8月11日は早朝から、地震のニュースが。
11面観音(白山姫)がとうとう姿を現したかという感じ。
11は漢数字で十一。これをひとつの漢字で表すと『土』。
高知には、未だに「佐之国」という地名があるように、土は後からつけられたもの。サの神に11という修飾語がついたのが土佐。
11日は土を冠する土佐で本場よさこい踊りに参加してきました。
11日の土佐は台風一過でド快晴。35度を越す猛暑で2万人ほどが無事に乱舞しました。
金の鳳凰が、土に潜って11面観音に変身しました。
古代史的に言うならば、十一(十市)トウチの姫皇子の復活ということでしょう。
11日の地震は、それほどメタファーとして、すごいもの。
11日の静岡の地震の震源地は駿河湾。当初8月8日には天竜川で遠隔を行うつもりでしたが、途中で予定が変更になりました。
そのことと、今回の駿河湾地震の因果関係はよくわかりませんが、ひとつはっきりしていることは『これは始まりに過ぎない』ということです。
社会システムも大地も地殻変動が起こっていますが、『破壊されていく現実』にフォーカスするのではなく、『破壊された上に創造できる喜び』にフォーカスをあてられれば楽しくなるのではないかと思います。
いずれにしても、崩れゆくものは意味があって崩れていきますから、その現象の本質を捉えられれば恐怖や不安も軽減されていくのではないかと思います。
それはとにもかくにも、自然界の中に存在する大いなるスピリットの意志を感じることではないかと思います。それを皆ができれば地球も、大地震や大洪水などの大規模な調整機能を発動しなくてもよくなるのです。
今回の静岡地震では『東海地震ではない』という判定が出されていますが、フォッサマグナと南海トラフが確実に絡んでいますので、関係ないことはないでしょう。
密接な因果関係のもとで今回の地震は発生しています。
自分も10日の夜には第六天が夢に出てきましたので、地下の深いところで何か大きな変動が起こっているのは間違いがないでしょう。
決して単発で終わらない地震であるので、細心の注意を払う必要があるでしょう。
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かなりご無沙汰しておりましたが、メタファーの世界もかなり進行しているようです。
8月8日には太平洋上の熱帯低気圧が台風9号へと変貌し、中国へ抜ける台風8号とあわせて、2つのアメノウズメが日本列島をなめるように、北西・北東方向へと抜けていきます。
全国各地で豪雨の被害があるようですが、今年のように東日本を巻き込んで巨大な前線が豪雨を巻き起こす年も珍しい。
しかし、この豪雨は単なる災害ではなく、大地を鎮めているという意味合いも強く、瀬織津姫が大地の火の力が爆発するのを豪雨で調和させているという見方もできるのです。
先日レポートしたように、南海トラフやフォッサマグナ、その他、巨大な断層が活動を活発化させているので、現在起こっている豪雨は、それを抑えるために起こっている自然の調整機能なので、豪雨の裏に潜むメタファーに留意する必要があるでしょう。
今回のように、8と9という整数をともなった台風は珍しく、ひとつは九州の西側を抜ける宗像まわり、もうひとつは太平洋上を抜ける三島まわりで、天児屋根ラインを全く機能させない非常事態の動きと言えるでしょう。
これにおけるメタファーは『既に屋根とそれを支える御杖が壊れてしまっている』ということであり、御杖をもう一度掛け、屋根を葺き替えなければ、日本列島は凄まじい風雨に見舞われるということでしょう。
それほど、この国はもともと自然災害の多い国であり、それを鎮めてきたのはマツリゴトであり、そのマツリゴトを引き継いだはずの政治が、多様なる日本のスピリットを蔑ろにしているということになるでしょう。
大地を鎮めることと、水を鎮めること、そして人心を鎮めることは太古の日本では同一視されており、すべてメタファーの世界で同時に鎮めの儀式が行われていました。
