
国常立の国が常しえに立つというのは、日ノ本国の不死信仰であり、それを双龍が立つという図形で表現したのは倭国でしょう。
このように紅白(コウハク)には古い歴史があり、日ノ本日本人が生まれる元となった思想が眠っているのです。
縄文は母系文明ですから、エジプトの猛々しい獅子信仰と、戦争で培われた不死身のフェニックス信仰がなければ、日本における先住民族は一瞬で死に絶えていたでしょう。
しかし、縄文・弥生時代においても日本にはインテリジェンスあふれる巫女がいたのでしょう。新たな信仰を吸収し自らの血肉とすることによって、さらなる発展を試みたのです。
だから私達の文明の基層には途方もない古い時代の記憶が眠っているのです。日本人は思い出すだけで良いのです。
紅の太陽と火のフェニックスを結合させた白の縄文を。
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古来から存在する妙見信仰に基づいて、徳川家康は江戸の北極星になろうとしました。日光は源頼朝の時代にも聖地であり、武門の間では妙見信仰は人気があったようです。
それだけこの信仰は強力な力を持っており、為政者側としては是非とも封じ込めておきたい信仰なのだと思います。
江戸幕府も坂本龍馬という北斗によって大政奉還させられるわけになりますので、結局この国では、北極星・北斗七星の受け渡しが権力の譲位を意味するのです。
坂本龍馬は高知城下から北に駆け上がった山上の田中良助宅に遊びに行っていましたが、この家の近くに北斗を模しているだろうと思われる七ツ淵神社と北極星を模しているだろうと思われる巨大な巨岩(岩の小山)があります。そして、彼は後に北辰(北極星)一刀流の剣の達人になっていくわけです。
北辰(北極星)は権力にしがみつく人間達よりも、清い国家をつくろうとする若者達に力を与えたわけです(シラヤマリアがルシファーに力を与える時というのはこういう時をおいて他にはないでしょう)今でもこの妙見の本質は変わっていないと思います。
明治の神仏分離令の折に、全国各地の神社で妙見菩薩が天御中主に祭神変更されたのですが、それは本当に神道を尊重するために行われたのか、正史をさらに封印するために行われたのか、判断がしづらい状況があります。
と言いますのは、江戸末期の状況から考えても日本的な北極星信仰はむしろ妙見信仰にこそあったのではないかと考えられるからです。天御中主はちょっとわかりにくく、妙見菩薩の女神性はオホシサマと重なるからです。
それに何かと理由をつけて天御中主に祭神変更したのは、どうも、北の守護を置き強力な基盤を築いた江戸幕府でさえ、北辰の1青年・坂本龍馬によって転覆させられたのだから、妙見信仰そのものを潰して国家神道を打ち立てようとしたのではないかと思います。
帝都東京はこういう思想に基づいて建設されてきたのです。しかし、そのような都は北辰の自浄作用が働かないので、たった130年ほどで今のような腐乱した状態となってしまったのです。
これからどうしなければいけないかは、ことさらに私が言うことでもなく、既に皆さんの心のうちに降りてきているはずです。それを実行するのかしないのか、単にその問題だけでしょう。
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フレイ・フレイヤのつづら織りにも書きましたが、太陽神と大地母神の結婚譚ですが、もう少し、高知の朝峯神社で読み解いていきたいと思います。
高知県にあります朝峯神社は浅間神社の勧請であるとされていますが、つじつまが合いません。
富士山周辺における浅間信仰とは富士山そのものの神格化であり、高知の朝峯神社のように、県内の酒造メーカーが挙って女陰石から湧き出す水を酒に入れているというような信仰は、浅間信仰ではなく、どちらかと言えば、修験道的であり、縄文的な感覚です。
そもそも、この朝峯神社は富士山と呼ばれており、湾の反対側の『孕のジャン!』と組み合わせれば、太陽神をおびき寄せるために、酒を造り始めたというストーリーが浮かびあがってきます。
祭神はコノハナサクヤ姫ですが(コノハナは岬を意味し、サクは裂くという意味)、海に突き出したコノハナの先端に女陰石があり、そこから湧き出す水を、酒に醸造させて太陽神に差し出す。そしてそれを太陽神が受け入れれば、大地は連綿と命をつなぎ、大地と太陽神の誓約によって、大地は不死身となるのです。この不死身の信仰を生み出すコノハナの山が不死山(フジサン)として呼ばれるようになるのは必然でしょう。
徐福が求めていたのはこの縄文の太陽信仰のことではないかと思います。
こういうストーリーがこの朝峯神社の祭神・配置・古信仰から浮かび上がってくるのです。
古代の日本人は、単に男根を意味もなく祀り上げていた未開人ではなく、非常に論理的で現実的な信仰を持った哲学性に富む人種であったことが伺えます。
生命誕生の感動と、命への感謝が、このような素晴らしい信仰に向かわせたのでしょう。
この太陽信仰にはファラオ(王)は存在せず、人間も他の生命と同じレベルで見られています。ただし、白髭のツクモガミはいます。そのツクモガミであるオサ(長)がクニを統制していたのでしょう。
従ってこの太陽信仰はオリエントの太陽信仰が入ってくる前の純粋な縄文太陽信仰と言えるでしょう。
日本にファラオは必要ないのです。全ての生命は同等なのですから。
太陽神でさえ縄文人は特別視してません。神格化させていますが酒で釣って、大地と性交させて自分達の住む土地を安定したものにしようとしていたわけですから、ものすごく論理的です。
神は神という機能を持つだけで、存在という意味においては、人間と変わらないと考えていたわけです。このスタンスは驚きでしょう。かなりのインテリジェンスがないとこういう風にはなりません。
野蛮人・未開人というのは神の神威を感じるとひれ伏したり、恐れおののいたりはしますが、インテリジェンスがあれば、それがどういう存在で私達人間とどう関わっているかを認識できるわけです。
ここに書いてある太陽信仰を行ったとされる人たちは、神を祀ってはいますが、ある意味、科学的であるといったほうが良い部分もあります。
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