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古代神や古代聖地をご紹介し、神仏基に対する信仰を再生して頂くお手伝いをしています。
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  2009/10/31 [10:12] (Sat)

魂の長い旅路を終え、還ってきております。

10月10日に、甥の10歳の誕生日があり、そこで

『そもそも、対立構図などない』というメタファーを受け取り

天智天皇vs天武天皇の構造から抜けきる事ができました。


そして、天智天皇以前の政治・文化構造の根本、そして大津近江京への遷都の背景と意味がはっきりと見えるようになりました。

昨日の10月30日は、いずれにしてもかなり強いメタファーの日だったのではないかと思います。

これらの構造については、現在、新たなブログを作成中ですが、ここまで到達するためには対立構図の中で、かなりの思想的格闘をする必要があったと思いますので、全ては必然として用意されていたものだと思われます。

大同団結『和』の根本原理を、侵略する勢力に対して、古代、『和』を行使できず、壬申の乱なるものが始まったわけですけれども、私たち日本人は今一度、その時代にまで遡り、あらゆる域外者を招きいれ、そこで常しえに立つという『和』の哲学を、現代に顕現させるという仕事が待っているらしいのです。

 

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  2009/10/06 [15:44] (Tue)

10月8日 台風18号 瞬間最大風速80Mは、かなりのメタファーを持っています。

8と9の間から生まれる神でも書きましたように、8月から連続して、8,9,10の開きが起こっています。

前回の記事では、その自然現象を操作するような勢力も存在したんだ~みたいな話をさせて頂きましたが、それを超越しようとする勢いも見られます。

さらには、伊勢湾台風を連想させ、強いメタファーをも持っていた今年の台風11号の進路とも重なる。


  ●参考⇒台風11号と十一面観音(過去記事)


八十神(やそがみ)『80』に『1』が付随するのは、すなわち「怒り」を表しているのですが(ユニコーンとか般若、鬼、そんなイメージもでてきます)、本来であればスムーズに九十九神(つくも)に移行していれば、『80』に『1』のメタファーが連続するはずもありません。
 

因幡の白兎、すなわち瀬織津姫の後の項に八十神(やそがみ)迫害の項『ウィキペディア(Wikipedia)』があります。


オオナムチは八十神(やそがみ)の迫害を受けて、根の国を訪問するのですが、そこでサスラヒメと出会います。

スサノオとサスラヒメのセットはサスガとサスラですから、夫婦であると言っても良いと思います。

それで、地底でスサノオ・サスラヒメとすったもんだをやって、結局、「ムカデと蜂の比礼」の力もあってか、なんとか根の国から脱出します。最近では、みつばちが失踪するかわりに、スズメバチが急増しています。蜂の比礼が現実のものとなっているのでしょうか。つまり「ムカデと蜂の比礼」ですから、蜂はムカデと対等にならなければならないので、この場合はムカデ同様、鋭い毒性を持ったスズメバチのことを表していると思われます。

そのスズメバチのヒレでオオナムチは地上へと返り咲いたのです。


黄泉津比良坂までスサノオはオオナムチを追いかけるのですが、あきらめて、大刀と弓矢で従わない八十神たちを追い払え、そして地上で大国主となって、サスラヒを娶れ、と言い放ち根の国へ戻っていきます。

ここで弓矢にはもちろん、スズメバチの毒が塗られてあった可能性は高いです。すなわち地上に悪を持ち込んだ西洋でいうところのサタン的な意味合いもこの話には盛り込まれています。

古代ローマのサトゥルナリア祭は、このオオナムチの返り咲きに非常に酷似しているでしょう。


マグマを娶ったお山の話ですが、自然現象が様々な神に擬人化されて、メタファーにあふれた素晴らしい話であると思います。


10月8日 台風18号 瞬間最大風速80Mは、既にオオナムチが大刀『1』を持って、黄泉津比良坂を超え、八十神『80』に迫っているということ。つまりはマグマが、もう、まもなく噴出するということなのではないでしょうか。


そうさせない方法もあったとは思います。しかし、全ては必然だった、んじゃないでしょうかね? 