資本主義社会で嘘はつけてもメタファーの世界では嘘は通用しません。嘘は必ず隠喩となって現象界に噴出します。メッキが剥がれるという諺の本質的起源はかなり古代に遡ることができるでしょう。
この諺の逆の意味(メタファー)は、メッキが剥がれないということであり、メッキを塗る必要がないということです。このメッキを塗る必要がないというのは日本建築の本質であり、日本精神の本質でもあります。
その本質とは質実剛健であり、過度な装飾はしない質素さであり、外見ではなく内面から沸き起こってくる精神的美徳でもあります。
メッキは内側の貧困さを隠す単なる手段に過ぎず、そのメッキを施す側も、それを見る側も、そのメッキの輝きだけにとらわれている間は、現象の本質を捉えることができないということを意味しています。
社会における様々なメッキは剥がれてきており、嘘を見破る眼を持ち(ジャッジし)、取捨選択し、皆で本物を再構築していく作業が急務になっています。
眼の前の現実から逃げ出し、メッキと本物を混同するようなおかしな思想もありますが、メッキはメッキでしかありません。メッキを信仰しても何も出てこないことは明らかなのです。
8と9という整数の中に存在する本物のメタファーを知ることによって私たちは次の世代の智慧を授かることができるのです。
8月9日のよさこい前夜祭は中止となり、今日10日の祭りは半分ほど行えそうです。岩戸が10で半分開き、明日の11日、11面観音の女神(白山姫)で晴れ間が広がるようです。明日晴れれば、全国から詰め掛けた2万人ほどがサの神を祝して乱舞しますから、岩戸開きには最高の補助となるでしょう。
また近いうちに、そのレポートでもUPしたいと思います。
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個人主義といえばアメリカ社会の代名詞として認識する人が多くいますが、アメリカの場合は個人主義には必ずホームパーティ文化や日曜礼拝文化が付属しているので、個人主義であっても地域コミュニティというのはある程度保たれます。
しかし、日本の場合は、戦後のマスコミが偏った報道を続けて、個人主義と言えば自己主張をすること、はっきりとモノをいうこと、他人と関わりあいを持たない事がクールである、などという間違った観念をばら撒き続けました。しかし、アメリカの個人主義にとって最も重要なことは自己主張が地域コミュニティ(社会問題)と直結しているということであり、個人主義とは常に政治的・社会変革的であるのです。
戦後日本人は物事の本質を分析せず、うわべだけを輸入する事が得手でしたから(それがある意味クールだとマスコミや大手出版社が宣伝する)社会が限りなくうわべだけの社会に近づきました。
そういう状況が何十年も続きましたから、日本人の中のアイデンティティというものがめちゃくちゃに壊れまして、皆、一体何に帰属していいのかがわからない状態になっているのです。
民族・天皇という言葉を出せば『戦争』や『宗教』を連想させ、経済発展と民主主義が『平和』を連想させる時代は終わったのです。
日本のスピリチュアルが興ってきたのは、こういう背景があり、ちょうど9.11の直後からポストモダンの日本社会が見えている人は皆、一斉に声を上げ始めました。それが今、いろんな業界を巻き込み、あるひとつの大きな流れへと変貌を遂げようとしています。
これが新しい日本人としてのアイデンティティになることは間違いがないようです。
人間は多様的な生き物ですから、ほっておけば価値観は留まることなく多様化していきます。しかし、多様化しすぎると今度は価値の共有ができなくなってしまいますので、争いや犯罪が頻発するようになります。また、同じ価値を共有するという安心感がないため、わけのわからない恐怖感やとめどない将来への不安が沸いてくる人たちが増えてきます。
あるひとつの国家や民族とは、こういう恐怖や不安を取り除く装置でもあるのです。こういうのを”Nation(ネイション)”と呼びます。日本ではほとんど言及されない価値観です。
