阿智神社『ウィキペディア(Wikipedia)』という神社をある方から教えて頂きましたが、これがなかなか面白い。祭神が天表春命(あめのうわはる)で天下春命の兄であるらしい。
天下春命と言えば、ご存知、秩父の開拓神ともされ、武蔵一之宮小野神社で瀬織津姫と同時に祀られている知名度の低い神さま。
しかし、秩父神社・小野神社に天下春命、そして阿智神社・戸隠神社(宝光社)に祀られていることを考えると、上(上春)と下(下春)が信濃を境に東に展開していることになる。
これはすなわち、宝光社が建てられた10世紀においても東日本の文明は信濃を西端としていたわけであり、後期大和朝廷とは違う形の文明が存在し、諏訪がその2つの文明の衝突の舞台になったことは、このことからも証明されるわけなのです。
表春・下春というぐらいですから、ここには明らかに住吉3神の思想も存在し、東国は決して野蛮な蝦夷などではなく、思想のベースは同じものを持ちながらも後期大和朝廷とは決定的に違う何かを信じていたようである。
それが何かと言えば、『帝国主義』と『自由主義』という2つしかないわけです。どちらが帝国主義を以って人間を支配しようとしたのかは言うまでもないことです。
さらに面白いのは、阿智神社は岡山県倉敷市にもあり、これもなかなか見逃せない神社なのです。
阿智神社の由緒の中に
・・・・・・・・・・引用はじめ
三振の剣が天空より明るく輝いてこの山に天下ったため、「明剣宮」として、宗像三女神をお祀りしたとされている。
・・・・・・・・・・引用おわり
とある。そして、大倉と普顕三体妙見宮(井原の熱い季節さん)の中で、倉敷から程近い美星町(星で有名)の三体妙見宮のことが紹介されています。
どうやら明剣と妙見は同じ意味を持つらしいのです。そして天空というのがどうやら北極星を意味しているらしいのです。これがヤ(矢・剣)とマト(的)のヤマト(大和)につながってくるのです。
そして美星町の例からもわかるように、女の女神三体を祀るのが三体妙見の習わしらしいのです。
これは私が高知の宗像3女神山と呼ぶ介良三山でも同じで、中心である介良富士にはコノハナサクヤ姫(市杵嶋姫)が祀られており、浅間信仰とは違う形のコノハナサクヤ姫信仰が宿っているのです。介良富士にある朝峯神社には男根が祀られており、介良富士山中の女陰石(この岩から出る岩清水は高知の酒造メーカーの信仰対象になっており酒解神の根源的信仰と言える)と合体する祭事が行われており、北極星から落ちてきた剣が大地を突き刺し、水を噴出させるというメタファーも持っています。
これこそ、真のコノハナサクヤ姫であり(これは佐久奈度神社の項でも書きました)『不死(健康長寿)と不二(和合)(阿智神社)』につながる真の不二山信仰なのです。
京都の宇治川はおそらくは不二川であり、琵琶湖の聖なる水がコノハナを裂いて生まれてくる再生・和合の川だったのです。高知の三輪河(現仁淀川)と鏡川をつなぐのも宇治川であり、おそらくは多摩川と品川をつなぐのも不二川(宇治川)であったと思われます。
高知の場合は、この宗像3女神山に向かって巨大な獅子岩が咆哮しており、この獅子岩は北極星信仰の権現さんとされた菅原道真の長男である菅原高視の字をとって高視山となっており、そのすぐ下には日本初の天満宮が鎮座しているのです。天が満つるためには、獅子岩を祀り3振の剣(三体妙見)を降ろすことが重要なのです。
この獅子岩こそニギハヤヒであり、イワレヒコが是非とも略奪したいソラミツヤマトだったのです。その証拠に宗像3女神と富士、そして北極星は未だに切り離されたままなのです。
これを考えると天表春と天下春の兄弟は真の富士山信仰を守ろうとしていたのではないかとさえ思います。後期大和朝廷がいくらヤマトタケルと違うコノハナサクヤ姫で統制しようとしても、山梨の多くの神社の参道の真ん中には男根石が屹立(Crystal Philosophia )しているのです。