 




  2009/10/03 [12:57] (Sat)

ミルさん、コメントありがとうございます。

非常に素晴らしいブログを紹介頂いて、謎が解けましたので
記事の形で返信させて頂きたいと思います。


つながっているこころ


というブログを紹介して頂きました。

その中で【気象操作】ということが取り上げられ、なるほどと妙に納得してしまいました。


本来であれば、天と大地からのメッセージによるメタファーによれば
8月30日か9月1日、あるいは9月9日に日本でなんらかの地震が起こるのは間違いがなかったわけですが、それを意図的に操作し、さらなる地殻の怒りを蓄積させたことは、非常に愚かだとしか言いようがありません。


今回、十一面観音が地震によって知らせたかったことは、自らの存在と希望ある未来だったわけですが、白山姫が中央集権国家という権力志向の亡霊たちによってカゴメにされているように、十一面観音もまた、未だ、私たちの目の前には現れることができないということがわかりました。


しかし、そのメッセージを受け取っている人は非常に多く存在してまして、情報操作された社会を変革していくのには充分な勢力になりつつあると確信しています。


確かに関東での大地震は怖いですけれども、今回予定されていた房総沖の地震は、それほどの被害をもたらすものでもなく、警告程度のものでした。それをサモア・インドネシアに付け替えることによって、木造建築しかない人たちの町を破壊してしまったのは、なんとも悲しい出来事でしょう。


今回の件によってプレートのガス抜きが強制的に中止させられたので、今度は東京郊外を震源とする非常に危険な直下型の地震に注意を払わなければならなくなりました。


サモアとインドネシアの地震は直接的な因果関係はないとされていますが、そんなことはあり得ないと思います。これらの地震は8月の駿河湾沖地震とも非常に密接な関係があり、太平洋のおける大規模なプレートの再編を意味してます。


既にフォッサマグナの活発化も確認していますので、白鳳時代に迫る地殻変動が近々で起こるのは間違いがないでしょう。


それとともに日本社会においても政治的・経済的にも常識を覆すような変化が起こるのは必至であり、私たちは、心の準備をしておく必要があると思います。


斉明天皇が、『たぶれごころ』と称されるようなメチャクチャな公共工事を展開し、民衆から反感を買い、皇居の焼き討ちを受けていたのは有名な話です。しかし、斉明天皇は隕石落下と白鳳の大地震を予見していて、そのための公共事業をしていたというチャネラーもいます。


これは非常に説得力のある情報であり、天武朝では白鳳の大地震の直後に2回の隕石落下が記されていますが、大地震の直前にも隕石落下があった可能性も充分にあると思うのです。つまりは隕石落下が白鳳の大地震を誘発したということです。


9の大地に1という隕石が落下することによって、大地が10(戸)に変化する。非常に簡単な足し算でしょう。私たちの魂が殯によって雲になっていく、それをふーっと神が吹くことによってモは晴らされていくのです。出雲とは一体なんであるのか?それは風神と対極にある概念なのです。雲を出すことは魂を天界に送らないことを意味しており、再生さえしません。殯とルーアハを取り戻し、神の輪廻を取り戻す必要があるのだと思います。非常に間違った古代史観が日本を覆っています。


斉明天皇は、古代の神官型大和王権の伝統を引き継ぐ巫女天皇でありました。その後、天武朝において皇帝型大和王権が確立されるわけですが、最近のメッセージと地殻変動を見る限り、その時代の精算をも、私たち日本人は迫られているように思います。


先日は、鞆の浦の橋建設に待ったがかかる歴史的な判決がなされ、日本の古縄文の人たちの力が渡来系日本人の国家主義的力を駆逐するという非常にうれしいニュースがありました。


諫早湾に鉄板ギロチンを落とし万歳三唱していた国土交通省も今では前原大臣の管理下で辛酸をなめていることだと思います。


このように日本は、これから真の日本人の手によって運営されていくべきだとの機運が非常に高まっています。持続不可能な公共工事を展開し、人工降雨によって気象を操作するようなことが賞賛されるような社会はやめにしないといけません。

