6月30日に七越し祓い(なごしはらい)エナジーワークを実施致します。
七越の大祓いエナジーワーク ~七色の輝きに向けて
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現在、多くの神社で実施されています夏越しの大祓いともリンクするものでもありますが、もう少し具体的な形でのエナジーワークを催したいと思います。
明治神宮巡礼 ~ 七色の虹となりて ~ にも書きました通り、瀬織津姫から速開都姫へのエネルギーの受け渡しは整数『六』から整数『七』への転換でもあります。
これが七へ越す七越しの意味であり、夏の『ナ』も『七』の響きから創られています。その夏に何があるかと言いますと、夏の大三角形(ベガ・アルタイル・デネブ)があるわけです。
祓戸大神とは何か? にも書きました通り、夏越しの大祓いで用いられる茅の輪潜り(ちのわくぐり)には七夕で使用する短冊もくくられるわけですが、旧暦6月30日(夏越祓)→旧暦7月4日(風神祭)→旧暦7月7日(七夕)は密接な関係があります。
私たち一人一人が、6月の最終日に瀬織津姫の祓いを受け、7月に変わる時にヤゴからアキツに転身し、空中へ飛び出し(生まれ変わり)、7月4日に風神に乗り、7月7日に天の川を渡り、北極星に会いに行くというストーリーの主人公になります。
北極星と風神、そして瀬織津姫が隠された後、本来の祓いがなんのために行われたのかがわからなくなり、現在は断片的な文化のみが継承されておりますが、祓いの目的とは『私たちが私たち自身あるいは母(北極星)に回帰する』ことです。
ここには凄まじいほどのスピリチュアリティが溢れており、また天と地を分けたルーアハ(日本では風「息吹」が消されたので、西洋・中東のインテリジェンスを引用します)が再度、天地をつなぐという深い深い意味も隠されているのです。
6が終わる日(7へと生まれ変わる日)に七越し祓い(なごしはらい)を実施し、本来の自分を目覚めさせる(アキツへと転身する)お手伝いをさせて頂きたいと思います。
ひとつだけご注意頂きたい事は、この祓いは『終わりではなく始まりに過ぎない』ということです。
古代、私たちは聖地へ赴く時は禊(ミソギ)を行いました。禊とは古い自分を捨て去ることであり、禍(マガ)を流すことでもありました。
禍(マガ)は『曲がる』の語源でもあり、古い過去を持ち続けると人間でもその他の生命でも曲がりが生じてきます。ですから常に過去を捨て続けることによって、真っ直ぐになってきます。これが杉への信仰になっていきました。放下著という禅の思想もこれと同じものです。(だから禅は日本に受け入れられ、中国では衰退しました、ひとつの文化が受け入れられるためには、土壌が肥えていなければ無理なのです)
過去の自分を瀬織津姫によって一気に流してしまいましょう!アキツ(トンボ)となって空中に飛び出せば、水中で起こっていた些細なことなど、どうでもよくなるはずです。
瀬織津姫信仰・速開都姫信仰とはそういうものだったのではないでしょうか。
そうでなければ、これからそのようにしていけば良いのです。
神話を知ることよりも、今を神話にすることのほうが大切です。
ベガが北極星に回帰する1万3千年後の日本人が西暦0年と西暦2009年を明確に区別できるでしょうか?区別できないとすれば、西暦0年が神話の時代ならば、西暦2009年の今も神話の真っ最中なのです。論理的に考えると、そうなります。
何事も遅すぎるということはなく、やろうとする意志を持てるかどうかだけの問題なのです。
風が吹けばいのちが生まれるのです。