これは高知の祭事に見られるように男根石が山中の女陰石に突撃するという名残であり、ヤマトタケルは全然関係がないのです。その突撃によって岩から水が噴出し、私たち日本の国土と民の和合と長寿が約束される、そういう信仰なのです。どこかが一番でどこかが二番ということはなく、全国一律でそのような神事があったわけです。
その神事を利用して、『記・紀』のヤマトタケルとヤマト朝廷の権威を高めるために富士山を利用したのは、古来の日本人の感覚から言えば、許しがたい暴挙なのです。
土地に一番も二番もないですし、権力が全てを握っているわけでもないのです。私たちは私たちの手で自分の国を再生しないといけないのです。
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先日、ロゴス崩壊の中で書いた教育改革のまとめをしたいと思いますが、10年前は四国88箇所巡礼の中で若者達が、たくさんの人間との触れ合いを通じ、知識や知性を養い、人間性を確立していくというのが柱となっていましたが、現在は少し変わってきています。
農業を主体とするというのは変わってなく、今やっと新自由主義の崩壊で農業が見直され始めているのです。
ここらあたりの詳しい事はビジョン de クオリア記事で触れています。
四国88箇所巡礼も若い人たちの間で少しずつ火がついてきているようですが、四国だけでなく全国の聖地をそのような巡礼ルートに設定したいと考えています。
これが、1昨年より始めておりますレムリアンリゾナンスの教育事業であり、スピリチュアルコミュニティと連動させて展開しようと活動していますが、状況は芳しくなく、未だにアカデミックな領域、地方の意識、スピリチュアルでエネルギーを扱う人たちの意識には著しい乖離があります。
それを埋め合わせるためにまだまだ地道な活動が必要なようです。
現在の学校教育というものは、既に20年ほど前から限界が来ており、このまま続けていけば国の未来に重大な悪影響を及ぼすと思います。
その原因は何かと言いますと、国民皆兵の『考えさせない教育』であり、思考停止をばらまく『マスゴミの洗脳』にあります。
しかし、その嘘がばれ始め、若者達はその嘘を本質的に見抜いています。戦後世代は自分がその嘘の中で踊らされ脳内でその嘘がループしていることに気づいてないのです。
義務教育を受けさせ、肩書きの夢を見させ、マイホームを買わせるというのは、明らかに政府が主体となって行われた国民皆兵の洗脳ゲーム(プロパガンダ)であり、生存の自由や信条の自由を幼少時代より奪う明らかな違法行為なのです。
その嘘の中で若者達は苦しんでいますが、なぜ苦しいのかがはっきりとはわからない。それを打開する思想的最前線が共産党への傾倒であり、蟹工船ブームでもあるのです。今やっとそういう人たちが出始め、国家と社会の構造や思想の問題に対して自発的に取り組む姿勢が生まれてきているのです。
現在の社会構造の中で一番甘い蜜を吸ってきたのは、ゼネコンの企業献金を受け取る自民党員とゼネコンそのもの、そして数々の洗脳行為と下請け虐待で巨額の売り上げを上げてきたマスメディアなのです。
この三位一体の悪の枢軸国が若者達を奈落の底へと落としめているのです。国内の資産保有率が20代以下で数%しか占めないのは、明らかに異常というより他はないでしょう。これがドメスティックな植民地主義であるということも思想を深く理解し、精緻な分析を行っていかないと見えてこないものだと思います。
本来、人間とは文明も資産も子から孫へと譲渡するものであり、いかに戦後世代が狂気的な精神構造を持っているかがわかります。
このような環境の中で、子供達が自分達の手で社会を変革していくためには、是非とも教育改革が必要なのです。
現在の教育制度では、法律や事実を丸暗記できても、社会を変革していく哲学的な力が養われません。(むしろ戦後世代が意図的に行ってきた考えさせない教育とはそれを目的としていた可能性すらある)
本来の社会のあり方は子供達を重商主義の市場とするのではなく、しっかりと保護し育てていくものでなければならない。