賄賂を受け取ったマスゴミがミスリードしていく日本社会をまともな人たちが皆で創造していく日本社会へと回帰させていかなくてはなりません。


日本の人たちが、日本人としての自覚をすることが世界における台風になるのだ、ということを認識していく必要があるでしょう。


自然に発生する台風は悪い存在ではなく地球の調整機能のひとつです。私たちひとりひとりがそのような地球の調整機能の一部にならないといけないのです。上から押さえつけた人工的な政治環境・経済環境などいつまでも続くわけがないのです。

第一、十一面観音は怒っています。起こるべき事が起こるべき時に起こらないということは、起こるべきでないことが起こるべきでない時に起こり始める、ということの裏返しです。


どちらが怖いかと言えば、後者のほうが怖いに決まっています。それを鎮めるために古代の人たちは鎮魂をしていたわけであるのに、意図的に荒魂を引き出して、どうしようと言うのでしょうか?


今の私では、状況をレポートしていくことだけしかできません。これからはもっともっと具体的な活動へと転換していかなくてはと考えています。

 




  2009/09/13 [11:28] (Sun)

何度も言うようで、私も少し面倒な気もしますが、虚言や妄言がWeb上に飛び交いますと社会にとって不利益になりますので、少し糺しておきたいと思います。

まず、この国には憲法というものが存在しまして、全ての法に勝る人間の基本的な権利を規定しています。

この憲法というものは、基本的に、『自立』や『依存』などの形而上学的概念をとらえられない人たちが、ひとひとりの領域を超えて他者を侵害することを防止するために創造された形而上の崇高な決まりごとです。

その中に【自由権】というものがありまして、さらにその中に、思想・信条の自由、表現の自由という権利があります。

これはナンビトも、思想・信条の自由、表現の自由を妨げることはできないというものであり、憲法以外の商法や民法などの6法を超えて優先されるべき基本的人権になります。


例えば、自分の庭をどのようにいじろうが自由ですが、自分の庭と同じことを他者の庭に押し付けようとする行為は自由権の侵害にあたります。これは法律以前に、小さいときに親からきちっとしたシツケを受けていれば普通に認知されるべき概念ですが、近代国家の社会下ではそれらが蹂躙される傾向が強いので、ことさらに明文化されたということです。


ブログにおけるコメント爛なども、この庭と同じで、自分の意見を他者の庭に入って通そうとするのは非常に幼稚な行動と言えます。しかも私は実名がわかる形で活動していますから、もし仮に、私の言っていることが気に入らないのであれば、自分の実名を告げた上で【何に対して何がどう違うと感じているのか】、を具体的に指し示した上でないとはっきり申し上げて答えようがありません。

私に対して否定的な意見を述べる方は、ほとんどの場合「実名を公表しない」・「根拠を指し示せない」・「権力や西洋などの大きいものに依存する」という傾向があります。私は、日本で圧倒的多数派を占める『弱者をいたぶってもなんとも思わない権力主義者たち』と10年間、言論による闘いをしてきていますので、地位欲・名誉欲・金銭欲に溺れた方たちが私の主張に怒りを感じるのは当然です。欲望は考えないことによって肥大化していきます。ジャッジメントを否定するスピリチュアリストが様々な欲望にとらわれているのはこのためです。

根拠を示すことのできない怒りはほぼ100%、誤認や妄想、自立心の低さ、精神の幼稚さからやってきます。


私がこのブログで書いていることは、ほとんど【なぜならば】という根拠を指し示した形で記述していますので、私の意見が気に入らない場合は、「その根拠が○○の理由で間違っている」とか「その根拠をそういう解釈で記述するのは妥当性がない」とか、そういう具合に論理的に批判して頂ければ、私もすっきりと答えることができます。

売られた喧嘩は必ず買いますので、まずどこの誰べえであるかを宣言すること、そしてどういうバックボーンを持っているのかの思想・信条を列記したものを指し示すこと、この2点を武士道に則った形で実践して頂ければと思います。