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祓戸大神『ウィキペディア(Wikipedia)』とは、大祓(おおはらえ)『ウィキペディア(Wikipedia)』の際に行われる奏上であり、中臣祓詞というところから推察しても、天智朝で完成した可能性が高い。もうひとつの傍証は佐久奈度神社を含む七瀬の祓い所であり、天武天皇が拠り所とした吉野には、祓戸大神の本質的な祭礼が残ってないところをみても、天武朝での確立の可能性はかなり低いと思います。
また、さらなる傍証ですが、大祓(おおはらえ)『ウィキペディア(Wikipedia)』のページにも記載している通り、高知県下では夏越祓のことを「輪抜け様」と呼んでおり、この輪抜け様の大元が以前にも紹介した土佐神社と信仰を2分する(潮江)天満宮なのです。
天満宮と北極星
高知には天智天皇の伝承が多く、天武天皇といえば、
一言主誘拐事件
が浮かび上がってきます。
高知県の「輪抜け様」が今でも熱心に信仰されている民間信仰であるということを考慮に入れると、これは明らかに権力から押し付けられたものではなく(夏越祓は明治時代に全国で実施されるように各神社に圧力がかけられた)天智朝の祓戸の時代から残っているものだと考えるのが理にかなっています。
しかも、その(潮江)天満宮は菅原高視が父・道真を全国で最初に祀った地であり、その背後の山には獅子の咆哮と瀬織津姫で書いたように、イカルガを模す巨大な象徴的な獅子岩が東に向かって咆哮しているのです。(磐船神社・西宮のセットとは逆)内湾を挟んで、対岸には宇佐神宮の大元、三体妙見がベースにあると思われる星神社の山があります。
また、夏越祓の茅の輪潜り(ちのわくぐり)が蘇民将来譚や牛頭天王から発せられているように、祓戸大神は北極星と直結する信仰でもあるのです。
この高知のケースと、宇佐神宮の北辰信仰、そして宮島が瀬織津姫を祀っていたという可能性、また、牛頭天王を誘拐された姫路の廣峯神社、近江佐久奈度。これらを総合すると、四国・瀬戸内・周辺、近江が天智朝までは北極星を中心とする信仰で連動して動いていたという歴史が浮かび上がってきます。
またここがつながると、土佐と諏訪のラインもつながり、さらには、一之宮で瀬織津姫を祀っていた武蔵・相模も論理的にリンクしてくるのです。
昨日、武蔵一之宮の小野神社に行きましたが、今は元気がありませんが、過去、多摩川の中で禊が行われていたのは明らかです。
玄松子さんによれば、『江戸名所図会』に「瀬織津比咩一座」と書いてあるようなので、小野神社の祭神は江戸時代までは瀬織津姫のみであり、天智朝の伝統が継承されていた可能性も出てきます。
そうであれば、源頼朝が日光を信仰したのは天智朝の天の川・北極星信仰がベースにあったかもしれず、現に鎌足が鎌を奉納した鎌倉を都とし、北極星信仰が隠された八幡宮を異常に信仰したのにも納得がいくのです。そうすると武士の誕生とは、平安の律令国家天武朝に対するモノノフの反乱であり、鎌倉時代に至って朝廷に対するアンチテーゼを創出した瞬間に真の日本が取り戻されたとする見方もできると思います。
武士達が仏教の経典主義を嫌い、禅を受け入れたのも、うなずける話です。関東の古層ももっと掘り下げなくてはならないと思います。
天智朝・天武朝の違いを明確にして争いを煽るのではなく、違いを明確にして天の川祭祀を取り戻したいと考えています。それは北極星信仰にもつながりますし、祓戸の本質でもあるのです。そしてそれが水の力の復活でもありますし、水龍を解き放つベースの認識となっていくと考えるからです。
過去の問題にふたをして、あいまいにして事なきを得ていくというのは日本人は得意ではありますが、これでは根本的な問題解決にはなりません。むしろ現在の日本の社会環境・経済環境悪化は上記のことが原因になっているのではないかとさえ思います。
その結果、私たちは未だに先の大戦の客観視もできてないのです。
もう少し、私たちは他国と同様に自国の歴史を振り返り、論理的かつ哲学的に検証し、より良き未来に向かっていく必要があるのではないかと思います。
