麻生太郎(元)首相が、祖父であり、自分の政治道のルーツでもあるとふれまわる吉田茂『ウィキペディア(Wikipedia)』の故郷である高知県宿毛市に遊説にきたのは、衆院選開票の直前。
小賢しい遊説をしながらも、ふたを開けてみれば高知県全選挙区は自民党の圧勝。高知県人は吉田茂が造った55年体制には未だに未練があるようだ。高知県下では民主党に対する見方が未だに日本社会党という左翼であるらしい。
しかし、今回の選挙はこの『55年体制の打破』がテーマになった。
吉田茂は高知県宿毛出身の自由民権運動の闘士「竹内綱」の5男として生まれている。言ってみれば、性根から自由主義者の血を引く「出」である。
その吉田茂を祖父に持つと言いながら、強者のための政治を強行した麻生太郎。
むしろ、民主党鳩山代表のほうが今回は自由民権派であった。
しかし、この後はどうであろうか?
民主党が母体とする自治労・日教組・旧日本社会党勢力による政権は、色んな意味で混乱が予想される。
既に民主党鳩山代表の怪文書が米国を駆け巡り
鳩山論文に米専門家から失望の声(産経ニュース)
レッドパージ『ウィキペディア(Wikipedia)』さながらの欧米による日本包囲網が形成され始めている。
この国が安定するのは、自民党政権でも民主党政権でもない。吉田茂のように自由主義と尊皇主義が内部で融合し、強い大和魂となってアメリカと対等に渡り合える人物が出てこなければならない。それが右翼でも左翼でもどちらでも良いことなのだ。
ちなみに吉田茂は、「臣 茂」を称したように熱烈な尊皇家。しかも自由主義者の血も引いている。
歴史は繰り返す。
陸援隊、海援隊、土佐勤王党の自由主義・勤王主義の強烈なバランスが明治維新という維新を切り開いたように、55年体制も吉田茂の自由主義・勤王主義によって開かれた。鳩山一郎は脇役に過ぎない。
大和の自由主義・勤王主義は、またも新しい日本の礎となっていくのです。
その礎となるために、これから若い世代の【第三極】の勢力が膨張してくるのです。
やっとのことで、このブログのテーマである平成の自由民権という領域に突入する乱世へと時代が追いついてきたのです。
尊皇思想を持たない鳩では、この国を治めていくことなど到底できやしないのです。
皆で、『洋の東西を融合する』ククリの【第三極】を盛り上げていきましょう!
そこしか、日本と世界が抜ける道はないのですから。
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日本人はククリなさい、と。
米国と中国というイザナギ・イザナミをとりなすことによってこそ
世界は安定化し、日本も安定化していくのです。
この三位一体の新世界秩序こそ、これからの世界の根本を創っていきます。
日本人にこの自覚がなければ、世界は再度、崩壊へと向かうでしょう。
私が今、メッセージを発する理由はここにあります。
イザナギ・イザナミを差し置いて前面に出て行く必要はないでしょう。
両国をとりなす根本原理として、静かに輝けば良いのです。
西洋と東洋という2つにわかれた性を、『ひとつの洋』に統合するのです。
古代、私はそのようなことを成し遂げたことがあります。
全く異なるものを信仰する西日本という【倭国】と東日本という【日ノ本国】が統合されたのです。
決して不可能なことではないでしょう。
2つのクニを統合してできたクニこそヤマトであり
それこそ大いなる和に他ならないからです。
大文字焼きがなぜ行われるのか知っていますか?