自らの批判精神を根拠を示して筋道立てて記述するのは健全な社会変革になります。革命を経験した西洋や日本は100%、この批判精神が文明を前進させました。


ブログがここまで絶大な支持をされているのは、個人の表現が巨大な権力と対等に渡り合えるからです。アメリカではそれが有意義に使われ、オバマが大統領に当選しましたが、日本では未だ、実名を公表せず匿名で自分のウサを晴らすだけのツールに成れ果てています。


私たちはもっと【自由とは何か】を知る必要があるのではないかと思います。


欧州・アメリカ・日本の「近代的自由」は、それぞれルソーをルーツにしていますが、その発展経路・方向性が異なっています。


幕藩体制を一番早く捨てた土佐藩の侍である中江兆民『ウィキペディア(Wikipedia)』が第三共和政のフランスへ渡ったのは1871年のこと。そこで見たものは、フランス革命・パリコミューンと言いながら植民地主義を拡大するフランスの実情でした。そのフランスに失望し、真の自由を求めて活動をしていくわけですが(三酔人経綸問答『ウィキペディア(Wikipedia)』などはその中でも傑作物です)、結局その真の自由を求める純粋性が植民地主義を拡大する西洋の偽自由主義と対立することになっていくのです。

ここが日米戦争の根本的原因でもありますが、西洋人の有色人種に対する偏見というのは現在でも続いています。

アジアの経済発展に伴って、西洋人のアジア蔑視は少しづつ薄らいできていますが、ニューヨークにおいてさえ口には出さないものの差別主義は、今なお燻っているのです。


その中江兆民などの影響もあり、植木枝盛『ウィキペディア(Wikipedia)』が現憲法の骨格を創り、日本初の近代政党である立志社『ウィキペディア(Wikipedia)』が創設され、国会開設運動の中核をなす国会期成同盟『ウィキペディア(Wikipedia)』も発足していくわけです。

法・政党・国会のこの3つが、自由を求める兆民的精神と呼応し、日本の近代国家を形づくっていくわけですが、こういうことをあまり知らない人たちもいます。


戦後、GHQの洗脳政策から「日本の民主主義はアメリカからもたらされた」という風潮が今でも根強いですが、愚かとしか言いようがないでしょう。(日本が国連に提案した人種的差別撤廃提案『ウィキペディア(Wikipedia)』に頑強に抵抗したのはアメリカそのものであるわけですから)

その影響で現在の日本社会はアメリカの民主主義よりも質の悪い民主主義の国家になっています。石原莞爾率いる関東軍が東京の大本営に反して南下政策を発動させたのは、この国の軍部においてさえ民主主義が徹底されていたわけであり、アメリカのように支配的な軍法会議が日本に存在したならば、日本は日米戦争には突入しなかったのです。民主主義精神が宿っていたからこそ日本は破滅に向かったのです。

当時、日本がアメリカのように非民主的であったならば、日中戦争も日米戦争も始まってはいないのです。民間の知識人や将校などが積極的に開戦を宣伝し、国民の大半がそれに賛成したのです。中江兆民→石橋湛山→濱口 雄幸『ウィキペディア(Wikipedia)』的な小日本主義的進路で進んでいれば、愚かな戦争などせずに済んだのです。それを開戦に持ち込んだのは、多くの民衆なのです。

戦後よりも戦前のほうが民主的な社会であるし、むしろ非民主的であれば日本人は戦争を起こさない従順な民族なのです。そういう傾向を乗り越えて私たち日本人は、民主的であっても知性的であるというレベルにまで国家を昇華させないといけないのです。



怖れは無知から始まり、根拠なき怒りは妄想から始まります。



ブログを含めたWebの文化が、もっと崇高なものになることを願います。


権力を抑制する批判精神を持った言論による闘いほど
社会的弱者を援護する崇高な平和的活動はありません。

もっと私たち日本人は形而上の概念を正確に捉えていた戦前の社会を
見直す必要があるのではないかと思います。



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  2009/09/11 [17:19] (Fri)

アメリカでは、医療制度改革が地雷となって国家を2分するほどの闘いが繰り広げられていますが、日本でも鳩山民主党の温室ガス25%削減案が、静かな火種となっています。


この2つの国の現象は全く関係ないかのように見えますが、実は深いつながりがあって、アメリカではオバマが社会主義的手法で合衆国を再建することに自由主義的原理主義者が怒っています。日本では、環境主義的手法で日本を再建することに国際貿易体制原理主義者が怒っています。