そういうセーフティネットを張らずに子供達を重商主義や、ましてや新自由主義の犠牲に晒した戦後世代の罪は重く、意図的にそれを行ったと見られても文句が言えないと思われます。
それで、実際の教育構造改革ですが、私たちが現在行っている聖地巡礼的な歴史を知るフィールドワーク、そして現地の人とコミュニケーションをとるコミュニケーションワーク、そしてその中で興味を持ったことを自分で学習する図書館ワークを根本に据えます。
これは、かなりフィンランド型に近く、実務的なレベルにおいてはフィンランドを模倣する場面も多くでてくるのではないかと思います。
ただ、ひとつ違うのは、現在スターライト・クオリア(Loving-earth)で開催しているような自然を深く洞察した東洋的なエレメントの学習があらゆる学習の根本原理に据えられるということです。
これがなぜなのかと言いますと、既にアメリカがグリーンディールを展開しているように、10年後の世界において力を持つのは、緑の資本主義であり、そこで力を持つのは自然をどれだけ深く洞察できているか、なのです。
実際に、自然と調和する日本古来の建築がヨーロッパ各地で注目を集めており、それがどういう認識のもと生まれてきた思想なのかを説明が求められる時代になってきています。
この説明には、日本神話までの遡及が欠かせず、さらに言うならば、日本神話を彩る五大元素への深い洞察が必要なのです。
なんとか、クオリア・クリエイツ(Loving-earth)や聖地巡礼(Loving-earth)にまでこぎつけていますが、未だ日本人の大部分は政府による創作神話を信じ続けているのです。この洗脳が解けるにはあと10年はかかるかもしれません。
哲学的思考を持った方、あるいは直感力が優れた方から順繰りで抜けていけば良いとは思います。
自治体関係者で教育構造改革によって定住者を呼び込みたい方は是非、ご一報下さい。このフィンランド型のモデルはむしろ山村のほうがやりやすく、山村の小自治体もこれによってインテリジェンスが蓄積されていきますので、村の永続的発展につながっていきます。国や県のやり方に従うだけでは弱者は常に弱者のままでしかありません。それが中央集権というドグマですから。
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実はロゴスとミュトスをつなぐものは聖音だけではありません。
お酒もまたそれらを繋ぎます。
聖音オーム『ウィキペディア(Wikipedia)』はオウム真理教の影響からネガティブな反応を示す人も多いことと思いますが、本来ロゴスとミュトスをつなぐ聖なる音。
そして、それは仏教(真言)ではア・ウン。神社の狛犬も後世そのモチーフとされています。しかし、本来の意味は聖なる2体をつなぐもの。それは音であり、酒であります。
そして、ホツマ『ウィキペディア(Wikipedia)』の『ア・ワ』も聖音オーム。ロゴスとミュトスが結合する鳴門の渦潮はまさに聖音オーム。天の渦女(アメノウズメ)である北極星と海の渦目(アマノウズメ)である渦潮。天地開闢の音の始まりがアーワゥから始まったというのも頷ける話。
アは古語で”私”という意味。『はじめに言葉ありき』のようにこの世界は私という明滅する因果交流電灯(宮沢賢治談)のようなもの。しかしそれだけではない。言葉だけでは説明できないものがあるワっ、のワが倭国のワ。和のワ。人と人との交流、愛の受け渡し、何かを共有しわかちあうことにこそ、この世の喜びと幸福があるの。で、そのロゴスとミュトスをぐるぐるぐるぐるとつなぐのが聖音オーム。
天の星がぐるぐるとまわる中心に存在するのが天の渦潮の中心『北極星』であり、天(アマ)が海(アマ)に至っては海の北極星「渦潮」となる。そこを中心にクニができていったということはそれほどの想像力を必要としない。むしろそう考えないほうが想像力を必要とする。魏志倭人伝の方位のこじつけや地域おこしのための遺跡の年代測定捏造など、官民をあげての迷走は今でも続いている。