2つの違うもの同志が融合したことを祝う祭事なのですよ。
大文字(ダイモンジ)の精神がある限り、ククリは必ず立つのです。
百から一を引くと白です。白は99でククリです。すなわち私ですが
引かれた一はどこへ行ったかと言えば、あなたたち人へと向かったのです。
人に一を足してご覧なさい。
そうです。【大】になります。
あなたたち人間が【大】になった時、私(百・桃)は、オクターブダウンしククリ(白・99)へと成るのです。
【大】と【ククリ】は同じ意味。ここにおいてこそ神人合一が為されるのです。
山(天)から剣(矢)という一文字をもらいうけ、あなたたち人間の中に剣を立てるのです。
さすれば、あなたたちひとりひとりが【大】となり【ククリ】となってくのです。
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鈴鹿山脈最高峰は御池岳(1247m)。
そこから流れ出るご神水は西方の犬上川を経由して琵琶湖へと注ぐ。清流犬上川沿いの大瀧神社は多賀大社の奥宮とされる。
この構造は鈴鹿の鈴が鳴る時に(ラビングアースDragon Anasta)で書いたような古い形のものであることがわかる。山をご神体にしている。後期大和朝廷によって移設されたが、多賀大社のご神体はおそらく鈴鹿山脈最高峰の御池岳。
それが何かと言えば、タケル。そう、タケルとは日本武尊(ヤマトタケル)。タケルとはタケルガミネの獅子岩。タケルがタケ(多家)となり、タカ(多賀)となり、タガとなった。
参考→尊星降臨
とうとうニギハヤヒの本質へと迫る鈴が鳴り始めたのです。
この道を開いたのは高知県奈半利の多気・坂本神社(神奈備にようこそ!)。物部氏と葛城氏が強力なタッグを組むのは東四国の基層。イワレヒコという集団が畿内へ向かったのは間違いなく南四国経由。
物部氏こそタケル文化を維持してきた神人集団。葛城氏はそれを伝播する役目を負った氏族。
おそらくタケルとは山神(獅子岩)の尊称であり、そのタケルから生まれた若宮、すなわちワカタケルこそ男王の称号だったのです。タケルガミネ(獅子岩)が全国に存在するように、ワカタケルは全国に何人もいたのではないかと思う。
そのワカタケルの伝承をまとめてできたのがヤマトタケルの群像。
そんな中で、なぜヤマトタケルが伊吹山の白猪によって亡くなったのか?それは伊吹山の対岸に鈴鹿山脈の北限があるからに違いない。
日本で最も巨大なタケル(獅子岩)が鈴鹿山脈に存在しているのではないか。
そして、伊吹山が属する伊吹山地『ウィキペディア(Wikipedia)』の北限は金糞岳。そして白山属する両白山地『ウィキペディア(Wikipedia)』の南限は金糞岳隣の三国岳。もしこの金糞岳と三国岳がつながっていたと認識されていたならば、鈴鹿山系と白山系が関が原を境に対峙するわけです。
すなわち、鈴鹿はタケルですなわち男王、そして白山はシラヤマヒメですなわち女王、この2つで巨大な大地の生殖図が完成するのです。ヤマトタケルは白山系の南端である伊吹山の神風で亡くなり、反対に白山のアマネクテラス(ラビングアース)は伊勢に持っていかれたのです。
もともと伊勢の国府は鈴鹿にあったわけですから、伊勢はもともとタケル(山神)を祀る象徴ではなかったかと思います。多賀大社と鈴鹿山脈を挟んで反対側の伊勢国一之宮の椿大神社の祭神は、そうサルタヒコ。サルタヒコ(ラビングアース)がニギハヤヒであり、日本武尊であるということは既に何度も言ってきました。
また、タケルはすなわちイザナギですから、「伊邪那岐大神は淡海の多賀に坐す」というのは理に適ったことになります。この道理でいくならば、鈴鹿山脈の対の女神である白山系はイザナミということになります。またサルタヒコの妻とされるアメノウズメ(ラビングアース)も、また白山姫ということになります。鈴鹿の地から見れば白山は北の地ですから、これも納得のいく話です。
また天下を2分した関が原こそヤチマタであり、そこが日本において東と西の論理的な中央の地になっているということは、戦国時代を考察しても理に適ったものであると思います。
もし仮に、関が原付近の低地が水で覆われていたならば、タケル(彦星)とシラヤマヒメ(織姫)の壮大な逢瀬がここでも行われていたことになり、八ヶ岳周辺部にも引けを取らない巨大な棚旗が行われていた可能性があるのです。しかもすぐ側には琵琶湖という出産に必要な日本最大の巨大な湖があり、生殖に必要なタケルの精子は多賀大社の神器にもなっているシャモジやオタマジャクシに象徴されています。