2つのパターンとも今まで国を支えてきたレジーム保持者が反動的行動に至っているわけですが、この傾向は非常に危うく、各国において原理主義者たちが勢いを増してくる方向性が見えてきています。

そんな中で、私たち若い世代がとらなければならない行動は、西洋社会とも深いところで一致する自由主義で国を建て直していくということです。

それができなければ、西洋と日本は利害の不一致でギクシャクした関係が訪れ、孤立を余儀なくされるでしょう。

大和の自由主義は、西洋とも意思疎通が計れ、日本のナショナリズムも再生できる健全な平和思想です。

これから世界を創っていくのは自分達であって、整然とした多極的世界を構築してくためには、民族や国家を超える根本原理が必要となります。

それはイスラム原理でもキリスト原理でもなく、全てを包括する自由原理でなくてはなりません。

それが和の精神であり、日本文化の寛容さにも顕われています。


その和の精神をもっともっと飛躍させることによって、世界をより良き方向に進ませる事ができます。

現在一般的に認識されている和の精神は、仲良しクラブ的なものであり、到底世界の根本原理になりえるレベルのものではありません。


もっともっと深く私たち日本人が、古代に潜入し、多民族国家大和の原像を多面的に感じなければなりません。

それができてこそ初めてアセンションということになりますが、それまではククリ(白山姫)の思想を経済思想や経済文化にまで落とし込む必要があります。

近代経済学はアダム・スミスというケルト人から始まりましたが、現在の世界恐慌はケルトに対するアングロサクソンの誤解から生じています。

現代世界をめちゃくちゃに破壊している新自由主義者たちの思想のルーツは、アダム・スミスの『神のみえざる手』ですが、アングロサクソン人は神は必ず助けてくれるというキリスト原理(メシア信仰)を持っているため、『神のみえざる手』の本質を理解していません。


神は助けない時もあるわけで、市場は全て『神のみえざる手』によって調整されるわけではないのです。

日本においては、和魂と荒魂の概念があるためキリスト原理(メシア信仰)は根付きませんが、この荒魂の概念こそ、現代経済学に必要な概念なのです。


ヘッジファンドがモンスターとして世界中を荒らしているのは、世界経済が荒魂化しているわけであって、荒魂化している間は『神のみえざる手』は機能しないのです。


荒魂(ヘッジファンド)を鎮魂し(潰し)、心を落ち着かせた後、市場原理を和魂として機能させる。こういう風にしなければなりません。アダム・スミスは神の手に言及しましたが、神の魂までは言及しませんでした。

西洋人は基本的に文字で理解をする種族ですから、アダム・スミスの文章には忠実でもアダム・スミスの心には忠実ではありません。

ケルト人と同じ精神構造を持つ私たち日本人がしっかりしないと世界はとんでもない方向に進んでしまうでしょう。もしくは心を理解する西洋人達と共に世界を創造していくことが必要でしょう。

もちろんアジアの人たちもともに創造していくことも必要です。しかし、新しい経済学の原則を発明できるのは、その経済思想史の歴史から言って西洋人か日本人になると思います。

いつまでも不況だ不況だ、と言わずに何をどうすれば世界経済は安定するのかをもっと市民レベルで論じる必要があるでしょう。


少なくとも、今のアメリカには世界経済思想を牽引していく余裕などなく、欧州のほうが優秀です。ヘッジファンドを規制するのは当たり前のことであり、再度、自由経済とは何かを確認する必要があります。そして幸福とは何か?も。


そのような哲学的議論の中から未来の展望は生まれてくるのです。




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政治/経済、宗教/哲学を基本としながら市民活動やスピリチュアル活動など、広範囲に動いております。行動範囲は今のところ、東は茨城県から西は中国四国地方までです。特に修験色の強い山間部の地域活性化に興味があります。該当自治体の担当者の方からのご連絡お待ちしております。どうぞよろしくお願いします。
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