その阿波は安房となって関東の東部に拠点を築く。そして戌亥の方角には眷属神。東京湾から見た古代文化の配置は四国のものとおそろしく酷似している。
四国の戌亥の方角には大神(おおかみ)信仰があり、その方角の石鎚山系の河の古代名は三輪河(現仁淀川『ウィキペディア(Wikipedia)』)。聖なる三位一体が流れてくる川。
その三輪河の下流域にある椙本神社の神紋。奈良三輪神社からの勧請とされているが、根底に眠る思想が明らかに違うし、こちらのほうが明らかに古い。境内から銅矛が出てきたり、古墳時代からの国宝太刀が伝承されている日奉部クサカ郷の二之宮小村神社(Dragon Anasta)とは三輪河を挟んでセットのようなもの。
三輪は父・母・子の三位一体、そして三体妙見の意味。この三輪河源流域の瓶ヶ森という山には男山・女山・子持ち権現山の三位一体。そして、そこには瓶のような聖なる泉がある。(詳しくは尊星降臨記事)平安時代に三位一体が封印され、本来イカルガの峯であった石鎚山に石鎚神社が置かれた。本来の配置は戌亥の方角に三位一体の三輪、そして内湾を挟んで辰巳の方角に石土神社。なぜなら石(いわ)と土(つち・はにやす)は河が運び、下流域で人間がそれを使って土器などを作って食物を食すからである。
そしてこの三輪河、古代より神聖視されていて酒造りが今でも盛ん。酒を神とする酒豪の文化がない地域に三輪の神が降臨するはずがないのである。
三輪とは神であり水であり酒であり、それを守護する大神(狼)のこと。土佐では三輪河周辺部では狼はオオカミと呼ばれ、それ以外の地域ではヤマイヌと呼ばれていた。
オオカミ(オオミワ)は水の守護なのです。
水と酒、狼と三位一体、そして三体妙見、これが三輪の本質。犬神信仰『ウィキペディア(Wikipedia)』のない土地に三輪神社があること自体が異常なのです。
多摩川流域に存在したと思われる武蔵六之宮の杉原神社はこの椙本神社に対応する。そして天津羽羽を祀る土佐二之宮朝倉神社は武蔵二之宮に相当し、同じアラハバキを祀っている。アラハバキとは天津羽羽神の荒魂。すなわち北極星の荒ぶる側面。瀬織津姫とも天白信仰とも言う。そして土佐・武蔵、両者の国府(国衙)付近には延喜式内社の小野神社(Dragon Anasta)が存在する。
武蔵一之宮から六之宮すべてが土佐の6つの神社で置き換え可能である。しかし、京都や奈良ではこうはいかない。なぜならそこには一貫性のある土地から湧き起こる土着神を祭祀していたわけではなく、地方から寄せ集めてきた神々があたかも古代からそこにあったかのように半ば強引に配置されているからである。天武朝で創建された神社を調べてみるとそれが良くわかる。私たちが最古と考えている神社はそれほど古くはない。ほとんどが7世紀の創建である。
そして、古代多摩川が目黒川に氾濫時につながっていただろうと推測される同じ地形が高知に存在し、その構造と神社配置がおそろしく似ている。
そして目黒川の下流域は品川。そう、品川の”品”は三輪の神紋。そこで大国魂神社のお水取りが行われる。秩父と武蔵御嶽の眷属神に守られてこそ品川の三輪のお水取りは成功するのである。
そして、関東各所に存在する女体神社と大宮氷川神社の三体妙見もおそろしいくらい高知のものと一致する。土佐石土神社の妻は女体神社(石巣姫)、その生殖によって生まれたのが新宮神社。大宮氷川神社の根底にもこの思想が見られ、氷川とはすなわち日川であり、日御子を生み出す力を持っている川のこと。四国の場合は丑寅の剣山から土佐の内湾に氾濫時にだけ注いでいたけれども、関東では丑寅の方角にそのような高い山がなく、また丑寅から流れ出る川がなかったため、秩父や赤城山にそのリソースが当てられたのかもしれない。この部分だけが四国と違う。
しかし、その影響で毛野王国が冗長に東西に広がっていたという推論も成り立つ。なぜなら、阿波忌部の日奉祭祀が赤城山と犬吠崎に拠点が置かれた可能性があるからである。四国での勢力範囲は剣山とその東部だけですが。