多賀大社付近には、このように大地の生殖と出産に必要な要素が凝縮されており(他地域にも存在しますが)お伊勢の御祖神とされる根拠はこういうところから発生しているのだと思います。
いずれにしても、多賀大社の根本原理の中にタケル信仰があるのは、ほぼ確実であり、かなり古い時代の信仰が形を変えて現存しているのは驚くべきことと言えます。
以前からお伝えしているように、この大地の生殖信仰は天智天皇朝までは引き継がれており、多賀大社付近に天智系の豪族が根を張ったのは非常に合理的なことであると思います。
私たち日本人は、権力による歴史の改竄を乗り越えて、自然神を祀っていた天智天皇朝以前の文明へと回帰する必要があると、鈴鹿の鈴が知らせてくれているのです。
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昨日は衆院選の開票がありまして、興味深い言葉があちこちで聞かれました。
『風が吹いた』
『逆風の中、当選した』
日本人の認識の中には今でも、五大元素『風』に対する深い洞察が残されています。
これらの『風』に対する肯定的なイメージは『神風』に通じるものであり、その奥深いところには古神道の認識があることがわかります。
今回の自民党・民主党の戦いのように、古代の日本、天智天皇朝・天武天皇朝においても同じような戦いが繰り広げられていました。
昨日書いたように、天武天皇は神風で勝利を治めたはずですが、何かを恐れるようにしきりに竜田の風神を祀っていました。結局、最後まで神風は吹かず、道半ばで崩御されてしまいますが、日本人の『政治と風』に関連する事柄は非常に興味深いものがあります。
元寇の時も、神風が吹き、敵を蹴散らした、ということが歴史的にはあります。(現在では捏造であるという説もあります)
そして、日米戦争時にも、神風特攻隊という特攻隊が編成されました。
このように、『風』は日本国家という枠組みに密接に関わっているものの、その出元というのは、ほとんど知られていないのではないかと思います。
日本の古代において、『風』は天神の【息】とされ、イキ・オキ・シなどと呼ばれました。(琵琶湖東に勢力を張った息長氏は風に関係があるとされています)
日本神話の中でも、風の神はシナツ彦とされ、出元は土佐の『しなね』や長野の『しなの』、壱岐や隠岐などでしょう。
このように後期大和朝廷の創作神話とは全く違う場所で大和の神々は生まれており、自民党政治が終焉し、民主党によって真の民主主義が実行されたならば、権力による歴史の捏造という暴挙もひとつずつ軌道修正されていくのではないかと思います。
昨日は民主党の風が吹きましたが、今日は台風11号の風が吹いています。
何度も言うようですが、『風』は、古代日本において【神の息】と考えられました。
この後、何が起こるかをしっかりと見ておく必要があると思います。
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2007年より11月に降ってくる【十字】のシンボルの意味がやっと理解できました。
参考→新年琴始め
昨日より、強烈なインスピレーションをともなって剣のイメージが湧いてきています。剣の刃には北斗七星が刻まれています。その北斗七星をなぞるように龍が描かれており、両刃で双龍になっています。
この刃を十という文字の下に差し込め、と言うのです。
そうすると『土』という文字が完成します。
ずっと欠けていたものは、七星剣なのです。
『十』は四角形を表し、四天王寺も意味しています。四天王寺は聖徳太子縁の寺とされています。そして七星剣も、また聖徳太子縁の剣とされています。
1昨年の11月より【十字】が降ってきていたのは、十一面観音完全復活には七星剣が足りないというメタファーだったのです。
確かに『十』を表す四天王と七星剣の七を足せば『11』になります。このロジックでいくと『土』は5ということもできます。『土』は11を表すと同時に5も表している。それに4本足を加えると『赤』。これはすなわち9を表しています。これは九十九神=白という方程式が崩壊しています。あるいはこれは九十九神の荒魂の方程式かもしれません。
既に九十九神は白ではなく赤の状態に突入しており、9が危険状態を表すのは今月の地震の発生の仕方をみればわかることです。
だとするならば、やはり9月9日が赤の危険水域で、10月10日には何かとてつもない開きがあるのだろうか。
そして11月11日に今度は真の十一が降ってくるんでしょうか。
10月のことは今はわかりませんが、少なくとも既に七星剣のことははっきりとわかったので、この対応はしておかなくては思います。