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聖徳太子とは誰のことか(永井俊哉ドットコム)
永井さんが鋭いことを書かれているのでリンクします。
聖徳太子という人物は実在しなかったということや、天武朝以降日本史が書き換えられた可能性があるという点では一致しています。
中でも聖徳太子像が天武朝以降に創作されたという指摘は素晴らしいものがあります。
天武天皇はおそらくは、白村江の戦い以後、渡来してきた勢力と深く関わっており、最悪のシナリオの場合、渡来してきた勢力の本体であった可能性すらあります。
ただ今更、話を蒸し返して争いを繰り広げることもないと思います。しかし、真実は暴かれるべきであると思います。
私は聖徳太子のモデルは、阿武山古墳の被葬者、鎌足ではないかと思います。鎌足公はおそらく、天智天皇本人か、その血族。年代が前後しますが、数々のメタファーで彩られた日本書紀を見れば、それくらいの捏造は造作もないことです。
なぜ天智天皇が近江に都を置いたのかは、未だに明らかになっていませんが、おそらくは西宮(サイグウ)と斎宮(サイグウ)でも書いたように、天児屋根ラインで最も重要な琵琶湖と淡路島の生殖を受け持つ天の川祭祀を行う必要があったからでしょう。
この天の川祭祀で最も重要な地域が阿武山古墳を含む摂津なのです。摂津の磐船神社のイカルガを奈良のイカルガに降ろしたのは鎌足公本人か、それに対抗する勢力です。
鎌足公自体が神仏習合に力を注いでいた様子も伺えます。しかし法隆寺を巡る歴史は複雑です。
鎌足公が天智朝の擁護者であるとしても、子とされる不比等以下は私も永井さん同様、日本書紀創作勢力であると思います。
藤原不比等以下の藤原氏および天武天皇は中国の思想を多分に持った人たちであったと思います。天武天皇が天智天皇の弟とされたように藤原不比等も藤原鎌足公の子とされたのです。不比等の兄とされる定恵はうまい具合にクッション役になっている。
聖徳太子が実在しないことを書かれた大山 誠一氏は元々、長屋王家木簡の専門家で、長屋王のライバルで『日本書紀』の編者である藤原不比等とは異なる視点から歴史を見ていたということですが、長屋王の骨がなぜ土佐に流されたのか?という日本霊異記の記述には目がいかなかったようです。
天武朝において明らかに飛鳥と土佐は違うディスクールで動いており、骨を土佐に持っていくということは、出元に還すというメタファーを持っているのです。
675年 土左大神(土左高賀茂大社)天武天皇に
神刀を献上(させられる)
同年 奈良龍田大社創建
678年 京都上賀茂神社創建
684年 白鳳の大地震
(土佐で陸地沈没、東海地震併発、伊豆大瀬崎隆起)
祟りによるものと捉えられる
同年 長屋王生まれる
686年 (天武天皇)秦忌寸石勝を遣わして(土左大神に)幣を於く
同年 願いかなわず天武天皇崩御
729年 長屋王憤死→骨は土佐へ
737年 藤原四子 天然痘で急死
祟りによるものと捉えられる
ここで注目したいのは、長屋王が天武天皇崩御の遠因(祟り)ともされる白鳳の大地震の年に生まれていることです。676年の異説もあるようですが、それも土佐から神刀を献上させた翌年です。長屋王がモノノケの権化として認識されていた可能性があるのです。土佐が鬼国とも言われる所以です。
土佐は江戸時代でさえ犬神『ウィキペディア(Wikipedia)』付きの事例があるくらいです。上古の時代に気味悪がられていたのは言うまでもないでしょう。それが卑弥呼の鬼道の下地になったのは言うまでもないことです。またこれが陰陽道を吸収する下地になっていきます。現存する陰陽道『ウィキペディア(Wikipedia)』は天社土御門神道と高知県のいざなぎ流しかありませんが、『土』は土佐の隠語ですので、卑弥呼の鬼道のラインは明らかに四国-北陸なのです。