そして、極めつけは中央構造線のこと。南の内湾に三輪の水が三輪河(仁淀川・多摩川)氾濫時にだけ注ぎ込み、北に中央構造線があるのは日本の中でも土佐と武蔵だけ。畿内ではこの矛盾を埋め合わせるため何度も遷都が行われている。(この矛盾を最も忌々しく思っていたのが天武天皇)
東に阿波忌部、日を祀る常陸、戌亥の方角の三輪河中流域に日奉部(武蔵ヒノ・土佐クサカ)が置かれた環境も酷似している。
西部に賀茂氏・秦氏の影が濃く、東部に物部氏の影が濃いのも一致している。そして極めつけは、北方の毛野氏であり、土佐内湾の中央で北方を祀る土佐神社の祭神アヂスキタカヒコネ『ウィキペディア(Wikipedia)』は別名迦毛大御神(かものおおみかみ)。「中央部・北方・毛」つながりで完全一致する。
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ロゴスとミュトスの記事を書いた後、ドイツで3万5千年前の笛が見つかったり(時事通信社)と音におけるメタファーも世界を駆け巡っているわけですが、自分の中でも変化があり、ロゴス的世界の転換がタイムリーなものになってきています。
そもそも自分がロゴス的世界に足を踏み入れたのは、学生時代にバンドを組んで自分の書いた詞を皆の前で歌えなかったことにある。社会の不正を謳うミュージシャンなど今も昔も日本にいないからです。大学生の自分には社会の不正や社会の構造的問題を詞にのせて唄う勇気などなかったのです。そしてその根拠も。
しかし、アートとは本来、魂の叫びであるはず。
その時、内なる世界の説明を要したわけですが、それがミュトス(音・詞)では説明されなかったわけです。
大学の講義で行われる意味のない知識のループと現実を何も変えることのできない形式民主主義、肩書きを手にいれロボットのように働く人間こそ、社会的に成功をつかむというこのおかしな社会構造に疑問を感じていたわけではありますが、結局、音の世界でもそういう社会的な問題に食い込んで表現を行っているミュージシャンは未だに皆無。(いや、一部のラッパーがやっている)そのような社会状況の中で最もひどい目にあっているのは、社会の底辺にいる人たち。
差別やいじめの糸をたぐりよせていくと、その根源は戦後世代の集団幻想にこそある。今でこそ、戦後世代の特定の世代が異常に犯罪率が高いという結果が出てきておりますが、これは犯罪に限ったことではなく、現在、権力に執着し、社会を動かしている人たちの脳には本質を認識できない何らかの障害があるのではないかと考えています。
これはもう少し、時が経たないと解明されないと思いますが、幼少時代の戦争体験などがその後の成長に大変な影響を及ぼしているのではないかと思います。この世代の人たちが今の社会を形成している。この問題は、より科学的な研究が進むことに期待したいと思います。
そういう状況の中で、ミュトスで社会を変革していくことなど、到底できなかったのです。
必要だったのはロゴスなのです。
大学を卒業して、2年間2000年問題対応のプログラマーとして働いたわけですが、その後、すぐに農業法人に転職して、この時既に今やっている聖地巡礼の下地の思想(教育改革を含む)はできており、その農業法人で展開させてもらおうとしたが、あまりにも社会常識から逸脱し過ぎていたためうまくいかず(今やっと教育改革に着手できるような感じになっています)、東京で55年体制崩壊の思想を展開して、やっとの思いで中央集権ドグマの息の根を止められようとしています。
今までは本当にロゴス、社会の何が間違っていて、何をどう変革すればうまくいくのか、そういうことを表現できるのはロゴス的精神構造でしか絶対に為しえないことだったのです。
現代世界を決定づけた近代合理精神は芸術から興ったのではなく、哲学から生まれている。そして明治維新も尊皇攘夷思想というロゴスから生まれているのです。しかし、幕末の志士に詩人的性格を持ったものが多かったいうのは良く知られた話で、ロゴスだけを持つものが変革の中心になることはないのだろう思う。