アメリカやヨーロッパは今でも普通にこういう価値を理解しているのですが(日本のように島国ではないため国境線がわかりにくいのでNationを生み出す必要があった)、同じ先進国でも日本の場合は、西洋の悪い面ばかりを輸入して、それがあたかも西洋の本質であるかのように宣伝する人たちがたくさんいらっしゃるので、日本国内における社会のあり方というのは凄まじいほど壊れています。昨今の犯罪はこの状況を投影しているだけに過ぎないのです。
例えば”Nation”があった時、何をその根本に持ってくるかは、それぞれの国にありますが、日本にはありません。ありませんというより、あるにも関わらず目を背け続けているのです。その目を背ける行為が正当化されるために個人主義が増殖していきました。
渡米して個人主義とは自己主張をすることと勘違いをして帰国してくる方がいますが、これは全くのお門違いで個人が権利を主張する時、地域を支えていくという(コミュニティに参加しているという)義務も負わなければならないのです。
これはどういうことかと言いますと、個人主義という時、日本では社会をより良き方向に変革していくという義務のほうに全く焦点が合ってないということなんです。権利を主張する時、まず日本人として社会やコミュニティをバックに背負っているということが前提であり、それがなければ単なるおかしな新興宗教に過ぎないということなんです。
マスコミや大手出版社は平然とこのような新興宗教まがいの洗脳工作を日夜繰り広げています。
前置きが少し長くなりましたが(笑)
こういう社会を改善するためにスピリチュアル業界というのは膨張を続けてきたわけでありますが、もうそろそろ社会のシステムとして機能させていく段階に来ているのではないかと感じています。
それで、今、何が必要かというと、多様化とは逆の『融合』という実際的な手段が必要なんですね。
それを高知の『おきゃく』という文化で展開するのはどうかと色々と思案中です。『おきゃく』とは様々な年代の人間が一同に介して酒を飲んだり謳ったり踊ったりする高知の文化で、『よさこい』を「動」とするならば『おきゃく』は「静」の文化になります。しかし、この2つの文化の本質は同じで高知の自由・平等主義の源となる文化でもあります。縄文のマレヒト・他民族国家ヤマトの根本原理(クニトコタチ)になっていたものです。
ここにスピリチュアルを差し込むことによって「太田総理、、、」の番組のような議論が高知の各地で毎晩毎夜繰り広げられるということになるんです。これは明治維新時や自由民権運動の時にも起こったことで、高知のディベートの文化に「目的」が付加されると日本の社会がものすごいスピードで変わってくるんです。
ただ、これも最初から最後まで高知の人間だけでやったわけではなくて、色んな人が複雑に絡み合うことで日本史は進んでいきましたから、社会を変革する器として非常に有効な文化を今でも保持しているということだけなんです。
***引用はじめ**吉田茂『ウィキペディア(Wikipedia)』***
首相時代、利益誘導してもらうべく、たびたび地元高知県から有力者が陳情に訪れたが、その都度「私は日本国の代表であって、高知県の利益代表者ではない」と一蹴した。
***引用おわり**吉田茂『ウィキペディア(Wikipedia)』***
勘違いされると困りますので、同じようなスタンスの吉田茂の言葉を引用しておきます。
スピリチュアルの価値観というものが広がって、それが社会参加あるいは政治参加のひとつの形態になっていくのは、ほぼ確実だろうと思います。
戦後社会の中で物質に重きを置いた唯物主義が横行し自然が悉く破壊され、若い私たちの間では、唯物主義に対する反動がものすごく出てきている。だからといって唯心主義に陥るわけでもなく(唯心主義に陥ったのは江原氏などのスピリチュアル、それを支持する人たちは霊能力が社会を改善すると考えていたようです)ある程度の物質と調和を図りながら【どちらかと言えば唯心的】というスピリチュアルの立ち位置がこれからの主流になってくるからです。