土佐が天智朝まで天児屋根ラインで連動して動いていたのはほぼ間違いがないでしょう。イカルガ(磐船神社)と西宮のセットと子宮系祭祀は土佐にも同じように見出すことができるからです。
鎌足公が摂津で指揮をとっていた時代は、全国が天の川祭祀で一体化し連動していた可能性があります。鎌足公のエネルギーは宇佐・土佐・摂津・近江・諏訪・武蔵・常陸・陸前と全てに抜けていく不思議なものです。
これを『和を以って尊し為す』と言わずしてなんと言うのでしょうか。
鎌足公こそ聖徳太子ということでしょう。
4年前に八幡大神からこんなことを言われました。
”われわれはわれわれの神をのこすため、やむをえず異国の神と習合することを選択した”
これは鎌足公にも通じているのです。
私たちは天智朝以前の日本を取り戻す必要があるのです。
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品川の語源の最も有力な説は、目黒川の下流域がそう呼ばれていたことからきているという。
品川の語源(知泉Wiki)
目黒川(『ウィキペディア(Wikipedia)』)
おそらく、品川のシナは風のことであり、しなとの風神のことである。
風は水を波立たせたり(イザナミ)、凪らせたり(イザナギ)する根源的な神。
風がなければ命も生まれないともいっていい。火も水も風によって力を増す。
風神『ウィキペディア(Wikipedia)』
奈良県に風神で有名な龍田大社がある。
創建は天武天皇4年(675年)
675年といえば一言主誘拐事件でも書いたように、土左大神(土左高賀茂大社)が天武天皇に神刀を献上した年。
そして、龍田大社と土佐神社の風神祀りの日(7月4日)は同じ。(土佐神社のしなね祭は旧暦の7月4日)
龍田大社では国御柱命は級長戸辺命(女神)のこととしているようですが、土佐神社では『しなね様』として風の女神1柱を祀っているのみ。
今回の旅の意味と高知入りレポートに書いた西御前は風の女神であるだろうと思う。朝廷によって消された女神。訪問時も台風直撃の危機にさらされたように、台風は南西方向からやってきます。
その台風の大和への入り口に風の女神が祀られているのは合理的な話です。
ですから龍田大社に風の女神が祀られているのは、政治的なものであることはほぼ間違いがないでしょう。神は地形に宿りますから、風と関係のないところに風の神が祀られているのはおかしいのです。
ちなみに台風と地方風をリンク。
この『風』は少名彦名とオオナムチ(太陽神)に関わっていそうな気がします。土佐神社では大国主(オオナムチ)と事代主を差し置いて真ん中に祀られています。風神は元寇で神風を起こした後、信仰されてきたかのように考えられていますが、もっと古い歴史があり、根源的な神であろうと思います。なぜならイザナギ(凪)とイザナミ(波)を仲裁するのは『風』だからです。
少名彦名の元々の伝承地とされる四国の大洲には肱川あらしという世界的にも珍しい現象があります。少名彦名はこの肱川(ひじかわ)で溺れて亡くなったとされる。日本最古の温泉の道後温泉と何か深い関わりもあるでしょう。(風は熱せられることによって向きが変わりますから)
話を戻しますと、東京の品川ですが
目黒川の下流域が品川と呼ばれ、その界隈に大鳥神社があるというのは、ものすごく深いメタファーがあるのです。
なぜなら、土佐神社の『しなね祭』が風の女神だけでなく、それに続く旧暦7月7日の七夕に直結しているのは(シナノの諏訪大社のミサヤマ神事にもつながる)風が吹けばシラトリ(白鳥座)が飛んで彦星(太陽神)と織姫(北極星)の逢瀬が果たされるということなのです。
つまりは、ヤマトタケルとは彦星であり太陽神であり、シラトリ伝承と密接な関わりがあるのはこういう理由があるように思うのです。