これは西洋でも然りで、ロゴスだけを重視する非現実的な学者たちが社会を引っ張ったことなど一度もないのです。
常に哲学の本質をつかみ、自分の頭で考えられる人間達が時代を転換させ新しい時代を築いていったのです。
しかし、自分の行動様式をこの10年間決定付けたロゴスは今、転換期を迎えています。なぜなら、自分のうちにおいてあらゆる不条理が説明されたからであり、時代がその不条理を矯正する方向に進み始めたからである。
これからは一気に変わっていくだろう。幕末の幕府のように現政府の国体は崩壊し、新たなリーダーたちによって国は導かれるだろう。
GHQと結託して日本を売り渡した自民党員は罰せられ、偽民主主義と偽三権分立、そして偽政教分離を、マスゴミを使って正当化してきたものたちは、大地から湧き起こってきている瀬織津姫の波によって洗いざらいクレンジングされるだろうと思う。変革・変革と叫びながら何も変えられなのは国体を利用した巨大な詐欺行為であり、法的にみても明らかな犯罪行為なのです。
この国で卑しいものたちが人の上に立ち続けることなど、到底無理な話で、罪には罰がしっかりと用意されている。
これからは『自由』を頂きに据える勢力にミュトス的”力”で援護させてもらいたいと思う。ロゴスはもう終わりつつあるのです。懐かしいバイブレーションが大地から湧き起こり、それが心に浸透した人たちが一斉に目覚めるのです。
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更新が少し滞っていましたが、ここ数日は地底から地響きのように湧き上がってくるような、精霊達の雄たけびというんでしょうか、大きなエネルギーの流れが感じられ、いても立ってもいられないような衝動にかられてしまいます。
病巣を探索し、必要あらば切開・膿だし、そして縫合しなければ外科手術とは言えません。
蓼科山で大地母神とつながり、奈良では天智朝と天武朝の融合をと思いましたが、現実はそのようには進まない。封じられしものたちが一斉に息を吹き返し、地響きを立てるように天空へと飛び立っている。
これは人智を超えた自然のサイクルであり、到底自分などには押さえることなどできない流れです。自分は単にそれを受け取って表現しているだけに過ぎません。
結びがあれば必ず開きがある。
女神の意図するところは大浄化であり、自分は過去の問題のある膿の箇所に焦点を絞って発言させて頂いてますが、女神が外科医なら、自分はその手術道具であるメスに過ぎないでしょう。メスが膿を分析し、論評することなど特に必要もないことでしょうが、膿にも人権があり、逃げる余地を与えておかなくてはならないと思います。
天変地異はいささかも温情無く、突如としてコッパ微塵に、驚天動地、大地を覆します。
ミカエルが美、ルシファーが醜として捉えられるのは、女神を取り巻く、説明をつけないミュトスが神聖視されるからだろうと思う。
自分はミュトス的世界の顕現を望みながら、ロゴス『ウィキペディア(Wikipedia)』の世界を体現していることについては矛盾を指摘されるだろうが、ミュトスとロゴスは常に表裏一体であり、ロゴスが時に突出してしまうのはミュトスの巨大世界が現代世界から欠落しているからであると思う。
ミュトス的世界とは、真・善・美の世界であり、これに反してロゴスは常に偽・悪・醜の要素がつきまとう。これは常に言葉が悪臭を放つからであり、言葉を美麗にするならば言霊(ことだま)や詞でしか世界を表現できなくなる。
ロゴスの体現はすなわち近代合理精神の体現でもあり、失われた女神性を泣いて追うスサノオとも言える。
はじめに言葉ありき。
本当はそうではないでしょう。
はじめに聖音(言霊)ありき。
ロゴスとミュトスをつなぐものこそ音なのです。
女神が喪失されているのではなく、音が喪失されているのです。
ロゴス・ミュトス・聖音、これもまた聖なる三位一体なのです。
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