また、このスピリチュアルというのは”One God”が存在しているわけではなく、”Any God”なわけで、明治維新後の国家神道vs自由民権運動という対立構図にも非常に似ているんですね。現在における”One God”とは、資本主義という”One God”であり、ひとつの政府という”One God”、自民党という”One God”なわけです。ですから戦後社会の”One God”(55年体制)に対抗する”Any God”がスピリチュアル業界というわけです。”Any God”は多神教の世界であり、西洋人がアニミズムと名づけた類の哲学でもあります。
現代日本人は、ひとつの価値観が社会を覆うことについて注意を払うことが苦手で、政治思想的多様化や経済思想的多様化については、ほとんどの場合無視されています。しかし、真の民主主義とは、選挙を実施することよりも政治思想と経済思想が国内にたくさん存在し、それを選択する自由があるという意味です。その『選択の自由』が日本に存在しないのは明らかでしょう。なぜならば自民党・経団連・日銀・霞ヶ関が”One God”であるからです。
スピリチュアルに興味を持つ方でジャッジはいけないだとか、対立はいけないだとか言う方がいらっしゃいますが、スピリチュアルに興味を持って入場している時点で、今の資本主義社会と決別し、対立し、ジャッジしているわけです。ここらへんのところもロジカルに思考できるようになれば同じ目的に向かって変革を早めていくことはできそうです。ロジカルシンキングというのはディベートによって身につきますから、今でも強烈なディベート文化を保持している高知の「おきゃく」文化をのせていきたいですね。
またスピリチュアルの中でも空想的なものと現実的なものとこれからははっきりとわかれていくと思いますが、江戸時代にも空想的な『朱子学』が流行った時に、現実的な『陽明学』がそれを抑えるような形で発展していきました。この陽明学の一大拠点が土佐南学であり、明治維新の原動力となった国学のルーツでもあるのです。(明治維新は陽明学の巨大な行使と言っても良いと思います)サルトルの実存主義的哲学とも似ています。
特に京都の山崎闇斎『ウィキペディア(Wikipedia)』なんかは土佐南学派で国学の祖とも言える存在。
『知行合一』が陽明学で最も有名な言葉ですが、認識と実践を合一するという言葉です。知が先にあって行いが後になるという『知先行後』の朱子学とは逆の考え方になります。
スピリチュアルの中でも、空想ばかりが先行し、実際に社会を変革する知行合一がなされてないものがありますが、それこそまさに『知先行後』的スピリチュアルでしょう。社会を変革できない知識ほど無益なものはありません。
しかし、スピリチュアルとはそもそも個人や社会の癒しであり、それは『知行合一』でなければ意味がないのではないかと自分などは思います。
あまりこだわりがない人は、今、そうでなければこれからそうしていけばいいだけのことで、それを皆がやることによって、皆が生活できていくというシステムを創りあげないといけないんですね。そのための話し合いの場を「おきゃく」の文化を通してやればいい。
とにかく、皆で枠を超えてやっていきましょうよ、という話。
特別なことをやったり気負ったりする必要は全然なくて、ただ集まって酒飲んだり踊ってれば、必然であれば、やるべき人がやるべきことをやるはずですから、参加するだけでいいのではないかと思います。
いかなる強制などされるはずもなく、最も重視されるのは「自由意志の尊重」なのです。それが「よさこい」と「おきゃく」文化の本質でもあるからです。
こういう”Any God”を連想させる地方の文化には、これからはさらにスポットをあてていきたいですね。
出でよ、伝統や格式にとらわれない”Any God”よ!