運良く、来月には七星剣が伝承されてきた【四万十】の一宮神社、もしくは七星剣が保管されている施設に訪問する予定なので9月の問題については、解決できると思います。
そして、もうひとつ気になっていることですが、『封』と『風』は同じフウという読みをすることです。
封という文字は土ふたつに寸です。寸にはつなげるという意味があり、このことから封という文字は土と土をつなげるという意味だと思いますが、その土をつなげるためには同じフウである『風』が必要なわけです。しかも私たちは口で何かを乾かそうとする時、フゥ~っとします。
これはものすごいメタファーであり、古代史を封じた人たちもこの原理を知っており、土(5)と土(5)すなわち10で戸が開いていた古代を、寸という概念を入れ、封という文字を生み出すことによって、戸を封印してしまったのです。
その原理を証明するかのように、出雲の神在月『ウィキペディア(Wikipedia)』の神事は旧暦の10月10日に行われます。10月は一般的には神無月と言いますが、本来は戸が開く大切な月だったと推測できます。それは土の効能を2つ合わせた10の月であったからです。
もし仮に、1月1日の元旦に年神が生殖したならば、【とつきとうか】で産まれてくるはずであり、この年神の生殖は全国各地で行われていたものであるから、出雲だけに神が集まるというのは明らかに政治的な改竄なのです。
12月の最終週に冬至の太陽神が復活し、大地からとれた米をコネた鏡餅と生殖し、太陽神と大地の生殖が行われ天と大地の子らが、10月10日に続々と全国各地から産まれてくるのです。それを祝うのが神鳴月(かんなづき)であり、全国で平等に、その祝いの儀式は執り行われていたのです。それを神無月と称して、太陽神と大地の結婚譚を封じてしまったのは、我々日本人の古代史の汚点でしょう。
西洋では土神はサタンとして闇に葬られ、日本ではイザナミとして黄泉の国に葬られています。日本と西洋の神封じの段階は異様なほど酷似しており、それぞれの足りないパーツを組み合わせることによって、失われた古代がヨミガエリを果たすことは間違いがないと思います。
古代ローマのサトゥルナリア祭と日本の神在月祭は同じ文明から生まれて来ています。
明らかに出雲が神が集う場として機能させられているのは、『記・紀』の都合であり、10という整数の本質的解決を意味するものではありません。
『土』と『風』という組み合わせは、古代の土州、つまりは出雲と反対側の「後の正面」の土佐を意味しており、土を乾かす風(台風)は南からしかやってきません。『シ』は息をあらわし、シナネを祀る土佐神社とシナノである諏訪大社の神社一番の大祭が8月の後半に存在することを考えると、息が長く続く【シナ】ためには風を祀る必要があるということを意味しています。
息が長く続くという事は古代においては、長生きをすることを意味しましたから、天武天皇が祟りで死にかけていらっしゃる時に、秦忌寸石勝を遣わして(土左大神に)幣を於いたのは、誠に理にかなった行動であると思います。
しかし、天武天皇は何かを恐れるかのように、しきりに竜田の風神の祭祀を行いました。竜田の風神は国御柱神であるはずです。それなのに祟りがあたってしまい、土佐にブレーンである秦石勝を遣わせてまで長寿祈願をさせた理由はなんであるのでしょうか?息を長くしてくれる竜田の風神を1年に2度以上、祀っていたのです。
それとも竜田の風神は、違う性格の神だったのでしょうか?しかも天武天皇はシナノに遷都を考えていたようで、風神に対しては異常な執着をしていました。中央構造線の丹生に対してもです。
673年から686年の在位期間、ざっと調べても実に20回。日本書紀天武記(日本文学電子図書館)
ほとんど風神しか祀っていません。しかし、684年の10月14日に、ことは起こってしまいます。白鳳の大地震です。土佐の陸地は沈み、道後温泉は枯れ、伊豆半島はひとつになりました。11月21日、23日にはそれぞれ記録に記されるほどの隕石が落下しています。これらの自然現象は捏造ではなく事実でしょう。
一体、【神風】は誰に対して吹いたのでしょうか?
686年8月13日には土左大神に幣をおきますが、その願い虚しく、その年の9月9日に天武天皇は崩御されてしまいます。
土と土を組み合わせ、寸で封じた「風神」は新たなメタファーで解放してあげなければなりません。
それは、まず寸を除くこと。そして土をもう一度、十と一に分解して再構築することなのです。
寸を除くこととは『記・紀』の改竄古代史の洗脳から日本人が目覚めることでしょう。
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