ヤマトタケル伝承が関東に多く、酉の市『ウィキペディア(Wikipedia)』が関東だけに見られるのは、関東は朝廷から少し離れていたため、過去の日本文化を温存できたのではないかと思います。これが天児屋根ライン(天児屋根と鶴の白山)と直結しているのは間違いがないでしょう。これが蝦夷文化であり先住民族系の文化。
ひょっとすると夏は台風(南西から北東への風)、冬は颪(おろし)(北西から南東への風)というセットで捉えられていたかもしれません。そうすると夏にシラトリに乗って織姫(北極星)に会いに行っていた彦星(ヤマトタケル)が赤城颪にのって還って来るという壮大なストーリーにもなります。
赤城颪の先には、さきたま古墳群、大宮氷川神社(中央構造線上)、そして品川で海に出る。
関東に多い第六天神社、恵比須の恵比須神社(天津神社)、目黒の大鳥神社に呼ばれるのはこういう理由があったのです。
おそらくは目黒川と品川が交わるところがイザナギとイザナミを取り持つタルミ(第六天)と呼ばれていたのではないだろうか。その付近に恵比須がいるのは兵庫の西宮と同じなのです。
西宮(サイグウ)と斎宮(サイグウ)
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† タルミ †
~ タラ☆ウミ ~
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恵比須の恵比須神社(旧天津神社)と下高井戸の第六天神社に呼ばれてまして、早く行かなくては思っていたのですが、実は深いつながりがあると思っていて、今日地図で、目黒に大鳥神社なるものを発見してびっくりした次第です。
なんと目黒総鎮守であるらしい。全くの不覚。
全てがつながったようです。
長禄の江戸図という古地図にも載っているらしいですが、Webにあまり資料がなく、下記の方が作られているものしかいいものが見当たらない。
大塚と「長禄江戸図」 (白龍亭)
これがめちゃくちゃ怪しくて、大鳥神社は大阪の堺の神社が総本社とされていますが、私の鶴亀ロジックでいくと、白山から東南の関東のほうが、大鳥の本拠地としてはしっくりと来るのです。
そして、大鳥連は中臣氏と同じく天児屋命を祀っています。
天児屋命などについては下記を
天児屋根と鶴の白山
しかも中臣氏は関東とも縁が深く、鎌倉は鎌足が鎌を奉納した土地。
鎌足は三島と茨木と縁が深く、これはともに静岡と茨城のメタファーでもある。
阿武山古墳は鎌足の墓とも目されるが、政府が慌てて埋めた、出てきてはいけない古墳。
鎌足は談山神社に連行されて祭祀されていますが、後期大和朝廷・明治政府・戦後GHQにとって鎌足および天智天皇は歴史の表舞台に出てきて欲しくはない勢力。
後期大和朝廷→天武朝こそが正統
明治政府→薩摩と長州主導の下で作られた国家神道
戦後GHQ→シュメールと直結する天智朝は世界史を覆す
時代を超えて上記3者の利益は完全に一致しているのです。
しかも関東にはヤマトタケル伝承が異様に多い。
一言主(土佐)、牛頭天王(姫路)に継いで、ヤマトタケルも誘拐されたようです。
白鳥伝承は実は神戸や香川にもたくさんあって天児屋根ラインと一致する。(白山を頂点として四国・関東を吊るし上げるラインをこれから天児屋根ラインとします)私たちが昨年巡礼したアナスタトリニティはこの天児屋根ライン上にありました。
そして妙見信仰が強いのも秩父・千葉・兵庫の天児屋根ライン。
実は、怪しい古代寺院が多いのも四国・兵庫・伊豆・千葉の4ヶ所。
そして七星剣が出てきたのは、畿内以外では高知と千葉。
そしてさきたま古墳(埼玉)の剣にはワカタケルの文字が。
誘拐事件の真相が少しづつ見えてきています。
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