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両神社には行けてないですが、すぐ上流の龍宮大橋、面足神社の数々を参拝してきました。
日と月が重なる日食にふさわしく、作田川はコノハナを裂いて流れ出る聖なる川。
ここに龍宮大橋が架かるのは必然でしょう。(まだ名前の由来は調べてませんが)
昼はアマテラスが治め、夜はツクヨミが、そして大海原はスサノオが治めよ。まさにその通りの地形ではありませんか。
そして昼と夜をつなぐものは龍。龍の住まう龍宮へ亀に跨って行く者は誰か。それは浦島太郎。
人間は昼と夜を重ねることによって、年をとっていく、しかし、昼の世界・夜の世界どちらか一方に居続けることができれば、、、人は年を取らない。千歳は百・千・万。そしてここは九十九里(くじゅうくり改めツクモハマ)
ツクモ神(九十九髪)は最も太陽に近い存在。日本で最も太陽に近い土地『九十九里』
白のつく地名が多いのは九十九里がツクモ神である証拠。
ツクモ神は白鬚であり、サルタヒコであり、浦島太郎。皆、白髪で白い鬚を生やしている。
そして今日は日食。
午前10時前頃の九十九里沖は異様な晴れ間が広がっていたが、食最大の11時頃は九十九里はあいにくの真っ白な雲に覆われていた。(あいにくなのか幸運なのか?月は水を象徴する。月が太陽を隠し、雲が日月を隠す、役者が勢ぞろいだ)
地上から雲に飛び乗り、雲から月にジャンプし、月から太陽に乗り移る。そんなことも可能だ。それこそまさに因幡の白兎的跳躍力。因幡の白兎とは瀬織津姫。そしてそのジャンピングを可能タラしめたのは、ヤヒロワニの豊玉姫。
因幡の白兎は太陽に渡ったか?渡っていれば太陽は活力を取り戻すだろう。
白き太陽が弱くなっては困る。天の白い王と書いて『天皇』と読む。天の白き王が龍宮大橋を渡るためには、ツクモ神もいなくては困る。白兎が白き王になるためには何が必要か?
コロ~リ、コロ~リ、と天は大地をかき混ぜて、面足を創っている。太郎や花子、姫や彦、大地の声を聞く人たちに白羽の矢を立てる。
ツクモ神は言っている。
『豊玉姫は出てきていたぞなもし。わしの鬚づたいにセオリツの白兎は月に行ったようだなも。海・月・日トランジットは成功せリ。おぬしには見えなんだか?スサノオとツクヨミとアマテラスが一直線に並んでいたのが(笑)』
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7月6日に江ノ島に行ってからというもの、北条氏のことに関わるのか関わらないのかで内部的に綱引きがありまして、少し調子を崩していましたが、今日、下記のようなニュースを知り、やはり避けられないと感じましたので、また少しメタファーでも。
調整池1.5メートル浮き上がる
道路陥没、住民「怖い」 東金・下武射田(ちばとぴ)
この武射の地は古代、海水と淡水が交わるタルミの地であり、今でも面足神社と第六天神社が鎮座してます。
豚インフルエンザの隠喩でも書いたように、5月から急ぎで面足を回復させないといけなかったのですが、かなりのハードなスケジュールで、高井戸の第六天とか横浜の第六天、はたまた湘南の第六天にも全く行けてなくて、とうとうオチバ様の本命が怒り始めています。
何度も書いています通り、面足はイザナギ・イザナミのひとつ前の神であり、男子と女子に分岐する前の両性具有神です。
これ、戦国時代にも織田信長の守護神になりまして、信長亡き後、北条氏がそれを引き継いだんですね。面足は元々、修験道で圧倒的に信仰された神で失われた大和の神と言ってもいい神さまです。この面足が一番残っているのが、旧北条氏の領土で東は千葉から西は伊豆にかけての地帯なんです。
そしてなぜ、信長が面足を信仰したかというと、面足が注目される時代というのは『タルミの地』のように色んなものがごちゃ混ぜになるカオス(混沌)の世の中なんですね、そのカオスの頂点に立って時代を治めようとしたのが天下布武の信長だったんです。
結局、信長という第六天が消えて、イザナギ・イザナミが徳川幕府という形で生まれてきました。男子・女子という秩序が出来上がったのです。
実は徳川家康にイザナギ・イザナミを打ち立てさせたのは、実際的には織田信長ではなく北条氏なんです。家康は北条氏と領土不可侵の盟約を結んでいましたし、信長の天下布武のエッセンスを北条氏が持っている事は知っていたんです。それが参勤交代の思想につながり、徳川300年の天下泰平がもたらされたんですね。17、8世紀に日本ほど安定した政体を維持した国家は世界にはありません。
それは何を言っても、信長の天下布武という第六天が家康の心に存在し続けたからなんですね。そして政体の部分では『吾妻鏡』を必死になって読んでいたようで、源頼朝と北条氏の第六天政体を研究し尽くしていたんです。
それで、今その第六天が何をさせようとしているかというと、これから世界を動かしていく(秩序を形成していく)思想の「人型」を早く創りなさいということなんです。
これには参りましたね。
ちょうど私の地元でも、土佐経済同友会が食とエネルギーの100%自給を目指すということで土佐経済同友会:「高知遺産」選定を 観光・環境の提言、知事に提出 /高知(毎日JP)やっとのことで中央政府と完全に決別した大回天の動きに入ったところです。
政治的にも前高知県知事の橋本氏が自民党から離党した渡邉氏と合流するという憶測が流れており、今回の衆院選で自民党が解体され、民主党も近い将来、政権担当能力不足から解党されることを考えると、橋本氏・渡邉氏の第三勢力が本流になることは間違いがないと思います。ちょうど面足の人型が深いところで生まれたということです。
東国原知事の場合は欲を出したため、異型のヒルコになってしまったということでしょう。
日本初の近代政党『自由党』の前身である立志社が高知で産声を上げたのは1874年。その後、凄まじいスピードで国会や法、政党が次々と開設・施行・結成され、近代国家が形成されていきました。それから数えると今年は135年目。徳川300年で捉えると、まだまだ半分にも満たない。それが崩れ去ろうとしている。
自由でも民主的でもない人たちが国民をそっちのけで自分の保身のために政争を繰り返している。国民は怒っているし、大地も怒っている。こういう時は非常に危ない。地震が起こる。
面足のメタファー曰く「原点回帰せよ」。政党政治が政党政治であるために私たちは今、近代国家を完全リフォームしなければいけない時代にいます。「やっちまおうぜ!ガラガラポンで。染めちまおうぜ!おれたちの色に」ということでしょう。
この国のマンション構造というのは、非常に時代遅れで、エレベーターが一基しかなく、その一基は自民党員とそれにぶら下がる官僚・ゼネコン・マスコミで占領され、一般住民はエレベーターの存在すら知らない人たちもいます。彼らは階段を上がる振りをして『これが民主主義だ』とは言いますが、実際にやっていることと言えば、エレベーターの占拠なんです。本当の政党政治は、そのエレベーターを体の不自由な人とかお年寄り、妊婦、小さい子供に優先権を与えるためのものですが、今の自民党員は我先にとエレベーターを占拠しているようなもの。
本当にもう如何ともしがたい状態なのです。私が殊更に言うまでもなく、皆さんもわかっていることと思いますが、反面教師の手本として後世に伝えていくべき日本史の汚点にしたいと思います。
まともな方たちは既に離党を始めています。
山梨2区衆議院議員 長崎幸太郎氏 自民党からの決別宣言
日食も重なるし、既にオタマも降ってきているし、第六天を祀る土地では地盤が隆起したり沈下したりしている。非常に危険な状態。地下で海水が逆流してきている。津波が来る前には潮位が下がりますし、潮位の急激な上昇は大地震の前触れにもなったことがあります。
私たちひとりひとりが、この国を変えていくという意志を持つ必要があるでしょう。
他人のことを自分のこととして捉えて、現実を少しでも改善していく政治的・社会的活動というのがもっと必要なのではないかと思います。
自分的には『よさこい』的に気楽にやればいいかなとは思うのですが、踊ってみないとその感覚というのがわからないので、「騙されたと思って一度踊ってみて下さい」としか言いようがありません(笑)
誰かがやるんじゃなくて、皆でやる、ということなんですね。
来月は久しぶりに、8月に高知に行きますので、草莽崛起のイメージというものを『よさこい』を通してレポートできればいいかなと思います。
20代・30代を中心とした新党立ち上げも、よさこい的に模索できれば万全かなと思います。
今年の8月8日は、かなりの分岐点になりますので、時代の目撃者となりましょう。
その前に、日食の日には『祈り』を行いますので、是非皆で、世界が闇に包まれても踊ったアメノウズメのように楽しく元気に乱舞して参りましょう!
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7/22 皆既日食~岩戸開きの祈り
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